航時屋
一度だけ、過去を変えられるなら貴方はどうしますか?
航時屋
それは一度だけ、過去を、人生をやり直すチャンスをくれる。そんな不思議なお店。
どこにでもあるし、どこにも存在しないお店。
「ねぇ、知ってる?」
ある高校の昼休み、少女は幼馴染みの少年に話しかける。だが少年は素っ気なく、
「何をだよ」
答える。
「航時屋よ、航時屋、一度だけ過去を遡って一つだけやり直させてくれるってやつ」
「どうせまたガセだろ、下らねぇな」
「それがさ、ホントに人生やり直した奴がいるって話なんだ」
「だからそれが釣りなんだって」
少年は少女の言葉を信じない。
「君はやり直したいことってないの?」
唐突に聞かれた、いや話の流れから少しは予想できたかもしれない。
「いや、無いことはないが………」
答えると少女は嬉しそうに少年の肩を叩く。
「じゃあ放課後行ってみようよ、この学校から近いらしいからさ」
そう言って、少女はその話を区切った。
少年達は裏路地を歩いていた、先ほど話をしていた少年と少女の二人組だ。
「あった、これじゃない?」
少女がある扉を指差した、そこには張り紙があり、『航時屋、過去をやり直したい者へ、一度だけ叶えましょう。』、と書かれていた。
「入ってみようよ」
「不気味だし止めとかねぇ?」
「別に止めないよ、でも帰るなら一人で帰ってね」
「仕方ねぇから、取り敢えず中を見てからな」
二人は慎重に扉を開ける。
ギィ
と、まさに古くなった扉が開いた。
中は普通のアンティークショップのような風貌な内装だった。その中に少年が一人立っていた。少年は二人と同じような歳に見える、彼も客なのだろうか?
二人がそう思っていると、少年は二人に近づき、挨拶をした。
「ようこそ、航時屋へ。どんな過去を変えに?」
少年の声はテノールのようなくらいの高めの声、そして、少年の質問はまさにこの店の店員のような反応。
にこり、と笑いながら、再び二人に話しかける。
「自己紹介をしましょうか、僕はこの航時屋の店主の珀矢です」
「君が店主なのか?」
「はい、そうですよ。もっとも、この店に店員なんていません」
二人は一歩下がり、小声で話始める。
「やっぱガセじゃねぇの?」
「そうだね、ガセかも」
珀矢と名乗った少年は二人をじっと見ている。まるで何かを見透かそうとしているような…………
次の瞬間、珀矢は笑いながら二人に聞く
「どんな過去をやり直すんですか? 南伊織さん、それに泰成一樹君」
小声で話し合いをしていた二人は同時に目を見開く、この店主に二人は名前など言っていない、なのに、店主は二人の名前を呼んだ。
その瞬間、南伊織と呼ばれた、一樹を連れてきた少女は目を輝かせて聞く。
「ねぇ、ホントに過去をやり直せるの?」
「おい、伊織、こんなのただの騙しだって、もういいだろさっさと帰るぞ」
「南伊織さんは残るのですね?」
「なんか気になるしね」
店主は変わらぬ笑みを浮かべて問う。
一樹と呼ばれた少年は寒気を感じて、速くここから出たくなった。そして、早足に扉へ向かう。扉に手をかけたところで、振り返る、そして伊織に、友人に、一言言って扉を開ける。
「残るってんなら止めねぇが、また明日な」
何故か不安になったからだ、自分でもわからない。でもきっと明日すぐに会える。
そう思いながら店から、航時屋から出ていった。
伊織は、うん! と言って、一樹を見送った。
店主は変わらぬ笑みで一樹を見送る。
「さて、貴方はどんな過去を変えたいのですか?」
店主の笑みは段々変わっていく。優しそうな笑みから冷たい微笑へと…………、隣の少女は気付かないまま、答える。
「私は……………」
数分後、航時屋の中に少女の姿はなかった。
店主の、珀矢の声が聞こえた。
「ご利用有難う御座います。過去を変えるのは自らの役目です、どう変わるかわ自分次第ですよ。叶えるのは一度だけ、もう一度は存在しません」
