六品目
煌びやかな街の光とは裏腹に、レストラン《はいから亭》の従業員にとって、クリスマスは激務の一日に過ぎない。だが、この夜、彼らは仕事の疲れと孤独を分かち合い、ささやかながらも確かな絆という名の「聖誕」を迎える。
クリスマス――。
街は冬の光で染まり、通りを行く人々の息が白く瞬いていた。
街路樹にはイルミネーションが巻かれ、ショーウィンドウにはサンタと雪だるまが並ぶ。
恋人たちは肩を寄せ合い、子どもたちはケーキの箱を抱えながら弾むように歩く。
寒気の中に混じる甘い香りが、まるで幸福の匂いのように街を包んでいた。
だが――そんな中にあっても、ひときわ別世界のような空気を漂わせる店がある。
レストラン《はいから亭》。
外観こそ赤いリボンと金のベルで飾られ、窓辺には雪の結晶のライトが灯っている。
だが、その厨房とホールには、クリスマスとは無縁な面々ばかりがひしめいていた。
「失礼します。ラストオーダーのお時間ですが、追加のご注文はございますか?」
午後九時半。
絵恋がラストオーダーの時間を告げて、追加注文の有無を確認して客席を回っていた。
ホールには、カップルや家族連れが楽しげに談笑している。
流れるBGMは定番の『ジングルベル』。だが、働くキャストの胸のうちに浮かぶのは、サンタでも恋でもなく、「早く終わんねぇかな」ただそれだけだった。
「今日は追加注文なさそうだね」
厨房の奥で、充が伝票プリンターを覗き込みながら言った。
「いいんですか?」
冷蔵庫から食材を出しながら、厨房を覗き込んだ絵恋に聞く充。
「気にするな。お代も気にするな」
絵恋は短く答えると、手を止めずにホールへ戻っていった。
「俺、知らねぇからね」
悠太がフライパンをコンロに置きながらぼやく。
「俺だって知らないよ」
充が苦笑いして、二人は黙々と仕込みを始めた。
やがてラストの客が立ち上がる。
「ありがとうございましたー!」
悠馬がレジで笑顔を浮かべ、ドアベルの音に合わせて頭を下げる。
外の風が冷たく流れ込み、彼は少し肩をすくめた。
「今日は早めにお客様が引けましたね……さて、今日は早めに帰って休みますか…」
独り言を呟きながら、入り口を施錠する。
レジを閉めようとしたその時、ふと手が止まった。
「あの〜佐伯さん?」
「ん? なに?」
不機嫌そうに顔を上げた絵恋に、悠馬は困ったように紙を差し出す。
「レジの中に、これが……」
彼の指には、一枚のメモ。
そこには絵恋の字で――《レジを閉めるな》。
「よく私の字だと分かったな」
絵恋は感心したように笑う。
「何を企んでるんですか?」
「気にするな」
「気にしますけど……」
悠馬は苦笑いしながらレジを閉めずに戻す。
「はい、あとこれ。加えといて」
渡された伝票を見て、悠馬は目を丸くした。
「……なんですか、これ?」
「見て分かんねぇか? これからみんなで飯食うんだよ」
「だから高校生たちが残ってるのか……」
「じゃ、それ処理したらレジ閉めてくれ。お前からの慰労ってことにしといてやる」
「……そういうことですね」
絵恋がニヤリと笑うと、悠馬は呆れたように会計を打ち、自分の財布を出した。
その頃、休憩室では――。
「なぁ、なんで副店長ってさ、いつも店長に金せびるわけ?」
翠がカップを両手で包みながら言う。
休憩室には彼女のほか、渚、伊吹、和影、林太郎の姿があった。
ストーブの上で湯気が立ち上り、外の風の音がかすかに聞こえる。
「知らね」
和影が短く答える。
「てかさ〜噂なんだけど〜」
渚が伸びをしながら言葉を続ける。
「店長、副店長に弱み握られてるって話、マジらしいよ〜?」
「え、あの店長に? あるわけないっしょ」
翠が吹き出す。
「てかさ〜ワンチャン、店長が副店長襲ったとか? 返り討ちにあって、それでビビってんじゃね?」
「ありえないだろ」
和影が呆れたように口を挟む。
「そんなことしたら本社案件。店長クビ、副店長は慰謝料でウハウハだよ」
「それな〜、マジそれ〜」
渚が笑いながら手を叩く。
全員が苦笑していた時、ふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。
「お待たせ、クリスマスの特別ディナーだよ!」
充がカートを押して入ってきた。
「店長からの奢りです」
湯気を立てる皿の上には、彩り鮮やかなチキンソテー。
「うっそ、マジ? あの店長が?」
渚が目を丸くする。
「いや、あの人にそんな気配りないだろ」
和影が毒を吐きながら皿を並べた。
「副店長の指示でね、以前から食材を多めに発注して隠してた」
充が苦笑混じりに説明する。
「え〜、あの人そんな気ぃ利くタイプじゃなくない? ギャップえぐ〜」
渚が口を尖らせた瞬間――。
「おや? これは?」
扉の向こうから声がして、一同が振り返る。
悠馬がニコニコ顔で立っていた。
「はい、店長からの奢り説、消えた〜」
和影がすかさず突っ込む。
「まぁ、副店長から話は聞いてます。みなさん召し上がってください。あ、渡貫さん、今日は暴力なしでお願いしますね」
悠馬の冗談に、伊吹は露骨に顔をしかめる。
「そんなぁ……」
林太郎が残念そうに声を漏らす。
「キモいんだよ!」
その顔面に、伊吹の拳が炸裂した。
林太郎は倒れながらも、なぜか恍惚の笑みを浮かべる。
「お二人とも……とにかく、冷めないうちに召し上がってください」
悠馬は苦笑しながら事務所へ戻っていく。
その背中を追うように、皿を持った絵恋が入って行った。
「え? ここで食べんの?」
「どこで食おうが私の勝手だ」
閉まりかけた扉の隙間から、その声が漏れる。
テーブルの上を見ると――皿が一枚足りない。
「え、もしかして店長の分なし? 副店長、店長の前で食べる気?」
翠が顔を引きつらせた。
「パワハラ? いや、これメシハラでしょ〜」
渚が肩をすくめて笑う。
「なんで副店長って、店長にだけあんな強気なの〜?」
その時、悠太が炊飯器とスープの保温器を乗せたカートを押して入ってきた。
「ライスとスープはおかわり自由! 書類上は廃棄扱いだから!」
その満面の笑みが、まるでサンタクロースのように明るかった。
「じゃ、始めよっか」
充が手を合わせる。
「いただきまーす!」
一同の声が重なり、休憩室に笑い声が広がる。
はいから亭の休憩室――古びた壁と蛍光灯の下、それでも温かさに満ちていた。
外では雪が静かに降り始めている。
仕事の疲れも、クリスマスの孤独も、この瞬間だけは溶けていった。




