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シミュラクール・フェミニクール  作者: 小伏史央
プロローグ(前)
1/6

01:素粒子意識

 暗黒物質が圧縮される光景を、ぼくは見たことがあった。それは空気が握りつぶされるよりも変化の乏しい光景だった。いや、それはぼくが、空気、というものよりもこの宇宙全体に漂う暗黒物質のほうが、なじみがあったからなのかもしれない。体積が縮小され気体だった水が液体になる、あの圧縮空気のように、暗黒物質は一点の間に押し込まれた。しかし空気とは違って、そこからなにか、可視的なものが出てくるわけではない。

 あるときぼくは太陽だった。あたり一面の天体を飲み込んで、腹をさすっている太陽だ。げぷー。ぼくの外層からガスが漏れ出てくる。あ、もう広がり切ったんだ。ぼくは割れた風船のように体をまき散らした。ぼくの中心部に、いつの間にか白色矮星が生まれている。ヘリウムや酸素が高圧で押し込まれている。外層のぼくは中心のぼくから離れて次第にエネルギーを失っていき、中心のぼくは、生まれたての老人のようにじっと銀河の流れに身を任せていた。飲み込まれることのなかった木星型惑星が、新しくなったぼくの周りを、こまめに公転している。

 さきほどぼくから放出されたガスが、銀河内に含まれているガスと混ざりあっていた。まだ混ざるだけのガスが残っていることに、ぼくは驚いた。一〇の一四乗年ほど経ったこの銀河としては、もはや新たな星を作るほどのガスは残っていないはずだからだ。ぼくは、末裔の太陽。この銀河で最後の、核燃焼を起こす天体だった。それも、白色矮星になった今ではもう過去のことだけれど……。核燃焼が起こらなければ、もはやここは冷えるばかりだ。ぼくの体も急激に冷えていく。白色矮星が、黒色矮星になる。ぼくみたいに冷えてしまった中性子星がごろごろと、ぼくの周囲を暗黒に染めている。さっきまでいたはずの木星型惑星は、いつの間にやら消えていた。

 ああ、そうだ。このままこの銀河は滅んでしまうんだ。このまま一〇の四乗年もすれば銀河の中心にあるブラックホールが、ぼくや星の残骸を飲み込んで、大きく成長していくのだろう。そしてこの銀河はブラックホールと冷えた星しか存在しない極寒の屑籠になるのだ。

 そのままほんの少しだけ時間が流れた。ぼくの悲観したとおり、ぼくの銀河は暗黒世界になっていた。しかしここで、ぼくは自分のちいささを知った。これは銀河だけの問題ではなかったのだ。

 原子核の崩壊が始まった。バランスが崩れ、原子核から中性子が逃げていく。中性子は原子核から自由になると、すぐさま陽子に転換した。無防備になった暗闇のなかでは、クォークと電子が移り変わる。その力が働いて、陽子はいともあっけなく壊れてしまい、中間子とニュートリノになってしまった。陽子の崩壊が起きれば原子核は姿を消してしまう。

 宇宙全体の物質が、消滅した。銀河も、星も、なにもかも、その姿を消してしまった。もはや宇宙に残っているものは光子やニュートリノ、陽電子といった素粒子ばかりで、ぼくも、このときは素粒子になっていた。

 宇宙全体に存在している暗黒物質だけは、変わらずそこに存在しているようだ。暗黒物質は他の粒子とまったく相互作用を起こさない物質だから、宇宙が崩壊する局面においても置いてけぼりにされたのだ。暗黒物質なんてそもそもぼくには見えなかった。

 そんなときに奇跡が起きた。

 物質の消滅したはずの宇宙空間に、突如知的生命体が――テラ型の〈ヒューマン〉が目の前に現れたのだ。個体はふたつだった。彼らは宇宙服や保護シールドを纏うこともなく、星さえも存在できない宇宙を駆け巡る。まるで映された影のように、人形劇の人形のように。ぼくは二人に釘付けになった。光子やニュートリノや陽電子が、二人のヒューマンに注目した。一人は剣を持っていた。一人はなにも持っていなかった。一人は男だった。一人は女だった。男が女に切りかかる。それを巧みに躱した女は、男をねめつけ後じさる。男がなにかを叫んだ。女は首を振る。女が両腕を突き出した。

 暗黒物質が圧縮される光景を、ぼくは見たことがあった。それは空気が握りつぶされるよりも変化の乏しい光景だった。なにが起こったのかもわからないまま、孤独の物質は押し固められた。すぐさま男がそれを切りつけた。暗黒物質が破裂する。粒子の作用を受けないはずの暗黒物質が、男の剣を受けていた。

 宇宙にざくりと穴があく。

 それから、それから……。

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