声と共に珀矢は消えていく、まるでそこには人など存在しなかったかのように…………
ここは、航時屋から先に帰った少年、一樹の自宅の部屋。
一樹は少しばかり不安にかられていた、店を出た後、一樹は伊織にメールを送っていた、何か嫌な予感がしたから。そして、数時間経つのだが伊織からの返事は全く無い。
いつもは何だこいつは? って言うくらい直ぐに返信が来るのだが、伊織にしては遅いような気がする。
「まぁ大丈夫か、そんなに心配しなくても」
一樹は自分に言い聞かすかのように声を発して、気を紛らせようとしていた。 と、そんな瞬間に、携帯の着信が鳴り響いた。
「おせぇっての」
不安が安堵に変わったのか、笑いながら携帯を開き、メールを確認する。
そこには一樹の安堵を再び不安に変えるような文章が書かれていた。
『一樹、約束守れないかも………』
一瞬、一樹は、理解できなかった。『約束』、数時間前、あの店を出るときに言った言葉のこと、ただ『また明日』それが守れない。そう思うと、一樹はあの店で感じた寒気と同じものを、今感じた。
まさかな、と思いながら、大丈夫だ、そうメールを返信し、ベッドに横になった。
案の定、直ぐに眠気は来た。目を閉じればいつでも寝れそうな気がしていた。だが、目を閉じ、明日になれば何かが変わっているかもしれない。そう思って、一樹は深夜まで、寝付くことが出来なかった。
朝、その日は雲一つ無い快晴。一樹は目を覚ます。ふと、何かに違和感を覚える、それが何なのかは判らない。でも嫌な予感しかしなかった、嫌な天気ではないわけじゃない、気分が優れないわけでもない、ただ何かに違和感を感じた。
「んだよ、目覚め悪りぃ」
自分しかいない部屋の中、一樹は悪態付く。
そして、一樹は再びあの店のことを考え出す。
あの場所は裏路地の中でも、特別雰囲気が違った。恐怖というものではなく、どこか、絶望を見てしまったみたいに感じた。
何か暗く深い、深淵を模しているようだった。
「一樹〜! さっさと起きなさい」
一樹の思考は声によってかき消される。仕方なしに一樹は声に答え、普段から着ている制服に着替える。
いつもと同じ朝、代わり映えの無い朝。普段はなにも違和感など感じない、だが今日は違う。朝から感じる訳もわからない違和感。それを拭うかのように一樹は家を飛び出す。
理由は簡単だ、学校に行けば、伊織に会えばこの違和感は消える。そう思っていた。確証など無いが、それしか身に覚えなど無いから…………
「行ってくる!」
一樹の通うのは小高い丘に建つ高校。朝からハードな坂道を歩かなくてはいけない以外は普通の学校と何も変わらない。そして、もう二年もこの道を歩き、高校へと行っている一樹にとっては、何も問題はない。それは、この高校に通えば、皆共通なのだろう、平然とした顔で坂を上る学生が一樹の隣を通りすぎたりする。
一樹は坂を上りきり、自分の教室へと向かう、時間は問題ない。まだ予鈴がなるまで二十分近くある。
一樹は教材の全く入っていない鞄を机に置き、辺りを見回す。案の定、探し人の姿はない。
探し人、それは伊織。彼女に会えば違和感が消えるはず、だから一樹は探していた。
予鈴五分前になっても現れない伊織、仕方なく一樹は近くにいた伊織と仲が良いらしい少女に聞いた。
「なぁ、伊織を知らねぇか?」
少女は一樹の問いに答えた。しかしその答えは、一樹をより不安にする。
「伊織? 誰それ?」
「はぁ? 南伊織だよ、お前いつも一緒にいなかったか?」
「誰のこと言ってるの? 泰成君大丈夫?」
おかしい、一樹はまず、そう思った。そう、一樹の事を知っているのに、伊織の事を知らないはずがない。一樹は自慢じゃないが女の子と話すのは得意じゃない。だから、女の友達なんて伊織位しかいないはずだ。
この少女だって、伊織を介して知り合った程度だ、そしてその伊織を知らない?
