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第三章 「奇談」


 日差しも少しだけ傾きかけた放課後。

 机の影はいつもより少しだけ丈が長くなる。教室は人もまばらになって喧噪が減った分の静寂が訪れる。

「でさ、あるらしいのよぉ~、興味あるでしょ? 学校の七不思議。亮介も秀二もさ、学園生活の思い出をこんな感じでた~っくさん作ってみない?」

「さすがに珠川の頼みでも却下するな、俺は……」

 手に持った小説(カバ―が付いてるので小説にしか見えない)を持ちながら、気遣いをしつつも問答無用で断るその言い回しは、思わず芸術点を与えたくなる。

 が、敵も然る者。なおも納豆の如く粘り着く。

「ちょっと……秀二ぃ、アンタ最近“なまなま”だね!」

 破顔した表情に、なぜか似つかわしくない額の端に浮かぶバツ印。しかもそれは独立した生き物のようにピクピクと脈打っていた。

「それなら聞くけど、第一そんなものを追求して何になるんだ?」

「だから言ってんでしょ! 怖い話だけじゃないんだって。聞いた話によると、どんな願いも聞いてくれるパ―フェクトな大桜があるらしいのよ」

 見知った顔がずぃっと身を乗り出して、俺たちに擦りよる。

「見つけてお願いして! あんた達の青春の悩みも解消ダァ!」

 脳天気な笑顔を露わにする涼子。

「確かに悩みは誰でも大なり小なり持ってるさ。でもそれは手に入れるのが難しいか、もしくは手に入らないからこそ悩む。だからこそ喜びを知るんじゃないのか?」

 子供じみた噂話を熱心に語る涼子。そしてそれを父親のように諭す秀二。

(お前ら実は年齢詐称してないか?)

 余談ではあるが、もともと秀二はこの手の話が大の苦手である。

「ね……ねぇ、秀二くんも珠ちゃんも……ね、なんだか機嫌わるそうにみえるよ、ね」

 で、なぜか二人の間に入るお節介幼なじみ。

 そして俺の隣で存在感を消失しているが、一応白鷺もいる。最近わかったのだが、白鷺は俺以外の人間とはほとんど口をきかない。

 同級生が白鷺の声を聞ける唯一の時は業務連絡だけ。

 本人曰く「この場所で自分の関与は最小限にとどめたい」と言うことらしい。

(それならせめて普通に過ごした方が目立たないと思うのは俺の気のせいだろうか?)

「だ~か~らぁ言ってんじゃない。努力しても無理だから七不思議なんじゃない!」

 先ほどよりも若干上がり気味のテンションで、言葉を続ける涼子が俺の隣で(わめ)く。

「そんなの迷信なんだ。第一これだけの人がいる学校でどうして七不思議なんていい加減なネ―ミングになるのか考えてみろよ? 本当にそんな事象が存在するんだったら、とっくにテレビや霊能者が来ててもおかしくないと思わないか」

 全くごもっともな秀二の切返しに、涼子は血気に満ちていた目力(めぢから)をすっ……と抜いた。

「秀二は知らないか……、亮介や美菜は聞いたことくらい無いかな? この学校、創立して80年くらいになるのかな。それ以来……変死や行方不明が後を絶たないんだよ」

 いつものアップテンポな話調子は成りを潜める。

「今だって、続いてるんだよ。まぁ、ここ最近は死者も居ないみたいだけど、15年前までは雑誌に載るほど毎年人が死んでたんだから」

(なんだか今日はやけに……演技派じゃないか? お前)

 そんな涼子に、秀二は恐怖を込めた震えるため息で返し。美菜は涼子の腕にヒシッとしがみついている。

 補足をすると涼子と美菜、この二人は結構仲がいい。

(と言うか涼子はあの一件以来、人がガラッと変わった。おかげで友達も増えた。美菜もその一人だが何故か俺には暴力的になったけどな)

「みなぁ……美菜は来てくれるよね……ね、ね! ねぇ!!」

 春先の肌寒い午後、なぜか汗をかいてる幼なじみはミステリアストレジャ―に強制参加が決定した。

「で、美菜が来るってことは……亮介もくっついてくるしぃ……」

 そして再びジト目で秀二をみる涼子。

「友達……いなくなるよ」

(そもそも俺の意志は考慮の対象外と言う事らしい。秀二の友達よりも自分の友達を心配した方がいいんじゃないか?)

「あぁ、それは大丈夫よっ! 亮介ほど絶対数は少なくないから」

 なぜか俺の心の会話に答えを返す涼子。

「あのね亮ちゃん、考えごとを言葉にするのって、ちょっとよくないかなぁ」

(窘めるにしても、もう少し違った意味で言葉を繰り出して欲しかった)

「ま、どちらにしろそんな願いを叶える桜なんてあるわけ無いよ……実際」

 これで話は終わりとばかりに、秀二は俺に目配せしながら立ち上がる……が、

「帰るのはちょっとまったぁ!」突然とした元気な声。

 それは珠川涼子の声ではなく、もっと別の聞き覚えのある声だった。

 一斉に俺達は声のした方向へ視線をずらす、と……忘れてたよ。

「こら青年! アンタが来ると思ってずぅ~っと待ってたんだぞ!」

「まぁまぁ望、約束を破ったわけじゃないから抑えて、他の子もいるし」

 ズンズンと歩み寄る女生徒は、身長170cmの健康的なシルエットが、短いんじゃないか? と思えるスカ―トを揺らしながら登場した。昨日は気付かなかったが、美しい曲線美はさすがスポ―ツをやってると言ってただけのことはある姿格好だった。

「お……おい、亮介いつのまに上級生へ手をだしたんだよ?」

「しらねぇよ、昨日の放課後、美菜を捜すの手伝って貰っただけだ」とは小声である。

「あれ……?」俺の目前まで来て、近衛先輩は頬に手を宛てて考え込んでいる。

(昨日……少ししか話さなかったが、どうせこの手のキャラはロクな事を口にしないのは身をもって知っている)

「あぁ……そっか!」と……勝手に何かを肯定した瞬間。

「偉いぞ青年!」肩をビシビシと叩かれて誉められる俺。

「千恵……っと、部長! ほらほら、青年が集めてくれたんだ、さっさと勧誘始めるよ」

 総勢4名、いや、もう1人いたっけ、は――ミステリアス研究部の触手に絡め取られ、これからいつまで続くのか判らない説明のため、無駄な時間を更に浪費するのだった。



 粗方自己紹介も終わった教室に、少しばかり茜じみた夕日が差し込む。

 それは広い室内を囲む白い壁を染める。電灯は必要ない程の暗さだったが、俺には若干寂しく映るそんな時刻だった。

 近衛先輩は俺達1人1人を教壇から見渡し、そして言う。

「で?」

(いや……この場合、「で」は、あんたに誘われてる俺達の台詞だと思うんだが)

 と、俺の思考を余所に涼子は元気に手を挙げた。

「じゃ、もしかしてぇ、このミステリアス研究会って学校の七不思議とか探索したりもするんですか! 先輩!!」

 一番最初に食らいついたのはもちろん涼子だった。

(いつからこんなもんに興味を持ったんだか知らないが、きょうはやたらと怖い系の内容に縁がある。もしかしてコイツが呼び寄せたんだろうか?)

