2話:ひじり会
――5月4日(月)
10時丁度に瀬々羅木はやって来た。
彼女らしい白のワンピースに薄ピンクのカーディガン姿は、やはり"清楚"だった。
しばらくは2人で街をぶらぶらとして12時に昼食を取ると、僕たちは昨日の場所に向かった。
闇に包まれた廃校に着くと、暗闇の中目を光らせてフクロウが待っていた。
僕はいつものように右目を見せ、彼女は名前を言った。
するとまだ昨日の記憶が残っているのか、フクロウは彼女も承認してくれた。
開かれた門を抜けて、通路から部屋までが今回はとても短かった。
それは无邪志も待っているから。
今日は彼は機嫌がいいみたいだ。
「昨日より通路が短い…」
瀬々羅木はポツリと呟いた。
すぐ通路を抜ける事ができ、僕は重く堅く閉ざされた扉を開けた。
「リンさんっ」
するとそこには待っていた筈の人――无邪志ではなく、白い髪を腰まで真直ぐに伸ばし、頭には耳が生えていおり、左目が包帯で覆われている、いわゆる"妖"が扉の前で待っていた。
彼女は白狐という名前で、その名の通り狐の妖だ。
僕は彼女の登場を、そこまで驚かなかった。
しかし瀬々羅木は、未確認生物を見るような目で白狐を見つめていた。
彼女は言葉が出ないくらい驚いていた。
だから僕が白狐を紹介した。
「こいつは白狐、っていう妖」
「…妖?この子が?」
おそらく瀬々羅木にとって"妖"は鬼や怪物だと思っていたのかもしれない。
だが目の前に現れたのは、自分より幼い少女。
その衝撃を受けていたのだろう。
「うん。そして、この白狐が僕の目を奪った張本人」
僕は至って冷静に説明した。
この狐が、あの日、僕の右目を奪った。
その事件はまた後で話す事になるだろう。
「…憎んでないの?」
「まぁ、視力はあるし」
そう、右目の眼球はないが、視力はバッチリある。
これは白狐なりの気遣いなのだろう。
瀬々羅木は有り得ない事の連続で、今にも失神しそうだった。
僕はとりあえず白狐にあの男について聞いた。
「无邪志さんは?」
「どうやらまだ外出中みたいです」
白狐は少し申し訳なさそうにそう言った。
昨日から帰ってきてないのか、と訊ねると白狐は悲しそうに頷いた。
ここで待っているのも薄気味が悪い。
日が落ちたのかさえ確認できないこの場所は、僕にとって決して居心地が良いとは言えなかった。
この屋敷は時間が経ったのかもわからなくなるくらい、僕の感覚を麻痺させる。
まるで麻薬みたいだった。
それは瀬々羅木も感じていたようで、あまりここで待機するのを望んでいなかった。
今日は帰ろうか。
そう目で瀬々羅木に問いかけると、彼女はこくっと素直に頷いた。
するとそれを察した白狐が、僕のズボンの裾を掴んできた。
「…帰っちゃうんですか?」
そんな涙目で言われると、帰りがたくなる。
白狐はあの事件後、なぜか僕にかなり懐いてしまったようだ。
女にここまで甘えられるのは初めてだったが、相手は"妖"である。
喜んでいいのか、心が少し複雑な気分になった。
「リンさんに会えて、嬉しかったのに…」
しょんぼりする彼女に「帰る」なんて言えなくて。
僕は何故か「帰らない」と言ってしまった。
横目で瀬々羅木を見ると嫌そうな顔をしていた。
わかってる。僕もこの場所は苦手で、今すぐ帰りたい。
だけどこういう時、断れない人間なのだ。
きっと帰り道で叱られるんだろうな、と心の中で怒られる準備を始めていた。
白狐には満面の笑みで「ありがとう」と言われた。
ここまで純粋だと、なんだか帰るのも悪い気がしてきた。
白狐は「かくれんぼがしたい」と言い始めたので、付き合うことにした。
かくれんぼなんて、何年ぶりだろう。
おまけにこの敷地は広すぎて、見つけるなんて到底無理な話だ。
けど幼い頃に戻れた気分になり、それはすごく楽しかった。
そして結局、无邪志が帰ってくるまで遊びに付き合わされた。
「悪いな、仕事が長引いちまった」
「いいですよ。今からは、もうお疲れですか?」
意外にも謝罪の言葉を入れた无邪志さんに、僕は驚いたのでそれなりの対応をした。
无邪志さんは少しお疲れモードだった。
およそ丸1日、仕事をしていたのだから無理はない。
「ああ、少し休ませてくれ。お前らもここはしんどいだろ。悪いが明日また来てくれねぇか」
无邪志さんは、この独特な空間に慣れてしまっている。
逆に言うと、僕たちが地上で過ごしている空間が苦手なのだ。