一樹は意味が分からなかった、この少女は嘘を言っているようには見えない。それを感じ、一樹は考え出した。しかし、チャイムによって思考はかき消された。
いや、チャイムのせいではないのかもしれない。一樹は席に座り、考えようとするが、ずっと頭の中を支配している違和感が拡大していき、何も考えられない。
担任が教室に現れるが、席は一つだけ空いている。それは伊織の席。
しかし、担任も、クラスメイトも、その空席を気にも止めない。まるで最初から存在しなかったかのように………………
時間は過ぎ、現在は昼休み。いつも一樹に関わってくる伊織は来ない。担任は休みとも忌引きなどと全く言わなかった。今となっては、伊織が本当にこの場にいたのか、それすら分からなくなってきているような気がしていた。
しかし、突然声が聞こえる。それは一樹の背後から。
「ようっ! 飯食うぞ」
彼は一樹と伊織の関係と同じ二人の幼馴染み。辰宮正也、よく一樹と伊織と三人でいることが多い。
三人は物心付いたときにはすでに、一緒にいた。それは変わらない。
だから一樹は正也に聞いた。
「なぁ、伊織知らねぇか?」
「あん? 今日は休みなのか? 俺は聞いてなかったけど…………」
「わかんねぇんだよ、よく伊織と一緒にいた女子、えっと山名っているだろ? あいつがさ、伊織をしらねぇって言ってんだよ。それに担任も伊織の空席を全く気にしねぇし」
一樹は今まで感じていたことを正也に言う。その言葉に対し、正也は「メールでもしてみろよ」、と言った。しかし、一樹はすでにそれは試している。しかし返事は返ってこない、電話なら繋がりはするはず、しかし伊織が出ることは無かった。
それを通して話すと、正也は、俺もかけてみるわ、と言って携帯を手に取り、慣れた様子で電話をかける。
数分後、正也は携帯をしまう。やはり正也が行っても、一樹と同じ結果にしかならない。伊織は出ない、正也は心配そうに呟いた。
「何かあったかな?」
一樹は再びあの寒気を感じた。あの航時屋に入ったときに感じた寒気…………
突如、一樹は声を張り上げる。
「そうだ、航時屋だ! そこでなんかあったに違いない」
「はぁ? 航時屋? 何だよそりゃ」
「伊織が昨日、そこに行こうって提案したんだ」
「んでそこになんかあるかもってか、んじゃ、行ってみるか」
「は? 今からか?」
「当然! 授業なんてどうせ寝るだけだし」
正也は立ち上がり、一樹を促す。一樹もしぶしぶ立ち上がり、教室を後にする。昼休みに学校を出る生徒など当然ながら存在せず、二人はこそこそと正門から出て行く。
「んで、どこなんだ?」
一樹は昨日、伊織と共に行ったあの店の場所を思い出そうとする。
しばらく、考え込むと、一樹は歩き出した。目的地は昨日と同じ、航時屋、二人は歩いていく。
昨日と同じ、裏路地の中、二人はある扉の前に立っていた。その扉には、『航時屋、過去をやり直したい者へ、一度だけ叶えましょう』と書いてある張り紙が張られている。
正也は小声で一樹に問う。
「ここか? いやに不気味な場所だな」
そう、その場はどこか昨日とは違っていた。何が違うのだろう、場所は変わっていない、裏路地も変わっているわけじゃない。ただその場の雰囲気が緊迫しており、異様に感じる。それだけだ。
そんな中、正也は張り紙の張られている扉を開く。
ギィ
という音とともに、古くなったであろう扉が開く。
内装も昨日と何も変わっていない。アンティークショップのような店内の内装、そしてその中央に立った一人の少年。
昨日、この店の店主と名乗った少年。珀矢という不思議な少年。
珀矢は二人に対し、昨日と同じ対応を取った。さも自分は二人とは初対面であるといいたそうに。
「ようこそ、航時屋へ。どんな過去を変えに?」
