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一章 後継者誕生



 ……音が聞こえる。

 パタパ、タ、パタタ、パタ。

 鳥類を代表する独特な器官である翼を動かす音は聞くからに不規則だった。双翼の主から発せられる混乱と焦燥に包まれているようである。

 俺はそんな音を聞いていた。

 ……いや、何処だろうか、ここは。

 視界は朧気だ。聴覚も定かではない。

 分かるとしたら此処が青空の下で無いことぐらいか。ぼんやりとした無機質な灯りは人工物だと直感した。

 重い頭、重い手足。およそ自分のものと思えない肉体に鞭を打つ。四肢の震えは止まらずとも、十年間鍛え続けた筋肉は最小限の命令をこなしてみせた。

 腕を立てる。俯せだった身体を起こした。どうやら俺は石畳の上に寝転がっていたようだ。

 父親に棄てられた時からまともな住居で夜を明かしたことはない。故に石畳の上でも十二分に有り難い環境だ。

 神経質な性格ではない俺はぼんやりとした頭でそんなことを考える。

 駄目だ。本調子には程遠いな。

 思考を変える。

 どのくらい眠っていたのだろうか。

 それを思い出そうとした瞬間、俺はふと素朴な疑問を覚えた。

 どうしてこんなとこで寝ているのだろうか、と。


「なん、だ──ここは──?」


 目眩がする。幻聴が聞こえる。

 そんな異常を無視して、俺は周囲の状況を確認した。

 俺から見て左手の方は変わらずに石畳が広がっている。規則的な石の置かれ方と目立った汚れの見えない二点から、少なくとも此処は貴族の屋敷、もしくは機能している砦の中だと思われる。

 見覚えなどない。六歳の頃まで住処にしていた城の中を思い出しても、この石畳と壁に掛けられた蝋燭に該当する風景などなかった。

 なら、ここはどこだろうか、どうして俺はここにいるのだろうか、どうして今の今まで眠っていたのだろうか、上手く思い出すことが出来ない。

 それでも──見えた。

 不鮮明な視界でもハッキリと映った。

 石畳の向こう側に“それ”は在る。

 台形の大理石に突き刺さっているそれは刀だった。日本刀、だろうか。切っ先から数十センチも大理石と一体化しているものの、刀身が湾曲している上に装飾の施された鍔と柄は見事だった。

 相変わらず視界は悪い。

 それでもその刀だけは克明に映った。

 届かないと分かっていながら、引き寄せられるように手を伸ばす。駄目だ。今は無理だ。こんな身体じゃ抜けっこないのに。どうして俺は、あの刀を抜かなくちゃいけないのだという脅迫観念に突き動かされそうになっているんだろうか。


 パタ、パタ、パタ、パタ。

 翼の音は続いている。

 だが──それだけではない。

 なにか、物体を力強く叩くようなドカドカとした音も加わった。

 何なんだ、一体。左手の方角には一振りの刀が。下を見れば石畳が敷かれている。壁には蝋燭が掛かったままである。

 なら、右手の方にはなにがあるというのか。

 衰えた視力でも概要ぐらい把握できるだろうと考えながら視線を動かした。

 瞬間──。


「あなた、大丈夫なの?」


 目の前に。

 翼の生えた女性が、石畳に膝を付きながら俺を心配そうに覗き込んでいる事に気が付いた。

 ……鳥の擬人──?