だから僕たちがこの空間を苦手としているのをわかっていた。
僕は嘘をつかずに「しんどいので明日来ます」と伝えた。
瀬々羅木もその言葉に賛成してくれた。
白狐は最後まで僕の帰すのを嫌がったが、无邪志さんが止めてくれた。
そのおかげで少しは帰りやすくなった。
僕は手を振る白狐に、笑顔で返すと部屋を出て門を抜けた。
瀬々羅木は門を抜けた瞬間、大きな溜息をついた。
「はぁ。私、あの場所苦手」
「わかってる。僕もだから」
いつ行っても、何回行っても、あの空間だけは慣れない。
しかし瀬々羅木は昨日今日と2回しかあの場所に訪れていない。
僕より疲れやすいのは仕方がないだろう。
その後は息抜きという事で、近くの喫茶店に入った。
「あれ、霞ヶ原?」
驚く事に、その喫茶店で同じクラスの霞ヶ原すみれがバイトをしていた。
普段と同じく髪はおさげで、服装は喫茶店の制服だった。
どうやら瀬々羅木とは1年の頃から同じクラスで友達らしい。
霞ヶ原も大人しい性格だった。
でも瀬々羅木と違う所があった。
それは瀬々羅木は謎に包まれている、という事だ。
こうやって霞ヶ原は私生活が垣間見えるが、瀬々羅木の場合それが一切ない。
たまに本当に人間なのかさえ疑ってしまう。
それくらい彼女には"人間らしさ"が欠けていた。
…まぁ、右目が赤い僕に言われたくはないだろうが。
「あ、ひょっとしてデート?」
「違うわ。ただ出くわしただけよ」
え、全然違うんですけど!?
でもここで反抗したら、また倍返しで返ってくる。
そんなに僕が彼氏だと思われるのが嫌なのか?
「まぁ、そんなとこ」
またややこしくなると思ったので、僕は彼女に話を合わせてみた。
どうやらそれが間違いみたいだった。
「あら、今日は話し合わせるのね」
「え、たまたまじゃないの?」
「ちょっと用事で東雲燐が必要だったのよ」
「へぇ~、そうなんだ」
話が違う!
僕は口を開く事ができなかった。
瀬々羅木は僕をはめた、というわけだ。
「でもでも、2人お似合いだよ~」
霞ヶ原は妄想が激しい。
どこをどう見たら、僕たちが付き合ってるように見えるのだろうか。
僕たちの間から、恋人のような甘い空間は流れていない。
「嫌よ、こんな男。ただの童貞じゃない」
「な、どっ!?」
童貞だと!?
この女、僕の事めちゃくちゃ言いやがる。
それもこんな公の場で言うなんて。
「お前、適当に言うなよ!」
「あら、違ったの?」
「ち、違うわけじゃないけど…」
「なら、合ってるんじゃない」
完全に瀬々羅木は僕の顔で判断しただろ。
確かに僕はこの性格と、特に最近は怪奇事件に見舞われ、それどころじゃない。
今だってお前の怪奇事件に付き合ってるというのに。
「ほら、何か注文しなさいよ」
すると瀬々羅木は僕にメニューを渡してきた。
そう言えば、瀬々羅木はご飯とか、食べられないんだっけ…。
すっかり忘れていたが、彼女には胃がないのだ。
どうやらその様子だと、またお腹は空いていないようだ。
僕は彼女からメニューを受け取った。
「じゃあ、チョコレートパフェで」
「かしこまりました。……へぇ、甘い物好きなんだ~。覚えとこ」
霞ヶ原はそう最後に呟くと、厨房へ帰っていった。
瀬々羅木は頬杖を付きながら、窓辺から空を眺めていた。
僕たちの間に沈黙が続いた。
それを破ったのは、パフェを運んできた霞ヶ原だった。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう」
僕が礼を言うと、彼女は礼儀正しく頭を下げた。
彼女は次のお客さんの接待をしていたため、もう僕たちのテーブルに来る事はなかった。
僕がパフェを食べ終わるのを、ただ無言で瀬々羅木は待っていた。
彼女は今、何を考えているのだろうか。
僕のパフェを美味しそうだな、とか思ってるのか。
僕には彼女の思考が全くわからなかった。
食べ終わると、僕は勘定を済まして店を出た。
外は暗くなっていたため、僕たちはここで解散した。
去り際に明日の事を言うのを忘れていたため、彼女の名を呼んだ。
すると彼女は反応が遅かったが、ちゃんと振り向いてくれた。
「明日も今日と同じで」
「わかったわ」
彼女は相変わらずの口調だった。
だから気付きにくいが、彼女には秘めた思いを抱えている。
僕はとりあえず彼女の胃の事なんかよりも、彼女の思いを知りたかった。