第2話 カオリ・エヴァンズ②
「この人が俺の師匠だ! 名前はカオリ……えっと」
「エヴァンズだ」
初対面の子供を怖がらせるのも気が進まなかったので、カオリはつとめて柔らかい口調で自己紹介をした。
だが、慣れない笑顔のせいかどこかぎこちなさが残っていたのだろう。
少女の方はおずおずといった感じで、少年の方は驚きの表情を浮かべてカオリの顔を食い入るように見つめている。
「実在したんだ……『師匠』」
そう漏らしたのは少年の方である。
ジルよりはだいぶ図体がでかい。160センチはあるだろう。ジルと同じくらいの年齢なのだとしたら、かなり大柄な方だ。
身体の大きさに反して温厚そうな顔立ちである。ジルが猫やヒョウのようなイメージだとしたら、この少年はキリンに近い。
「どういう意味だよ、クラウ」
「いや、そのまんまの意味。てっきりジルの想像上の人物だとばかり思ってたから」
「あ、馬鹿にしてんだろ」
「してないよ。本音を言っただけ」
ジルよりは精神年齢が高そうな様子である。
子供2人のやりとりをカオリがぼーっと眺めていると、ジルはそれに気付いたようで、
「紹介するよ、師匠。この2人は俺の親友。こっちのノッポがクラウ。クラウスって名前なんだけど、みんなクラウって呼んでる。それからこっちの大人しいのがリリィ。引っ込み思案だけどいい奴だから」
「クラウスに、リリィか」
「よろしくお願いします、エヴァンズさん」
手を差し出してきたのはクラウスだ。
「カオリで構わない」
「いえ、目上の人に対しては経緯を払わねば」
「いいって。堅苦しいのは嫌いなんだ」
「いえ、そういうわけにはいきません。エヴァンズさん」
「やめろよ。くすぐったいだろ」
「いやです」
「……」
礼儀正しいが、なかなか頑固な少年のようだ。
もう1人の少女、リリィの方に顔を向けると、彼女はびくりと身体を震わせた。
引っ込み思案というよりは、単に怯えているだけのようにも見える。
ジルが猫、クラウスがキリンだとしたら、リリィは兎だ。
「えっと」
「……」
「か、カオリ・エヴァンズだ。よろしくな」
「……」
カオリが差し出した手を見たまま、リリィは固まっている。
怖がらせてしまっただろうか。
と、カオリが不安に思っていると、リリィはおそるおそるカオリの手を取った。
「リリィです……あの……よろしく、お願いします……」
少女はぎこちなく微笑む。
「……!!」
その瞬間、カオリの身体に電撃が走った。
(な、なんだこのカワユイのは……!?)
「? どうか……しましたか?」
「い、いや……なんでもない。よろしくな、リリィ」
慌てて取り繕うカオリを、リリィは不思議そうに首を傾げて見つめている。
(……!?)
カオリの中に母性が芽生えた瞬間だった。
そんなこんなで、ひとまず自己紹介は無事終了した。
「で、なんであたしをこんな場所まで連れてきたんだ?」
「そうそう、それだよ師匠」
ジルは実に嬉しそうな表情を浮かべている。
大人がいたずらに引っかかるのを待ちわびる悪ガキの表情ともいえる。
「……罠とかじゃないだろうな」
「まさか! そんなん師匠なら簡単にかわしちゃうでしょ。そういうのはナッシュとかにやるから面白いんじゃん」
随分と高評価のカオリだった。
そして、カオリの中でのナッシュの残念度がまた少し上がった。
ジルにすら舐められているとは。
「いいから来て! きっと驚く」
「なんだ? ここじゃないのか」
「すぐそこだよ!」
そうしてジルに連れて行かれた先あったのは、大きめの洞穴と、その入り口に立てつけられた簡素な東屋――
いわゆる秘密基地だった。
***
驚いたことに、東屋はカオリの想像よりもはるかに快適だった。
まず、涼しい。
初夏ともなれば盆地一帯には蒸し暑い空気が沈殿し不快指数が高まるのだが、この東屋はちょうど木陰になるため直射日光も当たらず、また風通しもよいので実に過ごしやすい気温が維持されるのだ。
それから、備品が結構充実している。
どこから持ってきたのか、切株でできた椅子やらテーブルやらが完備されており、蔦でできたハンモックまである。
村の田んぼで採れたと思われる野菜や果物、お茶の葉もあるので、昼下がりのティーブレイクには最適だ。
ややサイズの小さいハンモックに揺られながら、カオリは休日を満喫していた。