 いや馬鹿な。咄嗟に自虐する。

 だが、何度見ても不思議でしかない。

 有翼族ハーピィだ。背中に翼を二つ生やす彼らは、鳥のように空を飛ぶことができる亜人族の一つである。

 奴隷である以外には、浮遊島とエルドラン王国にしか存在しない筈なんだが。

 覗き込む姿だからか、ストレートの銀髪が前に垂れ下がっている。翡翠の鉱物めいた双眸はたれ眼気味。映えるような美貌はまるで──、まるで死んだはずの母さんに見えてしまった。

『馬鹿か、俺は──』

 今度こそ掛けねなく自分を罵倒する。

 初対面の有翼族と母さんを見間違えるとは。マザコンじゃあるまいし。夢に見るだけでなく、こうして現実にも当てはめるなんて弱者の証明のようだった。


「……?」


 それはともかく、だ。

 何故ここに有翼族の女性がいるのか。

 心配そうな手前、どうやら拉致監禁されてしまった訳じゃ無さそうだ。記憶から抹消されたとは言え、どっかの馬鹿が担ぎ上げたりするかもしれない元の身分の高さに辟易してしまう。

 視力の回復は半分程度だが、知性と運動能力は大部分が元に戻りつつある。

 いつまでも俯せになっていられない。

 女性の問いに答えるためにも、俺は腕立て伏せの要領で身体を持ち上げた。

 バキバキと骨が鳴る。体操した際に生じる独特の高揚感まで付いてきた。

 長らく運動しなかったからなのか。それとも無理やり縄とかで縛られた代償からか。もしくはそれら以外なのか。

 曖昧な記憶に腹を立てながら、俺は膝立ちとなった。自由となった両手を閉じたり開いたりする。少し痺れるだけで異常なし。


「良かったわ。気が付いたみたいね」


 有翼族の女性は安心したように微笑んだ。ほんわかとした印象を相手に与える造型の顔立ちは周りの空気すら緩和させた。


「ここ、は──?」

「? 覚えてないの?」

「……」

「そんな──」


 俺が当然だとばかりに頷くと、有翼族の女性は開きそうになる口元に手を当てて隠してみせた。

 礼儀作法は貴族並。髪艶、肌の荒れ具合からして奴隷じゃない。浮遊島の都市長とか? それともエルドラン王国の?

 俺の不躾な視線にも動じず、彼女は小さな可愛らしい口を開いた。


「あなたのお名前は?」

「……アイン」

「良かった──。名前はちゃんと覚えているのね。なら、私から質問するわね」

「ちょっとだけ、待ってくれ。

 ここは一体どこなん、ですか?」


 年上らしい女性の姿から取り敢えず敬語を使う。この有翼族が何者であろうと下手に出て何ら拙いことはないだろう。

 ヤバいのは怒らすことか。

 欠片ほどの魔力も、起動式の知識すら持ち合わせていない不出来な俺だが、それでもこの銀髪の女性が恐ろしく強いことは分かった。

 優しそうな外見とは正反対だ。

 益々訳が分からない。


「そうね。でも先ずは確認させて。あなたは記憶喪失なの? それとも昨日と今日の記憶が曖昧なだけなのかしら?」

「後者、です」

「つまりは何故ここにいるのか、此処はどこなのか、そんな知識に欠けているのね?」

「だと思います」


 膝立ちのまま首肯する。

 そんな俺に対して、有翼族の女性は翼を折り畳んでから不意に顔を近づけた。

 接近する眼、鼻、口。そして吐息。

 尋常ならざる美貌と面向かう。俺が俺として重ねた月日は既に三十を超えている。この程度でドキマギしてしまう青春時代は遙か昔のことである。

 そして彼女が何をしているのか。

 微かな記憶の中で、俺は知っていた。


「嘘は──吐いてないわね」

「心眼ですか?」

「ええ。でも良く知ってるわね? 有翼族の中でも数少ない者しか発現しない能力なのだけど」

「昔、ちょっとだけ……」


 苦い記憶は封印するのみ。


「そう」


 女性は軽く頷くだけで深く追求してこなかった。年の功という奴か。いや、多分だけど中身的に考えたら俺の方が年上だろうけどさ。


「──取り敢えず安心したわ。あなたに危険性はないみたいで。そうじゃなかったら強制的に排除しないといけなかったから」

「排除?」

「遅くなったけど質問に答えるわ。此処はね、エルドラン王国の中枢。人間で此処に足を踏み入れたのはあなたが初めてよ」


 物騒な発言に顔をしかめる。

 優しそうな彼女が排除と口にしたのだから大層な重要区域なのだろうな、と軽い気持ちで問い返した俺は紛れもなく馬鹿だったと思う。

 エルドラン王国の中枢、だと?

