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working!  作者: Libra
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一品目

夏休み、高一の翠はお小遣いを稼ぐため、大正ロマン風のレストランでバイトの面接を受けることに。待ち受けていたのは、金髪ギャルの副店長と、混沌とした職場の空気だった。果たして、彼女は採用されるのか。

 暦の上では秋だというのに、体感的にはまだ真夏といっていいほどの暑さだった。

 湖畔の公園を渡る風は一瞬だけ心地よく、止むとすぐに、空気の湿気が肌にまとわりつく。

 戦国武将の水中墓伝説が残るというその湖は、陽光を受けてぎらぎらと輝いていた。ベンチの金属部分はすっかり熱を持ち、座るだけで背中に汗がにじむ。

 長宗我部翠は、膝の上に置いた履歴書を見つめていた。自宅のプリンターで打ち出し、コンビニの駐車場にある証明写真機で撮ったばかりの写真を貼りつけたばかりだ。

 「……うわ、顔かたっ」

 写真の中の自分が思った以上に強張っていて、翠は苦笑した。けれど撮り直す気力もない。これで準備完了と割り切るしかなかった。

 手帳を開けば、プリクラと落書きでいっぱいのページの片隅に、黒のペンでたったひと言——

 『二時 面接』

 とだけ書かれていた。

 「……あー、働きたくない」

 口からこぼれた独り言に、近くのセミが応えるように鳴く。

 翠は立ち上がり、自転車に跨った。漕ぎ出すたびに、脳内で「だるい」という言葉がリズムのように響く。

 目指すは、湖の北側にあるファミリーレストラン『はいから亭』。

 家族連れやサラリーマンに人気の店で、地元では知らない人のほうが少ない。だが今、その店はランチタイムと言う戦場の真っ只中だった。

 待合席のソファにはサラリーマンやベビーカーを押したママ友たちがぎゅうぎゅう詰めに座り、名前を書いた順番に呼ばれるのを待っている。

 厨房からは、鉄板が焼ける音、皿がぶつかる音、オーダーの声が飛び交っていた。

 「次! 七番卓、ハンバーグランチセット、オニオンソース、ご飯セットふたつ!」

 ホールのウェイトレスが端末を叩くと、厨房のモニターが伝票を吐き出す。誰かが伝票を読み上げて、バインダーに挟んでいく。

 鉄板の上でジュウッと肉が焼け、ソースが香ばしい煙を上げた。

 厨房の空気は熱気と湯気で満ちている。

 調理担当のスタッフが無言で鍋を振り、皿を次々と仕上げていく。

 「五番卓、ミートソース上がったよ!」

 湯気を立てるスパゲッティをトレイにのせ、ウェイトレスがタバスコとパルメザンチーズを添えてホールへ向かった。

 その一人、佐伯絵恋。

 金髪、細い目つき、そして日焼けしたような褐色の肌。制服を着ていなければ、完全にギャルにしか見えない。

 「誰か店長見なかった?」

 配膳から戻ると、ホールと厨房の間で絵恋が声を張り上げた。

 「見てないよ!」

 「行動予定表だと本社行ってるみたいだよ……ハイ、これ二番卓さんのハンバーグランチ、和風ソース」

 調理担当の足立充がトレイを差し出しながら応える。

 「そうなんだよなぁ……よりによってこの時間にいないとか」

 絵恋は伝票を確認し、パンとスープを追加しながらため息をついた。

 「悪い、これ運んだらちょっと抜ける。バイトの面接来るらしいけど、店長から詳細聞いてねぇ」

 「了解」

 充は人当たりの良い笑顔で頷いた。

 絵恋はトレイを手に取り、ホールへ出る。

 「お待たせしました。ハンバーグランチ、和風ソース、パンのセットになります」

 スマホを見続ける客の前に、器用に皿を並べていく。

 「パンとスープはおかわり自由です。あちらの台からどうぞ」

 客は軽くうなずく程度で、絵恋は無言で会釈し、足早にその場を離れた。

 そのとき、入り口のベルが軽く鳴る。

 「すいません」

 絵恋は振り向いた。

 制服姿の女子高生が、緊張した面持ちで立っていた。

 「あぁん?」

 声の調子はつい尖っていた。

 翠は一瞬で悟る。

 (うわ、なんか怖そう……)

 「二時にアルバイト面接で来ました。長宗我部です」

 「まだ一時過ぎたばっかじゃねぇか」

 絵恋は腕時計を見て、眉をひそめる。

 (え、なんか感じ悪……この店、金髪OKなの?)

 翠は胸元の名札に目をやった。

 『副店長 佐伯絵恋』

 (……ギャルが副店長!?)

 予想外すぎて、もう帰りたくなる。

 「店長から聞いてねぇけど、とりあえず事務所来な。案内する」

 (うわ、もう無理……帰りたい)

 翠は諦め半分でその後ろをついていった。

 バックルームの休憩室には、洗剤と油の匂いが入り混じって漂っていた。

 「ここで待ってな。履歴書出しといて。あと書いてもらう紙がある」

 そう言って、絵恋は奥の事務室へ消える。

 翠が椅子に座ってほんの数秒後——

 「うぉっ! テメー! いるならいるって言えよコラ!」

 奥から怒号が響き、翠は飛び上がった。

 「バイトの面接どうなってんだよ! ……あ? もう来てるわ! 適当な時間言いやがって!」

 怒鳴り声が続く。

 (帰りたい。帰りたい。帰りたい)

 「忙しい? じゃあ私が面接する! それと、行動予定ちゃんと書け! 本社は昨日だろーが!」

 (……これ、一人で怒ってる?)

 翠は耳をすませた。声は絵恋のものだけ。電話なのか独り言なのか分からない。

 数分後、絵恋が紙を手に出てきた。

 「店長いたけど多忙でね。あたしが代わりに面接する」

 制服の袖を直しながら、やれやれといった調子。

 「改めて、副店長の佐伯絵恋。よろしく」

 「よろしくお願いします」

 「履歴書見せな。それと面接用紙、書いといて」

 翠が記入している間、絵恋は履歴書をぱらぱらと眺める。

 「で、志望動機。軽くでいい。金欲しいとか、制服かわいいとか、なんとなくでもいい」

 「親が離婚して……」

 (重っ!)

 絵恋は固まった。

 「母と弟と母の実家に引っ越して。商業科なんで編入できる学校限られてて、電車通学になって定期代がかかるんです。母も働き始めたばかりで負担が大きくて……携帯代も小遣いもカットされたんで、自分で稼ごうと思って」

 「……もういい。分かった」

 絵恋が軽く手を上げた。

 「採用。いつから来れる?」

 「い、今からでも」

 「じゃあ、制服を貸与するから、着替えたら説明だけする」

 「え、あの……」

 「その後のことは店長に確認して明日以降に割り振る。とりあえず今日は制服と説明だけ」

 「……わかりました」

 「よし。じゃ、制服を取ってくるから待ってな」

 絵恋は立ち上がり、軽い足取りで歩く。

 翠はその背中を追いながらため息をついた。

 (副店長って……もっと大人っぽい人かと思ってたけど……見た目も中身もいい加減なギャルみたい)

 「名前、なんだっけ?」

 「長宗我部翠です」

 「みどりね。了解」

 (店長の判断なしで採用……本当にこの店、大丈夫?)

 厨房の奥からは鉄板の焼ける音、油のはぜる音が響く。

 外では、まだセミがしぶとく鳴いていた。

 真夏の午後、長宗我部翠の新しい日常が、ほんの少しの不安とともに、静かに始まった。


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