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05:インプットとアウトプット

 それから少しして、やっとお母さんがやってきた。お母さんはぼくの様子を見て、また倒れたの、と発言した。男の人が顔をしかめた。

「迷惑をおかけしました。この子、生まれたときから頭が弱くて。インプットの制御もろくにできないんです」

 ふたりはこの星の人間ではないから、ぼくのことなんて知らない。お母さんはそう判断したのだろう。きっとそのとおりだ。でも。

「ああ」と納得したように頷いた男の人は、その瞬間から、どこか違う空気を醸しだしていた。ああ、という少ない言葉が、ぼくへ届くまでに化物になって、首元をさらう。天井が一気に暗くなった気がして正面を向いた。でもそれは気のせいだった。急に体全体が重たくなった。だるくなる。

 アイさんからは、そんな気配は流れなかった。あの男からだけだ。なにか異様な、いままで感じたことのないアウトプットが男の一挙一動から漂っている。アイさんの分の翻訳機を男の人がさっき持ってきていたから、聞こえていないわけではないはずなのに。お母さんもそれに気付いたのか、一瞬だけ、男に冷たい視線を向けた。

「これはよくあることなのでしょうか」

 男が、お母さんに質問する。レポートを書くといっていたから、そのために情報を収集しているのだろう。

「この子だけにあることですね。他人のアウトプットを受け取る器官に、少し欠陥があって、自身の思考をつかさどる皮質にアウトプットが直接的に干渉してしまう――そのために自分と他人の区別がつかなくなり、瞬間的に思考の働きをとめてしまう症状です」

 お母さんの説明に、男の人は考えるように顎を揉んだ。小さく唸る。

「申し訳ありませんが、その、〈アウトプット〉〈インプット〉というものが、私たちには分からないのです。私たちの星にはない概念――この星の人間だけに宿る機能のようですが」

「そのようですね。この星特有のもののようです。この星では、物事の伝達手段は、大まかに二種類に分けられます――それが〈アウトプット〉と〈インプット〉です。アウトプットとは、伝達のうち能動的な行動――たとえば、話す、書くなど――で、インプットとは、その逆、受動のことです」

 お母さんが事務的に説明をする。この星に当然のごとく広まっている伝統は、他の星の人にとってはまったく分からないことになりえる。その一端を垣間見た気がした。そんなことも知らないんだ、という感情と、そうか、この星だけのものだったのだな、と納得する気持ちが同居する。

「あなたが、アイさん」

 お母さんは、視線を男からアイさんに移した。

「あ、はい」

 アイさんは椅子から立ち上がって、お母さんに向けて頭を下げた。腰から上半身を曲げている。男の人が眉をしかめた。

「アイ、オジギは伝わらないぞ」

 オジギ、という男の発音は、どことなくぎこちなく聞こえた。ぼくは、彼女の垂れた髪を見る。黒色で壁の光につややいでいた。綺麗だ、とふと思ったときには、彼女は頭を持ち上げていて、男の人をねめつける。

「そちらの星の挨拶でしょうか」とお母さんが質問をする。二人の顔つきから、それを訊いていいものなのかぼくは考えあぐねていたが、お母さんはそうでもないらしい。質問しないと認識の溝は埋まらない。これは誰の言葉だっけ。

「いえ、私たちの星でも、特に彼女やその周辺の人だけが使う挨拶です。私たちの星は広く――そのために文化に流派があるのです」

 男の言葉は、暗にぼくたちの星が小さいことを示していた。しかしそのことは傷つくような要素ではなくて、お母さんは「そうですか」とそっけなく答えた。

 それからうやむやな時間が過ぎて、ぼくは家に帰ることになった。まだ動きづらいけれどお母さんの肩を借りれば歩けないこともないくらいに回復していた。少しずつ、星の上でおこなわれている会話が届いてくる。

「ありがとうございました」

 ぼくはもう一度だけアイさんに挨拶をした。彼女の真似をしようと、腰を曲げてみようと思ったけれど、そうしたら前に倒れてしまいそうで怖かった。

 アイさんの「またね」という優しい言葉と、男の人の「さようなら」という事務的な言葉が、一緒になってぼくの背中を押した。男の人からは、あれから、不気味なものが含まれていて好きではなかった。あれはなんなのだろう。ぼくにはまだ分からなかった。


 翌日、ぼくはアイさんと知り合いになった。というのも、昨日と同じように街を歩いていると、彼女とまたばったり出会ったんだ。昨日と違って、ぼくは彼女にスムーズに話しかけることができたし、彼女もさほど無表情ではなかった。

「あれはなに?」と、昨日おじさんに訊いても分からなかった箱を指で示す。あれはアイさんたちの星の人が持ってきたものだ。

 物知りのおじさんも知らなかったから、もしかしたら、アイさんにも分からないかな。そう思っていたけど、彼女はあっさりと、「共同無線翻訳機」と言った。難しい言葉だったけれど、言葉を少しずつ分解してゆくとだいたい理解できた。あれは、ぼくら異星の人の言葉を、自分の分かる言葉に変換して伝達する機械らしい――。

「きみたちはさ、頭のなかに、特別な器官があるらしいから、翻訳がいらないみたいだね。私たちはそうでなくて、分からない言語は、自分の分かるものに置き換えないと理解できないの」

 アイさんの説明に、遠くであの物知りおじさんが感心したように息をついた。おじさんが彼女を褒め称えていたけれど、その声は彼女に届かない。彼女にはぼくらが当然持っている器官がない。それがこの星の間の大きな差異なのだそうだ。

