第九話:焦げ付き魔法の秘密と、王都への帰還
1. 「土まみれ」と「ミントの香り」の同居
丘での事件から一夜明け、カフェは再び平和な喧騒に包まれていた。セリオは一晩かけて全身の土粒子を徹底的に洗浄し、現在はカフェの隅の席に、ミントの香り漂う完璧に清潔なスーツで座っている。
「ふふ、ふんっ♪」
だが、彼の心は以前とは違っていた。
(あの時、俺は土に汚染されることを恐れなかった!ルシアのためなら……この潔癖という心の壁を破れる!)
彼の内なる騎士道精神は勝利したが、肉体の反応は正直だった。ルシアが少しでも彼の席に近づくと、彼の鼻は無意識にミントの香りを求めるようにピクピクと動き、無言で半径1メートル以上のソーシャルディスタンスを取った。
ルシアはセリオの行動を見て、また勘違いする。
「セリオさん、やっぱり昨日の土が原因で、わたくしの焦げ付きの匂いまで嫌いになっちゃったのかしら……」
「ち、違う! ルシアの香ばしさは…その、生命の躍動だ!ただ、その、物理的な接触は、少し、その……心の準備が必要なだけで!」
セリオは必死に声を絞り出す。
そこへ、ゼストが現れる。ゼストは、王室密偵団の印をルシアとカミラに見せ、事情を説明した。
「ルシア様の『極限硬化魔法』──我々はこれを『焦げ付き錬成』と呼ぶべきでしょう。これがマリアベル聖女の陰謀を打ち破る鍵となります」
2. 魔法のトリガーは「最高の焦げ付き」
ゼストは、ルシアに魔法を意図的に再発動させるための実験を提案した。
「ルシア様。あの時、貴女の心にあった『最高の純粋さ』とは何でしたか?」
「ええと……『この黄金色の土を泥に汚してはならない』という、土の純粋さを守りたい一心でした」
「つまり、貴女の魔法は、『物質の純粋な状態を、極限の熱と硬度で守り抜く』力です。そして、そのトリガーは貴女の愛する『焦げ付きの原理』にある!」
ゼストの指示で、ルシアは厨房で焦げ付きやすい古いフライパンを用意した。
「では、まず『最高の焦げ付き』を目指してください!」
ルシアは目を輝かせ、パンの耳を熱したフライパンに入れ、油を限界まで使い、最高の温度で加熱した。その結果、フライパンは煤と油の結晶でベタベタに汚れる。
セリオは「うわああ」という声を心の奥底にしまい込み、目だけを必死に閉じた。
「カミラさん、見てください!この油のベタつきと、硬い炭素の塊!これこそが、物質の極限の純粋さです!」
その瞬間、ルシアの手に残った油の煤が、一瞬、ダイヤモンドのような黒い粒子へと硬化し、宙に浮いた。
「成功だ!」ゼストが叫ぶ。
「ルシア様の『焦げ付き錬成』は、最高の油と最高の火加減、そして純粋な焦げ付きへの愛を触媒とする。これは、『純粋な聖女の魔力』を持つマリアベル様とは対極に位置する、『生活に根差した強靭な防御魔法』です!」
ルシアの魔法は、主婦スキルがそのままチート能力になったものだった。
3. 王都の真実とセリオの決意
ゼストは真剣な顔で、王都の状況を語り始めた。
「マリアベル聖女の魔法は、『純粋すぎる水や空気』を媒体とする回復と魅了の力ですが、『極限の汚れ(焦げ付きや土の硬化)』の前では、その効力が著しく失われる。彼女はそれを知っています」
ゼストは、得意になって更に話を続ける。
「そして、イグナス殿下は、マリアベルの魅了魔法にかかっている可能性が極めて高い。彼の極度の潔癖症は、実はルシア様を遠ざけるための『心の防御壁』として、無意識に利用されている可能性があります」
ルシアはショックを受けた。
「殿下が……そんな!」
「ルシア様。貴女の『焦げ付き錬成』だけが、イグナス殿下を救い、王国の陰謀を暴けます。王都へ、焦げ付きの最高のパートナーである『黄金色の土』と共に戻る必要があります」
ルシアは静かに決意を固める。
「わかりました。わたくし、最高の焦げ付きを携えて、王都へ戻ります」
セリオはルシアの隣に立ち、そわそわした口調で言った。
「ルシア、お、俺も行く…!! とかは…ありかな?」
「セリオさん……でも、王都は土も多いし、街の空気も汚れているし、貴族の服は泥ハネに弱いから……」
セリオは目を閉じ、全身に広がるであろう土の汚染を想像し、一瞬身震いした。しかし、すぐに目を開き、力強い声で答えた。
「大丈夫だ。俺はもう土を恐れない。君の笑顔と、君の『焦げ付き錬成』の極限の硬度が、俺を守ってくれる。それに、俺は君のミント色のバリアとして、君の周りの物理的な汚染を全て防いでみせる!」
ルシアは感動のあまり、セリオの腕を掴もうとしたが、セリオは反射的に約10センチ後退した。
「ま、待て!ルシア、焦げ付きの煤が……!心の準備を……!」
二人の間の「物理的な距離」は変わらないが、「心の距離」は完全に一つになっていた。
こうして、「焦げ付き魔法」の令嬢と、「土克服の潔癖王子」(元騎士)と、「王室の密偵」という、史上最もアンバランスなチームが、王国の運命をかけて王都へと向かうこととなった。