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第二章 「ウソとホント」


 昨日の恐怖体験とは打って変わった今日。日本が唯一世界に誇れる平和の二文字、それが具現化していた。

 朝の晴れ晴れとした空の下、登校途中のかわいたアスファルトは緩やかな坂を形成している。市内でもちょっとした名所になっているこの通りは、片側一車線だがほとんど車が通らないので歩行者天国と化している。有名である由縁はずぅ―っと真っ直ぐに伸びた道路、それに『100本桜木通り』と呼ばれる桜の木が100本かどうかは不明だが、たくさん植わっている。

 約1キロに渡るこの通りは、位置的に小高い学校の正門から見通すと、春などは市内に伸びる桜の絨毯だった。今では下校中の学生相手の商売が儲かるのか、放課後になると移動販売の車両や屋台が軒並みに並ぶ時もある。

 そんな『100本桜木通り』は今日も清々しい空の下、学生で賑わっていた。

 自由な校風が売りのちょっとした進学校だと話には聞いていたが、進学校らしいピリピリとした緊張感も無ければ、口うるさい教師も少ない。自主性を重んじ、生徒もそれに答えているといった感じなんだろう。

(にしても……昨日の今日だ、用心しなきゃな)

 さすがに往来の多いこの場所で、昨日の怨み魂が躍り出てくるとは思えない。が、否が応でも緊張を強いられる。

 この余りにも日常然とした光景が広がるとしても、俺が襲われたあそこだって普通の場所だった。まだ少し痛む足や腕、それだけがアノ記憶を肯定する。

 小さな霞の放つ音、それが俺を驚かせ辺りの警戒を促す。

 周りには気取られないように……視界は常に周囲を行き来させると、俺の視界ギリギリ下方に、もくもくと歩む行方不明少女。

 コーヒーを買いに行ったまま行方不明になると言う、超天然ボケの星を背負った少女の名は五月雨美菜。まぁ何というか、簡単に言えば俺の幼なじみ。

(まぁ、難しく言う気はないがな)

 肩よりも少し長めの髪をゆったりとうなじ付近で纏め上げ、髪留めをつかってクルッと巻いている。それは俺的に和服を着る時のような髪に感じるのだが、まっ茶色の髪にとても似合っていた。

 容姿は、見慣れた俺が言うのも何だが悪くないと思う。おっとりした雰囲気とゆったりとした話し口調。

 感じさせる存在感が『何か保護者みたいだよな』と評するヤツも多いが、それは俺的にも悪い風評とは思わない。逆に……俺にはそんな美菜が、かいがいしく人の世話をする日常を見つけるのが大好きだ。

 もっとも、それが自分に向けられると、

(昨日みたいに大変な目に遭うんだ)

 俺は昨日の行方不明オチを脳裏に思い浮かべる。結局、学園内で自販機を見つけられなかった美菜は、わざわざ学園の外に自販機を求めて歩いた。

 日が西へ傾くまでさまよった挙げ句の果てに、行き着いた場所はいつもの商店街。せっかくだからと夕飯の買い出しをする内に、スーパーの特売に目を奪われたと言うわけだ。

 そしてオチはここだ。留守になりがちな親に代わって俺に喰わせる為、得意の料理で腕をふるったは良いが中々帰宅しない。

 だんだんと冷める料理、そして帰らない俺への心配。

で、夜の8時を回ったところ、ようやく玄関で俺の靴を発見。そして……憔悴しきった俺は何故か階段を駆け上ってきた美菜にしこたま怒られた。

 と言うわけで、こいつのお節介は時として大変な目に遭うこともあるのだが、俺以外に向けられる美菜のお節介シ―ンはめっぽう気に入っている。

 そしてそれをやり遂げた後にホッとほほえむ顔、それが堪らなく……好きだった。

「あれっ、どうしたのかなっ、亮ちゃん?」

 視線に気付いた美菜が、春の日差しよりも柔らかな微笑みを浮かべて俺を見つめる。

「あ、いや、今回もクラス……違ったな」

 襟に留められたクラス章はA組。そして俺の襟にはBのクラス章。

 俺と美菜はほとんど一緒のクラスになれたことが無い。遙か昔に遡ること小学三年の3学期に一度だけ同じになったっきりだった。

「仕方ないよ、こればっかりはお天道様が決めることだから――ねっ」

 落ち着いた雰囲気を醸し出しながら、さも俺を宥めるかのようににこりと微笑む。

 こいつが着るブレザ―はダブルの薄い春色。スカ―トは濃淡あるグレ―系のチェック柄で最近の流行にずれることなく短めだった。

 胸元にはブレザ―と同系色――ちょっと濃いめに彩られた厚めのリボン。ちなみに男は濃い青のブレザ―。そしてズボンは灰色。何か女子に比べて手抜きっぽい所が不憫だ。

「まっ、あれだ、高校生活も始まったばかりだ。お前も心機一転がんばれよ」

 せっかくの励ましだったが、なぜか美菜はキョトンとした顔。

「私は平気だけど、亮ちゃんこそみんなと仲良くね」

(ぐっ……朝っぱらから母親二号かよ……)

