03:情報津波
交流船が来た。重そうな大きな船だった。楕円を引っ張ったような形をしている。こんな形でどう空を飛ぶのだろう。お父さんに訊いてみても、良い答えは得られなかった。
なにより驚いたのが、船から出てきた人が、ぼくらの姿となんら変わりがなかったことだ。頭でっかちでも四足歩行でもないし、ぼくらの二倍大きいわけでもない。ちゃんと頭と手と足があって、背の高さも、まちまちだった。
船は三日後に出発する。それまでは互いに最初の交流を深めていくらしい。弟は交換留学生のひとりとして、みんなの前で挨拶をした。緊張しているらしく発言は途切れ途切れで、聞き取りやすいものではなかった。
広い星はたくさんの人でごった返した。交流先の人たちは、ここよりずっと大きな星に住んでいるそうだ。船に乗っている人数は、もしかしたらぼくらこの星の住人と同じくらいだったかもしれない。
盛大な祭りが開かれた。(祭りは、文化を提示するのがたやすい行事なのだよ)と、いつもの物知りのおじさんが誰かに話していた。祭りとは、文化。小店が開き、食べ物が並べられた。ともかく人が多かった。
ぼくはお父さんと、人混みのなかをぶらついていた。弟は先ほど片言の挨拶を終え、どうやらいまは、他の交換留学生と一緒に船の偉い人の話を聞いているようだった。たまに(はい)という威勢のいい返事が流れてくる。今後のことについて聞いているのだろう。
「ねえ、あれはなにかな」
ぼくはお父さんに、目に見えたものを指さして訊いた。ぼくの指の先には、なんだかものものしい機械がある。箱のような形をしているけれど開きそうにない。一部分で、小さく光が点滅していた。
「さあ。なんだろうなぁ……あの、分かりますか」
お父さんも知らないようで、お父さんは、物知りのおじさんに質問した。おじさんはこういうとき、いつもあっさりと教えてくれるんだ。
「四角くて、一部分が点滅していて……それと、長い棒のようなものが横に取り付けられているんですが」
お父さんがおじさんに説明する。見るという行為はインプットだから、ぼくらがなにを見ているのか、直接的にはおじさんに通じないんだ。
(さあ、実物を見てみないことにはなんとも)
お父さんの先回りした説明もむなしく、おじさんは答えてくれなかった。普段なら簡単に教えてくれるのに。おじさんは(すみません)と言って、それからまた誰かとの会話に戻って行った。船からやって来た誰かと、会話をしていたらしい。
「失礼だったかな」
とぼくはお父さんに訊いたが、(いやいや、とんでもない)とおじさんが先に応えた。その次の瞬間にはその会話の相手に断りを入れていて、大変そうだな、と思った。
知らなくてもいいや。しばらく経つとそう思うようになった。きっと、この星にはない特別な、だけれど向こうにとっては特別でもないかもしれない、そんな機械なのだろう。そう思っておけば難しいことではなくて、あれがなにかも分からないのに、納得がいった。
そう思ってすぐに、違和感が体中を駆け巡る。幾多ものアウトプットが、頭の中に、流れ込んでくる。見えない言葉に殴られる。頭がくらくら揺れてくる。体の軸が左右にぶれた。立っているのもしんどくなって……これは、情報の津波だ。
ぼくはおぼつかない足取りで歩いた。前に向かって歩いているのか、確信がなかった。足を前に出しても、まるで横に進んでいるような感覚に苛まれる。ぼくはどこにいる。ぼくはここにいる。こことはどこだ。ぐるぐると思考が混ざった。情報がぼくを侵す。頭のなかが、荒れて、荒れた。
「あの、あ、大丈夫ですか?」
誰かが、ぼくを救い出してくれた。視界が晴れてくる。ぱちぱちと頭のなかが弾けた。ぼくの自我が、あふれる情報を駆逐している。ぼくの頭のなかに「ぼく」の居場所が取り戻された。
「あの……」
「あ、ありがとうございます」
ぼくを救い出してくれたのは、見たことのない女の子だった。ぼくよりも背が小さい。同じくらいの歳じゃないかなと思った。
彼女は、ぼくが突然感謝するものだから、困ったように首をかしげていた。首を傾げる、これは疑問に思っているという意味がある。
ぼくは彼女の顔を見ながら、先ほどの津波のことを思い起こしていた。まれにあることだ。たくさんの人が集まったとき、ふと気を抜くと、一気に人々のアウトプットが自我を押し倒して入り込んでしまう。小さいころは、その症状のためによくお母さんに診てもらった。ぼくの他の人は、こんなことにならないそうだ。
良かった。今回は大丈夫のようだ。女の子が、直接近くで話しかけてくれたから、受容するアウトプットがそのひとつに集中され、そのおかげで脳内に余裕が生まれた。だからぼくは感謝したのだ。
「えっと……」
彼女は、視線を動かして、なにやら思案している。なにを話せばいいのか分からないのかもしれない。ぼくも分からない。
お父さんはどこへ行ったのだろう。きっと津波が起こっている間に、ぼくがあべこべに動き回ったから、はぐれてしまったのだろう。そういうときはちゃんと腕を握っててやるからなと、お父さんはよく言うけれど、未だに達成できたことがないや。
「お父さん」
ぼくは、彼女の困ったような横顔を眺めながら、お父さんを呼びかけた。人混みのどこかにいるはずだ。
しかし、ぼくはやっと気づいた。視界がまるで、白紙の上に立っているみたいになっていたのだ。お父さんの声が聞こえない。さっきまで人混みにいたはずなのに誰の姿も見えない。インプットが閉ざされてしまったんだ。
ぼくの意識は、いま目の前の彼女だけに向けられていて、他の情報を除外してしまっている。津波の衝撃がいまだ抜けきっていないらしい。ぼくは彼女のほかに、ぼくの周りに誰がいるか、なにがあるのかまったく知覚できない。聞こえない、見えない、分からない。こんな感覚は久しぶりだったので、ぼくはどうすることもできずに、ただ彼女のことを眺めていた。情報に飲み込まれそうなところを、助けてくれた彼女。話しかけてくれた彼女。しかしいまは、助けてくれたせいで他の情報が途絶されている。
こういうときは、どうすればいいのだっけ。ぼくは考えて、分からなくなってやめた。彼女は気まずそうにその場を動けずにいる。この子から離れたほうがいいかもしれない。ぼくはふとそう思って、だけれどぼくも動けずにいることに気付く。
「あの」
ぼくは彼女に話しかけた。あたりはしんと静まり返っている。でもそれはぼくの主観であって、彼女にとっては騒がしい人混みのなかなのだろう。そのためにぼくの声はかき消されてしまったようだ。ぼくは諦めずに、もう一度「あの」と言う。
二度目は気づいてくれた。不思議な目をしてぼくを見る。
「あの、助けてください」
いま、ぼくの声が届くのは彼女しかいなかった。実際には、お父さんにも、おじさんにも、ぼくの声は届いている。しかし届くというその実感が、いまのぼくには欠如している。彼女を介さないとぼくはアウトプットができないでいた。
「あの」
また声を出そうとしたとき、ちくちくと胸が痛くなり、視界がじわじわと閉じていった。