【精霊国物語番外編】新たな領主として
「ジェーディエ様、こちら文が届きました」
「あぁ、そこに置いておいてくれ」
そう言うと、控えめな様子でチコが幾つかの文を卓の隅に置いた。
チコはルドラの案内人を務めていた若者で、あの一件の後に取り調べを終え、今はフリドレードの領主となったジェーディエの許で世話役を務めている。
ルドラの手によって付けられた数々の傷は殆ど塞がり、世話役として働く内に、自然な笑顔も増えていた。
部屋を出て行こうとするチコを呼び止め、ジェーディエは小さな包みを取り出した。
「これ、食べないか? カルヴァスから届いたものだが……良かったら」
目を丸くしながらも、チコは小走りで寄ってくると、包みを受け取った。
「有難うございます、ジェーディエ様」
その言葉に、頷いて応える。チコが去っていくのを見送ってから、ジェーディエはまだ慣れない感覚に、身じろぎした。
──ジェーディエ様、か。
チコは元々誰に対しても腰が低い。だから、態度が変わったという感じはない。
だが、今ジェーディエをフリドレードの領主と認めた民の多くが「ジェーディエ様」と呼び、傅く。
領主というものの信頼が崩れてしまった今、敢えてそのように振舞うのは、正しいことではある。意識した振る舞いも、その内心に根差すものだから。
それが正しく根付くように、ジェーディエは領主としてより気を遣って振舞わなくてはいけないし、そう心掛けている。
自身が置かれた立場に、不満がある訳ではない。それでも、時折自分で良かったのか、と思うことがある。
ただ、一介の修養者でしかなかった自分。
この国で火の精霊の器として名が知られているのは、友であるカルヴァス・ルクトルだ。
ジェーディエは自身の掌を見下ろした。
器としての自分──それは、きっとカルヴァスに匹敵するものなのだろうと、そう日々思い知ることもある。
今、ヴルーナ火山で身を鎮めている火の精霊。
ジェーディエが火口を訪れ、修養にと励む度に、火の精霊は現れ「良い器だと」ジェーディエを見て得意そうな顔をする。
火の精霊が言うのなら、それは本当のことなのだろう。
ぐるぐると回り始めた思考を止め、溜め息を吐いたジェーディエは、カルヴァスから届いた包みを開き、その中の焼き菓子を口に運んだ。
「美味い」
ほのかな甘みが口に広がり、何処か心身の強張りが解ける気がしてくる。
カルヴァスからの文には、グラウスでのことと、領主となり手一杯となっていたジェーディエを労う言葉が端的に書かれており、胸がすく想いがする。
カルヴァスへの返事を端的に書き、焼き菓子の礼は何が良いかと考えながら、ジェーディエはチコの置いて行った文の束を取った。
他地方との交流を再開した今、領主はこうした文でのやり取りもこなさなくてはいけないのだと思い知った。今頃洞窟に籠もり、修養に明け暮れている前領主ランドシのことを少しばかり恨めしく思いながら、ジェーディエはある文に目を止めた。
「これは……」
花模様のあしらわれた可憐な文。封にはカルヴァスのものと同じ精霊隊の印が押してある。
優先順位を付けることなど忘れ、ジェーディエはその封を開けた。途端、甘く芳しい香りが文から漂ってくる。
暫しその香りに酔いしれたジェーディエは、高鳴る胸を押さえながら文を開いた。
それは、マリーエルからの文だった。
以前にフリドレードの染め物を使った髪飾りを贈った礼と、城での日常のちょっとした話が添えられてある。「また会える日を楽しみにしています」という文言に、自然と口が緩む。
早速返事を書きながら、ふと視界に入ったカルヴァスへの返事を見て後ろめたい気持ちが湧く。しかし、それを振り切り、筆を走らせた。
──勿論、姫様の気持ちが最優先だけど。
最初こそ、基礎地縁派の者として〝精霊姫〟に近付く為でしかなかったが、マリーエルと実際に対面し、関わるうち、ジェーディエの中に確かな恋心というものが芽生えていた。
──恋心……。
そう考えると、カッと顔が熱くなる気がして、ジェーディエは誰も居ない筈の部屋を見回した。
恋をしたことがない訳ではない。そのように初心である訳ではない。
しかし、相手はあまりに特別な存在だ。分不相応では、既になくなってはいるが、強敵が居ることも判っている。
再びぐるぐると回り始めた思考を止め、ひとまず他の文への返事を書き終えると、ジェーディエは火炎城を出た。
フリドレードの町での些事にも目を向け、領主としての役目を果たす。
その役目を与えられたことに自問する時があっても、ジェーディエはやりがいを感じていた。
民の声を聞き、時には麓の集落を巡り、ジュリアスへと出ることもある。
精霊国のいち地方として、国全体の為になるよう尽くすつもりだ。
ジェーディエは以前より精霊国史というものを深く学び始めていた。そして、精霊姫という存在について。器というものについて。
修養とは、体や精神だけを鍛えるだけではない。
