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「もしもし?」
電話に呼びかけてから俺の方をちらりと見た呉羽が、珍しく儚げな表情を浮かべる。
「朽葉、あなたの携帯から電話がかかってきたんだけど、返事がないの。なんだろう……」
彼らしくもなく、こちらを上目遣いで見ながら、中性的な声を普段より高めに出していて思わず笑いそうになった。常磐に見られている可能性と、電話越しに会話が聞かれているかもしれないことを考えての行動なのだろう。〈おい、僕に合わせろ〉と彼が顔色一つ変えずに心で鋭く命じてくる。
「拾ってくれた人が掛けてくれた、んじゃねぇのかな……」
「だと思うんだけど……。もしもし?」
「――あぁ、済みません、掛けてるの俺です」
どこにいたのか、行き交う人の中から現れたのは常磐だ。俺と同じくらいの背丈に、茶色い柔らかな髪。優しそうな笑みを相変わらず携えていた。呉羽は耳から携帯電話を離して、俺の方を見た。何を言えって言うんだよと問いたくて目線を下に向けたら、常磐が「やあ」と声を掛けてくる。
「朽葉がいて良かったよ。おかげですぐ見つけられた」
「朽葉、この人は?」
「あ、ああ、俺の大学の先輩で、常磐さんって言うんだけど……先輩、なんで俺の携帯持ってるんすか?」
不自然なところがないように、そのままの俺でちゃんと応じる。常磐はくすりと笑いながら、俺に携帯を差し出してきた。
「教室に君が忘れていったのを見付けて回収しておいたんだ。早めに返してあげたくて、君の知り合いに渡そうと思ってたんだけど……君が蘇芳ちゃん? すごく可愛い子だね」
俺が携帯を受け取ると、常磐は空いた手を呉羽の方に伸ばす。彼の頭を撫でるように触れようとした手を、咄嗟に掴んで止めた。
「な、なにしてるんすか」
心臓が口から飛び出しそうだった。常磐の能力は相手に触れることで発動する。だというのに何故呉羽が彼の手を避けようとしなかったのかと考えて回想し、嫌な汗が流れた。
東雲さんには伝えたが、呉羽が来たのはその後だ。呉羽に常磐の能力を伝えていない。どうにかして早めに伝えたいとも思うが、そんな隙はなさそうだった。
「あぁ、ごめん。その子君の彼女なの?」
「ち、違いますよ」
「そうなんだ? けど、蘇芳ちゃんさ……今日はお友達と遊ぶんじゃなかったのかな?」
常磐が呉羽に触れないように、つい華奢な肩を抱き寄せてしまう。驚いたのか、俺の手の下でその肩が小さく震えた。呉羽の代わりに常磐へ返そうとしたが、返辞をしたのは呉羽が先だった。
「友達が風邪で来られなくなったので、朽葉に来てもらったんです。携帯電話に電話しても出なかったから、家の電話にかけて、携帯を失くしたことを聞いたんですけど……本当、朽葉っておっちょこちょいですよね」
口元に手を添えて、ふふっと笑う仕草は可愛らしい。呉羽が男だとバレる心配はなさそうだった。
「あぁ……昨日の深夜に電話が来てたね。寝ていたから出られなかったよ。朽葉はいつもあんな時間まで起きてるの?」
「ええ、夜更しをする習慣が付いているみたいで」
「蘇芳、余計なこと言うなよ。……常盤さん、せっかくですしカフェでなんか飲みません? 立ち話もなんですから」
「良いね、蘇芳ちゃんとももう少し話したいし」
人好きのする笑みを浮かべて呉羽の顔を覗き込み、常磐が「行こう」と言って彼に手を差し伸べる。礼儀としてその手を取ろうとした彼を引っ張ったら、履き慣れていないパンプスが倒れそうな音を鳴らした。俺の手の先から呉羽の手首が離れてはっとする。
「あ、わりぃ……!」
「大丈夫?」
慌てて振り返ると、常磐が呉羽を抱きとめていた。「済みません、大丈夫です」と、か細く紡いだ彼を急いで引き寄せる。先刻から何度も強引に引っ張っている俺を不審に思ったのか、呉羽が訝しげに眉を寄せていた。
待宵は色んな店があるからか、カフェはあまり混んでいなかった。案内された席に、呉羽と俺が並んで座り、常磐が俺の正面に腰を下ろす。呉羽はメニューをちらりと見てから席を立った。
「朽葉、私はカフェラテにする」
「え、あ、ああ」
「お手洗い行ってくるから、頼んでおいて」
仕方ないな、と思いつつメニューに視線を戻したが、ハッとして呉羽の背を黒目で追いかけてしまう。お手洗いって、まさか男子トイレに行ったりしないよなと心配したのだが、彼は躊躇いもなく女子トイレに入って行った。
いくら女装していて、バレてはいけないとはいえすごいなと関心していたら、俺の携帯電話が振動する。画面を見てみれば呉羽からメールが来ていた。
