表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月光If(番外編+if劇場版)  作者: 藍染三月
-if劇場版-偽物の月は僕達だけに光を見せていた
PR
17/32

eclipse8

     ■〈視点・呉羽紫土〉


 蘇芳はどうやら自宅ではなく、三日市にある早苗の家で預かられることとなったみたいだ。早苗の家の前で蘇芳を下ろし、東雲は続いて俺と紫苑の家まで車を走らせてくれる。無言の中、俺は隣で眠っている紫苑の額を撫ぜた。顔色は悪くないし、呼吸も正常。そんな弟の格好を見てくすりと笑う。


「なかなか似合ってるね。この服」


「紫苑くんが聞いたら冷たい顔で睨んできそうな発言ですね」


 眠っている紫苑は嫌いじゃない。幼い頃、たまに隣で寝ていた彼を思い出す。昔はことあるごとに、兄さんと一緒が良いだなんて俺の後を付いて回っていた。いつからかそれがうざったくなって突き放したのは俺なのに、あの頃に戻りたいと思うこともある。


 彼が眠っている間は兄らしい顔をしても許されるし、優しく触れても許される。まだ起きそうにない紫苑の頬を軽く引っ張って遊んでいたら、東雲が「そういえば」と話題を切り替えた。


「紫苑くんってお母さんっ子なんですか?」


「は?」


 東雲の問いに、上機嫌だった気分が一気に下がる。不愉快な母親のことを思い出して舌打ちをしたくなる。


 紫苑が、母親を好きだったか? 推測でしかないがそんなわけがないだろう。馬鹿みたいに俺ばかり褒め、紫苑をまだ幼いからと雑に扱っていたあの女が、紫苑に好かれていたなんて思えない。確かに、俺に愛情を注ぐ母親を寂しげな目で紫苑が見ていたことはあったが、それは愛に飢えていただけだと思う。


 嫌なことばかり考えて、俺は吐き捨てた。


「さぁ。なんで」


「紫苑くん、意識を失う前に、『母さん』って呟いたんですよ。こんな声も出せるのかと思うくらい、弱々しかった」


「……ふうん。紫苑も変わってるね。母親なんてこいつが小学生の頃に死んでるし、紫苑が偽物の世界で初めて死んだ時に母親の事忘れてるのに」


 ルームミラー越しに見えた東雲の両目が見開かれて、それから歪んでいく。「そう、なんですか」と掠れた息を零されて、俺は嘆息を吐いた。反応に困るような話をするべきじゃなかったな、と思い、窓の外に目をやったのち、降りる支度を始めた。


「わざわざ送ってくれてどうも」


「いえ、二人には力になってもらい、助かりました」


「そう。……東雲、もし常磐ってヤツの居場所が分かったら俺に教えてくれる?」


 俺の家の前まで来て、東雲がゆっくりと車を止めた。軽く揺れた車内で、彼は顔を振り向かせてくる。


「何故です? あぁ、協力してもらえるのでしたら、お手隙の時にでも蘇芳さんを見守って頂ければ嬉しいのですが」


「そこまで暇じゃないから、見付けたら教えて欲しいんだよ。紫苑は、両腕をめちゃくちゃに折られて、首を抉られてたんだよね?」


「え、ええ……」


「俺に連絡くれれば、全く同じことをやり返して動けなくしてから、常磐をお前か篠崎さんに引き渡すよ」


 鞄を腕に下げて、紫苑を横抱きで抱え、車から降りる。にこりと笑ってみせた俺に、東雲は苦笑で返事をしてくる。


「まぁ、君の能力なら常盤くんに触れられることなく拘束できるでしょうね。もし捕まえてくれるのでしたら助かりますが、やり過ぎないでください。また連絡します」


「はいはい」


 扉を閉めてやったら、東雲が窓を閉じ、来た道を戻っていく。車体が見えなくなるまで目で追ってから、俺は紫苑を見下ろした。


「……軽すぎでしょ」


 普段は見ることのない彼の素足をちらと見て、不健康にも見えるほどの細さに唇を歪める。日頃の彼の食事風景を頭に浮かばせ、栄養不足ではないはずなのになと首を傾げてから自身の影を操る。それで家の柵を開けた。両手は紫苑のせいで塞がっているから手で開けられないのだ。