「100人くらい作ってやるよ」

 こう言っては誤解を招きそうだが、俺は友達を作るのが昔っから苦手だ。だからと言って人が苦手なわけでもない。

「んふふっ、多いことは良いことだけど、100人もお友達いたらお付き合いが大変だね亮ちゃん」

 そう言って、俺が進んでいる方向にかろやかなステップで割って入ってきた美菜は、光彩のやわらかい瞳で俺を見上げる。

「たくさんのお友達も大事だと思うけど、それより私は――掛け替えのないお友達を少しで良いからつくって欲しい……な」

 姉さんぶった口調が少しばかりうざったい雰囲気だった。落ち着いた声色で諭すような言い方も、年上に感じさせる何かを持ってる。

(でも、ドジなんだよなぁ。面倒も掛けられるし)

 もちろん、俺も面倒を掛ける。だからおあいこなんだから……こんな風に思うこと無いんだけどな。

 素直になれないのは、近くに居すぎるからなんだろうか?

 こいつのこういう所、嫌いじゃないのに。

「はいはい、判ったよ」

 だから俺は小さく頷くと、正面に顔を向けた。

 二人の前にはあと少しだけ長い道が残っている。学校へと続く道が。



「ゴクッ……」

 俺の目の前には教室と廊下を隔てる一枚の引き戸があった。

 スチ―ル製の取っ手に指をかけるが、それは汗でふやけてしまいそうなほどだった。

 冷や汗。人はこの汗をそう呼ぶだろう。

(俺はなにに脅えてるんだ? いや……それは愚問か)

 俺にとって教室前の扉とは最大の難所。

 教室へ入ろうと手を掛けると途端に、足が竦んで手が固まり、冷や汗でぐっしょりと濡れそぼる。

「嫌いな理由はなに?」と小学校の女担任に聞かれたことがある。

 俺はその時に初めて認識できた。

 一斉にみんなが俺を見る目付き。それは奇異なモノを見てしまったと言いたげに眉根をひしゃげ、最後は何もなかったかのように視線を逸らし日常に戻ってゆく。

 その視線がとても嫌だった。

(悲しい記憶なんて……誰もが持ってる。なんて事ない)

 肺に空気を一杯に満たし、俺は横開きの作りになっている扉、その取っ手に指を引っかけた。勢いよく開けるために更に間をおいて――いざっ。

「いつまでもじゃまっ!!」

「ぐわっ!?」背中のちょうどど真ん中にすげぇ強力な打撃。

 その刹那――勢い余った俺の身体は扉にぐちゃっと嫌な音を発てて接触した。

「りょうすけぇ、アンタ目付き悪いうえに、なにかと邪魔くさいのよぉ」

(くぅぅっ……マジいてぇし、て言うか目付き悪いとか関係なくないか?)

 渾身の蹴りだと判断した腰椎の神経は、過激な痛みで俺へ危険をアピ―ルする。鼻の頭はあれだけ恐れていた扉と融合しそうなほど押しつけられていた。

「お―い、りょうすけぇ~再度で最後のちゅうこくね……」

「邪魔なんだ~よぉ!」

「グシャり」って俺の体からしてる擬音なのか……これ?

「……」

「お―い、今度はもうちょい派手目な技で今いじょうに楽にしてやろうかぁ―」

「ふざけんなぁ!!」

 拳を振りかぶりながら、俺は勢いよく後ろを振り返った。

 俺の死角から野性味溢れる蹴りを入れやがったのは中学からの数少ない知り合い、珠川涼……子。

(の声だったよ……な?)

 勢いよく振り返った俺の正面に、知らない女生徒が立っていた。

「ど……どうした?」

 眼鏡をかけたマジメそうな顔つきは、拳と顔を交互に見つめながら固まって、複雑な表情を作り上げていた。

 俺は蹴られた被害者だった筈なのに、いつの間にやら加害者的立場に上り詰めていた。

「わ……私、何かしましたかぁ」

 見ず知らずの女生徒はせめて撲たれる前に、その訳と殴られることになった筋道を聞かせて欲しいと言った顔をしていた。いや、もっと形容を豪華にすれば……己が殺される前に死すべき理由を尋ねている図、という光景だろうか?

「いやっ……その、あれだ」(嘘だろ! 涼子の野郎どこ行った?)

