共に過ごす二人の話
▲
まともな人間としてマトモな仕事に就くために、元々俺は勉強ばかりしていた。しろ、と強いられたわけじゃないし、こういう職に就けと言われたわけじゃない。人と関わることから逃れて、馬鹿みたいに勉強ばっかりしていただけだ。
だから、県で一番偏差値の高い大学に行って、色々あって今は警察官になった。心の声が聞こえることは誰にも言ってないが、心の声が聞こえるのはとても便利だと、今の仕事をしていて思う。心の声を聞いて、凶器のありかはここかもしれない、とか、犯人はこの人だ、とかすぐに分かる。同僚や上司には、お前の勘はよく当たるな、なんて頼りにされて、悪い気はしなかった。
今日も仕事を終えて、自宅に帰る。自宅と言っても、同居人のいる家だ。実家じゃない。実家から出たいと思ったのは、ただ、親がいなくてもやっていけるほどに俺は大人になったんだと、親に分かってもらいたかったから。……だったのだが、そんなことをしなくても、親はとっくの昔に、知っていたみたいだ。子供が思っている以上に、親は子供のことを知っていることが、たまにある。
もう暗くなっている道を歩いて、俺は一軒家の扉に鍵を差し込み、解錠して中に入った。
「おかえりなさい」
玄関前に座っていた蘇芳が、何かを背中に隠しながら立ち上がった。
「……あ、あぁ。ただいま。まさかずっとそこで待ってたのか?」
「少しだけ、ね。今日は兄さんと話せたし、兄さんにプレゼントも喜んでもらえて気分が良いのよ」
「へぇ、良かったな」
そんなことを言いたいんじゃない、と言ったのは、蘇芳の声だ。それは口から出たものじゃない、胸の内に吐かれたものだった。
「……何か用でもあるのか?」
長く共に暮らしてきたが、未だに俺はこいつのことがよく分からない。正確に言うなら、こいつの気持ちが分からない。殺人犯の心なんかよりも難解で、その心の声にすら心の声があるんじゃないかと思えてくる。一体いくつの心を抱えてるのか分からないし、もしかしたら蘇芳は、自分で自分の心の声を上書きしすぎて、どれが本当の心なのか、分からなくなっているのかもしれなかった。
蘇芳は目を泳がせてから、何かを俺に突き出してきた。
「これ。その、半分こ、しましょ」
「半分こ、って……食い物かなんかか?」
「違うわよ! とっとと開けてよ!」
ここで怒られるのは理不尽だと思う。ウサギのシルエットが書かれている袋を覗いてみると、今度は箱が出てきた。袋を蘇芳に渡して、箱を開けてみる。中に入っていたのは、ネックレスだ。紐は二つあって、飾りは二つが綺麗にくっついていた。
「……それ、あたしが、三日月の方付けるから。あんたは、そっちの、丸い方付けなさいよ」
どうしてだろう、口角が上がってくる。唇が震えて、誤魔化しきれないくらいに、嬉しいって気持ちが溢れてくる。それでも俺は、なんだか気恥ずかしくて、からかうように返すことしか出来なかった。
「お前これ、俺と付けたかったのか? 良いのかよ、誤解されるかもしれねぇだろ」
「別に、そんなんじゃないわよ。ただ、何年も、ずっと友達でいてくれて、その、あ……あり、ありがとうって、気持ちよ! 友達の証! だから、そんなんじゃないんだから!」
「そっか、わりぃ、勝手に期待した」
後ろ頭を掻きながら、あははと笑う俺に、蘇芳が目を丸くしていた。「え?」と呟いた声に続いて、〈期待したって、なにを? 嘘でしょ? だって、こいつがあたしのことを好きになるはずなんてなくて、あたしがこいつに恋愛感情を抱いたところで、叶わないって〉なんて心の声が、流れ込んでくる。そこで俺も、嘘だろ、と思った。感情に理解するより先に、勝手に口が前を走って、発してしまった言葉を振り返ってから、気付く。