 通ってからまた影を動かし柵を閉め、玄関も同じように鍵を開けて中に入る。靴を脱いで、一旦紫苑を廊下に寝かせる。パンプスを脱がせてやったら、裸足の爪先が靴ずれで痛々しかった。篠崎さんの能力で戻した時間では、靴ずれまでは治らなかったのだろう。


 もう一度紫苑を抱き上げると、腕の中で彼が小さく呻いた。階段を上がろうとした足を思わず止めてしまった。下げた視界で、長い睫毛が震える。ゆっくりと持ち上げられた瞼が紫苑の瞳を露わにした。その目を見ていたくなかったため、焦点を唇にずらす。彼の唇は徐に動いていく。


「紫土……? なんで…………、何してるんだお前っ」


 意識ははっきりしてきたようで、自分が抱えられていることに気付いた紫苑が暴れ始めた。危なく落としそうになってなんとか腕から落とさないようにしようとしたが、人の気も知らずに藻掻く紫苑にむかついたため両手をぱっと離す。


 床に背中を打ち付けた紫苑が、腰に手を置きながら立ち上がった。


「落とさなくても良いんじゃないの」


「暴れたのはお前でしょ。どこまで思い出せる?」


「どこまでって、何が……いや、カラオケ店で意識失ったのは覚えてるけど、なんであんたが」


「お前が襤褸雑巾になって眠り姫になったみたいだから、たまたま仕事で待宵にいた俺が、わざわざ家まで連れてきてやったんだよ。ありがとうとか言えないところ、本当に可愛くないよねお前」


 どういう経緯があったのか理解したらしく、俺を拒絶するような色で塗られていた瞳がそっぽを向く。相変わらず俺に触られるのは苦手みたいで、紫苑は先ほどまで俺がしっかり掴んでいた左腕を軽く押さえていた。後で風呂に入ったら腕と足を念入りに洗うのだろうかなんて、ありもしないことを考えて微笑していれば、紫苑の顔がこちらに向く。珍しく眉尻が下がっていて、どんな顔で見返せば良いか困った。


「ごめん。ありがとう」


「……なんか食う? もう夜だし」


「僕が夜ご飯作るよ。材料何かあるでしょ」


「俺がやっとくから着替えてきなよ、そんな格好の弟とかいつまでも見ていたくないし」


 自分の服装を忘れていたのか、紫苑が自身の体を見下ろして、口元を手で塞いだ。信じられないとでも言いたげなまん丸の目が、俺の方を見もせずにくるりと見えなくなる。俺に背を向けたから着替えに行くのかと思ったが、紫苑は華奢な肩を持ち上げて不機嫌そうに声だけを向けてきた。


「忘れて」


「なにを?」


「僕がこんな格好してるのを記憶から抹消しておいて」


「あぁ、寝てる間に沢山写真撮っておいたから、後で家中に貼っとくね。親父にも見せてあげないと」


「っはぁ!?」


「冗談に決まってるでしょ。写真欲しかった? 今撮る?」


 俺が携帯電話を取り出して紫苑に向けたら、彼は俺を無視して階段を上り始めた。その背を見送ってからリビングに向かい、冷蔵庫に入れていた鍋を取り出す。昨日の夕飯の残りだ。カレーチャーハンでも作るか、と思って、調理に取り掛かった。


 ちょうど二人分のチャーハンを作り終えたところで、ワイシャツを着てズボンを履いた紫苑がリビングに入ってきた。


 蘇芳の服が紫苑に似合っている、と東雲に言ったのは嘘じゃない。もちろん少し馬鹿にするような口調で言ったが、似合っていたのは事実。だがやはり、見慣れた服装の弟の方が見ていて落ち着く。