 辺りを見回すが、焦ってるだけになにも視界に入らない。ただココにあるのは群衆。

「あ……アンタじゃないんだ」

 振りかぶった拳は素早く降ろして、思いつく限りありったけの言い訳を考えた。

 が――しかし、俺の思考よりも早く周りには人集りができ、あっと言う間に俺と多分被害者の女生徒は囲まれてしまっていた。しかも……微妙に間隔を開けて。

 憶測一杯、期待一杯。そんなひそひそ話が周囲2mくらいの間隔に蔓延する。そして俺の学園生活は後悔一杯に塗り替えられようとしていた。

 わらわらと集まってくる偽善的傍観者に広がる、誤解という伝染病。

 そして極めつけ。

「私……叩かれるようなこと何かしましたか?」

 そのグッドでナイスなタイミングの反論は……思わず台本があるんじゃないだろうかと勘ぐってしまう程だった。

「ちょっとまったぁ!!」

 そこへ、よい子のヒーローショウ風にスタンバってた正義の味方チックに、聞き慣れた声がエコ―のおまけ付きで木霊したとさ……。

「おおっ!」とは観客の皆さん。

「腹が減って苛立ってるのは判るけど、だからといって見ず知らずの女の子を食べないでよね!」

(いや、それ語呂も悪いし意味もわかんねぇ)

 目の前にようやく現れた事の元凶である珠川涼子。こいつは中学時代から俺に話しかけてくる数少ない物好き。

 って……。

(いや、自分で物好きとか言うのは良くないよな)

 仕切り直しの筈だった高校生活が早くも暗転してゆく。

(しかしなぁ、友達だと思ってたんだが、よくよく考えてみると俺が誤解されてゆくのってこいつが元凶なんじゃないのか?)

 まるで幸せな家庭に忍び寄る黒い影のごとく、俺のエンジョイ高校ライフも涼子という暗雲に呑まれて行くのか。

(いやっ! それだけはマズイ!!)

 だから俺は決意した。

「お……お前が蹴ったんだろうが!!」

 ここぞとばかりに大声で訴えた。そしたら更に観客が増えて不幸さ加減がました様な気がした。

(バカだね……俺)

 俺の大声は更に観衆を集める結果となった。それをニヤリとした表情でゆっくりと見渡す涼子。

 その顔はとても満足そうだった。

 余裕の微笑みを形作るその顔や態度は、まわりの観客から見るとどう映るのだろう。

(やっぱり、悪漢と事を構える決意をした主人公に見えるん……だろうなぁ)

 そして再び……。

「お前が俺を背後から蹴ったんだろ!!」

 ここで更に念を押す必要がある。こいつが元凶でなおかつ卑怯なヤツだと韻を踏まえ強調してみた。

「はいっ? 証拠は」

(うわぁ……キョトンとした顔でサラッと言ってのけたよ)

 当然、俺の返答に観衆の注目が集まる。

「うえっ、証拠か?」

(ここで狼狽えたら俺の負けだ――ってかなり狼狽えてるか?)

「ち、ちょっと待て」

(えっと……証拠……証拠――!?)

 あたふたと周りを確認すると、ラッキーな事にうっすらと廊下のガラスに映る……背中の足跡。

(よっしゃ!)

 してやったりと俺は涼子に一瞥くれる。

「見ろ!! この背中についている靴の跡が何よりの証拠だ!!」

 流石の涼子も『タジタジ』と言わんばかりに冷や汗をかいている。俺は一般観衆にも見えるように少しだけ大げさにブレザ―の背中を広げて見せた。

「いやぁ……亮介さん」神妙な声と口調で涼子は語る。

(ふっ、なんだ、参ったのか? 他愛のないヤツめ)

「それだと、ここにいる全員が被疑者になっちゃうんですけど」

 哀れむように俺を見るアイツの顔、それが俺に一抹の不安を植え付ける。

「な……なんでだよ」

「いやぁ……分かんないかな? 学校指定の上履きなんで足跡は全員おんなじですデカ長さん。それともなんでしたら全校生徒3学年総勢約1000名を体育館に集めてきましょうか」

 神妙な面持ちで答える涼子。

 それを聞いてる俺の耳にはカ―ンと鐘が鳴ったように聞こえた。

(タジタジに見えたのはドン引きだったんだ)

 ざわめきが観衆を包んでいる。だがその中に好意的な意見も無くはない。

(と言うことは……まだ俺はいける状況にある!)

 観衆に背中を押される俺。

「足のサイズ見せろ――」努めて冷静を装うことこそポイント。

「あらっ、汚れてるよ背中!」間髪入れず、優しくポンポンと背中を叩く音。

「げっ!?」

「ほらっ!」

 涼子は俺の尻をポンと叩いた。

「綺麗になったから早く教室へはいんなよ」

 クッキリと残っていた足跡は、完膚無きまでに証拠隠滅されてしまった。もちろん先程の喧噪は止むことも無く、教室に入ってからも奇異の目は続く。


 珠川涼子、同じ中学出身でやたらと俺にちょっかいをかけてくるバカ。

 こんな調子で涼子とどつき合うようになったのは、中学3年の初め頃からだったな。それまではまぁ、元気のいいクラスメ―トって感じだった。

 部活も陸上部で……何となく俺なんかとは違う雰囲気を醸し出してたし、当時はこんな感じじゃなくてもっと距離があいていた。

(そうそう、涼子よりも親友のゆき、アイツの方が仲良かったんだ)

 藍乃里 ゆきとは小学校からの付き合いで、こいつも数少ない俺の友達だったんだ。

 ふと懐かしい顔を思い出す。いや……思い出さないようにしてたと言った方が良いかもしれない。

(元気……いや、そういう問題じゃないか)

