第一話
どこまで続くか分かりませんが、新作書いてみました。
応援よろしくお願いします。
会議室の空調は、少し効きすぎていた。
壁に掛けられた時計は、秒針の音すら聞こえない静音仕様のはずなのに、なぜかやけに存在感を主張している。白い文字盤の上を、黒い針が一秒ずつ確実に進んでいく。
向かいの席には、部長と人事課長。
どちらも見慣れた顔だ。三十年近く前、ダンジョンが日本に現れてからも、この会社は生き残り続けてきた。俺もその一員として、十数年、数字と書類と規程に向き合ってきた。
――今日までは。
「……では、本題に入らせてもらいます」
部長が咳払いを一つしてから、書類に目を落とした。
その動作だけで、だいたいの内容は察してしまう。何度も見てきた光景だったからだ。これまで俺は、“伝える側”の席に座っていた。
「ご存じの通り、当社はここ数年、ダンジョン関連事業の収益が想定を下回っており――」
業績不振。
事業再編。
構造改革。
どれも、会議資料ではよく使う言葉だ。抽象的で、誰も傷つかない顔をしている。だが、その言葉の先には必ず、具体的な数字と、具体的な人間がいる。
「管理部門の統合に伴い、余剰人員が発生しました」
余剰。
その言葉が、俺の胸に沈んだ。
「総合的に検討した結果――」
部長は一度、言葉を切った。
たぶん、気を遣っているつもりなのだろう。長年一緒に仕事をしてきた相手を、ただの数字として処理するのは、さすがに心が痛む……そういう顔をしている。
「――君には、今回の早期退職制度を利用してもらいたい」
一瞬、音が消えた気がした。
いや、実際には空調も、遠くのコピー機の音も、すべて変わらず動いている。ただ、俺の意識だけが、少し遅れて現実に追いついてきた。
「……理由を、聞いてもいいですか」
自分の声が、思ったより落ち着いていたのが意外だった。
もっと感情的になるかと思っていた。怒るとか、動揺するとか。だが、口から出たのは、事務的な質問だった。
「もちろんだ」
部長は頷き、人事課長が補足する形で説明を始める。
「君の評価が低いわけではありません。むしろ、勤勉で、規程遵守の意識も高く――」
よく知っている前置きだ。
褒め言葉の後には、必ず「だが」が来る。
「しかし現在、当社が求めているのは、より現場に即応できる人材です。ダンジョン現場を経験し、即戦力として判断できる――」
「冒険者資格を持つ人間、ということですね」
俺がそう言うと、人事課長は少しだけ目を伏せた。
「……そうなります」
三十年前、ダンジョンが出現したとき、社会は大混乱に陥った。
魔物、魔法、スキル。
だが人間は順応した。法律を作り、資格を作り、危険を“管理可能なリスク”に変えた。
その管理を支えてきたのが、俺たちの仕事だったはずだ。
「俺は、現場を軽視してきた覚えはありません」
「分かっている」
部長は即座に答えた。
「君が作った安全指針で、何人もの冒険者が助かった。事故対応マニュアルも、業界標準になった」
なら、なぜ。
その問いを、俺は口にしなかった。
答えはもう出ている。
「だがね」
部長は、少しだけ視線を逸らして言った。
「今の会社にとって、君は“コスト”なんだ」
はっきりと言われたことで、逆に納得してしまった。
真面目に働いてきたことも、規程を守り続けたことも、会社が苦しい局面では関係ない。
「退職金と、再就職支援は最大限用意する」
「……ありがとうございます」
礼を言うべきなのか分からなかったが、条件反射で頭を下げていた。
会議室を出ると、いつもと同じ廊下があった。
ダンジョン素材を使った建材。
魔力制御付きの照明。
全部、昨日までと何一つ変わらない。
変わったのは、俺の立場だけだ。
デスクに戻ると、私物をまとめるための段ボールが置かれていた。
誰かが、気を利かせて用意してくれたのだろう。
――切られる側になるのは、初めてだった。
ダンジョンがあっても、魔法があっても、社会は相変わらずだ。
必要とされる人間と、そうでない人間がいる。
俺はただ、真面目に仕事をしていただけなのに。
段ボールの底に、長年使っていた社員証が落ちる音が、やけに大きく響いた。
ハローワークの建物は、ダンジョンが出現する前とほとんど変わっていないらしい。
少なくとも外観は、そうだった。
無機質なコンクリートの壁。色あせた案内板。入口付近に並ぶ自転車。
違いがあるとすれば、入口の横に設置された小さな装置くらいだ。
魔力測定ゲート。危険物持ち込み防止と、暴発事故対策のためのもの。今では公共施設に設置されているのが当たり前になっている。
俺は社員証の代わりに、仮の求職者カードをポケットに入れ、建物の中へ入った。
平日の昼間だというのに、人は多い。
スーツ姿の中年。
作業着の若者。
そして――防刃加工されたジャケットを着た冒険者風の男女。
同じ「求職者」だが、放っている空気が違う。
番号札を取り、椅子に座る。
壁のモニターには、求人情報が流れていた。