 何の冗談だと言い返したかった。馬鹿も休み休み言えよと笑い飛ばしたかったのに、有翼族の女性が見せる得意気な笑みだけで全て察してしまった。

 嗚呼、事実なんだろうな、と。

 目が覚めたら亜人族の国の中枢にいました。

 どんな冗句だ。

 笑い話にもなりゃしねぇよ。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫、です」

「あなたがどうして此処にいるのかは分からないけど、でも急いだ方がいいと思うわ。人間のあなたが此処にいると知られたら確実に狼人族ワーウルフから抹殺されることになるもの」

「ま、抹殺? 此処にいただけで!?」


 いや、薄々そう思っていたよ。

 エルドラン王国とは、紀元前から人間に奴隷として虐げられてきた亜人族が千年前に建てた楽園である。

 国家元首は竜王。民は殆どが亜人。

 そんな国の中枢に人間がいる。

 確かに抹殺物だ。むしろ殺さない理由が見当たらない。問答無用で首ちょんぱだろう。

 理屈は分かる。

 けど、感情は別だ。訳が分からないままに此処で起きて、何が起きたのか知らないままで斬首なんてふざけんなよッ!


「そう。だから逃げた方がいいわ」

「そうしたいのは山々だけど、中枢から人間一人で逃げ出せんのか!? 自慢にもならないけど俺って魔法も起動式も使えないんだけど……」

「魔法は、仕方ないわね。先天性の物だもの。起動式は人間の十八番よね。それも使えないとなると──────??

 ──────え? これって……!」


 有翼族の女性は目を見開いた。

 動きが止まった。口も半開きのまま。

 二回瞬きを繰り返し、震える声でぶつぶつと口にする。


「魔力の欠片もない……? いえ、普通はどんな人間でも魔力が零ってことは有り得ないわ。──どういうことなの?」


 俺は頭を振った。


「いや、あのさ。そんなことどうでもいいだろう! 魔力が無いなんて当然のことなんだから!」


 俺は生まれた時から魔力がなかった。

 つまり魔法を使えない。基礎魔法すら行使できない出来損ないの存在だった。

 起動式に関しては才能がないと断言された。お陰で六歳児でも可能な属性付与の起動式すら発動できない屑だった。

 扱えるのは脳味噌と、両親から与えられた一般人よりも頑丈な肉体だけだ。

 そんなこと当然のこと。一七年という長い月日で得た完全無欠な真理である。

 なのに彼女は俺の両肩を掴んだ。此処から逃げろと促した張本人は、信じられないと言わんばかりに早口で口にした。


「いい? 魔力を持たない人間なんていないわ。ううん、人間じゃないの。亜人だって魔力の大小はあれど皆無な者はいないのよ。魔力が零な存在なんて、竜族ぐらいのも、の…………まさかッ!」


 何かが繋がったのだろうか。

 彼女は震える手を押さえつけて、


「アイン君、ちょっとこっちに来て」

「え、ちょ、何で! 今すぐ逃げないと俺ってヤバいんじゃないのかよ!?」


 まだ死にたくねぇぞ!


