ひとまずの安息
人心地付いた所で、僕は今回の狩りの報酬額をアリスお婆さんに伝えた。
そしたらアリスお婆さん、腰を抜かして床にへたり込んじゃった。
コルムちゃんは何も解らず、腰を抜かしたアリスお婆さんの顔をぺたぺた触ってる。
「百二十万円って、どのくらいの価値になるかな?」
「そうさな……私にもあんまりな金額ですぐにこれという例えは浮かばないのぅ。頼れる商人が居れば良いんじゃが」
「じゃあさ、アリスお婆さんならこのお金で何日くらいご飯作れる?」
「沢山じゃ。私は物を数えるなんて、両手の数の倍くらいが精一杯よ」
「学校とか無いの?」
「学校?なんじゃそれは」
「それはほら、物の数え方や文字の読み書きを習う場所だよ。知らない?」
僕の説明に、アリスお婆さんは頭を抱えてしまう。
どうしたのかなと思っていると、アリスお婆さんは言った。
「私の村で読み書き計算ができるのなんて、村長のとこくらいだったよ。それを教える為の場所がある?私には解らないよ」
「え、じゃあアリスお婆さんも読み書きできないの?」
「お前さんも出来ないのかい?」
「うん、出来ないと思う」
「もじってなーに?」
日本で小学生してた僕としては、文字も読めないのが普通っぽい事に驚いた。
でも考えてみれば、あの村には学校みたいな大人数が集まる場所は一箇所も無かった気がする。
「僕とアリスお婆さんはともかく、コルムちゃんは読み書きと計算できるようになったほうがいいんじゃないかな」
僕は、読み書きが出来るのが普通という感覚で言ったんだ。
でもそれはアリスお婆さんがきょとんとしながら言った言葉でひっくり返された。
「何でだい?貴族のお嬢様じゃあるまいし。文字は読み書きできる人を頼ればいい。そりゃ、町で暮らすなら計算はちょっとはできた方がいいかもしれないけど、それだって最低限で良い。女に求められるのはね、家事だよ」
「家事?料理とか?」
「そうだよ。上手い飯を作って、こまめに掃除洗濯をする女が結局は男に取っちゃありがたいのさ」
「ふーん」
そういえば、僕のお父さんも家に居てお母さんの料理を食べる時は美味しい美味しいと喜んでいたと思う。
でも、友達には両親が共働きというのをしている子も居たのを思い出した。
だから僕は聞いてみる事にする。
「アリスお婆さん。女の人で家の外でお仕事する女の人って居ないの?」
僕の疑問にアリスお婆さんは答えてくれた。
その間に話しについていけなくて退屈になって眠くなったのか、うつらうつらし始めたコルムを抱き上げる。
「少なくとも私の村じゃ……ああ、そういえば前の代の薬草作りが女だったっていうね」
「ふーん。じゃあちゃんと働く女の人も居るんだ」
「ああ!思い出したよ!行商人の話だとね、もっと大きい町には小間使いっていう、外で働く女がいるんだってさ」
「へー。街が大きいとそういう仕事もあるんだね」
「でも正直、お偉い人のところでお勉強するような小間使いと、下々の小間使いじゃ大分違うらしいよ。下々の小間使いはいわゆる嫁き遅れだって」
「いきおくれ……?」
「まぁ、要するに若いうちに旦那を捕まえられなかった女の仕事って事だよ」
なんだか解らないけど、アリスお婆さんがいきおくれに良い感情を持っていないことだけは解った。
そういえば随分話がずれちゃったなと思いながら、僕は話を元に戻そうとした。
「ちょっと話がずれちゃったけど、いきおくれとかは置いておいて、僕も町の中で仕事はさがすけど、基本はこういう大きな、狩猟買い取り所のある町で暮らすことになると思うんだ」
「そうだね。毎日のご飯を食べられるようにしてくれるのがお前さんなら、私達はそれについてくだけさ」
「だからね、コルムは読み書き……できれば出来ない人の替わりに書いたり読んだりでお仕事できるし、計算ができれば町で生活しやすいと思うんだ」
「うんうん。それは学の無い私にも解るよ。それでどうするんだい」
「幸い、お金にはそこそこ余裕があると思うからさ。コルムちゃんにそういう事を教えてくれる人か、場所を探してあげるのもいいかなって」
「お前さんがそれがいいと思うなら、そうしてやるといいさ。私は町の生活に馴染むにはちょいと歳を取りすぎたよ」
少し寂しそうに言うアリスお婆さんを見ながら、話しておくことは話したとかな、と思いながらアリスお婆さんに声を掛ける。
「じゃあ今日は宿屋を取って休もう。コルムちゃんも休ませて上げたい」
「そうするかねぇ……あの時泊まった宿屋は残ってるかのぅ」