「ダンジョン第七層・警備補助員募集」
「魔物素材解体スタッフ(未経験可)」
「探索パーティ随行・回復役優遇」
条件欄には、こう書いてある。
――冒険者資格保持者
――実戦経験一年以上
――危険手当あり
俺は視線を落とし、自分の履歴書を見た。
資格:普通自動車免許
スキル:事務処理、法規対応、事故報告書作成
ダンジョン実績:間接的関与のみ
笑えない。
「次の方、どうぞ」
呼ばれて窓口へ向かう。
対応してくれたのは、二十代後半くらいの女性職員だった。丁寧な笑顔だが、どこか疲れている。
「本日はどのようなご相談でしょうか」
「……ダンジョン関連で、再就職先を探しています」
「かしこまりました。では、冒険者資格の有無を――」
「持っていません」
一瞬、空気が止まった。
職員はすぐに表情を戻したが、その間は確かにあった。
「失礼しました。では、補助的な職種や、管理・事務系になりますね」
「はい。前職では、その分野を――」
「ただ」
彼女はモニターを操作しながら、淡々と続ける。
「現在、ダンジョン業界では“現場経験重視”の傾向が強く、管理職についても冒険者経験を求められるケースが増えています」
知っている。
知っているから、ここに来た。
「こちらなどはいかがでしょう」
提示された求人票を覗き込む。
――ダンジョン外縁部・清掃補助
――日給制
――魔物残渣の処理あり
「……これは」
「現場に入らない分、比較的安全なお仕事です。資格も不要ですし」
安全。
その言葉が、ひどく軽く感じた。
清掃補助。
魔物の死骸や、破損した装備の回収。
社会を回すために必要な仕事だ。
だが、昨日まで俺がやっていた“仕事”とは、あまりにも距離がある。
「他には……」
職員は少し申し訳なさそうに首を傾げた。
「正直に申し上げると、年齢とご経歴を考えると、条件の合う求人は限られます」
年齢。
経験。
どちらも、これまでは武器だった。
だが、ここでは違う。
「冒険者の方でしたら、未経験でも研修から入れる求人が多いのですが……」
「ええ」
俺は頷いた。
「“現場で命を張ったかどうか”が基準なんですね」
彼女は否定しなかった。
「……はい。そういう傾向です」
窓口を離れ、再び椅子に座る。
隣では、若い冒険者が仲間と笑いながら話していた。
「昨日の第六層、マジでやばかったよな」
「でも手当つくし、次は装備更新できるな」
生きている。
危険の中で、確かな手応えを得ている。
俺は、どうだ。
会社に切られ、資格もなく、家族もいない。
仕事一本で生きてきた結果、仕事を失った。
求人票の束を握りしめながら、ふと思った。
――俺は、まだ“働ける”人間なのだろうか。
ダンジョンがある世界で、
冒険者でもなく、会社員でもない人間に、居場所はあるのか。
その答えは、まだどこにも書かれていなかった
清掃補助の仕事は、想像していたよりも早く決まった。
ハローワークを出てから二日後、登録していた派遣会社から連絡が来た。
ダンジョン外縁部、第三区画。
低層とはいえ、現役の探索区域だ。
「一度だけで構いません。人手が足りなくて」
電話口の担当者は、そう言った。
――一度だけ。
その言葉に、妙な救いを感じてしまった自分がいた。
集合場所は、ダンジョン管理局の裏手にある仮設詰所だった。
簡易結界、注意喚起のホログラム、そして血痕を完全に消しきれない床。
現場だ。
「今日の清掃範囲は、第三層手前まで」
責任者らしい男が説明する。
冒険者資格を示すプレートが胸元で揺れていた。
「魔物はすでに駆除済み。ただし残滓あり。装備破損、遺留品回収、あと……」
一瞬、言葉を選ぶ間があった。
「……回収対象が出る可能性もある」
回収対象。
遺体、とは言わない。
俺は支給された防刃ジャケットに袖を通し、簡易マスクを装着した。
魔力汚染を防ぐためのものだが、臭いを完全に遮断することはできない。
ダンジョンの入口をくぐった瞬間、空気が変わる。
湿気。
金属臭。
かすかに甘い、嫌な匂い。
床には、すでに乾きかけた血。
壁には、爪痕のような傷。
照明魔法が照らす範囲の外は、どこまでも暗い。
「そこ、足元気をつけて」
先輩らしい作業員が声をかけてくる。
「ここ、昨日までは戦場だったから」
戦場。
確かにそうだ。
俺の仕事は、破損した装備の回収と仕分けだった。
折れた剣。
ひび割れた魔導具。
持ち主の名前が刻まれたタグ。
それらを、無言でコンテナに入れていく。
「これ、使えますかね」
俺が聞くと、作業員は一瞥して首を振った。
「無理だな。魔力の通りが死んでる」
価値があるか、ないか。
判断は速い。
通路の奥で、別の作業員が手を止めた。
「……あった」
声が低くなる。
皆が集まる。
そこにあったのは、人の形をした何かだった。
防具は裂け、身体は結界布で覆われている。
顔は見えない。
見えないように、しているのだ。
「若いな」
誰かが、ぽつりと言った。
「昨日登録したばかりのパーティらしい」