言葉に偽りはなかった。期待していた。いつか、ただの同居人という関係を壊してくれることを、望んでいたのかもしれない。けれど、いくら気が強くても、か弱い彼女にばかりそんなことを押し付けて、受け身で待ち続けていた自分を、嘲笑いたくなった。
黙り込んでしまった俺の前で、蘇芳が口元を押さえて、泣き出しそうな目をしていた。
〈間違えた。言う言葉を、あたしは間違えた。違う、友達の証じゃない。ううん、届かないなら友達の証で良かったのに。なんで今更、そんな、気があったみたいな素振りを見せたのよ。なんで〉
「っ、蘇芳!」
これ以上こいつの心の声を聞きたくなくて、自分の声で掻き消す。俺は満月みたいな形のネックレスを自分の首にかけ、三日月のネックレスを両手で持った。だから、箱は床に落としてしまったけれど、それを拾い上げている余裕なんてない。そのまま、蘇芳の首にネックレスをかけてやる。
「ごめん。勝手なこと言って、ごめんな。お前にとって、これが友情の証だっていうならそれでも別に構わねぇよ。けど俺は、これを勝手に別の意味として受け取って、馬鹿みたいに大事にしたい。良いか?」
「な、なによ……別の意味って……」
鼻がぶつかりそうなくらい近くにある彼女の顔は、不安と葛藤で歪んでいた。その唇を奪いたい。だが、そんなことは出来なかった。彼女の気持ちを聞かずに、一方的に押し付けるわけにはいかなかった。唇の代わりに、彼女の首へかけたネックレスの飾りへ、口付けを落とす。
「ただの同居人、なんてのは、やめにしようぜ。俺は、恋人の証として、これを大事にしたい」
これ以上は、言えそうになかった。顔から火が出そうだ。俺はいくつになってもヘタレで、勇気なんてなくて、いつだって誰かからのきっかけを待ってる。きっかけの先の、言葉さえも待ってしまう。
結局きっかけをくれたのは蘇芳だった。けれど、その先を紡いだのだから、どうか今回ばかりは許して欲しい。
「これからは、さ。俺、もっとお前に、気持ちとか、出来るだけちゃんと、伝えていくから。だから、少しは意識してくれよ」
「……ばか。馬鹿じゃないの。とっくに、意識してた、と思うわよ。だってあんたよりも、あたしの方が、ずっとあんたのこと好きなんだから」
泣きそうなのに、嬉しそうに笑った可憐な顔が近付く。俺も好きだ、なんてカッコよく返したかったが、俺にそんな勇気がないことを見透かしているみたいだ。情けない気持ちになる前に、蘇芳は俺の唇を塞いだ。今日は、きっともう、愛の言葉なんて必要ないのだろう。
▼
他県への出張を終え、私は紫土くんに「猫さんを能力者保護協会まで連れてきて下さい!」と頼んでから、保護協会に戻った。いつもの部屋に入ると、空さんが大量の資料を前にして突っ伏している。……というよりも、寝ている。私は彼女の肩を軽く揺すった。
「空さーん、私が帰って来ましたよー。お待たせしました。コーヒー淹れてくれませんか? 空さーん?」
全く起きそうにないため、私は室内を見回す。布団になりそうなものは見当たらない。仕方なく、自身が着ていたジャケットを脱いで、空さんの肩にかけてやる。春とはいえ、体を冷やしてしまうのは良くない。離れようとした私のシャツの裾が、引っ張られた。
「……おかえり。キミがコーヒー淹れてよ」
「なんだ、起きたんですね。分かりました。砂糖は?」
「要らない」
寝起き、という声にも聞こえない。もしかしたら、寝てなどいなかったのかもしれない。備え付けられているキッチンでコーヒーを入れる準備をしている私に、空さんが顔を伏せたまま、不機嫌な声を上げた。
「未来ちゃん。自殺したって。今朝」
「……そう、でしたか」
