さびしくないよ
時は午後0時30分。多くの生徒たちが、思い思いの場所で昼食を食べ、親交を深める時間。昼休みだ。
皆仲の良い友達同士で固まる中、一人の少年が弁当箱を片手に持ち、教室から出て行こうとした。
「おい。お前、またあそこに行くのかよ……」
一人の男子が少年に声をかけた。少年は一度ピタと動きを止めると、何も言わずに教室から出て行った。
「なんだよ、あいつ……」
無視された男子が機嫌の悪そうな声を出した。
「しょうがないよ……。あんなことがあったんだもん……」
後ろで同情的な視線を送っていた女子が言う。
「気が済むまで、好きにさせてあげよ?……ね?」
「はぁ。わかったよ。ったく……。ていうか、お前妙にえらそうだな」
「なによ。別に普通じゃない」
「いーや! お前は生意気だ!」
「あんたこそ!」
二人が言い争いをはじめると、教室はにわかに騒がしくなった。
「痴話ゲンカか!?」
「なんだよ。お前ら仲いいなぁ」
「うるさい!!」
予定調和とも言える反応に、クラスの全員が笑顔をのぞかせる。
時は昼休み。
少年の不在などおかまい無しに、教室は活気に包まれていた。
少年は一人歩く。
階段を上り、上り、上り。
目指す場所は、現在使用禁止中の屋上だ。
今日の天気は晴れ。お天気お姉さんも驚くほどの晴天。風も適度に吹いていて、とても気持ちがいい。
少年は弁当片手に、黙々と歩く。
昼休みにもかかわらず、薄暗く、静かな屋上への階段を。
「はっ……はっ……」
上るに連れて、太陽の明かりが強く差し込んで、だんだんと明るくなって行く。
屋上の扉からは、あふれんばかりに光が漏れだしていた。
立ち入り禁止と書かれた黄色いテープをくぐり、屋上への扉に手をかける。
ぎぃぃ、と金属質の重厚な音が響くと同時に、春特有のさわやかな風と光が少年を包み込んだ。
「はあっ、はあっ』
緑の床が見えた。そして、眺めのいい景色にたたずむ一人の少女。
少年は息を乱しながら、一歩一歩光の中へ歩を進める。
「……ふふ。待ってたよ」
少女が、微笑んだ。
「いい天気だね。とっても空が澄んでるよ」
屋上に設置されている、一対のベンチ。少年と少女は肩を並べて座っていた。
「雲一つない、真っ青な空。ずっと見てると、吸い込まれそうで。なんだか不安になってくるんだ」
少年は弁当を食べている。顔を下に向け、ちびちびとご飯を口に運んでいた。
「あの空の、ずっと遠くの、誰もいない世界に、飛ばされちゃったらって思うと凄く怖くなる。家も、学校も、友達も、私の大切なもの全て、どんどん遠くなって。手を伸ばしても、全然届かないんだ。必死に戻ろうとするんだけど、何をやってもダメなの。私は見ているしか出来なくて。一人で泣いてることしか出来なくて」
少女は少年へ顔を向けた。
「そんなこと、考えちゃうんだ」
少年は一人黙々と弁当を食べている。
少女はそんな少年を見て、また微笑んだ。
そして再び黙々としゃべりだした。
「前に話したことあったよね。この場所でさ。私たち、死ぬとどうなっちゃうのかなって話」
少年の手から箸がおちる。
少女はそれに気づくと、箸を拾ってあげようと手を伸ばした。
しかしそれより速く少年が箸を拾う。
少女はベンチに座り直すと、続きを話した。
「確か君は『死ねば肉体も感情も無くなるから、哀しくなんてならない』っていってたよね」
少年は全く動かない。
少女はそんな少年をじっと見つめている。
この眺めのいい風景と共に、目に焼き付けておこうとしているようだった。
「私ね、小さい頃、死ぬことについて真剣に考えたことがあるんだよ。……あれは、おばあちゃんのお葬式の日だったかな。私まだ小さくてね、人が死ぬってことがどういうことだか、よくわかってなかった。でも周りの大人が見たこと無いぐらい悲しんでたから、なんとなくもうおばあちゃんに会えないってわかったの」
少女は思い出を噛み締める様に、口を開く。
「その日の夜。私は『死』を理解しようと、自分なりに考えた。それでね。……笑わないでよ? 耳栓をして、一人で布団に潜り込んだの。それで、なるべく動かない様にじっとしてた。息も静かに、小さくしてね。何も見えない。聞こえない。動けない。真っ暗な中で、誰にも会えずにひとりぼっち。私はそこにいるけど、誰にも気づかれない。寂しくて寂しくて。……それが、そのときの私にとっての『死』だったんだ。何にもなくなっちゃうことが、ね。……。それでしばらくそうしてるうちに、なんだか凄く怖くなっちゃって。ふふ。そのあと大泣きしてる私を、お母さんが見つけるってわけ。」
少年は、もうずっと下を向いている。うつむいた顔から、涙がこぼれ落ちた。
それを見ていた少女の目にも、雫がたまっていた。
「でも、違ったの。全てなくなることが、死ぬことじゃなかった。消え去ることが、死ぬことじゃなかった」
少女は泣きじゃくる少年の手を握ろうと、腕を伸ばした。しかし少女の小さな手は、少年に触れること無くすり抜け、空を掻いた。
「もう私には、お日様の暖かさを感じることも、風の勢いを受けることも出来ないけれど」
少女はその手を自らの胸に抱き寄せ、強く握った。まるで自分の存在を確かめる様に、不安を押し殺そうとするように。
「でも、でもね。私は君の姿を見ることが出来る。君の声を聞くことが出来る。君のことを、見守ることが出来るんだ」
お昼休みの終わりを告げる、鐘が鳴る。勢い良く。
涙を振り切る様に。思いを断ち切る様に。
少年の涙に、光が強く反射した。
「私、さびしくなんてないんだよ。君がいてくれる限り。君が私のことを覚えてくれてる限り。生きていられなくても。君と話が出来なくても。……私、さびしくなんて……ないから……っ」
少女の目から、涙がこぼれ落ちる。涙の雫は、地面に落ちる前に、すっと消えて行った。
「だから……ずっと、ずっと。元気で。……元気で、いてください……」
少年は、扉へと向かう。
屋上から出る扉へと。
少女との思い出が渦巻く、この場所から出るための扉へと。
「わたしは……きみのことが……」
扉が、閉められた。
「おっ、帰ってきたか」
先ほどの男子が、少年に声をかけた。
「もう、大丈夫なの?」
女子も心配そうに話しかける。
少年は二人の友達を交互に見ると、明るく、微笑んだのだった。
「あぁ、ありがとう。……ありがとうな」