 四人掛けのテーブルの、台所寄りにある椅子に腰掛けた紫苑の前へ、食器を運んだ。彼は左側の横髪に手をやって、赤いピンをさしたままであることに気が付いたらしく、細い指で丁寧に外していく。俺は彼の正面に座り、粉チーズをかけたカレーチャーハンを食べ始めた。


「今回の件、あんたはどの程度聞いたの」


 同様に食事を始めた紫苑が、真剣な眼差しを向けてくる。咀嚼していたものを飲み込み、俺は彼の求める答えを出してやった。


「蘇芳が狙われてること。常磐っていう、触れた相手の能力を操作出来る能力者のこと。今日待宵で東雲と篠崎さん側、お前と朽葉くん側に別れて対応したこととか、色々」


「……そう」


「お前、酷い怪我だったみたいだけど。能力を操作されてもお前の能力って自分には使いづらいよね? どうやって自分の両腕を折ったの?」


 紫苑の腕の折れ方は紫苑の能力によるものとして間違いないとのことだったが、東雲は状況から見て紫苑が自身の腕を折れそうにはなかったと言っていた。


 疑問を投げ付けたら、紫苑は水を一口飲んで「ああ……」と相槌のように呟く。


「常磐の能力は能力操作だけど、それは触れた場合に使えるものだけじゃなかった。相手の血液を摂取することで能力を奪えるんだ。触れた場合のことしか聞いていなかったから、体を動かせない状態で能力奪われたら流石に……対処出来なかった」


「へぇ……それは東雲達にも伝えておいた方が良さそうだね。ということはお前、今能力使えない?」


 悔しげに顔を歪めていた彼が、はっと瞼を持ち上げた。置いたばかりのコップに目を向けて、紫苑は「〈浮け〉」と命じる。コップはその指示に従って軽く浮いてから、また卓上に置かれた。


「使える、みたいだ」


「奪える時間があるのかな。血液の摂取、ね……拘束されない限りは血を舐められることってなさそうだけど、用心するに越したことはないか。あ、刃物に付いた血を舐めても奪われるかもしれないけど、お前はどうだったの? ナイフ持ってたでしょ、それ?」


「いや……首を噛まれた」


「首が抉られてたって、そういうことか。じゃあ武器に付着した血痕からも能力を奪えるかまでは分からないな」


 紫苑がスプーンを置いて、自分の首筋を軽く触る。篠崎さんの能力で治されたそこに、もう傷は残っていない。それでもそこに傷があった感覚を思い出しているのか、紫苑は唇を噛んでいた。その短い間の後に、紫苑が何事もなかったかのように食事に戻った。


「けど付着した血痕から奪える可能性も高いと思うよ。少し前に自分の血を操る能力者と戦ったんだけど、そいつは地に落ちた血痕さえも能力で動かしてた。体から離れた血痕でも能力の発動に利用出来ると思う」


「そう。じゃあとりあえず今の内容を纏めて、今回の関係者に連絡しておくよ」


 食べ終えたカレーチャーハンの食器をそのままに、俺は携帯電話を取り出し、常磐の能力について纏め始める。東雲と篠崎さん、早苗と蘇芳に一斉送信で連絡を取ってから、ふと気付く。