 諦めにも似た笑いが俺から漏れると、横にいる美菜も微妙なニュアンスを感じさせる笑いで頷いた。

「そうですね、部活動である以上きちんとした根拠が必要ですが、研究成果を出すに足るなにがしかの根拠がある場合、検証は出来ないこともありません」

 にっこりと、眼鏡っ子部長は遠回しにできないと言った――いや、できないって言ったんだよな?

「まっ、ぶっちゃけ出来るってことさ!」

(できんのかよぉ……)心の中で突っ込む俺。

「亮ちゃん、何がいいたいのか顔に出てるよぉ」とは小声で美菜。

「はいるはいるよっ! わたしはいる!!」

(ははっ、さようなら涼子。推理小説に特化した文芸部でもいって……せいぜい俺に平和な日常を与えてくれ)

 一人とはいえ無事に入部したことで、上級生二人に昨日の借りを返した訳だが、解散という雰囲気ではないらしい。そこで俺は眼鏡っ子部長先輩を見る……と、彼女も俺を見ていた。

「それにしても、今年の一年生は頼もしいわね望、男の子1人と女の子1人、何とか廃部に鳴らずに済みそう」

 にこやかな微笑みを湛えているが、何かが違った。

(え……? 男の子が1人ってまさか)

「ねぇ、亮ちゃん。男の子ってもしかして亮ちゃんも入るの?」

 美菜が驚きの視線を俺に向けている。いや、ココにいるミス研以外の全員が俺に向けている。

「入るなんて一言も――んぐぐっ」電光石火で口を封じられ……、

「美菜ちゃんって言うんだっけ、青年の彼氏? あっそ幼なじみなんダァ~。いや~ね、昨日青年が部室に来るって言うから入部だと思ってさ、担任の先生にもう届け出だしてんだよね」

 棒読みの台詞を長々と息継ぎもせずに言いのけた。

「まだまだっ! 台詞はこれからが本番だよ!」

 この人もなぜか俺の心に平然と突っ込みを返してくる。そして口を塞がれ、ほっぺたをつままれたまんま凄まれた俺。

「さて美菜ちゃん。アンタも幼なじみが入った部活動なら嫌じゃないでしょ? 幼なじみなんて社会人までにくっついてないと色んなもんに先こされるわよっ! さぁさぁ、入部用紙に記入しよう!」

(なんだかもう……メチャクチャだ)

 そして……。

「ふっふっふ―」

 秀二を見つめる近衛先輩、そして真っ向勝負で無視し続ける秀二。ちなみに、秀二はもともとフィクションに全く興味のない青年である。頑なな雰囲気は、そのまま近衛先輩だと衝突しそうな勢いだった。が、ここで満を持した形で宮住先輩が秀二の机に近づいた。

「選手交代だな?」俺は美菜にソッと耳打ちをする。

「う~ん、確かに部長さん、きれいだし落ち着いた雰囲気だし、秀二君のタイプって感じだよねぇ」

 美菜もコクコクと頷いている。

「あの、秀二君だっけ? あなた」

 さすがに二つも違うと、笑顔一つとっても大人の微笑だ。だがもちろん、秀二に至っては女がらみの戦法は通じない。

「えっ……は、はい」と思ったが……妙に雰囲気が違う。

「突然で驚いたよね。少しだけ話をきいて欲しいんだけどいいかな?」

 宮住先輩はゆっくりとした動作で秀二の横に座る。ちょうど夕日をめい一杯うける格好でジッとヤツの瞳をのぞき込む。

「秀二君は、あんまりこういう話に興味もてないんだよね」

 秀二がうなずき終えるまで、ゆっくりとした時間の流れを楽しむかのように、ジッとしている先輩。

「でも、どうかな? 友達や……集まれる場所を作るってことにはならないかな?」

「えっ?」

「部活の内容は初めのとっかかりって考えてもいいと、わたしは思う。わたしもね、初めの頃はみんなに会いたいからって言うのが動機だったの」

 懐疑的な秀二の視線が宮住先輩に突き刺さる。

「きっと、楽しいと思う。それだけはわたしが保証してあげる」

 はぁ……と小さな溜息。

「学園一の天才って……人をたらし込む才能も持ってるんですね」

 嫌味な台詞を、真っ直ぐ見つめる宮住先輩にぶつけた秀二。女性に対して秀二がココまでの言葉を向けるのは、俺の記憶にはない出来事だった。

 が、彼女はそれを湖の如く澄んだ瞳で正面から受け止めた。

「天才かどうかは……わたしにはわからない。でも、いまも学年首位を守っていられるのはミス研の、わたし達の先輩達のお陰なのよ。だからわたしはこの部活を守るために何でもしたい、そう思うのはいけないことだと思う?」

 秀二の放り投げた直球が、真っ直ぐに帰ってきた。

「だからって、どうして俺や亮介なんですか?」

「ミス研の部長は……代々学年トップが受け継いでるのよ」

「それなら俺はダメです。入試の点数は二番目だったんですよ」

 してやったりと笑みがこぼれる秀二。だが部長はその顔を見ても微笑みを崩さない。

「わたしは、2年生の時にトップになってる彼方に入って貰いたいと思ったの」

 そして眼鏡っ子部長は席を立つ。長い黒髪はハラハラとほどけるように頬へかかり、それを細い指が優雅に後ろへいなした。

「わたしもね、入試の時は風邪をひいて2番目だったのよ。彼方と同じにね」

 参った……と言いたげに、秀二の頑なだった顔がほころんだ。

「ミス研だけに……幽霊部員でも良いんですね?」

 後ろから近衛先輩が俺を羽交い締めにして一言。

「素直じゃないわねぇ。アノ顔は多分ほれたよ……絶対」

 と、失神寸前まできつく締め上げられた。

 最後に、ものの見事に残った1人。それは白鷺 舞だった。

 一同の視線を一身に受けつつも、白鷺の姿勢のよさは変わらない。

 まるで全員の視線に対抗するかのように、鋭い視線を6人へ向けている。

「6人揃って何よりじゃな」

 言い放ち、そして何事もなかったようにうっすらと茜に染まる窓へと視線を移す。

 当然、上級生の2人は白鷺の口調に目を丸くした。

 ある意味1年や2年くらい長い人生じゃ、ヤツの本質は判らないだろうな。

(って、ありゃ……やっぱり食い下がるのか)

「7人いれば来年も安泰なんだけどなぁ」

 そして次は無視。さすがに近衛先輩もアイツに喰って掛かるほど稚拙ではないらしい。少しだけ雰囲気が気まずくなり、賑やかな空気が景気宜しく右下がりになった頃合いを見計らって、美菜が言葉をつなぐ。

