失敗する男
私はただ普通に探偵を書きたかっただけだったんですが……難しいですね
――あるところに異世界に誘われた少年がいました。
ですが、その少年は目を輝かせることなく執拗な誘いを断り続けました。
それに誘った側はますます手段や場を選ばずに勧誘し、最終的にあることをしました。
そのあることとは――
「――ずいぶんと懐かしい夢を見たものです」
目を覚ました男性は天井を見つめながらそう呟くと、体を起こします。
それと同時にはねる髪の毛。寝ぐせなのは明白ですが、彼は気にせずに起き上がり時間を確認し苦笑しました。
「あらあら。また失敗ですか」
時計は、正午を指していました。
「こんにちは先生!」
「学校はどうしたんですか、藍さん」
「先生が寝ていらしたので休みました! もし依頼が来たら誰も対応する人がいませんので!!」
「……それはそれで気にしなくていいと思いますよ。学校のほうが大事ですし」
「私は先生のほうが大事です!」
「……」
寝巻のまま寝室から出ると、女性が一人ソファに座って教科書を開いていたので何度目かになる注意を行いますが、彼女は聞く耳を持たずに彼に対し堂々と気持ちを伝えました。
それに対して言葉に詰まった彼はしかしながら、脳内ではこれに関してはもうお手上げですねなんて考えていました。
そんな諦観を抱いた彼の気持ちを知らない彼女――藍は、そのそれなりにふくよかな胸の前で手を組み目を輝かせながら語り続けます。
「先生のおかげで私はこうしてここにいられるのです! それに、先生の秘密を考えると私以上に適任な人物は絶対にいません! もはやこれは運命なのです!!」
「それとこれとは話が違うんですが……」
「いいえ違いません!」
「違います。私をダシに学校をさぼらない……そういう約束でここで暮らしているはずですが?」
「うっ!」
寝ぐせを直さない・寝巻のままという格好のつかない中でも彼はちゃんと藍に注意をしました。その指摘に彼女は痛いところを突かれたのか胸を押さえてうずくまります。
しかしながら彼はどうせ治らないんだろうなと思っていました。そうでなければ何度も同じことを言わなくていいほど彼女が優秀であることをわかっているからです。
悲しそうな声でうめいている彼女を見ながら「着替えてきますので、その間に学校へ行ってください」と言って部屋に戻りました。
着替えに多少時間がかかりましたが無事にできた彼が戻ってきたところ、彼女はまだいました。
思わずため息をついてしまいます。
「なんでまだいるんですか」
「先生の昼食を作っていました!」
「ありがとうございます。では学校に行きなさい」
「うっ……分かりました」
冷静に、突き放したように彼は言います。それにとうとう彼女は折れたのか、肩を落としとぼとぼとこの部屋――リビング兼応接室――を寝室の反対側にある扉――玄関から出ていきました。かつんかつんと段々音が遠ざかるので降りたのでしょう。
彼女を見送ってから、彼は思い出したようにつぶやきました。
「せめて午前中に依頼が来たかどうか確認しておけばよかったですね……また失敗です」
午後一時。
昼食を食べ、食器を洗って片づけることが何事もなくできた彼は、その調子で依頼の確認をするために大家さんがいる一階へ降りたところ、階段を踏み外して転げ落ちました。
が、慣れているからかきれいに受け身を取り、最小限に抑え埃などを払ってから「すいません大家さん」と入り口を開けながら声を掛けました。
中は事務所になっているようで、十名ほどの男女が関係なくパソコンに向かっていました。
忙しそうにしているのに彼は関係なくすたすたと歩きだし、奥のデスクで書類を見ながら座っている女性のところで足を止め、「すいません大家さん」と再度聞きます。
「ん? ああ、私か。あんたが大家さんだっていうのに奇妙な関係だ」
「いえいえ。僕には家賃を回収するなんてうまくできませんので」
「そうやって卑屈になるのは悪い癖だな。君の名声は確かに低いが、それ以上に能力は高いのだから」
「ははは。そうやって褒めてくれるのは嬉しいです。ところで、言伝ありますか?」
「ん? ちょっと待ってくれ」
