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プロローグ

プロロ―グ

「幕開けは夜の帳が下りる頃」


「はぁはぁはぁ……んくっ」

 小さな吐息が闇の中に息つく。

 むりに押し込めようとするほどに鼓動はその高鳴りを増し、呼吸はタイミングを崩し、空気の固まりが喉につっかえる。

「嫌だっ、こわい……」

 この近辺では見慣れた高校の制服に身を包んだ少女が、暗澹(あんたん)たる長い廊下を経た先で折れ曲がった壁に、背中をすがるように預けていた。己を抱きしめるよう、両腕で肩をきつく締めつけるのは、これ以上震えて無用な物音を出さないため。

 懸命に(まぶた)を閉じるのは、この世ならざるモノを見ないため。

 長い廊下の途中には……非常ベルの場所を煌々と知らしめる赤い光。闇に飲み込まれた廊下にあって、唯一の光源はとても薄気味悪く辺りを照らす。

 いや、光だけではない、ココに存在するモノ全てが気味の悪いものだった。

「どうしてよ……なんでなの」

 少女と教師が共に昇降口へと足を踏み入れた時刻は3時だった。今は資材置き場と化した生物実験室で、必要な教材を取りそろえ、その場を後にするはずだったのだが突然、それはやって来た。

 閉めたはずの扉は古めかしい嫌な音を発ててゆっくりと開く。教師は手中のカギを眺めつつも首を傾げながら扉の引き戸へと手を触れた。


 ソレが始まりの合図だった。


 教師は開いた僅かな隙間へ勢いよく身体を引きずり込また。次の瞬間、扉の隙間をぬって飛び散った血が……少女の真っ白な制服にぶちまけられた。

(先生……ゴメンね)

 いつの間にか少女の目から涙が溢れていた。

「あんなに血が流れていたのに……ゴメンね」

 先生はすり切れた声で少女へ逃げろと言ったのだ。そして少女は怖くなって本当に逃げてしまった。

 恐怖と罪悪感に囚われた心が膝小僧を力一杯に抱えこむ。

 既に辺りの状況は、常識という範疇(はんちゅう)では説明が付かない程に変貌を遂げていた。2階から1階に逃げたホンのわずかな間に日が落ち、学校中の電灯はその灯火を消し去る。

(ひぃっ!?)

 何かが少女耳に入ってきた。

「ずじゅぅ―っ、べたん」粘性の何かを引きずる音。

「ずじゅぅ―っ、べたん……ずじゅぅ―っ、べたん」ときおり強い息づかいが聞こえる。

 音はゆっくりと……だが確実に少女へと近づいてくる。

「はぁ……はぁ……ずじゅぅ―っ、べたん」

「はぁ……はぁ……ずじゅぅ―っ、べたん」

 近づけば近づくほど鮮明になる音。

 視界が役にたたない分だけ、聴力は鋭敏になる。

 少女は喉を鳴らし、鉛ほどに重くなった己の固唾を強引に押し流した。

(こわいよっ、お父さん……お母さん。助けて)

 心臓の鼓動がこれでもかと言うほどに鳴り響く。

(聞こえちゃう)胸を押さえても修まらない心音。

 命が保証されていた世界からの逸脱。余りにも突然に訪れた絶望と恐怖。

 守ってくれる者などどこにもいない心細さ。だからこそ、今の少女は廊下の壁にすら一種の安心感を感じている。

 逃げるにはどうしたら良いんだろうか? と言う些細な疑問が出てきたのは呼吸と鼓動が少しだけ落ち着きを見せた時だった。少女は少しの勇気を振り絞り、自分を追うモノの正体をその角から、ゆっくりと顔を出して確かめようとした。

「ベタン!」

 火災報知器の真っ赤な明かりが照らし出すギリギリのところに……5本指が見えた。

 その後ろに続くのは闇に飲み込まれている腕。でも、どこか、何か違和感を感じる。

「ひぃっ!?」気が付いてしまった。

「ベタン!」違和感の正体を……。

 両腕が朱色に染まった明かりにさらされる。長く伸びた腕の先にある手のひら。

 右腕も、左腕も……親指が外向きにはえている。

 ぐいっと……ソレは床に長い爪を食い込ませると腕を曲げた。あろう事かその腕は内側にぐにゃりと曲がる。

 そして……闇の中から出てきたのは。

「んぐぐっ……ぅおぇっ……ぐっ」

 顔面にある皮膚組織のほとんどを剥ぎ取られ、筋繊維が剥き出しになり血と膿により覆われてしまった顔。視線を頭部に移すと頭蓋の半分を切り取られ、テラテラとぬめる大脳が露わになっていた。

