第七話:土に汚染された心の距離と、旅人の正体
1. セリオの「土除染」とルシアの勘違い
あれから数日、カフェにセリオの姿はなかった。
彼は自宅に引きこもり「全身に付着した土粒子の完全除去」という極秘ミッションを遂行していた。
いまや彼の屋敷は、ミントの香りを通り越して薬品庫のような匂いに包まれていた。
「あのさぁ…貴族にも失業保険って、あるのォ?」
虚ろな目……。
「セ、セリオ様…しっかりしてくださいまし!!」
「も、いい!」
執事の制止を振り切り、セリオは除菌用アルコールで壁を拭きながら、鏡に映る自分の姿に語りかける。
「土に触れた……!しかも、ルシアの『焦げ付き守護アタック』の結果としてだ。俺は彼女を守りたいのに、逆に汚染されてしまった!このままでは、彼女を抱きしめるどころか、同じ部屋にいることすら、俺の潔癖が許さない!」
一方、ルシアは。
彼がいない間も、カフェはめっちゃ賑わっていた。
ルシアの笑顔と、時折飛び出す「焦げ付きへの熱すぎる愛」が、街の人々を惹きつけている。
ルシアはセリオが来ない理由を、こう解釈していた。
(セリオさんが来ないのは、きっと、私が彼の靴に土を付けてしまったからだわ……)
(そして、焦げ付きパイの破片で彼の心のデリケートな部分を傷つけてしまったのね……)
カミラはルシアに優しく声をかける。
「ルシア、セリオ君のことを心配しているのね」
「はい……。私、彼に『焦げ付きの愛』を理解してもらうために、焦げ付きと最高の相性を持つものをプレゼントしようと思うんです」
「最高の相性……?ジャムかしら?」
「いいえ、カミラさん。『最高の純粋な土』です!」
カミラは一瞬、言葉を失った。
「つ、土……?」
ルシアは決意に満ちた瞳で頷いた。
「ええ。最高の土は、最高の焦げ付きを生み出す!彼もきっと、この土の感触で、焦げ付きの真理を理解してくれるはずです!」
2. 旅人の真の目的
その日、旅人のゼストがカフェに現れた。彼は静かにルシアの対面の席に座り、コーヒーを注文した。
「相変わらず、穏やかな場所ですね、ルシアさん」
「ありがとうございます。でも、少し寂しいんです。大切な常連さんが、最近いらっしゃらなくて……」
ゼストは微笑み、意味深に語り始めた。
「王都では、『ある令嬢の追放』が小さな波紋を呼んでいます。それは、王子の極度の潔癖症と、令嬢の極度の純粋さが引き起こした、奇妙な悲劇として。ですが、その令嬢は、今、その純粋な力で、王都ではあり得ない人々の絆を作り始めている」
「……わたくしのことですか?」
「どうでしょうね。ただ、『焦げ付きと土』を心の拠り所にする令嬢は、そう多くはありません。そして、それを排除しようとする『ミント色の偽りの純粋さ』を持つ存在もいる」
ルシアは、ゼストの言葉の重さに、少しだけ背筋が凍るのを感じた。
「あなたは何者なんですか!…ゼストさん」
ゼストは静かにコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「私はただの骨董収集家。ですが『王国の真に価値あるもの』を探しています。そして、王都からの刺客が次に狙うのは、貴女の『焦げ付き』でも『土』でもない、貴女が今、築き始めた『庶民との絆』かもしれませんよ」
彼はそう言い残すと、颯爽とカフェを後にした。
「あ、あの…お代は」
ゼストは街角で足を止め、懐から小さな紋章を取り出す。それは王室直属の密偵団の印だった。
「イグナス殿下の『ミント色のアホぶり』と、聖女マリアベルの陰謀。ルシア・アルベールの『天然焦げ付き力』がこの騒動の鍵だ。……次は『彼女の周りの焦げ付きを愛する庶民たち』を狙うか。ふっふっふっふ」
3. 土への恐怖と、騎士の使命
ルシアはゼストの言葉に動揺しつつも、セリオへの「最高の土」プレゼント計画を中止しなかった。
彼女は、セリオが土を怖がっていることなど知らず、ただ「焦げ付きの真理」を理解してくれないことを、寂しがっていると思っていたからだ。
ルシアはカミラに店の留守を頼み「最も粒子の細かい、黄金色の純粋な土」を探して、街外れの丘へ向かう。
その頃、自宅で「全身除染を終えたばかり」のセリオは、マルコからルシアが「最高の土」を求めて危険な丘へ向かったことを知らされる。
「ルシアが行っただと!?あそこは地盤が緩く、危険な場所だ!しかも『最高の土』を探しに……!」
セリオは全身に、冷や汗とアルコールの匂いが混じった感覚を覚える。
(くそっ、俺が土に怯えて引きこもっていたせいで、ルシアが危険な目に遭う!)
セリオはルシアを守るため、着替えもそこそこに屋敷を飛び出す。その足元は、昨日十回除菌したばかりのピカピカのブーツが光っていた。
(仕方ない……!土で汚染されるのは一瞬だ!だが、ルシアを守るという使命は、永遠だ!)
セリオは心の中で、潔癖症の自分と騎士としての使命が、激しく戦っているのを感じた。
「待っていろ、ルシア!俺のブーツは、今、土に汚染されるためにある!」
セリオは、ルシアの笑顔と土の恐怖という、二つの極端な感情を抱えながら、急な坂道を駆け上がっていく。
ルシアの無邪気な願いと、セリオの汚染を恐れる愛が、今、街外れの丘で交錯しようとしていた。そして、その影には、新たな刺客の影が忍び寄っているのだった。