そういうと彼女は書類から顔を上げ、社員に「誰か伝言を受け取った奴いるか?」と聞くと、「いません」と声を揃えられます。
「だそうだ」
「あ」
「ん?」
依頼はなかったことに安堵していると社員の一人が思い出したかのように声を上げました。
「どうした?」
「いえ、そういえば十時頃に警察の方が来ましたよ。十分ほどして帰ったようですが」
「ああ、なるほど。わかりました」
「そうか」
「ええ。お時間を取らせてしまい申し訳ございません」
「気にするな。このビルを貸してくれている奴の頼み事だからな」
「では」
聞きたいことが分かったのか彼はそのまま部屋を出ていきました。
見送った彼女は入口に視線を向けて「まったく。謙虚すぎるな」と呟いてから書類に視線を戻しました。
それさえなければ居候追いやって結婚する気なんだが。
そんな考えを抱きながら。
二階にある自室に戻ってきた彼は、ソファに座り二度手間になりそうですねぇと考えます。
警察官が藍さんに話をしたとなるとなんで聞かなかったといわれるのは目に見えますし、あちらも忙しいでしょうから……。
ぼんやりと話を聞くかどうか考えていると、チャイムが鳴ったので立ち上がって玄関のほうへ向かいます。
「どちら様でしょうか?」
「こちら藁谷風彦様で間違いないでしょうか? 速達ですのでサインをお願いします」
「あ、はい」
慌てて彼はペンと手錠を取りに戻りそして扉を開けたところ、声の主はいなくなり残されていたのは封筒だけでした。
特に残念そうに思っていないのか「またですか」と呟いてから封筒を持ち上げ、扉を閉めて鍵をかけてから結論を出しました。
また、彼らとの対決ですか、と。
どことなく嬉しそうな、げんなりしたような、そんな表情を浮かべて。
「ただいま帰りました先生!」
「おかえりなさい藍さん。後十分ぐらいで迎えが来るでしょうから着替えてきてください」
「わか……あれ? 弦哉さんから話聞いたんですか?」
「いえ、ご丁寧に彼らから送ってきてくれました。文章から推測するに、シャナさんでしょうね。前回の仕事で彼女、計画を潰されて泣きそうでしたし」
負けん気が強いのは仕事人としてどうかと思いますけど。内心でそう思いながら封筒を弄んでいたところ、藍は「先生! さっさと捕まえましょう!! その女!」と大声で言ってきました。
「私と一対一になることが多いので難しいんですが」
「先生態と逃がしてませんよね? そう言われてるって弦哉さん言ってましたよ。私は先生の秘密を知っていますし、信じているので警察の無能さが際立っているだけじゃないですかと言い返しましたけど」
「それは確実に弦哉さん以外だったら怒っていましたので相手を選んでくださいね。……本当、態と逃がしていないんですが、失敗して逃げられてしまうんですよねぇ。だから世間でも『失敗探偵』なんていわれていますし」
のんびりとした口調で気にしていない素振りを見せる風彦。いつも通りの声色と口調に、思わず藍は拳を握り俯いてしまいました。
そんな彼女の心情を察したのか、彼は「まぁ一応全員と面識がありますし、記憶力には自信があるので組織を一気に壊滅させることもできなくはないですよ」と微笑んで答え、「その際は藍さんに頑張ってもらいますが」と付け足します。
「えっ。そ、それってどういうことですか?」
「それは自分で答えを見つけられるものなので考えてください。さ、時間が無くなってきましたので着替えてきてくださいね。ドレスコードに厳しいらしいので」
「……はい」
学校で出された宿題以上の宿題に悩みながら玄関を開けて階段を上がったのを見届けた彼は、自分も着替えていないことを思い出し、慌てて寝室へ戻りました。
夜。
事件自体はいつも通りといってもいい成果になった彼らは帰宅し、シャワーを浴びて就寝。
その中で風彦は懐かしい夢を見ました。
「……おやお久しぶりです女神様。最後にあったのは十年近く前でしたね」
『そうね。あなたに呪いをかけて消えて以来ね』
白い空間の中、一人と一柱はまるでお茶会のような雰囲気で会話をします。
『風の噂で聞いたわ。一度だけ呪いを覆したと』
「あれは本当に偶然の成功ですね。別な神様が呪いを一時的に帳消しにしてくれたんじゃないかと考えるぐらいには」