珀矢は顔色一つ変えずに笑みを浮かべながら二人に、一樹に言う。
「自己紹介をしましょうか、ぼくは」
「自己紹介なんていらねぇ」
一樹は珀矢の声を遮って声を上げる。
その声に、十数年間のともにいた正也でさえ、少しばかりたじろいだ。こんな声を、こんなに低く怒号のこもった声など正也は知らない。一樹は生来、穏やかな少年だった。だからなのか正也は、こんな声など聞いたことなど無い。
しかし、珀矢はそれでも顔色一つ変えずに、微笑みながら話し出す。
「ええ、いらないでしょうね。二日も連続できたのは君が始めてですよ、泰成一樹君」
「ああ、きたくは無かったがな」
一樹の声のトーンは一向に落ちる気配は無い。
そして、少しばかり遅く、我にかえった正也が、用件を簡潔に述べる。
「テメェは伊織をどうしやがった!」
「伊織………ああ、昨日のお客さんですね。どうって、過去の改ざんに出してあげただけですよ」
「なら、伊織は今どこにいるんだ?」
そんな一樹の問いに、珀矢は変わらぬ笑みを浮かべて、答える。
その言葉は、一樹を、正也を地獄に落としたような一言。
「どこ、ですか。フフッ、もうこの世界には存在しませんよ。それに彼女は禁忌を破りました」
一瞬、時が止まった。
二人とも意味がわからなかった。『存在しない』確かに珀矢はそう言った。そして『禁忌を破った』とも言った。禁忌…………それがなんであるか二人は知らない。だが存在を無くならすほどの禁忌とはなんだろうか。確かにこの少年は特別な力を持っているのかもしれない。
それを使用して過去の改ざんを行っているのかもしれない。だけど…………
二人は考えた。思考することすら難しい状況の中。
均衡が続く、しかしそれはすぐに破られる。この店の店主、珀矢によって。
「僕がチャンスを与える過去の改ざん、それには一つばかり約束があるのですよ。それは過去の自分との接触」
珀矢の話を聞きながら、ふざけている、そう思ったが今はこの少年を信じるしかなかったから、正也は質問をする。
「まて、ここは過去をやり直す場所なんだろ? なら過去の自分に接触することがいけない事ならどうやって過去をやり直すっていうんだよ」
「説明はまだ続いているのですよ、ちゃんと聞いてくださいよ」
珀矢の笑みが始めて、人を見下したような笑みに変わった。
その瞬間、二人は黙る。
「さて、静かですし、説明を始めましょうか。
先ほど、過去の自分との接触、とまで言いましたね。
では続きです。
過去の自分との接触といっても、それは生死に関わることでの接触のみです。それを彼女は破ったんです。そして彼女の過去改ざんは途絶えました。そしてこの場に帰ってきました。その後、過去がどんな状況であったかは言いませんが、過去の彼女は死んでしまった。ゆえに彼女はこの世界から消滅しました」
珀矢は禁忌により伊織が死んだのではないと言った。伊織は過去の自分が死んでしまったため消えてしまった。
「だから、この世界にある彼女の記憶は、すべて消えるはずだったんですがね」
二人は黙って珀矢の話を聞き続けていた。いやもしかしたら、二人はすでに話しを聞いてなかったのかもしれない。
珀矢は静かに近くに存在する椅子に腰掛け、ティーカップを手に持つ。
静寂、それがこの場を支配していた。
そしてこの静寂を破ったのは珀矢ではなかった。
「おい、過去を変えられるんだよな」
「ええ、過去の改ざんの道しるべ、それが僕の仕事ですから」
表情から何も読めそうにない笑み。それが可笑しく笑っているのか、皮肉として笑っているのかまったくわからない。
しかし、一樹にとってそんなものどうでもよかった。一樹はただ珀矢に聞いた。
「過去の改ざんの代償は?」
「そんなものありませんよ、お金が欲しいわけじゃありませんし」
「なら何でこんな事やってんだよ」