「なあー、師匠ってばあ」
あとはこの小うるさい子供さえいなければ……
そんな考えがカオリの頭をよぎるが、そもそもこの秘密基地は彼らのものだ。使わせてもらっている以上、持ち主のことは尊重しなくてはならない。
「なんだ、ジル」
「クラウにも見せてやってくれよ」
「なにを」
「接続機関使うとこ」
ジルの答えに、カオリは深くため息をついた。
どうもジルは接続機関に並々ならぬ思い入れがあるらしい。
ふと見れば、クラウスもリリィも興味津々な顔でカオリの方を見ている。
これは一度はっきり説明しておいた方がいいかもしれない。
「いいか、お前ら。接続機関ってのは機密兵器だ」
「「……!!」」
機密兵器という言葉に3人ともが反応する。いかにも子供が好きそうなワードだ。
その気持ちはわからないでもない。
「機密ってのはどういうことかわかるか、クラウス」
「他人にペラペラ喋っちゃだめ、ってことですか」
「その通り」
カオリはちらりと右手に目をやる。
「だから、接続機関について部外者にあれこれ話すのは禁止されてるんだ。もちろん、使い方だって色々制限されてる」
「色々?」目を輝かせて相槌を打つのはジルだ。
「そう。たとえば、非番の日は緊急時以外、端末を起動させちゃいけないとか」
「今日じゃん」
「そう。だから、お前らに接続機関を使ってみせてやることはできない」
「「そんなあ……」」
ジルとクラウスが声をそろえて呻く。リリィも声には出さないが残念そうに目を伏せている。
カオリは胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
「……他にも、色々制限がある」
実際に使ってみせることはできないが、もう少し詳しく話しても問題はあるまい。
カオリは説明を続けることにした。
「他って」
「そうだな。お前ら、端末の起動方法って知ってるか」
「起動方法?」
ジルが疑問の声をあげる。まったく心当たりがないようだ。
「『接続』って命令を発する以外になにかあるんですか?」
クラウスはジルよりは詳しいようだ。
「半分正解、だな」
「……こ、《発動莢》を、端末に装填する……とか」
「ほう」
意外なことに、カオリの問いに正解したのはリリィだった。
ジルとクラウスも驚いたように口をあけて彼女を見つめている。
「正解だ。よく知ってたな、リリィ」
「……えへへ」
(可愛い……)
照れくさそうにはにかむリリィの頭を撫でながら、カオリは説明を続ける。
「リリィの言う通り、端末は発動莢と呼ばれるカートリッジを装填しないと起動しない。では、この発動莢とはなにか。簡単に言えば、発動する能力の種類を規定するための指令データだ」
「発動する能力、ですか」
「接続機関で使用できる特殊能力は多岐にわたる。《強化》は肉体の強化、《旋風》なら風力操作、あとは……《電光》の電流操作とかもあるな」
「電流操作? すっげ! 師匠もできんのか?」
「だから、制限があるって言っただろう」
興奮して立ち上がったジルを座らせる。
「兵士のランクによって使ってもいい発動莢の種類が決まってる。あたしは下っ端だから、《旋風》や《電光》は使えない」
「なんだァ……」
あからさまに残念そうな声をあげるジル。他の2人も、声には出さないがガッカリが顔に出ている。
「それに、一度に装填できる発動莢の上限もランクによって制限される。ふつうの兵士は一度に1つの発動莢しか装填しちゃいけない。だいたいの兵士がこの《初級》兵士だ。別の能力を発動させたいときは、その都度発動莢を再装填する必要がある。ちなみに、うちの駐屯兵団ではレイトン団長だけが2つ同時に装填できる《中級》兵士。その上に、3つの発動莢を同時に装填していい《上級》兵士と、そもそも装填上限のない《特級》兵士がいる」
「エヴァンズさんは、《初級》なのですか」
「そうだな。一度に使っていいのは1個だけってわけだ」
「その口ぶりだと、能力的にはもっと使えるように聞こえますが」
「……まあ、養成所にいたころは、4つ同時発動まではできたけどな」
カオリの発言に、3人は一斉におおーっと感嘆の声を漏らす。
悪くない気分だった。
だが、ここで話を終えてはちゃんと説明したことにはならない。
カオリはコホンとひとつ咳払いをすると、説明を続けた。
