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04:医務室

 その次の瞬間には、また視界が端っこから甦ってきていた。黒い空間が、中心へ向けて崩れてゆく。それは、ぼくが暗黒星雲に会いに行く、あの塔が崩れる様子を想起させた。

 目の前はさきほどの少女ではなくて、人の顔でもなくて、真っ白な天井だった。まだ視界が曖昧だ。ぼやけている。天井が見たこともないほどに白かった。ここはどこだ、と頭が考えて、ここはここだ、と自身で答えていた。

 天井はあまりに白く、そのため却ってあたりは暗い。ここは小さな部屋だった。ぼくは自分が、小さな箱のなかに閉じ込められたおもちゃになる想像をした。その想像が過ぎ去ると、また曖昧な空気が視界を占める。ここは明るくて暗い。

「起きたか」

 聞こえる声は、脳内に流れてくるアウトプットなのか、実際に耳から取り入れている声なのか、よく分からなかった。そこであたりをもう一度見渡してみると、明るい暗闇に、ふたつの目玉が浮かんでいることに気付いた。視界のもやがはがれていく。ぼくは自分の目をこすった。まだ目玉はそこにあった。でも顔も体もあった。

 その人は、褐色の肌をしている。男の人だった。見たことのない顔だ。きっと船でやって来た、他の星の人なんだろう。その人は椅子に座って、難しい顔をしてぼくを見つめている。ぼくは体を起こそうとして、だけど体に力が入らないことに気付く。ふいにもどかしくなった。

「きみは、この星の人だね」

 男の人が言った。口が動いてようやく、その顔に口があることを知った。ぼくは頷いた。

「私もね、少なからず驚いたよ。異星であるのに、こんなにも、むしろ差異を挙げるほうが早いほど似ていただなんて……。無論、私の生まれるずっと前に、この星と交流があったことは文献で知っていたんだけどね。しかし」

 男の人はふと、口をつぐんで首を横に振った。その動作は否定的な意味を持つ。でもなぜこのタイミングでその動作が出てきたのか、分からなくて、ぼくはその人から目を逸らした。部屋は明るくて暗い。ぼくの横たわるベッドと、椅子と、それしかない。扉がどこにあるのかも分からなかった。視界のもやは、まだ少し残っているかもしれない。

「あの……」

 あの、声をかけてくれた女の子の姿を思い浮かべた。なぜかは分からない。分からないままに、ぼくは褐色の男の人に話しかけていた。

 男の人は、「なんだい」と思ったよりも優しい口調で、頭をぼくのほうへ固定する。ぼくはまた起き上がろうとして、まだ体が動かないことを自覚した。だんだんイライラしてくる。

「ここは、どこですか」

 頭の中は、いまだ真っ白だ。この部屋のように、真っ白に塗り包まれているけれど、暗くて、不明瞭。お父さんの声も、お母さんの声も、伝わってこない。よほど津波の衝撃が強かったのだろう。気を失うまでに至ったのはこれで二回目だけれど、初めてのときは、目覚めたときには治っていた。

「ここは交流船の中だ。その医務室。きみの症状が私たちの星では見られないものだったから、治療のすべが分からなくて困っていたのだけどね。どうだい、もう大丈夫かい」

 ぼくは首を横に振った。遅れて、口で「いいえ」と発言する。この声はお父さんたちに届いているだろうか。思って、また首を振る。分からない。

「もうすぐ、きみのお母さんが迎えに来てくれる。きみのお母さんは医者だそうだね」

 それからお母さんが来るまで、男の人はよくわからない話を延々と続けていた。ぼくに話しかけているようでも、ひとりごちているだけのようでもあった。ぼくはときおり体を起こそうとして、起きないことを感じて、また力を抜く。そんなことを繰り返しているうちに時間というものは経過して、部屋の中が徐々に明るくなった。壁や天井が光っているのだと気づくまでいくらか時間がかかった。でも気づいたところで、ぼくの体が動けるようになるわけではなくて、ぼくは男の人の流れてゆく言葉とともに、もどかしい気持ちを、わだかまらせていくのだった。

 ふいに扉が開いた。壁だと思っていた白い平面は、壁であると同時に扉でもあったらしい。入ってきたのはお母さんではなかった。ぼくは背中がひんやりする感覚を味わう。入った来たのはあの女の子だった。