『フフッ。信仰心なんてないのに堂々と言えるのね』
「あなたに関してだけ言えば、ですね。呪いをかけた神様を信仰するなんて、土台無理ですよ」
『うっ』
図星を突かれ言葉に詰まる女神。そこに彼は踏み込みました。
「諦めたと思ったんですがね……これは罰だとか言われて放置されたものですから」
『……』
「どうして今なのかはともかく、そちらの世界に僕をまだ招きたい理由は何ですか?」
『…………それは、以前にも説明をしたはずです』
「あのままでしたら別な候補で済んで、私は用済みになったはず。そう、あなたからお聞きしたのですが」
『……』
「やれやれだんまりですか。天上の存在である神が、その創造物たる人間にいいように言われるとはどうなんでしょうか」
いつの間に存在していたのかコップをテーブルにおろして肩を竦める彼。それを見ても彼女は何も言いません。
ここまで煽って言わないとなると機密情報以上に厄介な爆弾になりそうですね、と結論を下してコップに入っていた飲み物を口に含んだところ、観念したのか彼女は答えてくれました。
ただし、
彼がその聡明な頭脳で予想していた答えと
まるっきり違っていましたが。
『…………私の、旦那様になる……存在だから』
――――――――。
「はい?」
予想外の回答から復帰した最初の言葉は、それでした。
なんでそうなるのかと思いながら解説を待っていると、それに応じるように女神様はうつむいて、頬を赤く染めながら続けます。
『……あなたは普通の人間じゃない。あなたは神様候補として、そして私の夫になるために生まれたの』
「……なんだか突拍子もないのですが。あと、そんな劣情交じりの話だと思わなかったんですが」
『う、うるさいわ! 自分が生まれた理由を忘れてしまったのが悪いのよ!!』
「と、申されましても……」
人間味のある返事に彼は思わず頬を掻きます。記憶を遡ってみても、自分は普通に親から生まれたごく普通の人間である記憶しか思いいたりませんでした。
これ以上自分の過去を掘り下げても意味がなさそうだと判断した彼は、「もう諦めてくださいよ。一時ははそう判断したから置き土産で呪いをかけたんじゃないですか?」と彼女の行為の理由を言い当てます。
あてられた彼女は『……そうしたかったわよ』と言いました。
『でも、この世界を監視している他の神様からあなたの浮ついた話を聞くたびにイライラが収まらないし、他の候補たちも全然ピンと来ないし。考えて考えてやっぱりあなた以外にいないと結論を出したのよ。だから!』
「ご愁傷さまです」
『うわぁぁぁ!』
慈悲の欠片のない言葉に思わず女神様は泣き崩れます。一方で風彦は、私の周りの女性って本当に我の強い人たちばかりですねと何人か思い浮かべながら周りの人の分析をします。
立ち直れていない彼女は、それでも風彦に声を掛けます。
『……呪いを解く、といっても?』
「解いてくれるなら万々歳ですが、そうすると拒み続けた意味がなくなりそうですねぇ」
『……そう、ね。元はといえばそれでかけたものね』
そういうとしばらく彼女は風彦を見つめ、満足したのか立ち上がり背を向けました。
「今度こそさようならですね」
『それはないわ』
「……そうですか」
とても残念そうな彼の言葉に女神は胸が痛くなりましたが、やがて思い出したのか『これは私を振ったことに対しての敬意を表しての助言なのだけど』と語り始めました。
『あなたが対峙している殺し屋集団。あの構成員、みんな神様候補でみんなあなたに何かしらの感情を抱いているから。捕まえようものなら甚大な被害が周りに及ぶわよ』
「…………」
彼は言葉を失い、そしてその情報に敬意を表したのか立ち上がって「ありがとうございます」とお辞儀をしました。
『! そ、そんなことするからまだ忘れられないのよバカ!!』
悪事を働く偉い人を殺して回る集団といつもそれに対峙する探偵。
異世界に招待する権利を蹴り続け、失敗する呪いをかけられ、世間から『失敗探偵』と呼ばれてまで今いる世界に残ることを選んだ彼でしたが、神様候補とか神様の結婚相手とか超常の話をされた日を皮切りに、彼の生活は一層騒がしくなりました。
そんな運命が切り替わる日の出来事。