「亮ちゃんに珠ちゃん、今日はもう遅いから帰ろう……ね」

 この言葉が引き金となって、俺たちは教室をあとに……って忘れてた。

「おい、白鷺は帰らないのか?」

 廊下まであと数歩の距離、そこで俺は微動だにしない女性の名を呼んだ。

「……」俺の顔を一瞥するも無言。

「……」だから俺も次の言葉を紡げない。

「白鷺さん、部活の件はいったん抜きにして、みんなと一緒に帰らない?」

 二人の無言劇がなにも進展しないのをいち早く悟った宮住先輩は、彼女へ声をかけた。

 空かさず白鷺へ『たたたたっ』と効果音を出しながら掛けよる幼なじみ。ヤツも人より少し大人びた微笑みで文字通り手を差し伸べた。

「今日は少しだったけど、明日はもっとお話できるように、一緒にかえりましょ……ね」

 さすがのアイスド―ル白鷺も、この状況は慣れていないと見え椅子に座ったまま、美菜を見上げている。もう少し近ければ……どんな顔をしてるのか拝めたのにな。

「……済まぬな、儂はこれから所用があるゆえ、またにいたそう」

 一瞬、寂しそうな表情を露わにしてしまった美菜は、咄嗟にそれに気が付く。慌てて笑顔を取り繕ろうが、どうやらあからさまにわざとらしかった。一方の白鷺は、そんな美菜をよそにすくっと席を立ち上がった。

 そして、

「また明日にでも、よろしくたのむ」

 美菜の正面を見据え、軽い会釈をしたのちに退室する。

「変わった喋り方だねぇ」とは俺の横にいる涼子。

 不思議そうな表情で美菜も、教室から差し込む夕日を背負っている。

「おい、行くぞ」

「えっ、あ、うん……」

 口元に、ゆるく握った手をあてて、美菜は少しだけ浮かない表情をしていたが、それが何を物語っているのかはその表情からは伺いしれない。



 静かな場所、それが初っぱなの印象だった。

 そして次に思うことはみな同じくひとつ……。

「せ……せめぇよ」

 俺は素直な高校生。いつも感じたことはなるべく心にとどめない。

「あたりまえだろ、ここをどこだとおもってんのさ?」

「階段したの倉庫……」とは俺が言った。

「望、すこし温度が上がってるから、通気口あけてくれる?」

 階段によって斜めに削られた天井の上に位置する小窓を、近衛先輩がややつま先立ちの姿勢で開け放った。

「それじゃ」

 唯一この場に佇んだ机へ腰掛けるミス研部長こと宮住千恵は、ゆっくりと俺を含む5名を見渡した。

「みなさんミステリアス研究会へようこそ。入部を歓迎します」

 落ち着いた声が暑さでムンムンとしたこの場所に響く。周りがコンクリ―トだから響くのか、それとも声に張りがあるから響くのかは謎だ。

 言えることはただ一つ。

「どうでも良いんだけど、ミステリ―研究会じゃなかったのか?」

 昨日から問いただしてみるかどうか迷っていたのだが、やはり微妙に気になったので敢えて聞き直してみる。

「似たようなもんじゃん! 因縁つけるなりょうすけぇ!」とは涼子。

「んぐっっつぅぅぅう!」もちろん俺の脛を足で蹴ることも忘れない大したヤツ。

「えっ、ナイス蹴り? いやぁ……そんな誉められても」

(いや、もちろん誉めてない……が、かなりイテェ)

「ほぉ~ら、そこっ! 狭い場所でちちくりあうな!! アンタはただでさえデカイんだから……周りの迷惑かんがえなよ」

「やぁ~い、しばかれてやんのぉうっ!」

 鈍く、小気味よい音は彼女の頭から奏でられた。

「はいはぁ~い、もう中学生じゃないんだからね。うるさい子や、やんちゃな子はお姉さんがビッシと身体に染み込ませて、優秀な兵隊にそだててあげちゃうよ」

 頭を抱えてもだえ苦しむ涼子に、美菜が愛の手を差し伸べている。

「こほん、で、柴田君の質問に答えたいんだけどいいかしら?」

 そう言うと、先輩は自分の鞄から一冊の本を取り出した。

「勘の鋭い子にミステリアスって最初に言うとね、警戒するのよ。だから、あぁこの子は怖いのダメだなぁとか、読書好きなんだろうなぁって印象の強い子には、ミステリー同好会ですって言うのよ。わかる?」

(年上の笑顔で“さくっ”とすげぇこと言ってるよ)

「これは、あなた達も来年絶対必要になるテクニックだから憶えておいて損はないわよ」

 そして「すげぇ事」は伝授された。

「いやぁ、素晴らしいです千恵先輩。その対人心理を巧妙につかったテクニック……俺は脱帽だなぁ」

(い……いや秀二、お前キャラ変わりすぎだろっ)


 で、結局とどのつまりはこういう話に終始した。

「そう、わたしたちは推理小説を読んで作られた内容を話し合うのではなく、身近に存在する不可思議な超自然現象を研究し、解き明かす研究会なのです」

(どうりで自治会が予算も部室もよこさない訳だ)

「なぁ、辞めるんだったら今のウチだな」と俺は限りなく小声で秀二につぶやく。

「そうだな、辞めるんだったら1人でいったらどうだ。ついでに、本気で出てくんだったら近衛先輩にチクるけどさ、それでもいいか?」

(年上に洗脳された挙げ句、友情をグラム単位で切り売りするやつ……)

「それじゃ、部活の内容もわかったところで改めて自己紹介するよ」

 唯一壁に寄っ掛かってた近衛先輩が俺達を見回す。

「アタシは近衛 望、知ってると思うけど一応これでも副部長ね。よろしくぅ!」

 さてと、ってかんじで宮住先輩は分厚いシステム手帳を開き、メモか何かをチラ見しながら本題へ進んで行く。

「それで、今日は二つほどみんなと考えたいことがあるの」


1 顧問不在の問題をかいけつするぞ―っ!

2 祝 新人歓迎当面のミステリアスな目標は?


 と、A4用紙にプリントされた文字。

「当面1番は状況をみなければならないけど、2番目は今、この場で決められるんじゃないかな?」

 みな口ずさむ、ミステリアスな目標。

「アタシはさ、音楽室に掛けられているベ―ト―ベン達お歴々と肩を並べている音楽教師の肖像画、その掛けられている理由を調べるんで良いんじゃないかって千恵――いやぁ部長に言ったんだけどさ」

「それじゃつまらないでしょ」

 システム手帳に視線を落としながら、言葉が俺達に投げかけられる。

「初めて自分たちが見つけた不思議なことを徹底的に調べる」

 部長の両手にはやや余り気味の手帳が保持され、それは重圧な音で閉じられた。視線は押し黙る黒革作りのそれから俺達に向けられた。

「人に押しつけられるようなモノじゃ……つまらないのよ、こういうことは」

 内容はどうあれ、何となく部長の言に重きを感じてしまった俺は、素直にその言葉を受け取ることにした。

「でもなぁ、考えてみると不思議なことって意外と少ないぞ」

「確かに亮介の言い分ももっともだが、だからこそ頻繁に出くわしてたら不思議じゃないだろそんなもの」

(秀二さん……いちいちごもっともだよ)