「いっその事カウンターのお兄さんに聞いてみる?」
「それがいいかもしれないよ。そうしよう。私も本当に久しぶりの町で、ここに来れたのも驚きだったからさ」
「うん。じゃあ行こう」
こうして僕達は受付のお兄さんに行商人向けの、子供もゆっくり休める宿屋を教えてもらってそこに向かった。
あ、後困ったのがお金の支払い。
僕には日本円換算で聞こえるんだけど、どのコインがいくらなのか解らなくてちょっと戸惑った。
アリスお婆さんが少し教えてくれたけど、価値の大きい銀貨とかになると計算が解らなくなっちゃうみたい。
それでも小さな銅版が十円、大きいのが百円、銀板が千円、銀貨が……って言う具合にお金の桁が繰り上がっていくのは解った。
とりあえず
そうして何とか三人分の部屋を取って、晩ごはんの用意も頼んで一万五千円を払ってから部屋に上がって、コルムをふかふかというほどではないけど、ちゃんと手入れのされたベッドに寝かせてあげた。
アリスお婆さんは商人用の宿屋でも名前を書くのに代筆が聞いて助かったと安心しながらベッドに腰掛けている。
本当なら僕は寝ないから宿は取らなくていいんだけど、アリスお婆さんは年寄りだし、コルムはまだまだちっちゃいし、出来るなら傍に居たい。
それに、僕は僕で一人は寂しいんだ。
だから話がしたくて、僕はアリスお婆さんに声を掛けた。
「ねぇアリスお婆さん。良かったら……悪魔の呪いが村を襲う前はどんな生活してたのか、聞いて良い?」
僕の言葉に、アリスお婆さんは少し考えてから言った。
「あんまり、面白くない話だよ。どこにでも居る、辺境の女の人生さ」
「それでも聞きたいな。アリスお婆さんの話が終わったら、僕の事も話すよ」
「そうかい?私が生まれたのは寒い冬の事でね……」
僕は語り始めたアリスお婆さんの話で色々な事を知った。
アリスお婆さんは僕と同じ一人っ子で、両親にとても可愛がられていた事。
村の中でも顔はぱっとしない方で、若い頃の初恋は悲しい結果に終わった事。
とりあえず聞けたのはこのくらい。
その後はアリスお婆さんの話は途中だったけど、初恋の話を聞かせたのだから僕にも話すように言う言葉に頷いた。
といっても、僕の話せることなんて、お父さんとお母さんの事。
お母さんが作るおかずで好きなのはハンバーグっていう事……これはどういう料理か熱心に聞かれ……僕は詳しい作り方は知らなかったので、豚肉を細かくしたものをこねて作る食べ物だと説明した……答えた事。
初恋はまだな事などを白状させられてしまった。
そうこうしている内にドアがノックされて、宿屋のおじさんが夕飯の時間だと教えてくれた。
僕とアリスお婆さんはコルムを起こして、寝ぼけ眼を擦ってあげてから一階の食堂に降りた。
木製で六個の椅子で囲まれた円テーブルが五組ほど置かれた食堂に降りると、鼻の無い僕にもセンサーホーンは匂いも伝えてくれる、お肉の匂いがする、何の肉だろう。
食べられない僕にはあまり関係の無い事だけれど、コルムとアリスお婆さんは食べられるだろうか。
「アリスお婆さん、お肉みたいだけど食べられる?」
「肉かい、最後に食べたのは……結構前だねぇ。あごが弱ってるから硬いのはちょっときついね」
「おにくって、えっと、おまつりのときのくちゃくちゃするのだ」
「二人にはお肉って特別な食べ物なんだね。とりあえずテーブルに座ろう」
僕のセンサーホーンは簡単に空いた席を教えてくれる。
だから僕は二人をすぐに座らせる事が出来た。
空きは二つだけど、僕は座らないからそれでいい。
「じゃあ僕注文してくるから。待っててね二人とも」
「はい!」
「お願いするよ。ああ、こんな上等そうな料理なんて生まれて初めてかもしれないよ」
アリスお婆さんの言い方に、ちょっとだけ大げさだなぁって思ったんだ。
けど、この世界の農村はそんなに物が無いみたいだという事に気づいて、案外大げさじゃないのかもしれないと思い直した。
でもとりあえずは注文かな。
「すいません。四人部屋の三号室、二人分お願いします」
「お、おぅ。ちょっと待ってな」
カウンターの中のおじさんが僕に驚きながらも、焼きあがって木皿に盛られたサイコロ型に切られてる肉にソースをかけて、付け合せの人参みたいなのとブロッコリーみたいなのを乗せてトレイに乗せた。
さらにそのトレイの上にふっくらとしたパンと、深いお皿に入った透明な野菜スープを乗せる。
最後に金属のフォークが一つずつ。
僕は少し待ってみたけど、それ以上は載せる物は無いみたいだから、テーブルに座ってお腹をすかせているだろう二人の下へとそれを運んだ。