 なぜ、ぼくらにあって、彼女たちにはないのだろう。……それを疑問に思って、アイさんに質問してみた。彼女は分からないと答えて、ついでにおじさんも分からないと言った。もともと、ぼくらはアイさんたちの星から別れてきた流派である可能性が高いらしい。文献にあると、アイさんが付け加えた。それを鑑みるに、もともとあったものが、ぼくたちだけ残して、アイさんたちが失ったか、それともこの星にきてからぼくたちの流派がこの機能を手に入れたかのどちらかになるらしい。難しい話は好きではないけれど、アイさんの話はとても楽しく時間を浪費させた。

 アイさんが、この星の案内をしてほしいと頼んできた。ぼくは考えて、コーヤ肉の培養場につれていくことにした。あそこに面白い娯楽機が置かれてあることを知っていたからだ。

「地面が温かいんだね」歩いているとアイさんがそう話しかけてきた。一歩進めるごとに足の裏に熱が伝わる。地熱、というやつだ。

「そうだね。アイさんの星は、そうじゃないの」

「場所によるかな。私が住んでいたところは、寒いところ」

「そうなんだ」

「雪っていうのがね、降るんだよ。雪、分かる? この星にも降る?」

 ユキ。分からない言葉が出てくる。おじさんは今忙しいのか、それともおじさんも知らないのか、口を挟んでこない。ぼくは首を横に振った。アイさんが口元を小さく曲げた。

「白くて小さくてね。冷たいの。その粒が地面に積もって、地面が真っ白になるんだよ」

 そんな話をしているうちに、コーヤ肉の培養場に着いた。大きな建物がそびえている。大きいけどそれは古くて、壁がところどころはげていた。

 ここのおばあさんはこどもが好きで、自分でおもちゃを作ったりしている。ぼくも名前を貰うまではよくここに来ていた。

 建物の入口あたりに、箱のような立方体が置かれている。ぼくがアイさんをここに連れてきたのは、これが面白いからだった。電子音が鳴り響く。立方体から映像が飛び出てきて、その端っこから丸い玉のようなものが流れ出てきた。それを電子音にあわせてはじく。妙に癖になるゲームだった。

 でも。「ねえ、それよりこのなかって入っていいの」と、アイさんはこのゲームに興味がないようだった。「このゲームつまらない?」と訊くと、「うーん……ちょっと古いかな」と、一蹴されてしまった。

 仕方がないから、培養場のなかを見学することにした。部屋に入らなくても見学用にガラスが張っているところがある。そこならおばあさんは怒らないだろう。

「これがコーヤ肉だよ」

 ガラス越しに見える景色には、固形のコーヤ肉のブロックがいくつも並べられていた。チューブが天井からのびていて、それぞれのコーヤ肉に刺さっている。栄養を注入しているのか、悪いものを取り除いているのか、詳しいことは知らないけれど、こうやってコーヤ肉を商品に育ててゆく。

「これは……生き物なの?」

 アイさんが、不思議な質問をした。

「生き物? どういうこと? 食べ物が生きているわけないじゃないか」

 アイさんが眉をしかめる。その顔は、昨日医務室で男の人に向けた顔のようだった。彼女は、嫌なことがあったときに、眉をそうやって歪めるらしい。

「そっか。この星では、食べ物は生き物ではないんだ。あの、とても生き物には見えない有機物は、細胞としての活動はあるようだけれど、生き物ではない――この星にとって生き物とは、細胞が活動しているものを指すのではなくて、意思のあるもの――人間だけ、なんだ。そうか。この星では生き物とはヒトだけなんだ」

 アイさんがぶつぶつ呟いている。その顔がだんだん深刻になっているようで、ぼくは怖くなって彼女の手をとった。アイさんは、ぼくの手をゆっくり見やって、「あのね、私の星では、あまり人の手は気軽に触るものではないの」とたしなめた。ぼくは恥ずかしくなって、申し訳なくなって、怖くもなって、彼女の手から手を引っ込めた。

(ラム。勉強の時間ですよ)

 先生が、突然アウトプットしてきた。勉強の時間。

「ごめん。ぼく、もう帰らないと」

「あ、そう。ごめんね。今日はありがとう」

 ぼくよりも背の低いはずの彼女は、ぼくよりもずっと大人びて見えた。それは星の違いのせいであったり、ぼくの成長が遅れているせいであったりするのかもしれない。でもぼくは、ともかく、彼女の知り合いになったんだってふと思った。

「また明日」でもその言葉を放つのにとても勇気が要った。

「また明日」アイさんは、こともなげに返してくるのだった。


 家に戻って、先生のモニターの電源をつけた。(それでは、勉強を始めます)先生が動き出す。モニターに早速文字が表れた。ぼくはそれを読んで、インプットに励む。ずっと昔に書かれた文章らしくて、堅苦しくて読みづらい。

 この先生は、ぼくが二歳のときに、お父さんが作ってくれたものだ。頭が普通よりも劣っているせいで、ぼくは普通よりも知識の収集速度が遅かった。それを補うために、この星にあるたくさんのアウトプットのデータを、ひとつのディスクに集めてくれたんだ。

 インプット。インプット。モニターに出てくる文字を、目で追ってゆく。必要に応じて声にも出した。先生とはもう一年の付き合いになるけれど、まだ、慣れた心地はしない。この作業はいつまで経っても面倒くさいことだった。

 勉強をしている間に、弟が帰ってきた。弟に話しかけたいけれど、勉強の間は、他のことをすることは許されていない。他の情報を取り入れたり、取り出したりしていたら、勉強の妨げになるからだ。ただでさえ遅れている知識を、効率よく取り入れるためには、きちんと決められた時間をインプットに捧げるほかなかった。

 弟は交換留学生として、明日、あの船に乗って異星へと旅立つ。その準備で弟は奔走されていて、とても疲れているように見えた。弟、まだ名前のない弟。

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