 突っ込まれた腹いせに、俺はジト目で秀二を見る。

「じゃ……さ、みんな。こんなのなんて……どうかな?」

 おずおずとした声は、涼子のものだとわかるのに少しばかりの時間を要した。



「はぁ……はぁ、はぁ――んぐっ! がはっ!?」

 夜の帳も開けぬ頃、どこにでもあるシングルベッドから飛び起きる少女。

 深紅の前髪が額に粘り着くほど、大粒の汗をかいている。

 背中、足、腕、そして胸。既にパジャマはおろかシ―ツまで、寝汗は今も滝のように流れ、濡れそぼっていた。

「はぁ……はぁ…………はぁ、ゴクッ……」

 固唾を無理矢理に押し込む。

 呆然とした顔は後悔という名の心境を表しているのだろうか? 少女は己の両手をマジマジと見つめると――顎先から大粒の汗がしたたり落ちた。


「ねぇねぇゆき、ほらっ、あそこが旧特殊学級棟なんだよ」

 手をつないで引っ張る涼子、その半歩後ろには生真面目そうなゆきの姿があった。

 2人は誠綾学園中等部から続く裏道をたどり、今は使われていない高等部の特殊学級棟の1階正面玄関にきていた。

「まったまった、涼子ったら。ボクはまだ入るなんてひとっことも言ってないぞっ」

 少し怒りかけた調子で、藍乃里(あいのさと) ゆきは引っ張る涼子の手を振り解いた。

「涼子だって知ってるよね? ボクがこういうの好きじゃないって。どうしてつれてくるかな?」

 最近、ゆきは何かを思い煩っている。それが何かを涼子は知っていた。

 もちろんそれはプライベ―トなことだ。自他共に認める大親友のゆきが涼子に相談してこない以上、突っ込んで話せない内容だということも知っていた。

(でも、その悩みのせいで陸上部の……いや、3000m走のライバルを打ち負かしたとあっちゃぁ珠川涼子さんの名折れなんだから)

「いいじゃん夏なんだし、怖いってのもストレス解消できるよん!」

「わわっ!? 涼子~っ」

 力一杯、ゆきの手を引っ張って向かった先、そこには静寂と少しの冒険があると涼子は確信していた。

 何気ない一日。

 本当に何気ない一日を飾るだけのちょっとした寄り道。

 勉強に陸上、そして恋。

 非日常な場所で迎える2人だけの鳩首(きゅうしゅ)。そんなこともありだと涼子は考えていた。

 ただ、少しだけ怖かった。もともとこの旧特殊学級棟は昔から学校の七不思議、その舞台だったからだ。その手の話はゆきを誘っておいてなんなのだが、あまり涼子の得意とするところではなかった。どちらかというと……怖いのは夏の風物詩、つまりはオマケみたいなモノであって、その実、ゆきが背負っている『ないしょばなし』を二人っきりで出来る場所が欲しかっただけだった。

 そして、涼子は己の手で旧特殊学級棟の扉を開いた。油が切れてきしんだ蝶番の音と木造作りの戸枠、そして微妙にあたらしい扉本体のサッシ。

 その扉の軋みと重さ。涼子はその生々しさを一生忘れることが出来なくなるとは、まだ知らない。

 引き返すには遅すぎて……後悔するにはまだ早いこの夏の日。

 今、木製の床が甲高い音を立てて軋んだ。


「なんだか興ざめだねぇ」真っ赤な髪の涼子がつまらない風を装ってゆきに語り掛ける。

「そ……そうかな? ぼくはこれでいいよ。だってマジにこわいし」

 キョロキョロしながら涼子の裾をつまむゆき。

 内心、先頭を歩く涼子も適当なところ――つまりは玄関に近い教室でゆっくりと腰を落ち着けたかったが、意外なことに旧校舎とは言っても管理がしっかりしているらしい。

 扉に鍵が掛かってるのだ。

「ココも開いてないねぇ」

「ねぇ、もう十分に夏の風物を満喫したんじゃないかな? ね、ボクはじゅ―ぶん今年の冷や汗をかきつくしたよ。」

「いやだなぁゆき。アンタはよくっても……私はこれっぽっちも夏らしい雰囲気かんじてないよぉ――っと、やった!」

 がらっ――と、なんの引っかかりも無く扉は開いた。

「よかったぁ、さすがにどこも開いてない―っ、なんてことないと思ったんだけどねぇ」

「で、でも涼子、ここって……生物実験室だよ、ね?」

 とびら付近で首だけを覗かせるゆきは、亀の子みたく首を引っ込めたり伸ばしたりして警戒していた。

「大げさだよぉ、ゆき」

「大げさじゃないよぉ……ほんとにぃ」

 手を引っ張って、やっとゆきを中に入れる涼子。

 最初の印象とは打って変わって薄暗い実験室。目を凝らしてみても、部屋の端までよく見えない。背もたれのない円椅子はこれでもかと言うほどにバラバラに散らばっていた。

「でも……どうしてだろう、ココだけだよね。こんなに散らばってるの?」

 ゆきではないが、他の教室は整然と整理され、人の介入をあからさまに拒んでいた。

(じゃ……どうしてココだけ――あっ!)得心顔で涼子はニマッと笑う。

「だからじゃん! 鍵よ――カギ!」

「えっ……あ、そう言うこと? でもそれにしても……」

 確かに、鍵が開いてるから人が入る=荒らされる、と涼子は言いたいのだろう。

 だが、ゆきにはその図式が当てはまらない様に思えた。涼子はなにごとにも直感的で、鋭いところがある――と自分の大親友を常日頃から評価しているゆき。だが、今日この日はどうしたのだろう?

 どう見たって不自然に感じる事が多い。

 廊下に所々染み込んでいた茶褐色の引き摺るようなシミ。それに壁には何かが飛び散ったような痕。そしてココの床にすらそれはあった。

 陰惨な殺人現場――これを連想しない人はいないのではないだろうか。

 そしてもう一つ、この場所にあって然るべきなのか悩むモノがあった。

「この机……理科の実験用なの……?」つぶやきは涼子に聞こえていない。

 だが、ここだけ何故かステンレスのような材質で、水道の蛇口が設けられ、そこから出た水が傾斜を滑り、排水溝へ流れる様な作りになっているのだ。

 ゆきは刑事ドラマや怖い映画なんかでよくこの机……いや、これを見たことがある。

(ボクの記憶では――解剖台だよね)

 いつもの涼子なら、ゆきよりも早くに気付いている筈だった。この微妙にあわないパズルピースに。

「じゃ、ココでいいよね。ばっちいからティッシュでふきっ――と」

「涼子は強いね、ボクなんかとは違うよ。ここに来てからボクはビビってばかりだもん」

 にこやかな笑みと言うには些か緊張の度合いが強いようだったが、それでもその分ココには2人しかいない。

 恐怖が約束してくれる2人だけの秘密。

 そんな状況が、ゆきとは対照的にとても涼子には面白かった。

 だから、だからこそ、いつもより少しだけ大胆になって、彼女の話を聞き出してもいいかな――と、涼子は考えをまとめた。

「ねぇ、ゆき」お互い座った実験机――解剖台らしき机に乗る涼子

「なに?」

 あまりにもおぞましい雰囲気に気圧されつつも、ゆきは転がっている円椅子を立て直し腰を浅くかけた。

「宮下先輩ってかっこいいよね!」涼子は恋する少女の様相を完成させた。

 これは少しだけ意地悪のつもりだった。

(ゆきが宮内先輩を好きなことくらい、とっくのと―に知ってるんだから)

 涼子ではなくとも、陸上部ではかなりの噂でもあった。だがうわさになる前に知りたいというのは大親友だからこそ許して欲しい独占欲だった。

 それに、涼子だって十分に陸上部の部長を好きになれる立場であるのだ。

 一学年上の3年生。

 初めて陸上部に顔を出したとき、すぐに涼子の長所を見つけてくれた人。その人は涼子に笑顔で話しかけてくれた。

(だから……)