「いいから! わたしの考え通りなら間違いない。あなたは望まれるべくして此処にいるのよ」

「いやいや、意味が全く分からん!」

「分からなくていいからついてきて!」


 無茶苦茶言ってるぞ、この女性ハーピィ

 俺の手首を握りながら有翼族の彼女は出口とは真逆を行く。十メートル在りそうな扉と正反対の位置にあるのは大理石に突き刺さった日本刀だった。

 あの刀に興味は沸く。許されることなら触れてみたいとも。それでも今最優先すべきはエルドラン王国からの脱出だ。

 生憎と俺は死にたくない。

 まだ、死ねない理由がある。

 だから女性の手を強引に離そうとしたのだけど、恐るべき力で握り締められているからかビクともしなかった。

 握力幾つなんだろうか。優に百は超えてそうな気がする。そうでもないとここまで圧倒されると思えなかった。

 痣になってるだろうな。

 つーか、こんな大声出したら直ぐに見つかって処刑だろうな。

 漠然とした未来と確固とした未来。

 どちらにしろ死ぬことは確実だ。

 完全に回復した聴覚は四つ以上の足跡を捉えている。間違いなく此処に向かっている。終わりである。

 まさしく万事休す、なのだが、命を握る有翼族の彼女が必死な姿に毒気抜かれた俺は抵抗を辞めた。

 大人しく引きずられる。

 数秒もしない内に日本刀の傍まで連れてこられた俺は、チラリと真横を視認した。

 不安と虚飾と歓喜のない交ぜになった女性の表情は、初めて母さんに贈り物をした時の俺と瓜二つだった。

 目的は違えど、性別は違えど、そんな表情を見せられれば未だドロドロした決意だった物が凝縮されるのも仕方ないことだった。


「で、何をしろと?」

「この刀を抜いてみて」


 恐ろしく機械的な声音だった。

 いや、敢えて感情を殺しているのか。


「何で? というか抜けないと思うんだけど。これ、切っ先から大理石に埋まってるぞ」

「大丈夫。多分、あなたなら、抜ける」


 足跡は直ぐそこだ。

 扉の真ん前。後は開かれるだけ。

 死に直結する前だというのに、どうして俺は初対面の女性の願い事を悠長に聞いてるんだろうか。

 自分でも訳が分からない。

 でも、馬鹿なことだと分かっている。

 自覚している分、惨めな気持ちは湧き出てこなかった。

 ただ、どうして俺はこんな事になってしまったのか。

 その事実だけは知りたいと思った。


「じゃあ、抜くぞ」

「ええ。頑張って」


 ──柄を握る。

 まるで吸い込まれるようだ。

 ──力を込める。

 恐ろしいほどに心が落ち着いていく。

 ──女性と視線が合う。

 彼女の頷きに呼応して、俺も首を振った。


 そして、俺は大理石から刀を抜いた。

 それはもう拍子外れもいいところだった。どんなに力を込めても抜けないと考えていたのに、抜刀を阻害する大理石など初めから存在していなかったように湾曲していた刀剣は完全に自由となった。

 呆然と固まる。俺が使っていたなまくらの剣と格が違う。アレを石だとするならコレはオリハルコンだ。

 抜いたばかりの刀を横にして確認する。柄は黒と赤の螺旋。鍔は楕円を描き、その表面には装飾が施されている。刀身は直刃だろう。色は純白だ。

 手にした瞬間、見た瞬間、俺は何となくコレがなんなのか理解してしまった。

 幼い頃に聞いたことがある。

 竜王の持つ一振りの刀の話を。それは天を裂き、海を割り、大地を砕くと。竜族の鱗と耳長族エルフの魔法と小人族ドワーフの鍛冶、それらを組み合わせて完成された最高傑作であると。

 星竜刀エトワール。竜王の証。

 抜いたから竜王になると決まったわけじゃない。そもそも人間なのに亜人の王になるなんて馬鹿げている。

 そんな俺の心の声を打ち消す音が響いた。


「…………え──」


 全員が跪いてる。

 白髪の耳長族も、黒髪の狼人族も、群青色の髪をした美中年も、そして背後で銀髪の女性も片膝を付いて俯いたままである。

 亜人が須く俺を讃えている。

 悪い冗談のような光景だった。

 そして紡がれた一言は悪夢のようなそれだった。



「お初にお目に掛かります、第五十代後継者殿下」



 

 

 

 

 



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