「とはいえ、今は1つしか使えないってのも事実だ。各端末は防衛軍の支部局で完璧に管理されてるからな。ロックもかかってる。不正使用は隠し通せない」
「支部局にバレたらどうなるんですか」
「そうだな……まあ、非番の日に使っちまったって方は、始末書程度で済むかもしれないが。装填上限の無視は――端末をハッキングしてアンロックしなきゃならないってのも考えると――厳罰に処されるだろうな」
「厳罰?」
「最悪、国家反逆罪で死刑だな」
「「し、死刑!?」」
3人の顔が一瞬にして青ざめる。
「それが機密兵器ってやつさ」
単なるオモチャなら苦労はしない。
これは遊びではない。れっきとした戦争なのだ。
「師匠……」
「なんだ」
「ぜ、ぜったい使うなよな、接続機関」
「わかってるよ」
ともかく、これで無闇やたらと接続機関を使うようにせがまれることもなくなるだろう。
決して嘘はついていない。
事実、接続機関は子供が興味本位で触れていいものではないのだから。
***
釘を刺したおかげか、それ以降3人がカオリに端末を起動するように言ってくることはなくなった。
だが、相変わらず非番のたびに修行のお誘いは続いていた。
カオリがジルと知り合って数ヶ月が経った、夏の終わりのある日のことである。
カオリは東屋でリリィの淹れてくれたお茶を飲み、くつろいでいた。
「うまい」
「……ほんと、ですか?」
「ああ。本当にうまい」
「それ……私の家で採れたお茶です……」
「リリィの家はお茶農家なのか」
「お茶とか……ほかにもいろいろ」
「へえ」
安らぎのひとときである。
この数ヶ月でわかったことがいくつかあった。
まず、ジル。
ジルには並外れた身体能力があった。
体格には恵まれていないようだが、まだ十歳だ。成長期を迎えればどうなるかはわからない。
野生の勘ともいうべき判断力・瞬発力と、それを支える卓越した身体統御能力がジルには備わっている。
実に軍人向きの体質だ。
そして、どうやらジルも軍人という職業に憧れを抱いているらしい。
「平和のために戦う正義の味方だぜ! かっこいいじゃん!」
とは、ジルの談である。
ジルは、よく言えば素直、悪くいえば単純な子供だ。
だが、カオリはそんなジルの気性をわりと気に入っていた。
程度の差こそあれ、兵士に憧れる気持ちを昔のカオリも抱いていたからである。
次に、クラウス。
こちらはジルとは真逆の、難しい子だった。
表面上は実に人当たりがいいのだが、本音を隠しているような雰囲気がある。
端的に言えば、カオリとの間にいまだ壁がある、ということだ。
ジル同様、兵士に憧れる気持ちはあるらしい。カオリが養成所時代の思い出話や接続機関の話をするときは、いつも興味津々で聞いている。
だが、ジルとは違いその気持ちを素直に表に出すことはない。
背は高く四肢も長い。体格には恵まれているのだが、ジルほどの運動神経がない。もっとも、それでも平均並みではあるのだが、本人にとってはそのことがコンプレックスらしい。
ジルに対して一歩引いたようなところがある。
カオリがジルに稽古をつけているときでも、たまに参加してはすぐやめるといった具合だ。
頭の回転の速い賢しい子なだけに、思うところもあるのだろう。
そして、リリィ。
初対面のときには完全に怯えられていたが、最近ではわりと話すようになった。
ジルやクラウスが山で遊んでいる間、東屋でくつろいでいるカオリの話し相手はリリィである。
リリィは読書家で、博識だ。
赴任してきたばかりの頃、カオリはこのアリアスの村が自給自足で成り立っている閉鎖集落だと思っていたが、実際にはそういうわけでもなく、外部とのやりとりも少ないながらもそれなりにある。
リリィたちのような子供が村の外へ行くことはほとんどないが、村を訪れた人が持ってくる本なんかを読んでいるそうだ。
接続機関や発動莢の知識も、本から仕入れたという。
自己主張をすることはあまりないが、自分なりにいろいろと考えているようだ。
他人を気遣うのも上手い。
それゆえ、ジルやクラウスにも認められているのだろう。
「あの……私の顔になにかついてますか」
「いや、お前はジルたちと一緒に遊ばなくていいのかと思って。あたしのことなら別に気遣わなくてもいいんだぞ。1人は嫌いじゃない」