「えっ!?」

「わたしね、今日の夕方さっ、宮下先輩へ告白する事に決めたんだ!」

 ゆきはまん丸な瞳を上へ下へ右へ左へと大忙しに動かしている。きっといま、彼女のあたまんなかでは緊急会議が開かれてるんだろうな――と、涼子は微笑んだ。

 そして――、

「そんな顔して驚くほど……宮下先輩を好きなの?」

「ぱく……ぱくぱく」ポカンと開いた口が閉じたり開いたり。

 涼子はゆきが大好きだった。自分に陸上という世界を教えてくれたし、どことなく人付き合いの苦手な涼子に、たくさんの友達を紹介してくれた。

 だから、好きな人と好きな人が幸せになれるなら……、自分は喜んで身を引かなければならない。そう思うのも涼子にとっては当然の事だった。だが、ちょっとだけくやしいから意地悪したくなったのは、それだけ涼子も先輩の事を好きだったからだ。

(もう、ほんのちょっとだけって思ったんだけどなぁ。驚きすぎだよぉ……)

 ――それも終わりだった。

(だって……こんなに辛そうな顔して笑顔つくるんだもんなぁ)

「大親友にそんな顔されたんじゃかなわないなぁ……宮下先輩はゆきにゆずるよ!」

「えっ? あのぼ……ぼく涼子の言ってる意味がわからないよ……」

「だからぁ、今日は作戦会議なんじゃない! 今日だけはここが私たちの秘密の場所なんだから、とことん作戦をねっちゃお―」

 決起のおたけびが涼子の口から飛び出たのとほぼ同時だった。重量物が倒れる音が響き渡り、辺りは積年の埃がまき散る。

 2人はほとんど反射的に教室の前にある教壇を見た。

「きゃ!?」「うわぁ!!」

 誰か居たの!? と涼子は咄嗟に思考した。

 だがそれにしては、あまりに静かだ。

 意図的に倒さなければ倒れるはずのない教卓。それが辺りに積もった埃をまき上げながら倒れたのだ。朽ち果てた木製の教卓は、木っ端を放物線にまき散らしながらも、辛うじて原型を留めていた。

 それは年月の変化によって朽ち果てたのではないと、誰もが判る筈であった。

「だ……誰! 驚くでしょ」

 涼子の言葉に返事はない。

 だがその代わり、今まで教壇に隠れていた黒い椅子が露わとなり、恐怖に支配されつつある彼女達の気持ちを逆なでするかのよう、甲高い音を引き連れてゆっくりと回転した。

 ゆきは咄嗟に足下を見たが、そこに足は見えない。

「涼子……ボク、イヤな予感がするよ」

 椅子は少女達の思惑を無視し、慣性では不可能なほどゆっくりと回転する。

「誰なの!」

 凄む涼子の声は虚しくも椅子のきしむ音にかき消され、教卓が巻き上げた埃はようやく落ち着く。

「ンアッ……ァァッ――ァッァッ?」

 赤ん坊、いや、動物の子供がぐずる声だろうか。それに近い微妙にか細い声。

 そしてそれは直ぐにに耳をつんざく雄叫びへと変わる。

「ァァァアアアアアアアア!!!」

 2人は咄嗟に耳を塞いだ。いや、塞いだと言うより、余りの高周波に反射的に耳を庇ったといった方が正しいだろうか?