 アイツの親友であり俺のごく少ない友人だったゆき、彼女とは残念だがもう会うことは出来ない。中2の秋、放課後に涼子と一緒に高等部の旧校舎へ行って、そこで変質者に惨殺されたと聞いた。

 彼女は惜しまれつつ短い人生を閉じた。あの頃の涼子は、端から見ていても痛々しいほどに無口だった。

 あんなに頑張ってた陸上もそれが切っ掛けで止めたりと、色んなしがらみの中にいたと記憶している。もっとも……どうして俺がこの事に対して曖昧な記憶しかないのかというと、友達がいなくて情報を入手できなかったからだ。

(そう考えると……)

 ふと俺は何を考えてるのか予断を許さない、猫目で赤い癖っ毛を持つ少女を眺めた。流線的に流れた髪が、スポ―ティ―さを強く感じさせる。

 性格はトコトンゆがんでるけど、笑顔がそれを補ってあまりあるほど可愛らしかった。

(傷も癒えるくらい時間が経ったってことか)

 気が付くと、教室のスピ―カ―から予鈴の音が放たれていた。



 教室の大きな窓からは暖かい日差しが大量に舞い込む。男子学生の平均身長くらいある高さに、これまた腕を広げたほどの大きさ。けっこう大きめだという話だが、その「窓」にしちゃあ些か大きいヤツは俺の隣にデンとそそり立っている。

 無色透明な身体は遮ることなく光を透過させ、たぶん近い将来にやってくる夏場の日差しを俺に『さんさん』と浴びせるんだろう。いや、度は入ってないだろうが……レンズ効果が遺憾なく発揮され、自然界比1.5倍の照射率が約束されてるっぽい。

 窓際は考えもんだ。おまけに最後尾だから小さい字を書く教科担当だった暁にはなにを書かれているのかさえ怪しい。

(前の列って頼んだんだけどな)

 しかし……黒板が見えない。初日の面接で、ニコニコと担任は快諾してくれたのに……これは政治的配慮が含まれてるのか?

 と、ひとしきり心の中で自問自答を繰り返すと教室の戸がおもむろに開いた。

「きり―っ」 その後に続く礼と着席は昨日既に決まった委員長の仕事だった。

 教師は一通りの点呼を取り終えると不機嫌そうに俺の名前を呼んだ。

「柴田。おまえの隣は欠席か、それともさぼりか? 代弁は頼まれなかったのか?」

「え?」

 断っておくが隣は女の列だ。俺が代弁できるわけがない。いや、それ以前に名前すら知らないヤツに代弁なんて頼まれないし、挙げ句に欠席かさぼりかなんて知る由もない。

「名前すら知らないヤツの行動を何で俺が知ってるって思うんだ? 先生」

「隣同士だろ、少しは仲良くなったんじゃないかと思ってな。他意は無いんだ、そんなにムキになるな。」

 と、担任は邪気のない笑みで俺の怒気を一笑に伏した。

「しかし昨日もこなかったなぁ。もしかして入学以来一度も教室に顔を出してないのか」

 さすがに、今度の台詞に笑みは含まれていなかった。ただ何となく寂しそうな瞳の色が似合わないゴツめの担任に少しだけ優しさという哀愁を感じたまさにその時。

 普段ならガラガラと乱暴な音を携えて開く教室の引き戸が、まるで高級料亭の襖の如くしずしずと開いていった。

「ん?」一斉に72の瞳が扉へと導かれる。

 まっすぐに伸びたストレ―トの髪は高貴な薄紫。

 状況を全く理解しようとはしない鋭い眼光は、教室中を威厳という凶行で威圧するかの如く注がれる。クラス中からの注目は俺だったら失神ものなのだが、なぜかヤツは対等に渡り合おうとしている。

(いや……押してるな、あの眼力だと)

 スレンダ―でやや長身な体型は誰がみても生唾もんだが……どことなく立ち振る舞いがドッシリとしている……、そう、ヤツは――。

「白鷺、おまえやっと登校してきたな。俺はもう来ないんじゃないかと思ってたが、ホッとしたぞ」

(うわぁ……肝心なところをポッと出の担任に言われた)

「儂はよいのじゃがの、まわりが何かとうるさいのでなぁ」

 微妙に会話がかみ合ってるが、たぶん全然違う事を言ってるぞこの二人。

 終始唖然とした雰囲気が充満する教室で、さすがは海千山千の生徒をあしらってきた担任だった。

「そんなところでいつまでも仁王立ちしてないで、先ずは席に着けよ。遅刻は勘弁してやるから」

 つつっ……と、何食わぬ顔で辺りを見回す白鷺。

「しかしなぁ、そうでなくても担任より後に入るのは転校生っぽいんだからな。少しは自覚しろよ」

 あきれ顔で、自分の席がわかるか? と訪ねた担任に――。

「儂はあそこがよいな」

 と、やんわりした動作で俺を指さす。

「良いも何も……そこがおまえの席だ」

「そうか、それは大儀だったのぅ」

 たぶん白鷺的には素直な感謝の言葉なんだろうが、周りはそう受け取らない。担任すらも意に介さない豪傑と認識されたはずだ。俺は威厳と畏怖をまといつつ歩く白鷺の姿を見て確実に……昨日のことが夢でないと、悲しい確証を持つことが出来た。