「それが仕事ですから」
意味がわからない答え。正也は理解できずに悩む、しかし、悩むことなど正也の嫌いなこと。だから簡単に答えを出した。
「俺の過去の改ざ」「無理です。あなたは一度それを行っています。自分で覚えてなどいないでしょうがね、辰宮正也君」
再び、名乗ってもいない正也の名前を言い当てる。名乗ってもいないは正確ではないのかもしれない、珀矢は先ほど正也が過去の改ざんを行ったと言ったのだから。
そして、正也のやろうとしていた事を、一樹が言う。
「俺の過去の改ざんを行え、伊織の行った時間に、伊織が存在する時間に送れ!」
「ええ、そうしましょうか、では仕事を開始します。さあ、まず契約を行いましょうか」
そう言って、珀矢は一つの紙を取り出した。そして正也に対し
「さて、仕事の邪魔になるので、でていってもらいましょうか」
そう言って正也に手を伸ばす。
その瞬間、正也は扉をすり抜け、裏路地に倒れ付した。
「テメッ!」
「記憶は消させてもらいました。実行者が二度もここで存在することは許されませんから。さぁ契約です。まず禁忌を、っとこれは説明しましたね。次に…………」
一樹はしばらく話を聞いていた。これで本当に伊織が助かるのだろうか、わからないが。これに賭けるしかない。
「では時刻は彼女と同じ日時、同じ時間でよろしいですね?」
「ああ」
短く答える。
「では、ごゆっくり」
そう言うと、一樹の体は黒くなっていき、影に飲み込まれていく。
一樹は抵抗などせず、黙って目を瞑っていた。
「ご利用有難う御座います。過去を変えるのは自らの役目です、どう変わるかわ自分次第ですよ。叶えるのは一度だけ、もう一度は存在しません」
そういい残して珀矢は消える。
その場は広い公園のような場所、そこからは住宅街が見渡せる、小高い丘。そんな場所に一樹は存在していた。
突然、とあるアンティークショップのような店から、こんな場所に、移動した。これは本当に過去なのだろうか? そう思い、見覚えのある、いつも歩いているはずの道を歩き出す。まず、一樹が目指したのは自らの自宅。
小さいころに何度も駆けた、公園から自分の家までの道、少し思い出しながら一樹は歩いていく。
「あそこだな」
しばらくして、赤い屋根の家、シンプルなよくある屋根の色をした一軒家。それが一樹の家だった。
表札の前まで歩き、それを眺める。そこには自分の母親と姉そして自分の名前、そしてそこには今はもういない父親の名前。このころはまだ生きていたのだろう。
少しばかりボーっとしていると、扉が開き、中から小さい頃の自分と、正也がいた。しかしそこに、小さかった頃の伊織がいない。小さい頃、ほとんど一緒に遊んでいた三人、しかしここには二人しかいなかった。
そしてその少年達は表札の前に立っていた一樹にぶつかる。
「いった」
「ん? ああ、ごめんな」
「何してんだよカズ、早く行こうぜ! 俺んちで母さんとか待ってるぞ」
「わかってるよ」
そう言って二人は走っていく。その後、また扉が開き、自分の両親が出てきた。しかし、この場において自分は他人であらなければならない。だから一樹はすぐに走っていった。
そしてある角を曲がり、両親の会話を聞く。
「いやぁ、南はこれないんだな」
「ええ、伊織ちゃんも楽しみにしてたのにね」
「病気か、帰ったら見舞いにでも行こうか」
「そうですね、それに伊織ちゃんにお土産でもね」
そんな会話を聞き、一樹は自分の記憶をたどっていた。
どこかへ行った日、伊織がいなかった日、伊織の親父さんが寝込んだ日。いつだ、思い出せ! この日に何があった? なぜ伊織がこの時間を改ざんしようとした。考えろ、考えろ。
あのころの俺、多分六歳くらい、だとしたら十年近く前。何だ、何かがあったはずだ。
過去の俺はどこに行った?