「お、アイ。どうしたんだ」

 男の人は椅子から立ち上がって、さっきまで自分の座っていたその席を彼女に促した。彼女は男の人には目もくれないで、ぼくを見つめている。背中がどんどん冷えていく。イライラした感情も同時に運動を小さくしていた。

「この子が、きみをここまでつれてきてくれたんだ」

 男の人が嬉しそうに言った。部屋が明るくなったために、その人の表情も明るくなっているのかもしれない。

「違うよ。人を呼んだだけで、私は、運んでない」

「そりゃそうさ。言葉の綾だよ。同じくらいの歳の男を、女のきみが運べるわけがない」

「うわ失礼。きみだってその細い体じゃ運べないんじゃないの? 男のくせに」

 どうやらふたりは友達のようだ。ぼくはふたりの顔を交互に見ながら、また体が起き上がらないか試してみた。体がかじかむ感じがする。いままでなかった感触だ。ぼくはもっと力を入れて、上半身を起こしにかかった。お腹が小刻みに揺れた。頑張っても仕方ない。お母さんが来るまで待とう。そう考え直して、また力を抜くまで、さほど時間はかからなかった。

 男の人は明るい表情をしているけれど、彼女のほうは――男の人は彼女を「アイ」と呼んだ――無表情で、あまり笑わない人なのかもしれない、とぼくは思った。

「倒れたときは驚きました」

 アイさんがぼくに話しかけてきた。ぼくはいまだ起き上がれずで、ベッドに横になるしかない。椅子に腰かけている彼女をぼくは見上げる形になる。

「すみません。迷惑かけて……。それと、ありがとうございます」

 体は動かないのに声は容易に出せた。でも唇が乾いてうまく発言できたのか不安だ。彼女はぼくの言葉を聞いて、しばらく無表情を保って、それから分からないというような顔をした。

「アイ、翻訳機はどうしたんだ」

「もとから持ってなかったの。祭りのときは無線のやつがあったし」

 アイさんは口をとがらせる。だけれど目が笑っていないところがどこか不気味だった。初印象と違っていて。

 でも良かった。彼女が来てから、頭や体がだんだん回復していく感じがする。ぼくはこっそり、もう一度体を持ち上げようとした。実際に少しは持ち上がった。頬がつられて持ち上がる。でもすぐに引っ込めた。アイさんにその顔を見られなかったか心配になる。彼女の目はまだ笑っていなかった。

 つまらないのかもしれない。表情はアウトプットのひとつだけれど、視覚的で範囲が限られていることもあって、簡単に嘘をつくことができる。そしてぼくは、彼女の表情が真意からくるものなのかどうなのか、さっぱり分からなかった。そんなことを考えているうちに、彼女と男は会話を繰り広げている。

「ところでアイ。この人はなぜ倒れたんだ? 症状が分析できないんだ」

 ぼくが倒れたのは情報津波のせいだ。頭のなかに、たくさんのアウトプットが流れてきて、自分の思考と他人の声とがごっちゃになったのだ。それを言おうとして、でもアイさんの口元を見てやめる。

「なに? レポートにでも書くの」

 アイさんは少し眉をひそめた。

「そりゃ書くさ。そのために来たんだから」

「正直だね」

 男の人は、両手を居心地悪そうに忙しなく動かしている。どこに収めればいいか了見がつかないらしい。だけれどアイさんは、その手にはあまり関心がないようで、男の人に目も向けない。

「私にも分からないよ。この星のことはまだ、分からないことがたくさんある」

 少し時間が経ってから、アイさんはそう言った。その顔もつまらなそうだったから、ぼくはすっかり教える気分をなくしていた。教えたところでどうなるんだ。言葉は直接伝わらないのだ。

「……ほらでも、インプットとか、アウトプットとか、そういうのが原因なんだと思うよ」

 取り繕うような彼女の付け加えに、思わずどきりとした。そのとおりだ。

「ああ、あれ。あの器官のこと、よく分からないのだけどね」

 男が口の端を曲げた。不満を感じているのかもしれない。この人の表情は読み取りやすそうだ。

「そりゃそうでしょ。教授たちがいま調べてる最中なのに、きみが分かるわけない」

 気付けば天井や壁はいっそう白くなっていた。これらは照明の機能も兼ねているんだな、と、今更ながら納得する。アイさんの言葉に、男は露骨に眉をしかめた。はいはい、雑用係には分かりませんよ。男は小さくそう呟いたけど、アイさんは見向きしない。聞こえなかったのかもしれない。

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