 そして生き証人は俺の隣に腰を下ろす。

「息災のようじゃの」

 チラッとこちらを向くと、それだけを言い残して午前中は会話を終えた。

 嫌々来たのかと思いきや、それ以降は中々に真剣な表情で勉学にいそしむ白鷺。時折、人差し指を口元にあてると何かを考える素振り。伏し目がちに教科書へ視線をうごかすその仕草。

 何となくだが心引かれるモノがあった。これがなんなのかを言い当てれるほど、人生経験は豊富じゃない。それに、彼女……いや、白鷺が何者なのか、そして何をする為にここにいるのか。それすら俺は知り得ていない。

 でもそのくせ……この教室では一番白鷺に近い存在だ。


 でもって午前の最後を締め括るチャイムが鳴り響く。

「くぅ~っ」

 涙目になりながら、俺は体中の関節という関節を伸ばすため、人間の限界に近い可動を試みる。

(んぐぅぅぅ……ん?)

 視界の隅で、白鷺がこちらを覗っている。もちろん冷めた目つきでだ。

「なんだ?」

「伝えなければならない由がある故な、昼餉を済ませてから朧桜まで足を運んでくれ」

 それだけを言うと、白鷺は何事もなかったかのように席を立つ。

 そしておもむろに……。

「お……おいおいおい、告白って状況にしちゃ……」と、お約束は秀二の口から。

「違う……そんなんじゃない。第一な、告白前の女があんな冷めた目つきで相手を誘うと思うのか?」

 俺の独白が入るタイミングに見事かぶってくれた前の席にいるこの男。唯一の悪友である守松秀二だ。こいつは中1の中間試験の終わりに転入してきた。

(そう言えば目立ってたよな……秀二は)

 甘いマスクで女にもて、挙げ句に頭も良い。そんな転校生とくれば男共からは当然意味のない迫害を受ける。ただ周りの誤算だったのは、秀二が見てくれに反して喧嘩っ早かったってことだ。アイツにちょっかいをかけたクラスの男はみんな駆逐され、何もしてない俺までも最後に的にかけやがったんだ。

(まっ、誤解だったんだけどな)

 何だかクラスの男共の画策で、俺が秀二にみんなを(けしか)けたって事になってた。それが誤解だったからといって、俺達は直ぐに馴れ合う事はなかった。

 もちろん殴り合いもした。俺にしてもあの殺伐としていた頃に、喧嘩とはいえ素直に感情をぶつけられるヤツも居なかった。だから、本当の意味でお互いが素直になった頃には顔の形が変わってた。

(それで秀二に興味を覚えたんだ)

 それ以来、色々とつるんで遊んでる仲だ。一緒にいて楽しいって事もあるんだろうが、それだけじゃない。俺と同じくクラスのはみ出し者どうし、お互い似てる部分を感じたんだと思う。

「隠すなよ、さすがに親友の女までは手をださないさ」

 甘いマスクで作ったさり気なく優しい笑顔は、異性か俺にしか見せない。同じはみ出し者でも、俺とはずいぶんと違う人生を歩んでいるアウトローだ。

 成績も良くて顔も良い。世の中は全くもって不公平なんだとコイツに出会って知った。

「で? さっさと行った方がいいんじゃないか? あんな綺麗な子の誘いを断っちゃ、お前の人生お先真っ暗ってかんじだぞ?」どこかで聞いたような言い回しだった。

「いや……どうだろうな」

 白鷺について行ったら……また昨日のような恐怖体験がおっぱじまるかも知れない。

 俺的にはそっちの方がお先真っ暗だ。

「そうか、なら、俺としては確かに忠告したからな」

 そして、更に強い韻を踏む。

「あぁ……」の『あ』まで言い終えただろうか?

「うぐぁっ!?」反射的……いや、強制的に台詞は変わる。

 背中に到来した衝撃により、腰を支点として俺の上半身は弧を描くように前のめりになる。それは言葉にすれば長いが、ほんの一瞬の出来事だった。

 俺の視界は今、机に覆われてそのままハデな音を発ててぶつかった。

(ぐぉぉぉぉっ、たたたたた……っ、今日は何故だか顔面衝突の多い日だ)

 鼻っ柱が熱くなり、背中もジンジンと痛みを訴える。

「きれいな子じゃん亮介! いやぁ、それにしてもさぁ、今のシーンを美菜が見たら哀しむわねぇ」

「珠川……お前少しは加減してやれよ」

「あら秀二、いいのよぉ、こんな女の敵は、すこ―しばかり痛い目を見せないとわかんないんだから」

(判らせるにしても無言で制裁を加えるのは勘弁だ。いや、それりもいつから俺は女の敵になったんだ?)