『君、さっきからやけに僕と常磐が接触するのを拒んでいるみたいに見えたけど、何かあるの?』
普通にトイレに行っただけだと思っていたが、呉羽はそれを確認したかったみたいだ。常磐の能力について伝える良い機会だと思い、俺は本文を打ち込んでいく。
「蘇芳ちゃんって、すごく華奢だね。何歳なの? 高校生……中学生かな?」
「え、あー……っと、蘇芳は中三っすね」
「中学生なら、まだこれから育つかな」
くす、と微笑した常磐が何を言いたいのか理解して冷や汗をかく。先程抱きとめた時、呉羽の胸に膨らみが一切ないことに気付いたのだろう。パッドでも入れさせるべきだったかと額を押さえていたら、呉羽からまたメールが届く。
『何かあるなら早く返事して。あんまり長いと怪しまれる』
呉羽の言う通りだ。急いで携帯を操作していたら、常磐が店員を呼んで注文を始める。俺は携帯から目を逸らさずに、カフェラテを二つ頼んだ。
『あいつの能力、触れている人間に能力を使わせることが出来るんだ。あいつがコントローラーの役割をして能力者の力を操作する、みたいな。もしかしたら能力を知らなくても発動させられるかもしれねぇから、気を付けろ』
「朽葉、本当は俺が携帯を盗ったかもって思ったんでしょ?」
その問いかけが耳を撫でた刹那、背筋が粟立った。メールを送信してしまってから、ゆっくりと顔を上げたら、常磐はへらへらと笑う。
「俺が蘇芳ちゃんに何かするかもって心配して、駆け付けたんじゃない? それで話し合いをする為にカフェに来た……違うかな?」
「確かに、常磐さんが盗ったかもとは考えましたよ。でもどうして俺が蘇芳を心配するんすか」
「あの子なんだよね? 『ウサギ』って。『そうぞう』の能力を人前で使わせるわけにはいかないから、さっきから俺が触ろうとしてるのを止めてるんでしょ?」
よくもこう、棘を含んだ言葉を放ちながらも笑っていられるなと思う。俺は眉を寄せて首を左右に振った。
「確かに、人前で能力なんて使わせられるわけがない。でも蘇芳が『ウサギ』ってのは誤解っすよ。つーかなんで蘇芳が『ウサギ』だと思ったんすか?」
「君がメールで書いていたんじゃないか。蘇芳ちゃん宛に、『お前がウサギだったとしても、俺達協力者なんだから、遠慮すんなよ』って送っていたよね?」
「あれは……誤解でした。俺はあいつが『ウサギ』だと思っていたんすけど」
「心の声が聞こえる君が何を言っているのさ?」
冷ややかな嘲笑に全身が凍り付く。取り敢えず常磐のターゲットから蘇芳を外せるように、ということだけを考えていたため、自身の能力のことを忘れていた。今言った言葉は出任せだと受け取られてしまう。もしそうなれば常磐は蘇芳が『ウサギ』だと信じて疑わなくなる。
店員が運んできたカフェラテに手をつけることも出来ないまま、思考だけを巡らせていた俺は相当酷い顔をしていたのだろう。いつの間にか戻ってきていた呉羽が俺の肩に手を置いて、心配そうにこちらを見下ろしていた。
「朽葉? どうしたの?」
「……呉羽」
ぽつりと零した言葉に、呉羽が目を見開いて息を呑む。色を失くしていく相貌を見て数秒後、自分が何を口にしたのか理解し、頭の中がパニック状態になった。この場から逃げ出したい。そう思って思わず立ち上がる。
「っ朽葉!」
俺を引き留めようとした呉羽の手を払って、「トイレ行ってくる」とだけ言い置き、その場を後にしてしまった。
◆〈視点・呉羽紫苑〉
僕は表に出してしまった動揺をすぐに仕舞い込み、自然な微笑みを貼り付けて着席する。斜め前に腰掛けている常磐が僕をにこりと見てきたが、その笑みがなにを意味しているのか汲み取れない。
枯葉と常磐の間に何があったかは分からないが、これは僕の判断ミスが招いた結果だ。枯葉と常磐を二人きりにするべきではなかった。枯葉が戻って来やすい空気を作るためにもこれ以上ボロを出してはいけない。
枯葉が呼んだ、呉羽という名を聞かれていただろうか。いや、一先ず今はそのことを頭から取り去り、自然に振舞おう。震えている声帯を落ち着かせるために飲み物を飲もうと卓上を見回したら、常磐がコップを差し出してきた。
「はい、蘇芳ちゃんの」
「あ……ありがとうございます」
「蘇芳ちゃんって、呉羽って苗字なの? 綺麗な苗字だね」
程良い甘さのカフェラテを飲み込んですぐ、心臓が石のように固められた。数刻息が出来なくなる。落ち着け。冷静に考えろ。枯葉は蘇芳の名前を携帯電話にどう登録している? 一般的にはフルネームで登録する人ばかりだ。しかし彼が、名前だけで登録する人間だったとしたら。呉羽蘇芳という名前で押し通すことが出来るかもしれない。