 紫苑とこれほど言葉を交わすのは、あまりないことかもしれない。どうしてか、もう少し会話をしたくて、俺は食器を洗いに行かず、雑談を続けた。


「そういえば今日、流れで篠崎さんに蘇芳と浅葱さんの護衛を任されてね。初めて話したよ、浅葱さんと」


「……余計なことは言ってないよね?」


「言ってないよ。紫苑はこれでも寂しがり屋なんだって教えといたくらいかな」


「余計なことを……」


 額を押さえた紫苑が、椅子を引いて席を立つ。俺が置いたままにしておいた皿を自身のものと重ねて台所まで運んでいった。


「あの子、ものすごくビクビクしててチワワみたいだった。目も大きいしチワワだねあれは」


「チワワとハムスターを足して二で割ったような感じだよ」


「お前はあんなのが好きなんだ?」


「浅葱と大して話してもないくせに、あんなのとか言わないでくれる?」


 好きという部分は否定されない。それは意図的にではなくたまたま否定しなかっただけなのだろうが、微笑ましくなって頬が緩む。人に好意を抱くことも、誰かと笑い合うこともきっともう二度とないのだろうと思っていた弟が、友達を作り、恋愛対象として気になっている子まで作っているのだから、人間は本当に、変わるものだと思う。


 微笑ましい、だなんて思えるようになった俺も少なからず変わっただろう。一番酷い時期の俺だったなら、他人に目を向け始めた紫苑をどうしていたか分からない。微笑みを向けることは多分なかったと思う。か細い腕を抉って繋がりを確かめたのではないだろうか。


 自分が紫苑にし続けていたことを思い返して苦笑する。受け入れてくれることを求めた暴力と、拒絶して捨てられることを恐れた甘受のどこに、兄弟愛が見えていたんだろう。統一性のない色彩を塗りたくって、赤黒く染まったキャンバスを満足げに眺めていた俺は、あんな繋がりを絆だと信じ続けていた。


 紫苑がどれほどの痛みを堪えていたのか、今になって考えることがある。口で俺を拒絶しても決して突き放さなかった紫苑も、仄暗い色で染まった繋がりを手放そうとしなかった。その理由に最近ようやく気がついた。遅すぎる。


 母が死に、父にある意味で捨てられ、そんな紫苑の縋る先は俺しかいなかった。幼少期に満たされなかったであろう愛も家族である俺なら注いでやれたはずなのに、それが出来なかった。俺だって、子供だったから。


「……何ぼうっとしてるの。コップ、片付けて良い?」


 気が付けば、紫苑が俺の横に立っている。まだ少しだけ水の入っているコップに触れて、俺に問うてくる。「あぁ、良いよ」と返してから、遠ざかろうとした紫苑の腕を軽く引っ張った。


「なに」


「……なんでもないけど」


 この腕が、数時間前は滅茶苦茶に折られていた。それを想像しただけで腸が煮えくり返りそうだった。


 今更愛を注ぐなんて出来ないし、今更甘いくらい優しくも出来ない。もしそうしたら、そんな俺をどんな目で紫苑が見るか、考えたくもないほど嫌な想像が頭を巡る。


 これからも、紫苑の前では紫苑の思う俺らしい俺を続ける。だけどその目の届かないところで俺が紫苑をどう見てどう扱うかは自由だ。


 紫苑を痛ぶり続けた俺が、お前が傷付けられたと知って憤ったなんて言ったら、紫苑はきっと嘲笑するだろう。それでも、赤の他人が弟を傷付けることを俺は許さない。


 俺に掴まれている腕を、紫苑が不思議そうに見下ろしている。シャツの上から尺骨をなぞるように細腕を撫ぜた。


「紫苑、骨を折られて砕かれる感覚ってどんなだった?」


「……さぁ。なんなの、その悪趣味な質問」


「俺も誰かの腕を折り曲げて粉々に砕いてやりたいなーって思っただけだよ」


 思わず、紫苑の腕に触れる手に力が入る。白魚のような指先がびくりと震えたのを視認した時には、彼が俺の手を振り払っていた。自分がやられると思ったのかもしれない。臆病な面を押し殺した背中が、流し台の前へ向かう。俺のコップに入っていた水を零して、スポンジを手に取った紫苑は、涼しい顔を手元に向けていた。


「……本当、可愛くないな」


 もっとあからさまに怯えてくれたなら、より庇護欲が湧くというのに。






挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