 そして雄叫びが止み、今まさに椅子は回転を止めた。

 上半身、が見えた。5mも離れていない場所。夕闇がこの場所を染め上げているため、遠くがハッキリと認識できない。

 でも、それでも椅子の上にいるシルエットは……上半身だった。

 ギョロッとした両目はヌラリとした光沢を発し、まるで涼子達に狙いを定めるかのごとき動きをしていた。

「あ゛ぁ……」涼子に向けて、そこにいる何かは指をさす。

 柔らかなものが潰れたような、ヌラッとした音。生理的に受け付けない音が短く響く。

 そして……ヤツは椅子からずり落ち、腹部から絶望と言う名の腑を零しながら、己の手を使い這いずってくる。

「ずりゅ―っ、べたん」茜に彩られた赤い糸を引き摺る音

 異質な音は細切れな吸気音と共に奏でられている。

「んぐっ!?」ゆきは口元に手を宛がう。

 本当に驚いた時、いや、本物の恐怖を見せつけられた時、人は心臓で恐怖を感じるよりも目の奥、大脳の直下にある部分で恐怖を感じる。

 汗はしたたり落ちるなどと言う安直なモノではなく、背筋を瀧のように流れ落ち、足の裏は感覚を得る作業を放棄した。

「な……に? こいつ――っ!?」

 いまハッキリとした輪郭が浮かび上がる。その姿に涼子は擬人と言う表現を適応して良いのか悩んでいた。

 場違いなまでに冷静な疑問は逆に言えば全ての情報を否定した結果だった。恐怖による思考の麻痺が呼び起こしたシナプスの錯綜。

 その結果は一瞬の思考傷害。

 それは同時に、涼子の身体に更なる障害を引き起こす結果となった。

「いや……」

 足の膝関節は重力に贖う事も忘れ、自分の重さも感じることなくストンと崩れ落ちた。

「なん……なの?」

 その僅かな間にも伸びてくる手。

 ゆっくりと、ゆっくりと伸ばされた手は木製の床へ宛がわれる。

 5本の骨張った指から伸びるのは、人の物とは思えないほどに長く伸ばされた爪。それは床に食い込み、引き摺る粘っこい音と共に身体は前方へ進む。

「曲がって……る」

 涼子の目に入る光景は、やっぱりヤツが人ではないと訴える。

 腕の曲がる方向、それは決定的に人とは違う。

 ヤツは身体の内側に、肘を曲げたのだった。

 いつの間にか茜に染まりすぎた世界。斜光は古ぼけたこの部屋を場違いなほどノスタルジックに染めるが、ヤツの身体だけは血に染まったように真っ赤だった。

「ぁぁぁああああ――かぉ……ほし、い」

 歩みと呼べるのか判らない接近を中断したヤツは、ゆきに狙いを定めた。そして緩慢に長い腕を伸ばし、身の毛もよだつ言葉を発した。

「かぉ、ちょ、ちょう……だい」

 皮膚はなく、筋繊維がさらけ出された頬が大きく伸ばされ、そこから露わになった歯が噛み合わさってカタカタと笑いを零す。

 瞼など存在しない目は、無慈悲な光沢を爛々ときらめかせながらゆきを見つめていた。

「りょうこっ!!」

 力の入らない腕を強引に引っ張られた涼子。

「うわっ!?」

「にげるの!」

 腕を持っても立ち上がらない涼子の襟首を鷲づかみにしたゆきは、無理矢理な姿勢で彼女を立ち上がらせると同時にダッシュした。

「…………」

 足取りのおぼつかない涼子を前に押し出し、引き戸を勢いよく開けはなった。

 廊下にはめ込まれている木窓から溢れる色はすでに茜ではなく、夕闇が黒へと染まるほどの時間になっていた。

「!?」

 勢いよく廊下へ躍り出て、来た方向へ体をひねる。

 ゆきの心は焦りに似た焦燥感を抱いてはいたが、あくまでも涼子のように飲み込まれてはいなかった。

 いなかったからこそ判る……周りの変化。常識ではありえない程に早い時間の経過。

 それは日没の訪れで知ることができた。

 そしてそれが次に織りなすのは闇の到来。

「涼子っ、走るよ! 走るんだよっ!!」

 闇が迫る。それは自分たちの走ってきた軌跡を黒く染める。

 そしてその闇の中からヤツの――あの音が追う。

「ずりゅ―っ、べたん」

「ハァ……ハァ……あぁぁぁぁあぁ……あはっ」

 間近に聞こえる息継ぎの音、それはアイツのなのか自分達のなのかハッキリとしない。

 廊下の窓から差し込むのは既に、夕日の斜光ではなく漆黒の闇。

 足下ですら覚束ない。そして来た時よりも明らかに長くなった廊下。

 もうココは何でもありなんだろうかと思うほど、彼女たちを追いつめる。

「ゆきっ! なんでっ――はぁはぁ……長すぎっ……るっ」

「分かんないよっ――でもさっ!」でも……と、ゆきは涼子に言葉を伝える。

「僕たち陸上部でっ――良かったよねっ!!」

 走るだけの体力は普通の人より持っている。

 アイツに体力という概念があればの話だが……とは涼子に言わなかった。言えば涼子の心は折れる。

 彼女と出会ったあの時がそうだったように。


 何個目の非常ベルを通り過ぎただろう。

 真っ赤な光を朧気に灯すランプを通り過ぎた。

 既にアイツの声も足音も聞こえなくなった。

「ハァ……ハァ……ゆきっ、階段っ……だ」

 思わず恐怖よりも安堵が勝り、その場に立ち止まった。

「やっと1階に行けるね」

 言葉とは裏腹だが、ゆきはそんな風に楽観できなかった。あくまで涼子を元気づける為に言っただけだった。ココまで異変が起きてるのだ、なにもない訳はない。

 だが進まなければこれ以上の進展は得られない。延々と続く闇の彼方から、息づかいも微かにだが聞こえてくる。

「行こう、涼子」ゆきは涼子の腰に手を回した。

(まだ走れるね、涼子)

 別に彼女を支えるのが目的でもなく、心細い想いを和らげるのが目的でも無い。息の上がりまくっている涼子がまだ走れるのか、腰椎の動きで確かめただけだった。


―旧校舎1階―


 必要以上にきしむ階段は、二つの恐怖を連想させる。一つは朽ち果てた床が抜け落ちる恐怖。そしてもう一つは自分たちの場所が知られる恐怖。

 最後の一歩が1階廊下にたどり着いた。

 両側に廊下が長く続く。自分たちは来た道でいうと……右手側にある廊下を10m位進んだ小さな昇降口から入ってきた。

 涼子もゆきもおずおずと角っこから顔をのぞかせる。

「ゆき……んくっ――あったよっ……はぁ……玄関」

 遠く……遙か遠くに見える小さな光点。それが外の光だという確証があるのか、それは誰にも判らない。

「行くっ――よね、んくっ……ゆきっ?」呼吸は相も変わらず整わない涼子だった。

 なにも無い訳はない。これで逃げれたら、今頃アイツはうわさになっていて、挙げ句にはテレビ局なんかも来て相当な話題になってるはずだ――とゆきは内心思っていた。

 だが、それがなにも話すら出てこなかったと言うことは……見た目以上にこれから先は難関になっているのだろう。

 ゆきは嫌な予感を抑えることがついに出来なかったが、その想いを涼子と共有する事はしなかった。

「涼子、この廊下をダッシュすれば終わりだよ」

「うん……んくっ、ゴメン、まだ息が……整えれない」

 涼子は壁に手をかけてゆきを見つめる。申し訳なさそうな視線――が崩れた。

「――ヒィッ」

 階段を這うように……今ヤツは涼子たちの2mもないほど近くに佇んでいた。

 皮膚がただれ、穴の開いている頬を惚けた感じで開け広げ、目は無垢なほどあどけない光をこちらへ向け――。

「かぉ……ちょ、う……だい……」

 長い……とても長い腕だった。

 階段の中腹に居るヤツの差し出す腕が……もう少しで自分たちに触れそうなほど長い。

(僕たちはまだ……アンタの思いどうりなんてならないよ、涼子を先に行かせれば2人とも逃げきれるんだから)

 気持ちは決まった……と言うより、ココまで近くに来られたら逃げるしかない。

 ゆきは涼子の手を取り、逃げる切っ掛けを作ろうとした。

「にげるよ涼――子っ!?」「いやぁぁぁぁ!!」

 一瞬の出来事だった。

 涼子がゆきを突き飛ばして走っていく。

 よろける視界には涼子の背中だけが見え、軽い衝撃とともに自分が廊下の壁にぶつかったのだと知った。

 十分に感じる鈍い痛みが胸と後頭部に。

 呆然と言うには一瞬だった。だがその一瞬という遅れは死を身近なものに変えてゆくには多すぎる時間だった。

 化け物が近づいてくる……。

 立ち上がり駆けだす。それだけの事なのに、体が異常に重く感じた。


「ハァハァハァ……ハァハァハァ……ックッ、でぐち……出口だぁ!!」

 恐怖でもたつく足を懸命に前後させ、涼子は脇目もふらずに走ってきた。

 徐々に大きくなってくる出口の光。

 全力疾走でどれくらい来たのだろう。たぶん今までで最高に長い距離を走ったはずだ。自分の経験だと既に600mは走ったに違いない。

 校舎にしてはあり得ない、そう思うに十分な長さだった。でも本当に光は直ぐ、もうそこにあった。

 あと……50m。

 だから……涼子は後ろをくっついて来ていると思ったゆきを振り返ってしまった。

 そこに足音がしていたから見てしまった。

「ゆきっ! もうちょっとよ!!」正当化しようと思った言葉だった。

 これで2人とも、怖い思いから脱出できるのだと、涼子は怖さよりも嬉しさを込めた目線を後ろへ送ろうとした。

 でも……肩越しに振り返ったその先に、ゆきの懸命に走る姿は認められなかった。

(えっ……)確実に足の動きが鈍る。

 でも、涼子の耳には走る音が聞こえる。

「どこっ……あっ、えっ!? ――うぐぅぅぅっ」

 鈍い衝撃と共に、後ろを向きながら走っていた涼子は昇降口の扉に体当たりをかましてしまった。

 鈍い音と入り交じって聞こえる甲高い金属のきしむ音。

 両開きの扉は涼子を吐き出すように、面白いほど勢いよく開いた。

「おえっ……んぐぇ、うぇぇぇぇぇ」

 走りながら吐瀉物にまみれた涼子は、地面を滑り転げながらも、ただ一点を凝視していた。扉にぶつかって開いた拍子に涼子と共に飛び出してきたもう一つの物体。

 それは足だった。

 いや、正確には腰から下。

 学校指定のスカ―トを勢いよくまくし上げながら、綺麗なストロ―クで動いている足。

 それは涼子も見知った、きれいなランニングフォ―ムだった。

 時折腰から高らかに吹き上げられている赤い液体は、歩数を重ねるごとに力無くたれ流れる。それに続き、まるでゼンマイが切れたおもちゃを連想させるように、じょじょに動きが鈍くなる足。