精霊の器たるもの、それだけではいけない。自身の目で見て耳で聞き触れる。そうして様々な考えを持つ者と関り、自己を確立する。
そこに、鍛えられた体と精神があり、真に善き器と成ることが出来ると、ジェーディエは考えていた。
──ランドシ様も決して全てが誤りだった訳ではない。それでも。
今、フリドレードの立場は非常に危うい。他地方がそれを望んでいないから、フリドレードの地を明け渡すなどということは起き得ない。しかし、少しでも妙な振る舞いをすれば、ただでさえギリギリで保っている信頼がひと息に崩れ落ちるだろう。
そうならない為にも、どんなことにでも注意深く目を向け、そうして少しずつ信頼の置ける者を増やしていかねばならない。
「あら、ジェーディエ様!」
ふと掛けられた声に、ジェーディエは何とも言えない顔を浮かべた。
「……まだ貴女にそう呼ばれるのは、慣れないな」
修養終わりか、手巾を肩に掛けた年配の女──リュドセがニカッと笑った。
「なぁに、言ってるんですか、りょ、う、しゅ、さ、ま!」
修養場から出て来た女達が集まって来て「あらジェーディエ様」とからかうように言い始める。
リュドセはジェーディエが幼い頃よく世話になった女だった。ついこの間までは、自身の子供達にしているのと同じように叱りつけたり、用を申し付けたりとしていたのだが、「ジェーディエ」と呼ぶのを止め、領主として扱い敬う態度へと変じたことに、何処か慣れることが出来ずにいる。
民が集まって来たのを好都合と、ジェーディエは何か困っていることはないか等の聞き取りをその場で行い、ひと通り聞いてから、ふと息を吐いた。
掃除や修養の支度などの作業をしながらそれを見守っていたリュドセは、息を吐いたジェーディエの前に茶の器と、火山焼きの乗った皿を差し出した。
「お勤めご苦労様です。領主様」
その言い方にふっと笑みを漏らしてから、ジェーディエは茶に浸した火山焼きを頬張った。
少しずつではあるが、フリドレード内の雰囲気は良くなってきている。
基礎地縁派と規律実行派という二派に未だ分かれているものの、他地方の打倒や、ただ修養を積むことにだけ向いている訳ではない。この国の為に、フリドレードの民として出来ることを考え実行する。そして、その為に己を鍛える。
これこそが、器としての正しい在り方である、とジェーディエは考えている。
「それで、あの後、マリーエル様から返事は来たの?」
リュドセがこっそりとジェーディエに耳打ちした。
茶を飲んでいたジェーディエは、思わず吹き出し、口元を拭った。
「領主様、こちらの手巾をどうぞ」
含み笑いをしながら、リュドセは手巾を差し出すと「それで?」と再び耳打ちする。
ゆっくりと溢した茶を拭ってから、ジェーディエは溜め息を吐いた。
「返事は来た。ただの挨拶と礼だよ」
そう言いながら、胸がチクリと痛むのを感じ、ジェーディエは顔を顰めた。
──分不相応ではないが、実際分が悪いのは確か、か。
「カルヴァス様も居るからねぇ。あと、カナメ様。──次はどんな物を贈るんです? 距離がある分気合入れていかないと」
その声に応える言葉を見つけられず、リュドセが淹れ直した茶で喉を潤してから、ジェーディエは立ち上がった。
「馳走になった」
何か良い物があったら報せてくれ、と言い添え、ジェーディエは修養場へと向かった。
その道中、近くの森から人影が現れ、恭しく頭を垂れた。
「ジェーディエ様。修養の刻ですか。ご一緒しても?」
夕日色の瞳が、悪戯っぽくキラリと光る。
ジェーディエはそれにひとつ頷いて応えると、口を曲げた。
「お前まで俺をそういう風に扱うのは、やめてくれ」
隣を歩く青年──ラルクスが、さっと辺りに目を走らせてから、ニッと笑った。
「仕方ないだろ。今のお前は領主様。お前が言ったんだぞ。『今は必要以上に領主として振舞い、扱われる方が良い』って」
「そうだけど……」
ラルクスは幼い頃、共にリュドセに世話になった仲だった。叱られもしたし、食事の世話にもなったし、何よりよく共に修養を積んだ者だった。
カルヴァスと出会う前は、殆ど唯一の真の友と呼んでも過言ではない程の仲だった。他にも友は居るが、信頼の置ける仲であるのはラルクスくらいだろう。
その横顔を見て、思わず溜め息を吐く。ラルクスが怪訝そうに眉を寄せた。
「なんだ、いきなり。共に修養を積むのが俺じゃ不満か? カルヴァス殿とは随分と楽しくやってたみたいだしな」
吐き捨てるように言うラルクスに、ジェーディエは目を瞬いた。少しだけ間を開けてから「嫉妬か?」と返すと、ラルクスは鼻に皺を寄せた。
「ちげーよ。──いや、違くないか。あのカルヴァス殿と友とは、ね」
元々名の知れていたカルヴァスは、火口での一件でより名を高めた。一度はフリドレードの領主へと挙がったくらいだ。
つまり、ジェーディエはカルヴァスの存在も強く意識しなければならない。