「女の敵って、亮介がなにかしたのか?」驚き顔で秀二は言う。

「美菜はもう手遅れすぎるんだけど、今の子にもちょっかいかけてさ……。ついさっきは私まで無理矢理……」

(手遅れ過ぎるってどんな状況なんだよ。それに無理矢理って色んな意味に取れるだろ)

 俺は咄嗟に反論しようと、鼻っ柱を抑えつつ涼子に向き直った。

「うわっ、ぶっきみぃ……」

(もうちょっとまともな事が言えないのか……こいつは)

 眉根を潜め、涼子の大きな瞳はまるでこの世ならざる者を見る目付きだった。

「ねぇ……秀二、止めさせてよ。この動くスプラッター人間」

(ん、スプラッター? えっ)

 言われたからという訳ではないが、微妙に生暖かい感触が鼻の下を通り過ぎ、唇に到来した。

「ま、確かに見てくれは良くないな。ほれっ、亮介」

 秀二は胸のポケットからティッシュを取り出すと俺に手渡してくれた。

「なに言ってるんだお前ら? ポケット……ティッシュ?」

「はぁ……なんだかここまで豪快にお約束守ってくれるとさ、嬉しい反面どうしても作為を感じるのよねぇ」

「まぁまぁ、亮介もここまで体を張ったネタなんてかまさないだろ」

 涼子の呆れ顔を目の当たりににしつつ、俺は鼻をぬぐった……。

「うわっ……」

 手の甲が真っ赤に染まる。一般的に言うと大量の出血だった。

「やるぅ! なになにっ出血大サービス。太っ腹だねぇ亮介!」

(ココまで人に迷惑をかけてるのに、悪びれてないところが忌々しい)

「しっかし、なかなかこういう事って予想以上にならないんだけどなぁ。からかい甲斐ありすぎって言うのも考えモノねぇ」

「あははははははっ」爽やかで爽快な男女の声。もちろんその中に俺の声は入ってない。

「ほらっ、こっちおいでよ。亮介ちゃんは手間がかかりまちゅね―」

 無理っくり涼子に頭を押さえつけられた瞬間、フワッと良い匂いがする。それは、俺の記憶からすると薔薇の匂いだろうか? 大人びた臭いに、少しだけ心臓がドキッとした。

「なに顔赤くしてんのよっ!」

「いや……薔薇の匂いか?」すこし早まる鼓動を感じながら、俺は涼子に尋ねた。

「ローズって言いなさいよバカッ!」

 そして俺の鼻には大きな詰め物が入れられた。涼子が怒りにまかせて入らないギリギリの大きさを、無理っくり捻り込んでくれたおかげだ。

 何だか出血量が増えたような気もする。

 が、どうしたのだろう。涼子が真剣な顔でこっちを見つめている。

「なんだ、まだ邪魔したりないのか?」俺の目を見つめて離さない涼子は言った。

「亮介さぁ、あと少し……あとこれっぽっちだけ面白い反応をかえしてよ」

 ない胸をめいいっぱい張って両手を広げる涼子。

(お前のこれっぽっちって……かなり大きいよな)

 そんな俺の視線にも気付かないのか、更に涼子の演説は続く。

「じゃなきゃ、もう少し背中に気を付けるのね。戦場じゃ生きていけないぞ!」

 背伸びしながら指の腹で俺の鼻をこづく涼子。

「ぐわっ!? さわるんじゃね―」

 慌てて鼻を庇う俺に、何か言いたそうな秀二の視線。

「だからいったろ亮介、真っ暗になるって」

「そうか、だったら秀二よ。お前は無駄に頭がいいんだから、もう少し俺にも伝わりやすく言ってくれ」

 頭をむんずと掴み、グリグリと頂上をこづいてやる。

「お……おい! やめろよ亮介ぇ」

 いつものじゃれ合いだった……が、何かものすごく痛い視線を感じる。

 それはクラスの全員からだった。目は口ほどにモノを言う……まさに『いじめっ子と使いっぱ一号』こんな感じに見えるのだろう。

「うわぁ……」とは珠川涼子。

 コイツは哀れみの目だけじゃ物足りず、声に出して俺達を見ている。

「あ、あはは、それじゃ私、一緒に思われたくないからあっちでパンかじってるからね」

 陽気が降り注ぐ平穏な昼下がりに背負った重すぎる暗雲。俺は享受するしか道はないんだろうか?