「……いえ、私、河内蘇芳です。呉羽は、他の人の名前だと思いますよ。友達とかかな。朽葉、すごく顔色悪かったですし、間違えたんだと思います」
冷静に、落ち着いてみろ。苗字を偽って押し通せるわけがない。騙れば騙るほど穴が広がって偽物だと気付かれやすくなる。
「まぁ、そうだよね。間違えたんだろうね。そういえば蘇芳ちゃん、呉羽って苗字初めて聞いた?」
「はい。いきなり知らない名前を呼ばれたので、びっくりしちゃいました」
「ふぅん? 呉羽先輩がどうのって、君、朽葉にメール送ってたのに?」
「え? あ、くれは……確かにくれは先輩とも読めますよね。私の先輩、呉に羽って書いて、ごわって読むんです。そっか、くれはかぁ……」
黙るな、と自身の喉に内心で訴えて、べらべらと詭弁を弄する。呉羽と書いて『ごわ』と読む苗字は実際にあるし、間違われたこともある。だからそれについては大丈夫だと思いたい。疑われないように動揺を表に出してはいけないが、まさか蘇芳が枯葉に、僕の話をしているとは考えもしなかった。嫌な汗が流れそうになって、カフェラテを飲もうとしたら、僕の手を常磐が掴んだ。
「手、すごく震えてるよ。大丈夫?」
「人見知りなので、初対面の人には緊張してしまって。それと、ごめんなさい。触られるのはあまり好きじゃないんです」
中手骨をなぞられる感覚に鳥肌が立つ。すぐさま彼の手を振りほどき、コーヒーカップに指を引っ掛けた。
こいつはもう僕が嘘を吐いていることに気付いている。正確に言うなら、僕が河内蘇芳ではないことに、だ。でなければ、これほど人を引っ掛けるような問いを投げてきたりはしないだろう。
この場をどう切り抜けるか悩んでいたら、常磐がまた口を開く。
「朽葉のアドレス帳の、くれは紫苑、って、君の本当の名前?」
「何を言っているんですか? 私、河内蘇芳ですよ」
「朽葉から聞いてない? 俺、能力者なんだ。触れてみて君の名前が分かったよ、紫苑ちゃん」
嘘偽りなど述べていないような笑顔でそう言われても、枯葉から聞いた情報と能力が噛み合って居らず、疑うことしか出来ない。僕は引き攣っていない完璧な笑みを返してみせる。
「嘘は駄目ですよ、常盤さん。私、呉羽紫苑なんて名前ではありませんから。朽葉から先程聞いたのは、あなたが触れた相手の能力を使わせることが出来る能力者だ、ということでした。お手洗いに行った時につい、気になって聞いてしまいました」
「へぇ……? じゃあさ、試してみようか?」
「試す?」
コップをソーサーに戻した僕の手首に、常磐の指が絡む。尺骨の軋む音が聞こえそうなくらい強く引っ張られて、奥歯を噛み締めた。
「……常盤さん、離してください」
「今ここでさ、能力でこの店をめちゃくちゃにしてみてよ。『そうぞう』の能力者は、君がいない時に見た朽葉の反応から河内蘇芳なんだって分かった。けど朽葉が君のことを思わず呉羽って呼んじゃったから、君が河内蘇芳じゃないことも分かった。それでも自分が河内蘇芳だって言うなら、その能力を見せて? それが嫌なら、俺と人のいない所まで付き合ってくれないかな。そうだ、朽葉なんか置いてデートをしようよ紫苑ちゃん。泣きたくなるくらい楽しませてあげるから」
「……これ以上は騙せそうにないね。一般人を危険に晒すわけにはいかないし。仕方ないからどこにでも付いて行ってあげるよ。だからとっととその手を離せ、気持ち悪い」
繕うことをやめて拳を握りしめ、常磐を睨み据える。彼は僕の声色が変わったことに驚いたようで両目を皿のようにしていたが、愉しそうに三日月型に歪ませた。
「良いね、君。そっちの方が好きだよ。潰し甲斐がありそうで。付いておいで、紫苑ちゃん」
「ちゃん付けするな」
「可愛い女の子にちゃん付けするのは普通でしょ?」
耳に絡みつくような声遣いで呼ばれる度に寒気がする。僕は目を細めながら、常磐に気付かれたことと脅されたこと、これから席を外すことを枯葉にメールで告げた。次いで空と東雲にも似たような内容を送信する為本文を入力し始める。空と東雲は携帯の位置情報から僕がどこにいるか見つけてくれるだろう。
しかしメールの打ち途中で背後から手首を掴まれ、全てを書ききれぬまま送信ボタンを押すこととなった。財布を見ていた常磐が、いつの間にか僕の背後に回っていたようだ。首筋に声がかかり息を呑む。
「何してるの?」
嫌な汗をかきながらも、画面を見られないようすぐさま携帯電話を仕舞い込んだ。東雲と空にも場所を移動することだけは伝えられたので、そこからどうにか汲み取ってくれることを願う。焦りは顔に出すことなく、僕は目を細めた。
「……朽葉に、先に店を出ることを伝えただけ」
「そう。じゃあ紫苑ちゃん、行こうか」




