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working!  作者: Libra
3/8

三品目

ハロウィンが街を包む十月。浮き足立つ人の波の中で、はいから亭だけはひっそりと静まり返っていた。何気ない翠の問いが、誰も触れようとしなかった店の過去を呼び覚ます――。

 季節は十月、暦の上では秋である。

 朝晩は涼しくなったとは言えど、日中はまだ暑い日もある。

 慣れというものは恐ろしいもので、翠のバイトもすっかり続いていた。

 とある日曜日。

 百円ショップに文房具を買いに行った翠は、店の中央に設けられたハロウィンの特設コーナーの前で足を止めた。

 棚には黒とオレンジの紙飾り、かぼちゃのランタン、仮装グッズ。

 子供が仮装してお菓子をねだる風習。

 日本では大人たちがコスプレを楽しみ、警察の機動隊までが整理に追われるほどの盛況。

 どこを見てもハロウィン関連のイベント予告ばかりが目に入る。

 けれど、なぜか――はいから亭にはハロウィンのハの字もない。

 その日の夕方からのシフト。

 コーヒーを準備しながら、翠はペーパーナプキンを用意している伊吹に話しかけた。

 「どこの店もハロウィンのイベント予告があるのに、なんでうちの店にないんですか?」

 「………」

 返事がない。

 振り向いてみると、伊吹は真っ青な顔で視線をそらしていた。

 「去年はあったのよね。今年はハロウィンフェスはしないと思う」

 伊吹はそこまで言って、足早に立ち去っていった。

 「白身魚のフライあがったよー」

 厨房口から充が声をかけてくる。皿にはフライとサラダ。湯気が立ちのぼる。

 「足立さん、うちの店はハロウィンのイベントをしないんですか?」

 翠が聞くと、充も一瞬で顔を真っ青にした。

 「う……うん。やらないと思う……」

 それだけ答えて、すぐにキッチンの奥へ引っ込んでいった。

 (なに?)

 翠はお盆にライスセットの用意をしながら、腑に落ちない表情を浮かべた。

 「おい、翠」

 背後から声がする。絵恋だった。

 「それを運んだら休憩に入れ。足立に賄いを作ってもらえ」

 「副店長……」

 「うちの店はハロウィンはしない」

 翠の質問を予感していたように遮って答えると、絵恋は厨房口で伝票を確認しながらトレイにコーヒーを乗せた。

 「今後、ハロウィンの事は誰にも聞くな。分かったな」

 その言葉には、妙に重い響きがあった。

 絵恋は短く言い残してホールへ出ていく。

 「なんなんだよ……」

 翠は小さく呟いた。

 頭の中では、聞けば聞くほど深まる疑問だけが残っていた。

 カレーライスの湯気。

 香辛料の匂いが漂う休憩室に、翠は充の作ってくれた賄いを運び入れた。

 テーブルの向かいでは和影がスマホをいじっている。

 「なぁ、上総」

 「なに?」

 和影は画面から目を離さずに返す。

 「ハロウィンの話をすると、みんな顔色変えるんだけどさぁ……」

 和影は表情を変えず、短く答えた。

 「ああ。思い出したくもない」

 その声には毒気があった。

 「長宗我部、その話は絶対にするなよ。店長の前でしたら命の保証はできないからな」

 「はぁ?」

 翠は思わずスプーンを止めた。

 (なんでそんな話になるの……?)

 湯気の立つカレーを口に運びながらも、疑問は消えなかった。

 「ご馳走様。足立さん、美味しかったです」

 食器を返しに厨房に戻ると、充が笑顔で「ありがとう」と応えた。

 「休憩終わり? これ、四卓さんのナポリタン」

 悠太が皿を差し出す。トマトソースの香りが立ちのぼり、湯気が顔にあたる。

 翠は伝票を確認し、トレイにタバスコとパルメザンチーズを乗せた。

 「あ、そうだ。河野さん」

 「ん? なに?」

 悠太はいつもの調子で笑う。

 「うちの店ではハロウィン、何かしないんですか?」

 「あぁ、それね」

 悠太は笑いながら言った。

 「今年は誰も言わないね。なんでだろうね?……」

 「おい、河野」

 充が袖を引っ張って止める。

 が、その瞬間、翠の背後から冷たい気配がした。

 絵恋が立っていた。

 怒りを押し殺したような低い声で言う。

 「誰にも聞くなと言ったはずだ」

 十分後。

 休憩室の机の前では、翠がガタガタ震えていた。絵恋の前でひたすら小さくなる。

 「……ごめんなさい。もう聞きません」

 腰に手を当て、呆れた顔で絵恋がため息をつく。

 その横で、悠太が机に突っ伏して悶絶していた。

 そこへ、ちょうど出勤してきた渚が顔を出す。

 「なにこの修羅場?」

 渚が呆れ顔で聞いた。

 「てか、なんでハロウィンは何もしないの?」

 渚の質問に、絵恋は渚を一瞥してから、苦しげな悠太を睨む。

 「去年は誰かさんの提案で、ハロウィンフェスはスタッフも仮装しようって話になったんだ」

 「え、なにそれ! めっちゃ楽しそうじゃん!」

 渚の声が弾む。

 「……調子に乗りすぎたスタッフが一人いた」

 絵恋の視線が、再び悠太に向けられる。

 「そのとき厨房のスタッフは衛生面の問題から、仮装はしないことになってた。なのに、厨房のスタッフの一人が勝手に仮装して調理を始めた。たまたまそれを客に見られてね、その場でクレームになったんだ。しかも店長は他店舗の応援に行っていて、事態を知るのが遅かった……ここまで言えばわかるでしょ」

 「……あぁ……はい」

 翠が力なく返す。

 「事態を把握した店長が飛んで戻ってきて……察しての通りだった」

 絵恋の目が遠くを見た。

 悠太は机に突っ伏したまま、弱々しく声を上げる。

 「他の連中は覚えてた。っていうか、忘れたくても忘れられない修羅場だったのに……その元凶が忘れてたとはな……」

 絵恋が悠太の頭を軽くこづく。

 「それがハロウィンフェスをしない理由。何があっても店長の前で言うな。本当に何が起こるか分からない」

 「分かりました……」

 翠は震える声で答えた。

 絵恋が休憩室を出て行く。

 残された空気は重い沈黙で満たされていた。

 渚がそっと翠に耳打ちする。

 「ってか、河野さんはなんで悶絶してんの?」

 「みぞおちを狙ったらしいんだけど、副店長の蹴りが股間にクリティカルヒットしたの」

 「あぁあ……それは……あたしらには分かんない痛みだね」

 渚は苦悶の表情を浮かべる悠太を見た。


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