 それは今ゆっくりと動きが止まり、パタンと倒れた。

 どす黒い切り口からは勢いよく、真っ赤に染まった何かがたくさん溢れてきた。

 見たことのある形も……見たことの無い物もたくさん。多分……出てきちゃダメな物だと咄嗟に涼子は判断した。

「おぐぅっ――げぐぅっ!」

 何度目の嘔吐だろうか、いや、全てを出し切らないうちに、涼子はさらなる光景を目にする。昇降口の出入り口、そのガラスが大きく震えるほど鈍い音が鳴り響く。薄暗いそこにはガラスにぶつかるゆきの……蒼白な顔。

「ゆきっ!!」

 声と気持ちだけが先行し、足は動かない。

 ワナワナと震える手を何とか伸ばすが……届くはずのない距離。

「はぁ……はぁ……はぁ」

 微かな息づかいが聞こえてくる。

「いた……い、りょう……こ、いたいよぉ」

 何とか力を振り絞って近寄る。扉のドアノブを回すが、開かない。

 そして……涼子は知った。ガラスの向こうにいるゆきに……下半身が無いことを。

 ボロボロになった制服の裾……その奥には血に染まってピンク色になっているむき出しの腰椎。それがゆきの動きに合わせて、左右へぐいぐいと軽妙に動いていた。

 微かに、微かに聞こえる声と、ゆき以外から発せられるうわっついた吐息。

「はぁ……はぁ……あはっ……かぉ」

「ぐんぁっ!」ゆきの目が……一瞬グリンと仰け反る。

「ぁぁぁぁあぁあああああ!!」

 声なのだろうか、それとも割かれた(くだ)に空気が入り込む音なのだろうか?

 ゆきの首から長い爪が顔を出した。皮膚は伸びるように引きちぎられ、胴体と頭部を多機能に繋げる管という管が徐々に伸び千切られてゆく。

 断末魔の表情を残し、涼子の目の前でガラス板一枚を隔て……胴体は床に果てた。

 鈍い音がこれを夢ではないと涼子に知らせる。

 ゆきは生きながら、何者かに三分割にされてしまった。

 だが……さらにゆきへの陵辱は続く。

「かぉ……」

 そして……、

「いゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」


 悲鳴。そして気が付くと手を見つている自分。

 自分の悲鳴で目を覚ますのなんていつもの事だった。寝たと言うよりも意識を失ったといった方が的確だろうか?

 薬を飲んで30分、涼子は自分の悲鳴で目が覚めた。

 汗は頬を血のようにしたたり落ち、鼓動は先程まで高鳴っていたとは思えないほど、更に強い拍動を繰り返す。

 あの日――ゆきを突き飛ばしてしまった日から涼子は罪を背負った。

 許される事のない――夢の中での贖罪。

(でも、どうせ許されないのなら、絶対にヤツの息の根を止めてやる。どんな犠牲を払おうとも……絶対にころしてやる)

 あの日から誓った思い。それは夢を見るごとに膨らみ、大きな決意へと昇華してゆく。

 もうすぐ、もうすぐ復讐が出来る。そう、涼子の思いは薄く白み始めた窓の外へと向けられていた。



「亮ちゃんはい、ご飯だよ」

 俺の目の前にほくほくとした湯気の立ちこめるご飯茶わん。

「さんきゅ―」

 6畳ほどのダイニングに今は二人。ちなみに父さんも母さんも仕事で帰りが遅い。となると見慣れた風景に違和感なくとけ込んで、当たり前のように飯を茶わんに盛りつけているこいつはと言うと。

「さっ、たべようかな」

 美菜である。

 去年までは俺の幼なじみとして活躍していたが、今年からは同居人としてさらなる大活躍が期待されている柴田家大望の新人選手だ。

 ちなみにコミッショナ―たるうちの母親は将来を有望視している。

「で、さくっと突っ込み入れるが、何でおれとお前が夫婦(めおと)茶碗なんだ?」

 些細な疑問の表情を汲み取った美菜がいう。

「だって、お母さんがそろそろお客さん用じゃなくて自分のを買ったらいいわって言ってくれたから」

「いや、その理由だとオマエ専用の茶碗が増えるだけだろ。だけどここにあるのは夫婦なんて重い冠しょっちゃった意味深な茶わんじゃないか?」

「だってぇ、一個買うより二個買った方がお得だったのっ」

 と、ほんのり頬を赤らめて美菜は答えた。

「それに亮ちゃんの茶わん、お口のところ欠けちゃってるからちょうど良かったし」

 で、青と赤の花柄模様がうちの茶器棚に鎮座していた訳か。

「親父もお袋も間違って使うんじゃないか? そのうち」

「お父さんとお母さんの茶わんは、似ても似つかない趣味だから大丈夫だよ」

 にこにこ顔で今日のメイン晩飯である肉じゃがをほおばる美菜。


 こいつがうちへ居候してくれたおかげで、食糧事情はかなり裕福になった。

 いやそれだけじゃない、掃除だって洗濯だって嫌がらずにしてくれる。

「マジで家のバカ息子と結婚して、私たちを楽にさせて」とは実の母の切実な台詞だ。

(いや、本気なんだろうな)

 まぁ、いろいろな家庭があると思うが、うちもまたちょっと特殊な家庭だ。

 両親がこぞってこの町にある製薬会社の研究施設で働いている。お袋は研究主任、親父は研究主任補、つまりは主任の助手みたいなヤツだ。

 おかげで俺は小さい頃から旅行も行った事がないし、親の手料理さえまともに味わった事もない。親の味って言えば……隣近所のご厚意で美菜ん家のご両親が持ってきてくれる料理だろうか?

(おかげさまで、美菜はおばさんの味と同じレベルを継承してますよ)

 早くに亡くなったおばさんへ定時連絡を入れる俺。だけど不思議な事に……顔覚えてないんだよなぁ。

「ほらっ、はやく食べないとさめちゃうよ、亮ちゃん」

「あっ、わりい」

 ……。


「ねぇ、今日は久しぶりにお勉強みてあげるね」

 さらに箸は進む。

「必要ないぞっ、ずずずずぅ~っ」赤みそに麹入りは俺のお気に入りだった。

「うわぁ、亮ちゃんがかわいくない~」

「かわいいとか、かわいくないとかの前に……もっと考えなきゃならない事あるだろ?」

 なにを? って顔が少々うざったかったが、気の回らない幼なじみに俺は説明する事にした。

「部活の件だよ」

 口重そうに俺が定義する……、そして気が付く美菜。

「でも、珠ちゃん……部活とかそう言うはなしに関係なくなんか、必死だったような気がするよ」

「だけどな……実際どうなんだ? 学校に何でも願いを叶えてくれる桜があるって」

「う―ん……あるとすごい話だよね?」

「いやまぁ、確かに凄いけどマズイとは思わないか? そんなの興味本位で捜しちゃ」

「んと……でもね亮ちゃん」

 とがめる姉のような顔つきで、美菜は箸置きに己の箸をよこたえた。

「それが……亮ちゃんのさそったミス研の本来あるべき姿なんだと思うよ」

(ぐぅっ、まさか美菜に根本を突かれるとは思いませんでした……つ―かそんな事わかってるよ!)