未来さん、というのは、家に居場所がないと泣いていた中学生の少女だ。能力者保護協会で暮らした方が生きやすいかもしれない、と、ここで暮らすよう話を持ちかけても、彼女は首を縦には振らなかった。家族と仲良く出来るよう頑張りたい、の一点張りだった。頑張りたい、と言う子ほど、自身で命を断つことが多い。
私も、担当していた能力者の子が亡くなった時は、空さんに慰めてもらったり、煙草と酒で気分を入れ替えたりしていたが、今朝から空さんはきっと、誰にも何も話すことなく、一人で俯いていたのだろう。
「私さ、たまに、分からなくなるんだ。本人の意思が明らかに間違っていても、それを尊重して、死なせてしまうことの何が正義なんだろうって。誰だって、死にたくなんてなかっただろうにさ。強引にでもこっちに引き込めば救えたかもしれないのに、どうして、無理やり手を掴むことは許されないんだろ」
「……人の心は、どんなきっかけで壊れてしまうか、分かりませんから。本当は私達も、少しくらい強引になっても良いんです。しかしそう出来ないのは、自分が本当に正しいのか、後にならないと分からないからですよ」
淹れ立てのコーヒーを空さんのデスクに置くと、ようやく空さんが顔を上げた。泣き腫らしているかも、と思ったが、彼女は多分、一滴も涙を零してはいないのだと思う。窶れた目元が私の眉尻を下げさせた。
「泣いても良いんですよ?」
「馬鹿か、キミは。水分の無駄だよ。それに、救えなかった私が泣くなんて、私自身が許せないんだ」
「そうですか、残念ですねぇ」
「ちょっ、何――」
彼女に近付いて、その頭を自身のシャツに押し当てる。幼子にするみたいに後頭部を撫でてやると、顎に拳を入れられた。
「いっ……なにするんですか!」
「それはこっちの台詞だよ! よくそんな真似出来るよね。うっわぁ鳥肌立ったぁ……下手なホラー映画よりホラーだよ、気持ち悪っ」
「君、ほんとにひどいですね! 私の胸に何本刃物を突き刺せば気が済むんです!? 大人相手にらしくないことして私も恥ずかしいんですけど!」
「自業自得でしょ、Mなの? ドS紳士とか言いつつ実はドM紳士だった?」
「やめてください! すごく嫌な響きですね!」
汚物を見るような目を向けられて、今すぐ窓から飛び降りたくなる。彼女が私をからかうためにそんな反応をしている、ということは分かっていても、真剣にしたことが冗談にすり替えられると、穴を掘って埋まりたい気分になるものだ。しゃがみこんで床の木目をなぞっていたら、空さんに頭を強く押される。
「ま、東雲のおかげでスイッチ切り替えられたよ。ありがと」
「――いつにも増して騒がしい所だね。お邪魔だったかな?」
扉を開けて入ってきたのは、紫土くんだ。彼が手にしている鞄から、猫さんが顔を出していた。私は思わずそちらに駆け寄る。
「ね! こ!! さぁぁぁんんん!!! お待ちしていました!! ぁぁあなんて麗しい瞳! 可愛らしい口元!! その小さな体を今すぐ抱き締めた――痛い!?」
鞄ごと抱きしめようとした私の頬に、痛みが走った。猫さんは明らかに私を警戒していて、そのつぶらな瞳に拒絶の色を灯していた。納得いかず、私は紫土くんのシャツにしがみつく。
「これはどういうことですか!! 君、まさか妙な教育をしたのでは!? 数日前まで私に懐いていたのですよ!!」
「――いや、数日前もキミは引っ掻かれまくってたよね、記憶喪失?」
空さんのツッコミは聞かなかったことにして、猫さんに訴えるような視線を注ぐ。すると、頭の上から降ってきたのは嘲笑だ。
「どうやら俺に懐いちゃったみたいでね。どうかな? このまま俺に譲らない?」