 辺りを見る。反射的に逃げる視線。

(どうやら……俺がいじめっ子役に見られているようだった)

 秀二にばれないよう溜息を一つ吐く。

「ま、許してやれよ。珠川にしてみれば亮介だけなんだからな」

「俺だけが生け贄ってことか?」

「頼りにしてるんだってことだよ。アイツが一人になった時から、何かと世話妬いてたのお前だけだろ」

 いつも涼子の側にいたゆきの事を思い出すと、決まって呼び覚まされる記憶。それは涼子が俺達以上に荒れていたという事実。

 秀二は静かに、でも深い一息を吐きながら窓の外を見る。だから俺もそれに習うように視線をずらした。

「傍目の俺から見ても珠川はゆきに依存してたからな」

 秀二の言いたいことは判る。あの時の涼子はクラスから外されてた。ゆきが人気者だっただけに、事件後に生き残った涼子は非難に曝された。クラスのみんなは、こぞって涼子に言った。どうしてあんな危険なところにゆきを連れてったとか、実はレギュラーが欲しくて変質者を雇ったんだろ……とか、死ぬことの許さない、言葉という剣で毎日涼子は刺されていた。

「あの時の涼子はさ、何となく俺達に似てるなって思ったんだよ。それにさ、やっぱり多勢に無勢ってのは好きになれなかった……って、お前だって同じだろ?」

 遠くを見つめていた秀二は、少しだけはにかんだ笑いで涼子に視線を向けた。

「俺は亮介じゃないからな。それだけの理由じゃクラス中を敵になんて回せなかったさ」

「じゃ、どうして暴れるのを手伝ったんだよ?」

「腕っ節勝負なら、お前に分があるって思っただけさ。もちろん口喧嘩なら俺の居る側が勝つだろうけどな」

 秀二の言葉が終わった頃、俺の視界にはパンを食む涼子の姿が映る。

「元気になった……だから珠川は亮介に言葉じゃなく、態度で伝えたいんだろ? アイツらしくな」

 秀二は爽やかな微笑みでクサイ台詞を言ってのけた。

「だとしたらもう少し害のない伝達方法を選んでくれと伝えておいてくれ」

「はははははっ、わかったよ。今度はもっと骨身に滲みるように伝えてくれって言っておくよ」

(何となくだがいわれのない暴力が増えそうな気がする)

 暖かい午後の日差しに、何故だか背筋が冷たくなるひとときだった。



 人も疎らになった購買でパンを買って、更に校舎裏の奥へと進む。少しヒンヤリとした佇まい。そこに、多少の不安を抱えながら俺は赴く。

 相変わらず明るい空の下なのに、既に人の喧噪は遙か向こうに行ってしまった。

「白鷺……いるか?」

 校舎の角をちょうど曲がったところ。その奥に大きな桜がある。

 その名は朧桜。

 そして……、

「話ってなんだよ?」

 幹から数歩離れたところに、白鷺はいた。

 緩やかに振り返る。長い髪はたゆやかな動きを真似、制服のスカ―トは心持ちかろやかに裾を持ち上げる。

「やはり、春に咲かぬと言うのも……滑稽じゃ……な」

 そう言って再び朧桜へ視線を移す白鷺。

「この桜にも事情があるんだろ?」

「そうじゃな……」

 一拍の間が空く。

「で、白鷺もなんかあるんだろ? 事情」

 視線は桜から俺に注がれる。

 ゆるりとした流れる動作に似合わない……氷の視線が俺を射抜いていた。

「昨日は言えなんだが……主は少し儂らとの関わりを持ちすぎたようじゃ。すまなんだと言うべきところだが、これも因果なんじゃろうな」

 少しばかりとがった表情のようにも見える。

「主には迷惑かも知れぬが、しばらくは見えざるモノが見える体質……続くじゃろな」

(え? 続くって……!?)

「ん……」

 ヒンヤリとした手が俺の頬に触れたかと思うと、人差し指が何かを見つけたように……俺の頬をなぞる。

「消し……わすれじゃ」

 ヒンヤリとしたツルツルの指先は、急に暖かいものへと替わり、俺の視界に突然白く淡い光が入り込んでくる。

「ほれ、逃げるでない。主は臆病者じゃな」

 見上げる視線と、差し出される指。やがてやわらかな光は収縮し、数秒間の不思議な何かは終わりを告げた。

 俺は思わず右頬を指でなぞった。

 そして……。

「傷は……」

「なかなかの出来じゃの、これでよい」満足そうに目が光る。

 そして横に立っていた白鷺は大樹の傍らに腰を落とすと、一言いいはなった。

「なんじゃ、食してこなかったのか?」

 手に持った角食を見て『食してこいと言ったはずじゃ』とあきれ顔をされてしまった。俺は近場にあった横倒しの木に腰掛ける。

(ん……どうしたんだ?)