 瞼のない瞳が……いや、眼球がグリンと少女を空洞な眼差しで見つめた。

 悲鳴よりも嗚咽が走り、恐怖よりも嫌悪感を感じた。

「アッ……アァッ」

 どんよりした、光の無い目が少女を更に見つめると、左右逆になっている腕がゆっくりと少女に伸ばされる。

「ゥアッ! ァアアアア!?」

 ソレは何かを訴えようとしているのか、通じない分だけ声が荒くなる。

「ぐあっ! おぇぇぇぇぇ、うぇっ! ぐぅっ」

 胃液しか残っていないのに、逆流が収まらない少女は、己の腹を抱えながら大量の吐瀉物を眼前にまき散らす。

「アァァァァァァ、ウハァァァァァァ」

 爪が廊下に食い込む固い音が聞こえる。

「ずりゅ―っ、ベタン」

「ずりゅ―っ、ベタン」

 皮膚のない頬は動くたびに……不快な液をまき散らし、這わう腕は足の力ではなく腕の力で少女に近づく。

「きゃぁぁぁぁぁ!?」

 慌てた少女は立ち上がることも侭ならず、仰向けにひっくり返った姿で腕と足を交互に動かして後ずさる。

「こはぁ……ずりゅ―っ、ベタン」

 角を曲がり奥へ逃げたせいで、化け物の姿が見えなくなってしまった。見えないと言うことは精神的不安が倍増する。

 視界に収まる事で得ていた距離感、これが微かな安心感へと繋がっていたことに改めて理屈ではない何かを感じていたのだ。

「わわわわわっ! あぐっ!」

 後ろ手で逃げていた両腕が何か硬いモノにぶつかった。それはものの見事に少女の手首を痛めつけ、今まで浮かせていた尻を冷たい床に不時着させたのだった。

「痛っ……」

 両手首をみる。暗くてよくは見えないが、痛みの度合いを考慮しても、もうこの腕で何かをするのは無理だと判断できた。それを裏付けるかのように、指を動かすだけで悲鳴をあげたくなるような激痛が手首に走る。

 半べそをかきながら少女は視線を後ろへ移すと、そこには見慣れた階段がそびえ立っていた。でも痛みと恐怖で腰は抜けてしまい、腕にも力が入らないこの状況ではとてもじゃないが立つことも這って昇ることも出来ない。

(ハッ……そういえば?)

 手首を痛めてから、音も息使いも聞こえなくなった。

 不自然なほど……辺りはしんと静まりかえっている。

(どうして……? なに……なぜ?)

 暗い視界。

 音のない世界。

 そして多分、人のいない世界。

 声が……静寂に飲み込まれたこの場所に、少女以外の声が聞こえた。

 それも直ぐそこ……耳に吐息がかかるほどすぐそばで、くぐもった声。

「はぁ……はぁ……つか……まぇ、た」

 闇を、恐怖を支配しているにも関わらず、ソレは弱々しくもか細いささやきで訴える。

 その刹那、少女の痛覚神経は生涯で味わった事のない、無慈悲な激痛で満たされた。

 爪が頭皮に食い込み、鷲づかみにされた頭は(あがな)うことすら無意味に感じるほどの腕力でゆっくりと振り向かされる。

 徐々に、徐々に視界が移りゆく先、そこには……あのおぞましい顔が空虚な眼球でのぞき込んでいた。少女は歯の根が合わない。ガタガタと顎を浮かせ、動かせない首に変わって目だけを使い、化け物の腕が動く軌跡を追っていた。

「せき……随、ちょうだい……な」ギリギリと少女の頭が締め付けられる。

 鷲づかみにしている大きな手、そこから生えている爪がメキメキと頭皮、そして頭蓋へ到達する。既に痛みは頂点に達した。

「うぎぃぃぃぃ!?」もう片方の腕は……喉の付け根に添えられた。

「き、づ……きずつけたく……ない……か……から」

 若い年相応のやわ肌につぷりと爪が進入し、5本の荒々しい爪がつまみ上げるようにして皮膚を啄む(ついばむ)と……一気に腕は動いた。

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 少女は目を見張った。自らの服が襟元から腹部まで無惨にはだけられた。いや、はだけられたのだが不思議と羞恥心はわき起こらない。

 それよりも少女の視界を襲った映像は、通常ではあり得ない状況を映し出していた。乱暴に破かれ、そしてはだけられた胸元の制服にへばりつく不可思議な赤いモノ。

 それを見てしまった。

「あっあっあっあっい……いやっ……いやぁ~っ!?」

 暗陰たる場所でヌラヌラと光るのは……己の喉元から腹部まで達する皮膚。そしてそれに付着するのは乱暴に引き千切られた筋肉繊維と血管だった。

 少しだけ自慢だった胸のふくらみ、それもめくれた向こう側にあるのだろう。

「アッアッ……暴れ、たらだめ、きず……つく」

 痛みと驚きと――不安と恐怖。

 それらをミックスした視線を声の方向にむけると、瞼を持たない目が笑った。

「ろっ……こつ、じゃま」

 真っ白だった制服が真っ赤に染まったその場所から……いま、少女の身体が生み出している恐怖の音色。鈍くも軽妙な連続音が静寂の学校に鳴り響く。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 唯一、肺に満たされていた空気をつかって発した声だった。

 もうすでに次の酸素を取り込む機能は少女の身体のどこにもない。肋骨を折り取られ、脊髄まで到達するに邪魔な臓器を一つずつ乱暴な手付きで取り除かれている。

「きゃぁぁぁああああ……ひゅ――っ!」

 胸から伸びる気管支を肺ごと引き抜かれ、少女の断末魔はチュ―ブの穴から漏れた空気の様に、一瞬かん高く鳴り響いてから消えた。

 だが、少女の一生を飾る残酷な瞬間は、単純な恐怖だけでは終わらなかった。

 意識を失うことも叶わぬままに、己の臓器が飛び散る様を見続けなければならない数十秒間。それは脊髄に怪物の手が届くまでの間、痛みを感じ、生きながらにしてバラバラになっていく己を見続けなければならない絶望によって満たされていた。

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