一樹の頭の中にはすでにパズルのピースはそろっている。後はそれを組み立てるだけ。
……………………伊織の親父さん? あの人は今はいない、ならいつ亡くなった? 確かあの人は、ある日の放火事件の………そうか!
一樹の中でパズルが組み立てられていく。
そうだ、伊織がどうしても変えたい過去、あいつの母親はあいつを生んだときに死んだらしい、それを変える方法なんて無い。なら、変えたのは親父さんの死の過去。
だったら、今日この日の出来事、それは………………あいつの家の放火の事件!
急げ、あいつの家だ! 俺はこの日、正也と一緒に、山登りに行った。だったら俺はあの場にいない、助けるのは伊織、お前じゃねぇ俺だ! あいつが自分と、親父さんを助けようとした。そして禁忌に触れ、あいつが消えた。それによりあの火事の中、家に残されたお前と親父さんは死んだ。
まだだ、もう少し待ってくれ! 俺が着くまで。
でも何だ? 何か少し違和感がある、なんなんだよ。
一樹は走った、伊織の家へと。
まだ、放火されてはいない。だから、一樹は伊織を探す、きっとこの場にいる、そう信じている。だが気づいた、放火魔を探せばいいと。
伊織はたぶん大丈夫、火の手が上がらない限り伊織は来ない。そう理解すると一樹は伊織の家の周りを周り始める。
「いた! あいつだ!」
座り込み新聞紙を持っている男が、家の裏の狭い路地にいた。
そいつを止めようと近づくが、その男はまったく一樹に気づかない。
そして思い出す、珀矢の言っていたことを………
『禁忌の次にあることは簡単です、過去の世界であなたは自ら親しい者で無いと、触れることすら不可能です。ご了承下さい』
確か、珀矢はそう言った。
一樹は悪態づく、ここに犯人がいようと、自分は何も出来ない。そして人を呼ぶことすら出来ない。
自分の無力さに気づく。
「はは! どこが過去を変えるだよ、不可能じゃねぇか、親しい人間以外に触れられねぇ、話せねぇ。だけど自分の生死に関わることには干渉できねぇ。なんだよこれは、結局過去は変えらんねぇじゃねぇか! 伊織が生きていたのは火事のとき、俺が助けたから、親父さんが死んだのは俺に深い関わりが無かったから、触れられないから。結局、堂々巡りじゃねぇか」
その時に炎は育った。
育ちきった炎は家を飲む、伊織と伊織の父親がいる家を………
一樹は考えていたことを絶つ、今は自分の役目は、この時代に生きる伊織を助けること。
そう考え、家の正面に立つ。案の定、伊織が走ってくる。
「伊織! 止まれ」
「!? どうしてカズ君がいるの?」
「そんなことはどうでもいい、話は後だ。お前はここで待ってろ! 良いな」
「何で!? 私はお父さんの死を変えるためにここに来たのに」
「黙れ! 無理なんだよ、過去を変えるなんて。お前も知ってるだろう、自分に接触すれば消えてしまうと。そして、お前はそれでも親父さんを助けに行くのか? お前はきっと親父さんのすぐそばで看病してるよな。お前は炎の中、自分を救わずに親父さんだけを救えるのか?」
「それは………大丈夫だよ」
「無理だ、お前は俺たちがいた時代では消えてしまった。その意味はわかるだろう。」 「ならどうすればお父さんを助けれるのよ!?」