「私は……ジルくんたちといても足手まといになっちゃうから……」
だが、本人は自分に自信がないようだ。
カオリにしてみれば、ジルやクラウスなどよりもよっぽど素直でまじめないい子だと思うのだが。
「なんならリリィのことも鍛えてやろうか」
「私は……いいです。ドジなんで」
「そうか? ま、動きたくなったらいつでも言えよ」
リリィの淹れたお茶を飲み干したカオリは、一眠りしようとハンモックに手をかけ――
「師匠! 大変だ!」
東屋に駆け込んできたジルのせいで、昼寝の計画はご破算となった。
***
「クラウが落ちた!」
走ってきたのか、ジルは息を切らせながら短く言った。
「は? 落ちた?」
「うん」
「落ちたってどういうことだ。それだけじゃわかんないだろ」
「だから、落ちたんだよ! 助けてよ!」
「まてまて」
動転したジルの言うことはいまいち要領を得ない。
「……落ちたって、どこから?」
リリィが間に入ってジルに尋ねる。
「そこの崖から」
「崖!?」
「いいから、とにかく来てってば!」
ジルはカオリの手を掴んで走り出した。
ジルの言うとおり、クラウスは崖の下にいた。
正確には、ぶら下がっていた。
切り立った崖の壁面にから延びた気の枝にかろうじて掴まっている状態だ。長くは保たない。
「師匠に教えてもらったフリーランニングってのを2人で試してたんだ……そしたら、急にクラウがいなくなって」
フリーランニングとは、岩や気の枝を飛び回って道なき道を行く技術のことである。
『修行』の一環として、カオリがジルとクラウスに教えたのだった。
「この辺りは地形が険しいから気をつけろと言っただろ!」
「気をつけてたけど落ちちゃったんだよ!」
「――ッ! この馬鹿!」
カオリは迷うことなく端末を起動させた。
「接続――《跳躍》!!」
次の瞬間、カオリは軽やかに崖下に向かって飛び降り――空を蹴って方向転換した。
そのまま空中を跳ねるようにしてクラウスのもとにたどり着く。
「つかまれ」
「え、エヴァンズさん……」
「なんつー顔してんだ、クラウス。ほら、行くぞ」
カオリはクラウスを脇に抱えると、透明な足場があるかのように空中を駆け上がった。
その様子を、ジルとリリィはあっけにとられて眺めていた。
「し、師匠……なんだ? 今の」
「空……飛んでた……」
「《跳躍》……身体――主に足の裏にかかる力学エネルギーのパラメータを操作して、空中で自由に動き回る能力だ」
「ぱ、ぱらめーた?」
「……力の大きさとか、向きとかを数字で表したものだよ。簡単にはな」
「???」
2人の頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。
ジルは当然のことながら、リリィにもさすがに難しかったようだ。
(まあ、まだ10歳やそこらだしな)
「あの……降ろしてもらってもいいですか」
クラウスを脇に抱えているのを忘れていた。
「……ああ、悪い」
「いえ……」
クラウスはカオリの脇に立つと、服の汚れをパンパンと払った。
顔はまだ若干青い。
「あの……ありがとうございました」
クラウスは深々と頭を下げた。
「この辺は危ないから近づくなって言ったろ」
「すいません……僕もそう思ったんですけど、ジルがどんどん先に行っちゃって――」
「あ! おい、俺のせいかよ! バカクラウ!」
ジルが慌てた様子で口を挟む。
「――負けたくなかったんです」
クラウスの口から出た言葉を聞いて、カオリは面食らった。
そんなことを言うとは思ってなかったのだ。
初めて聞くクラウスの本音だった。
「僕がジルに張り合おうとしたせいで……接続機関を使わせてしまって」
「……気ィ遣い過ぎなんだよ、ガキのくせに」
カオリはにやりと笑うと、クラウスの頭をわしゃわしゃと撫でた。
カオリとほとんど同じ身長のクラウスは、猫背になった状態で、なすがままにされている。
「そんなもんはな、あたしが始末書書けばいい話なんだよ。みんなを助けて村の平和を守るのが、あたしたち駐屯兵団の使命だろ」
我ながらクサいせりふだ、と自嘲気味にカオリは鼻を鳴らす。
「か、カッケー!!」
「かっこいい……」
だが、ジルとリリィの目には格好良く映ったらしい。
そしてまた、クラウスの目にも。
「……ありがとうございます、『カオリ師匠』」