昨日。
たった一日で。
俺は、その場から動けなかった。
視界の端で、冒険者のプレートが光っている。
資格。
職業。
命を懸ける覚悟の証。
それを持たない俺は、ここに立つ資格があるのか。
「大丈夫か」
責任者が声をかけてきた。
「無理そうなら、外で待ってていい」
「……いえ」
俺は首を振った。
「仕事ですから」
その言葉が、喉に引っかかる。
仕事。
命が終わった場所を、片づける仕事。
会社では、事故報告書を書いてきた。
原因分析、再発防止策、責任の所在。
だがここでは、
原因も、再発も、数字にはならない。
作業が終わる頃には、手が震えていた。
恐怖ではない。
現実を、直に触ってしまったせいだ。
ダンジョンの外に出た瞬間、息がしやすくなった。
空は青く、街はいつも通り動いている。
「お疲れ」
作業員が缶コーヒーを差し出してくる。
「初めてにしては、よくやったと思うよ」
「……一度きりのつもりです」
そう言うと、彼は少しだけ笑った。
「そう言う人、多いんだ」
だが、残る人間もいる。
そして、戻ってこない人間もいる。
帰り道、靴の裏についた血を、何度も拭った。
それでも、完全には落ちない。
俺は思った。
この仕事は、確かに必要だ。
誰かがやらなければならない。
だが――
俺がやるべき仕事は、本当にこれなのか。
答えはまだ、見えなかった。
ダンジョン管理局から駅へ向かう途中、俺は立ち止まった。
「……課長?」
その呼び方をされるのは、ずいぶん久しぶりだった。
振り返ると、そこにいたのは――
元部下だった。
数年前まで、同じフロアで働いていた男。
今は、防刃コートの上に軽装の装備を身につけ、胸元には等級の高い冒険者プレートを下げている。
「やっぱり。人違いかと思ったけど」
彼はそう言って、少し気まずそうに笑った。
「……久しぶりだな」
俺はそれだけ言うのが精一杯だった。
「清掃、ですか」
俺の手元にある簡易バッグを見て、彼は察したらしい。
「今日、第三層の事故対応が入ってたって聞いて」
情報が早い。
現場に近い人間ほど、噂も早い。
「課長が来るとは思わなかったですけど」
「もう、課長じゃない」
そう訂正すると、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。
「あ……すみません」
沈黙が落ちる。
俺は、彼の姿を改めて見た。
装備は使い込まれているが、安物ではない。
魔力の流れも安定している。
成功している冒険者の、それだ。
「聞きました」
彼が先に口を開いた。
「会社、辞めたって」
「辞めた、じゃない。切られた」
「……そうでしたか」
彼は少しだけ視線を落としたが、すぐに切り替えた。
「でも、ちょうどいいかもしれません」
そう言って、まっすぐ俺を見る。
「課長も、冒険者になればいいんですよ」
予想通りの言葉だった。
だからこそ、胸に刺さる。
「今からでも、遅くないです」
「簡単に言うな」
思わず、強めの声が出た。
彼は驚いたようだったが、引かなかった。
「課長、知識ありますよね。判断も早いし、危険察知もできる」
「それは“現場に立たない立場”だったからだ」
「だから、今度は立てばいい」
彼の言葉は、善意だけでできている。
疑いようもない。
「今は、経験よりも“考えられる人間”が足りないんです」
「命を賭ける世界だぞ」
「はい」
即答だった。
「でも、課長も知ってるでしょう。もう、そういう世界です」
ダンジョンが現れて三十年。
命を賭ける仕事は、特別じゃない。
「実際、俺も最初は怖かったです」
彼はそう言って、少しだけ笑った。
「でも、慣れます。慣れない人は、やめるだけです」
正論だった。
「収入も、安定してます。等級が上がれば、会社員よりずっと」
「そうだろうな」
「だったら――」
彼は一歩近づいた。
「課長みたいな人が来てくれたら、助かる人、たくさんいます」
助ける。
その言葉に、今日見た光景が重なる。
回収された身体。
名前の刻まれたタグ。
「俺は、向いていない」
そう言うと、彼は首を振った。
「向いてる向いてないは、やってから決めるものです」
――それも、正しい。
「俺はな」
言葉を選びながら、続ける。
「人が死なないように、仕事をしてきた」
「それは、今も同じです」
「違う」
俺は、はっきり言った。
「お前は、“生き残る側”の人間だ」
彼は、少しだけ目を伏せた。
否定はしない。
「俺は……」
続きを言おうとして、やめた。
自分がどちら側なのか、まだ決めきれていなかったからだ。
「考えてみてください」
彼は、最後まで丁寧だった。
「課長が冒険者になる世界、俺は悪くないと思います」
そう言って、去っていく。
残された俺は、駅へ向かいながら考える。
冒険者になる。
命を賭ける側に回る。
それは、逃げなのか。
それとも、前に進むことなのか。
ホームに電車が滑り込む音がする。
俺はまだ、答えを出せずにいた。