「無理なんだよ、結局過去を変えることなんて不可能なんだ。可能かもしれない、でもそれは人の生死がかかっていない時だけだ。だから、お前はここで待ってろ」
そう言って一樹は燃え盛る家の中へと入っていく。
「ミスったな、どこに何の部屋があるかまるでわかんねぇ。片っ端から開けてくか」
一樹はそう言いながら、一つの扉に手をかける。
その瞬間に、小さな声が聞こえた。
「ん、泣き声?」
声は今にも枯れ果ててしまいそうだった、しかし、一樹は耳を凝らし、その小さな声に集中する。
「そこなのか」
一樹は一つの扉を開ける、その先には一人の少女が見えた。これは小さいころの伊織だろう。必死に父親にくっ付いて泣いている。
その父親は目を閉じ、うなされている。
「伊織! 早く逃げるんだ!」
「え?」
「聞き返すな! 早く逃げなけりゃ死んじまう」
一樹は必死に伊織を外へ連れて行こうとする。その時、言われるはずのない言葉を聞く。
「誰かいるのか、早く、伊織を、この子を頼む」
一樹はその声を聴いた瞬間、目を見開く。
この人に自分の声は届いている。なら、この人も一緒に助けれるかもしれない。一樹は手を伸ばす、それは届くはずが無いと思った手。
しかし、その手は掴まれた。その瞬間、一樹の顔には笑みが浮かぶ。
助けれるんだ! この人も、伊織の親父さんも…………
「早く逃げましょう! もう火の手は来ています」
そう言って、つかまれた手を引く。そして伊織に言い聞かし、一樹は三人で歩き出す。
助けることの出来ないと、思っていた人の手を肩にかけながら。しかし、その手の持ち主はもう既に気を失っていた。
(過去は変えられるのか? いや、まだだ、まだ安心しちゃいけない)
そう思いながらも、一樹は無事に炎の荒れ狂う家を出ることが出来た。
しかし、その瞬間、一樹は黒く染まっていく。
「!? 何だ!」
黒く染まっていく一樹、影に呑まれていく。
ちぃ、ここまで来て、かよ。だけどこのままだったら、あの野次馬が誰でもいい助けてくれるはずだ。なら大丈夫だ。過去は変えられたんだ。
でもなんだよ、この嫌な予感は、何が足りない、何が…………
この人はもう助かったはずだ、それは伊織も一緒。なら何だよ、この感じは?
そうだ、なぜ俺は今、親父さんを助けれるんだ? 今までまったく同じことが、この時代で繰り返されていたはず。ならどうして今までの俺は、こんな簡単に救える人を救えなかった?
……………俺は消える、この時代から。消える。この人は今、そうか! 俺がここで消えればこの人はこの場に倒れ付す。そしてこの人は今、立つことすら困難なほどだ。ならこの場でそのまま地面に頭から落ちればどうなる? 簡単だ、この人はこのせいで亡くなったんだ。炎の熱、その熱が伝わる地面に頭から倒れ付し、そのままなんだから。
でもどうしてだ、俺は伊織と一緒にいた。現代の伊織を助けに来て、伊織に会った。ならなぜ伊織がいるのに親父さんは死んだ? 伊織の生死の危険はもう存在しないはず。だったら助かっていたはずだろう、なのに、なぜ現代に親父さんが存在しない?