「俺が言いたいのは……若気の至りてんこ盛り高校生が、興味本位で願いなんて言わない方がいいように思うってことだよ。あの桜はすごく……すごく大切な想いによって長い年月を生きてきたんだから」

「えっと、亮ちゃん。その桜の場所……知ってるの? なんかそんな話し方だね」

「うがっ!? いやっ、そんな都合のいい桜なんて知るわけないだろっ。あははははっ」

 変なところだけは相変わらず鋭いなぁ。唇に人差し指を宛がいながら、まだ納得のいかないって顔で考え事をしている美菜の眼前にあるおかずを……パクッと頬張る。

「うわっ!? 亮ちゃん、おかずはキチンと半分こだよぉ」

 意識が別な方向へシフトし、二人だけのにぎやかな食事が再開された――とおもった矢先、我が家の玄関チャイムが容赦なく鳴り響いた。

「あらっ? 新聞屋さんかなぁ」

 ぱたぱたた……と、来訪者をインタ―ホンで確認する事もなく財布をもって出て行く。これで泥棒だったらまさにカモネギ。

 と言うわけで、それで思い出した訳じゃないがあさりのみそ汁を一すすり。

「きゃぁ―」

「ぶぅぅぅぅっ!!」(マジで強盗か!?)

「珠ちゃんいらっしゃ―い。どうしたのぉ?」玄関で美菜の嬌声が聞こえた。

(強盗の方がまだましだったか……)とは、口が裂けても言えない思いである。

 で、お客さん用の茶わんを喜々として持ち、俺たちの肉じゃがをつっつく涼子。

「いやぁ、しっかし驚いたぁ。美菜って結婚してたんだぁ~って言うかなに? 今はやりの夫婦別姓ってやつ? あれってわたしも学生結婚に有利だと思ったのよねぇ」

「美菜のばあちゃんが入院してて、その間だけ家に来てもらってるんだ」

 本来なら、うちで面倒見てると言いたいところだが、どう考えても面倒見てもらってるのは両親ひっくるめて俺たちだから、おこがましくてそこまで言えなかった。

「そっかぁ! ごめんねぇご飯の後のお風呂、少し遅くなっちゃうね亮介さん!」

(あいっからわらず人の話……無視だよなぁ)

「いやぁ……しかし、すごいねぇ。幼なじみで女体の神秘を冒険しまくりですかぁ、やりますねぇ亮介さんはお・と・な」

(うわぁ……すっげぇむかつくぅ)

「だから違うって……」

 言いかけた俺の言葉を、ジト目で押さえつける涼子。

「亮介、美菜を汚した責任、一生涯プラス死後30年は保証しなさいよ」

(いや……出来るわけねぇし、平均寿命からいきゃ同年代の夫婦だったら、夫の死後30年なんて生きてたら化けモンだろ)

「あの、珠ちゃん」

 いつになく真剣な面持ちの美菜が涼子に向かう。

(そうだそうだこんな奴に言われ放題ってのも腹が立つ。同性の立場からも言ってやれ)

「ご飯のお代わりは?」

「うんありがとう!」

(もうどうでもいい……好きにしてくれ)


 で、凄惨な食事現場を逐えた俺たちは……リビングに今、その姿を移していた。

「それで、どんな経緯で夕飯時の訪問を敢行したんだ?」

 美菜の入れてくれたお茶をすすりつつ、涼子に問いただす。もちろん、美菜も涼子もお茶をすすってる。

「あれ、忘れてた。あはははっ」

 手に持っていた湯飲みをコトッとテーブルへおくと、いつもの軽妙な表情からうってかわって頑なな表情へと一変する。

「あのね、あしたの研究課題の決定、わたしに一票くれないかな?」

 はぁ?

「あの、学校の七不思議を研究するってやつか? 何でも願いが叶う桜を探すってヤツ」

「そ、わたしはその根回しに来たの」

 1分ほどの沈黙。

「悪いがてんで興味をもてない。それにそんな桜があるとしたら、俺たちのくだらない戯言なんて持ち出さない方が――」

 俺の弁は両手でテ―ブルを強くたたいた涼子によって遮られた。

「くだらないって言うな! 私にだってすっごく大切な願いがあるんだ!」

 涼子は潤んだ目を乱暴にこすり、さらに言葉を続ける。

「いつもなら茶化してくれてもいいよ。だけど、今回のことだけは真剣に考えてるんだから! まさか亮介の口からもそんな言葉が出てくるなんて思わなかった」

 涼子らしからぬ反応と、本気と思える剣幕。そして俺はそれを目の前にしてばつの悪さが心に広がった。

「すまん……、確かに言いすぎた。だけどな、できればどうしてそこまでオマエが真剣になるのか、その理由を俺達に教えても良いんじゃないか?」

 その根底をしらなければ、また俺はこいつに悲しい思いをさせる気がする。人の気持ちなんて結局の所、深かろうが浅かろうが言葉を交わさなきゃ理解しあえる訳がない。美菜もおっとり感は否めないモノの、それでも真剣な面持ちで涼子を見る。

 二人の視線を交互に見つめる涼子は、ゆっくりとだが己の心を声に乗せた。

「強いていえば自分のためなんだ。なんて言うのかなぁ、私は昔っからさ、納得いってないんだよ、いまこの時にゆきがいないの」

 藍乃里ゆき、涼子の親友だった女の子。

 中学んときの同級生。そして今は……鬼籍に入っている友人。

「涼子、お前まだあのこと気にしてるのか?」

「気にしないなんて……出来ない。それにアンタだってもし私の立場になったら同じはずだよ」

「珠ちゃんごめんね。亮ちゃんも悪気でいったわけじゃないの。ただ、わたしもハッキリした事はいえないんだけど……亮ちゃんにとっても、桜のお話はとっても大事なものだからね、つい強くでちゃったの。許してあげて……ね」

 隣に座る涼子の手をきゅっとつかみ、美菜は懇願にも似た表情で言葉をつむぐ。

「わかってるって、美菜。それに悪いんだけどさ亮介、わたしあんたの事情玩味してるほど今回は余裕ないんだ」

「絶対に引けない内容だから、賛同してくれなくても良いけど、敵に回るんだったらそれ相当の覚悟でね。」

 一瞬、涼子の視線は鋭い槍のように俺の心へと刺さる。

「それじゃ美菜、ご飯ごちそうさま。おいしかったよぉ!」いうだけ言って去ってゆく。

 見送った後の玄関、先ほどまでのぎやかな雰囲気とのギャップが寂しさを呼ぶ。改めて家に二人ってのは寂しいもんだと理解した。

 美菜にリビングへ戻ろうと告げた俺は、息混じりに涼子の台詞を反芻する。

「引けない内容……かぁ」

 決意なのか、それとも覚悟なんだろうか? どちらにしろそれは悲壮という言葉がよく似合う。

「珠ちゃん、思い詰めてるね」

 美菜の心配も何となくだが俺の心に伝わる。

「大丈夫だよ」

 何が大丈夫なんだと美菜につっこまれていたら……言葉に詰まっていたと想う。今の台詞は美菜に、そしてなにより自分に言い聞かせる言葉だった。

 第一、大丈夫なヤツが迷信を信じて行動するわけがない。だが、俺はその迷信が真実だと知っていたから、それに気が付かないだけだったんだ。


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