「別に。カルヴァスはカルヴァス。お前はお前だろ、ラルクス」
ジェーディエの言葉に、ラルクスはふっと空を見上げる。
「そんなことは判ってる。だけど、ずっと眩しいと思ってたお前に、名だけ聞いてたカルヴァス殿のあの様子を見たらさ。自分が随分とちっぽけなものに感じたのも確かなんだよな」
静かに呟かれた声に、ジェーディエは言葉を呑みこんだ。
二人して修養を積んできた。しかし、着実に力を高め呼び掛けを受けるに至ったジェーディエとは違い、ラルクスは未だ呼び掛けを受けられずにいる。とはいえ、道具を用い火の精霊の力を増幅し扱うことは出来ているのだから、全く才能がない訳ではない。
それでも、ふとした瞬間に羨望のようなものを、妬ましい気持ちと同時に感じることがあるのだろう。その気持ちを理解することの出来るジェーディエだが、ラルクスから自身もそういった感情を抱かれているのだということも理解していた。
「ま、気にすんな。俺は俺なりに、お前の横に立てるように修養を積むつもりだ」
ラルクスはニッと笑う。
「それなら、前にした話を受けてくれないか」
そう問うと、ラルクスは笑顔を浮かべたまま遠い目をした。
まだ領主となって間もない頃、ジェーディエは相談役兼護衛役としての身分をラルクスに申し出た。しかし、ラルクスはそれを断ったのだった。
最終的には基礎地縁派、規律実行派、ランドシの許に居た者から一人ずつ選出したが、気心知れたラルクスが居てくれたらどれだけ頼もしいことだったろう、と思わざるを得ない。
「……その話は、本当に有難いと思ってる。でも、やっぱり受けることは出来ない。俺には、その資格はないと思う」
「そんな──」
「いや、お前がどう思っているかは関係ない。俺が、自分のことをお前の横に相応しくないと思うんだ。だから、待っててくれ。俺は、俺の力で認めさせてみせる。それこそ、カルヴァス殿みたいにな」
そう言って、ラルクスはニッと笑う。
力だけを求めている訳ではない。呼び掛けを受けてはいないラルクスだが、それでも能力が劣るという訳ではない。やり方が少しばかり異なるということだ。
──それでも、ラルクスの想いは……。
グルグルと考え込み始めたジェーディエの肩を、ラルクスが叩いた。
「ま、非公式の相談役ならいつでも、古くからの友人として受けてやるからさ。まぁ、そんなに待たせるつもりもないし」
そこで、ラルクスは「あっ」と声を上げた。一度辺りを見回してから、ジェーディエに耳打ちする。
「良い酒が手に入ったんだよ。修養が終わったらこっそりやろうぜ」
悪童の顔に、思わずふっと笑う。
ラルクスは幼い頃からそうだった。共に無茶なことをしたものだが、それにしてもラルクスの方が叱られることが多かったように思う。
「本当に、お前は……」
懐かしさに浸っていたジェーディエに、ラルクスは口を曲げた。
「あ、今、そんなことしてるからいつまで経っても名を上げられないんだって思ったな?」
「思ってないよ」
「本当かぁ?」
その時、道の先から修養者達が歩いて来て、ジェーディエに気が付き頭を垂れた。ジェーディエはそれに顎を引いて応え、ラルクスは半歩程下がった所を付いて歩き過ぎた。
ちらと後ろに去っていく修養者を見送りながら、ラルクスは息を吐く。
「本当さ、すぐに追いつくから」
「あぁ、信じてる」
ジェーディエの言葉に、ラルクスは引き締めていた表情を緩めた。
「さて、今日も修養を積みますか」
修養場を前に、僅かに軽薄さを滲ませぐっと体を伸ばす。その後ろ姿を見つめていると、ラルクスが怪訝そうな顔で振り返った。少し考えてから、ジェーディエは言った。
「今は、思ったな。そんな軽い気持ちで修養に挑むから『いつまで経っても名を上げられないんだ』とな」
その言葉に、ラルクスはむっとしてから表情を引き締めた。
「……そうだな。よし、酒は止めよう。その代わり、修養の時を長く取る」
真剣な表情をするラルクスの肩を、ジェーディエは引いた。
「いや、酒は飲む。お前には将来相談役となって貰うつもりなんだ。その鍛錬だ」
ラルクスは眉を顰め、不満そうにする。
「いや、今気を引き締めたばかりなんだけど」
ラルクスの背を押して修養場へと入りながら、ジェーディエは静かに言った。
「闇雲に修養に時を掛ければいいというものじゃない。ひとつひとつに心を尽くし、己を知ることこそ、修養の要」
熱を持った岩肌に座り込み、この地を流れる火の精霊の力を感じる。それを身の内に取り込み、一体となり、再びこの地へと流す。
深い呼吸を繰り返し、意識のずっと深い所へと潜っていく。
そうして火の力と一体となったジェーディエの姿を眩しそうに見やっていたラルクスが、静かに隣へと座り込み、同じようにした。
火の力がラルクスの身にも流れ込む。
新たな力の流れを感じ、ジェーディエは深い意識の先で微笑んだ。
その様子を、姿を現わした火の精霊が、愉快そうに見守っていた。