「譲りませんよ!! ちゃんと好かれるように育てますから!! 君は紫苑くんでも可愛がっていて下さい、猫っぽいし!」
「じゃああんたはそこの篠崎さんでも可愛がってたら? 猫っぽいし」
冗談のつもりかと思っていたが、紫土くんはどうやら本気でこの猫さんを手放したくないらしく、鞄から出して抱き上げた。猫さんは紫土くんの胸にべったりくっ付いて、可愛らしく鳴く。勝ち誇ったような笑みを彼に向けられ、私は立ち上がって、涼し気な顔に人差し指を突きつけた。
「紫土くん、正々堂々勝負をして決めましょう。猫さんの飼い主は勝った者……つまり私です!」
「やる前から勝ちって決めないでよ。俺が勝つに決まってるでしょ」
「ジャンケンポン!」
「え、ちょっ」
「はい、私の勝ちです! さあ猫さんを!」
「……ふざけんなよあんた。そんなぬるい勝負で彼女を賭けるな。――篠崎さん、ちょっと預かっといてくれる?」
疑問符を頭上に浮かべながらも、空さんが猫さんを預かる。空さんが私達から離れたことを視認してから、紫土くんは――自身の影を私の顔面に突き刺そうとした。
「な、なにしてるんですか君! 建物壊れるでしょう!?」
「制御くらいするさ。壊したくないならそっちが気を付けな。けど、気を付けていたら俺に危害を加えられないんじゃない?」
「もっと平和的な勝負をしましょう!? って言ってるのに聞く気ないですね!? ぁあ、はい、分かりましたよ、本気でいきますよ!」
能力を器用に使って攻撃を繰り出してくる紫土くんを捉えながら、その体を操作する。しかし彼の影が私の視界を塞いで能力から逃れる。互いに能力を繰り出す時間が暫く続いた。
十数分後、お互いに顔から地面に倒れた。何事かと考える前に、呆れ声が投げかけられる。
「紫土も東雲も、何やってるの。ここには子供だって暮らしてるんだから、静かにしなよ。大人気ない」
ゆっくりと体を起こして見ると、扉の前に立っていたのは紫苑くんだ。私よりも素早く起き上がった紫土くんが、彼の胸倉を掴み上げた。
「あのさぁ紫苑、人の邪魔はしちゃいけませんって習わなかった?」
「習ってないね。あんたこそ、人のものを奪おうとしちゃいけませんって習わなかったの? はい、その猫は東雲に返して」
「…………今日の夜ご飯は?」
「オムライスが良いなら作るけど」
「……仕方ないね。東雲、オムライスに免じて、今日のところは勘弁してあげるよ」
呆然とする私を置いて、紫土くんは空さんに近付いていく。空さんの手元にある猫さんを抱き上げ、優しく撫でていた。
「さよならだ、ヘリオセルリアン。お前と過ごした日々は楽しかったよ」
「絵の具の名前付けるなよ……」
名残惜しそうにしている紫土くんを、紫苑くんが呆れ顔で見てから引っ張っていく。「ごめん、ウチの馬鹿が邪魔して」と言い置いて、紫苑くんは紫土くんと一緒に帰っていった。
終始ポカンとしていた私の頭に、暖かくて柔らかいものが乗せられる。
「ほーら、猫さんだぞー東雲。良かったね」
振り返ったら、空さんが猫さんの前足を両手で動かして、私に手を振らせていた。その仕草があまりにも可愛らしくて、私は猫さんを抱きしめる。
「猫さん……私達は、引き裂かれずに済みました! 運命に勝ちましたよ……!」
「うん、キミはいつも楽しそうでなによりだよ」
こうして、私の猫騒動は平和的に収まった。しかし猫さんの愛のムチは、痛い。
読んでくださりありがとうございました。
勢いでバーっと書いたので、本編よりクオリティは低めかと(笑)←ぉぃ
作者による二次創作としてお楽しみいただけたら幸いです。
(紫苑と浅葱のデートも書こうと思ったんですけど、あの二人の恋愛は本編でさんざん書いたから良いかなって(小声))