 なんだか熱い視線と書いて熱視線を感じ、白鷺をチラッと見た。遠慮なくまじまじと角食を見つめた燃える瞳。

「妙になりがパサパサしてそうじゃが、主は奇妙な食材が好きなのじゃの?」

 先程買った角食、その一枚を白鷺へ手渡す。

「食ってから評価しろ」

 白鷺は手渡された角食のはじっこに口を付ける。

「んむっ……」

 一点に視線を集中させながら咀嚼するその様は……微妙にリスみたいだった。

「んくっ……なんとも薄味じゃ。味気も素っ気もない上に、口の中がからからじゃ」

 味気ないのはごもっともだし、俺はどちらかというと甘いも辛いも好きじゃない。

「悪いな、濃い味のものって好きじゃないんだ」

「趣向じゃからな」とだけ返事を返した白鷺は、しばしの沈黙に身を置く。

 その間に、俺は三枚入りの二枚を平らげた。

「で、話ってなんだよ。難しい話だったら途中で寝るぞ」

「先の時間も寝ていたじゃろうに、主は伏せるのが好きな男よのぉ」

 瞳を一段大きく見開き、その後嘆息を漏らした。いつもの静かで冷静な白鷺もいいが、今みたいに呆れ顔で俺を見る姿も結構いいもんだなぁと感じいる。

(やっぱり、親しみやすい方がいい)少しだけ微笑ましい気分になれた。

 そして俺の思考はよそに、ゆっくりと、でも確かに白鷺の話は進んでゆく。それは春のそよ風のように、俺のほほをなでて過ぎ去ってゆく。

 そんな昼下がりに相応しい様相は、白鷺の話を素直に受け入れられる気持ちにさせる。

 けっして饒舌ではない白鷺の言葉、その一つ一つがゆっくりと俺に染み込んでいった。


 この大木はすでに500年を生きておる古桜。故に己を咲かせるほどの生命力はすでになく、時の流れに身を任せ、朽ちてゆく為に命を削っておる。

 今も、ゆっくり、ゆっくりと……。

 儂は、この朧桜を守護する者。いつの日にか巡り逢う桜の縁を待ち続け、守る者として80年に一度、寄り代に身を借りて大地を歩む。

 この桜に新たな命を送るため、儂はおる。

 儂の集める命……それは人の心。至純で……偽りのない心が描く、なにものにも代え難い『想いの希望』を見つけ、儂はそれを介くる……。

 そして得るであろう……叶えたもうた者のみが放つ至極のほほえみ。

 魂の充ち満ちた者の念、それこそがこの朧桜の生命となる。

「儂はそれを求めるためにここにいる……仮初めの存在」


 白鷺の言葉がやんだ瞬間、まるで金縛りが解けたように全身の強張りが解放された。

 時の流れも自分と同じように、止まっていたのではないかという錯覚に陥る。

 だが、俺はそれを聞いてなお疑問に残る事があった。

「つまりは……この桜が枯れないように、白鷺はなんかしなければならないんだよな?」

 コクッとうなずく白鷺。

「それをふまえてなんだが……白鷺、なんで俺にそんなことを話すんだ?」

 ゆっくりと瞼が閉じられ、再び開くまでいったいどれくらいの時を要したのだろう。

「もう、主は儂に近づくな。それがお互いの領分」

「えっ、それってどういう」

「怨み魂、アレよりも恐ろしい事に足を引っ張られるやもしれんぞ」

 昨日の恐怖が思い起こされる。

「でもな、お前だって人の手を借りたいんじゃないのか。いや確かにあんなことはゴメンだけどな、その……」

「主が思うほどきれい事ではないのじゃ。朧桜の欲する『満ち魂』は……すなわち怨み魂と同じ。御魂に練り込まれている想いが、怨か幸かの違いだけ」

「ど、どういう……」

 大樹の本に腰を下ろしていた白鷺はスクッと立ち上がり、静かに俺へと歩みを向ける。そして細い腕を俺に差し出した。

「立つのじゃ、手を貸してやろう」

 唐突に解散を暗示させる行動。

「ちょっ、なんだか訳の判らんことばっかりだぞ」

 差し出す手を掴もうとしたちょうどその時、周囲の木々に留まっていた鳥達が一斉に羽ばたきめいた。

「主が今……掴もうとしている手は、果たしてどれほどの御魂を握りつぶして来たのじゃろうなぁ……」

(えっ?)

「主には見えぬのか? この手に染められし朱の班を……」

(な……何を言いたいんだ?)

 と、ここであの夜、俺の部屋で見せた白鷺の表情が鮮明に甦る。

(いや、何かが違う)

「主が何を言おうが想おうが、それは主の勝手じゃ。じゃが……な」

 投げやりにも聞こえる語調とは裏腹に、少しだけ悲しそうな瞳が俺を見つめていた。

(なんて顔を……するんだよ)

 俺でなくても感じ取れる表情に、同情という安っぽい思いを抱く。だから俺は、安っぽいと判っていながらも自分の信条に従った。

 白鷺は伸ばした手を引っ込めて、踵を返そうとしたが――そうはさせなかった。それは俺がアイツの手をギュウギュウに握ってやったからだ。

(はははっ、驚いてら)

 白鷺の言ってることは今までのことで嘘じゃないと判る。

(だったら、なおさら一人くらい、こいつに付き合ってやっても良いんじゃないか。どうせそのために……朧桜は俺を招き入れたんだろ?)

 白鷺の冷たい視線は、俺が握った手を見つめている。

(でもこれから……どうするか?)

 さすがに不思議一杯の学園生活が約束された今日、改めて考えると、友達を沢山作るどころでは無くなった。

 と、俺は後悔よりも目標が見つかった嬉しさを噛み締めて、白鷺に一言いってやった。

「これから、よろしくな」


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