「はい二人とも、ご飯だよ」
「わぁい!ごはんっごはんっ」
「こらこら、熱いから気をつけるんだよ。それにお祈りしないとね」
「おいのりする!ちのかみさまー……えっとー」
「地の神様、天空の神様、私達に糧を与えてくださり感謝いたします」
「かんしゃいたします!」
僕はお祈りをする二人の傍に立って食事をする二人を眺めた。
アリスお婆さんとコルムちゃんのやり取りは本当のお祖母ちゃんと孫みたいで羨ましい。
「コルム、スープは良くふーふーするんだよ」
「うん!ふーふー、ふーふーしないと熱くてね、にゃー!ってなるの」
「あちち!肉も熱いのう、コルム、肉もふーふーじゃ」
「うん!ふーふー!」
そんなやり取りをしながら、暖かい食事を取る二人の姿は僕のハートドライブに優しい力をくれる。
「美味しい?コルムちゃん」
「んとね、えっとね、おにくかたいの、でもね、おにくにかかったおしるがおいしくてね、いっぱいいっぱいかむの」
「よかったねぇ、コルム。でも野菜も食べるんだよ」
「んー!やー!」
「ダメだよコルムちゃん、野菜食べないと大きくなれないんだ」
「わたし、ちっちゃくてもいい!」
さっきまで肉に夢中だったのに、野菜は全力で嫌がる所がかわいいなと思う。
でもそれでもアリスお婆さんが言い含めて、ちょびちょび野菜を齧ってはお肉のサイコロを一つ食べるのを見ていたら、そういえば僕もブロッコリーとか苦手だなぁ、なんてことを思い出す。
もっとも今の僕には食べられない、はずなんだけど、食べた事のある記憶っていうのがセンサーホーンから感じる匂いなんかに刺激されて蘇るんだ。
これがちょっと辛い。
そんな風に食事を眺めていると、二人には年齢的な問題でここの食事は多かったのか、もう入らないって感じになっちゃった。
アリスお婆さんなんかはもったいないもうしわけないと言ってるんだけど、僕は仕方ない事だからと、余り物になっちゃったスープとパンをカウンターに持っていく。
「すいません。食べるのがお年寄りとちっちゃい子供だったので残っちゃったんですけど」
僕がそういってカウンターにトレイを置くと、おじさんがぶっきらぼうにいった。
「ああ、そういう客はたまにいるんだ。こっちで適当に処分するから気にするな」
おじさんはトレイをカウンターの向こうへ下げると、後は他のお客さん達のお酒つまみもの注文を受けて黙々と仕事を続ける。
そこで僕はちょっと思いついた事があって、おじさんに声を掛ける。
「おじさん。お金払っておいたら明日のお昼の後におやつを僕の部屋の二人に用意できるかな?」
僕の言葉に、おじさんは手を止めずに聞き返してきた。
「おやつってのは何だ」
その言葉に僕は少し考えてから答えた。
「お昼からしばらく経ってちょっとお腹が空くでしょ。その時に食べる、ちょっとしたお菓子だよ」
僕の言った事を聞くと、おじさんは少し呆れた顔で言った。
「お前、どこの貴族のぼっちゃんだ?この町にそんな優雅な習慣はねえよ。ついでに菓子作りも俺の領分じゃねえ」
「えっと、じゃあお菓子じゃなくて何か甘いものとかないかな?」
「甘いものね……大体からして甘いものは高級品なんだよ。砂糖にしろ、蜂蜜にしろな。ここいらだとエルの実がいい所だな」
「エルの実って?」
「俺のこの手のひらの半分くらいのサイズの、縦に長い丸形の赤い果物だよ。毎日市通りに市場が立つが、買えるかどうかは運次第だな」
そういいながらおじさんが手のひらを見せてくれて、すぐ引っ込める。
僕がセンサーホーンでその手の大きさの半分で、縦に長い円形っていうと、小さい瓜みたいな形なのかなと思った。
でもとりあえず甘いおやつになりそうな物を教えてもらえたので、僕はお礼を言ってその場を立ち去った。
それからは、お腹が一杯になって眠たそうなコルムを抱えて部屋に戻って、アリスお婆さん達の身体は綺麗な物だからお湯は頼まずに二人は眠りに就いた。
洗顔用の水なんかは桶を貸してもらって、自由に宿屋の裏の井戸から水を汲んでいいそうだ。
でも水を汲む桶を中に入れて引っ張り上げるつくりなので、僕の仕事になりそうだ。
それはそれとして、僕はあの呪いがコルムちゃんとアリスお婆さんからまだ完全に消えていないのに気づいた。
呪いといっても、直接的なものじゃない。
記憶だ。
コルムはおとーちゃん、おかーちゃんと寝言で言っているし、アリスお婆さんですら家族の名前らしき単語を寝言で呟く。
僕はそんな二人を、朝まで見守り続けた。