昔の俺は強欲すぎたんだ、親父さんも助けるために伊織とともに家の中に入っていった。そのせいで、伊織は禁忌を犯すことになり、消えた。今の俺とは違ったんだ、非情かも知れないが俺は親父さんを捨てようとしていた。だけど、実際は俺でも助けることは出来た、ということは今までの過去とは違う、俺の近くには伊織がいる。
「伊織!」
「「え? 何」」
「ああ、君じゃないよ。って早く来い! 俺はもうすぐ消える、だからここから親父さんを助けるのはお前の役目だ。お前の生死についてはもう大丈夫のはずだ!」
「そう、なの?」
「早くしろ! 親父さんを助けるんだろ」
伊織は言われたとおり、自分の父親を抱える。
一樹はどんどん影に呑まれていく。
「後はお前しだいで、未来は変わる。ただ消えんなよ!」
「うん、ありがとうね、カズ君」
「お礼はちゃんと帰ってきてからな」
そういい残し、一樹は影に呑まれていった。
ドンッ
「ってぇ!」
一樹は辺りを見回す、ここはもう、過去の世界じゃない。先ほどまでいたアンティークショップのような店。航時屋の中。
倒れている一樹の近くで椅子に腰掛け、ティーカップで紅茶を飲んでいる少年が微笑みながら話しかけてくる。
「どうでしたか? 過去はやり直せましたか?」
「皮肉はいいぞ、何回だ? お前はこの結果になるまで何回、俺たちを廻した?」
珀矢は少し驚いたような表情を作ったが、再び先ほどと同じ笑みに戻る。そして一樹に問う。
「なぜわかったんです?」
「テメェは結果がこうなるまで、少しづつ禁忌や設定を作り出して、答えを導きやすくしてたんだろ。それに、こんな魅力的な力のある店に客がいねぇのはおかしいだろ。もっと話題として取り上げられるぜ。それでいつ、この結果になるか、それを楽しんでたんだろ。それでもう一度聞くぞ、何回だ?」
微笑を浮かべて珀矢に笑いかける。
「気づくのが早い人ですね、まだこれは四度目でしたよ。実際もっと時間がかかると思ったんですがね」
「なめんじゃねぇ」
「でもどうして気づいたんですか?」
「簡単だ、お前が正也を吹き飛ばしたろう、あいつがいれば何も悩まずに助け出せたんだしな。予定外だったのか?」
「ええ、彼は最後のヒントにするつもりなんでしたが、案の定早く来てしまった。だから、いかに早くこのストーリーから場外したかったんですがね」
また微笑む。正也を吹き飛ばした悪気などまったくないようである。
「それにな、お前は改ざんの代金をとらなかった。つまりもらっても無駄なんだろ、お前が作り出したストーリーを完結させるだけだしな。まぁ、今回は楽しめたかよ?」
皮肉っぽく笑いながら聞く。
「ええ、いつもとは違う、喜劇でも悲劇でもどちらでもないものを見れて面白かったですね。本当はもっとヒントを用意していたのですが、まったく予想外の事態でね」
その言葉の後、一樹は笑みを消し、真剣そうな顔つきで珀矢に問うた。
「なぁ、人は過去を変えれねぇよな」
「どうしてそう思うんです? あなたは確かに、彼女と彼女の父親を救って過去を変えたじゃないですか」
「あいた!」
と小さな声とともに伊織が帰ってきた。
一樹は倒れている伊織に手を差し出し、帰るか、と言って扉に向かっていく。
そして最後に、航時屋店主、珀矢に向かって声をかけた。
「俺が変えたのは、テメェが作り出した偽りの時間、それを元に正しただけだ、それが今回、テメェの考えたストーリーの俺の役目だろ。本来人間は過去を変えられない、過去は背負って生きていくべきものだしな。」
ギィ
という音とともにその場は再び静かになる。
この場には少年しかいない、それは人の過去を楽しむ航時屋の店主。
「いろいろ勘が鋭いですね。さて、この街にもう、いい過去は無いね。次に行こう、今回ほど楽しめる相手はいないだろうね。僕の楽しみに気づいたのは君が始めてだよ。背負って生きていくべきもの……………か。君なら本当に過去を帰るチャンスをあげようかな? いや、君には必要ないかな?」
さぁ、と少年は立ち上がり、扉へ歩き出す。
その場は暗くなっていき、少年の姿が消えていく。
後に残ったのは埃の被った古い空き家だった。
これは喜劇と悲劇を見るのが大好きな少年の、どこにも存在するし、どこにも存在しない店のお話。