異世界美少女エリス<不在スイッチの魔法>
高橋正也は、ワンルームの部屋でビールを飲みながら天井を見上げていた。彼の人生はパッとしない。営業成績は伸びず、上司には詰められ、恋人には愛想を尽かされて去られた。唯一の楽しみだった週末の草野球も、最近はチームの誰からも声がかからなくなった。
「いっそ誰にも会わずに暮らせたらな…」
独り言を呟いたその瞬間、突然のノック音がした。
「…誰だ?」
正也がドアを開けると、そこには銀髪の美少女が立っていた。彼女の名はエリス。異世界から来たというその少女は、正也に奇妙な装置を差し出した。
「これ、あなたにぴったりだと思って」
それは掌に収まるほどの小さなスイッチだった。表面には「在」と「不在」の文字が描かれ、スライド式のボタンが付いている。
「これを使えば、あなたの存在感を自在に消せるわ。目立ちたくないときに便利よ」
「存在感?」
「ええ。誰もあなたのことを気に留めなくなる。でも、あなたが望めば、いつでも元に戻れるわ」
エリスは説明すると微笑み、ふっと消えた。
最初、正也はそのスイッチを訝しんだが、試しに「不在」にスライドしてみた。瞬間、部屋の電話が鳴ったが、出ると相手は困惑したように「もしもし?」を繰り返し、やがて切れた。
次の日、会社でスイッチを「不在」にしてみた。会議中、上司が正也の席を見て「今日は高橋は欠席か」と呟く。他の同僚も誰一人として彼の存在に気づかない。
「これは…使えるかもしれないぞ」
正也は次第にスイッチを活用し始めた。満員電車では「不在」にして悠々と席を確保し、スーパーではレジの行列をすり抜けて買い物を済ませた。会社でも「不在」を使って厄介な仕事を回避し、のんびりと過ごす時間が増えた。
「このスイッチ、最高だな」
だが、正也の心には次第に復讐心が芽生え始めた。
きっかけは元恋人の亜希のSNS投稿だった。彼女は正也と別れてすぐに新しい男と付き合い、幸せそうに旅行の写真を投稿していたのだ。
「あいつ、俺を捨てておいて…」
正也はスイッチを握り締め、亜希の勤務先に忍び込んだ。「不在」に切り替えて社員証を盗み出し、彼女が重要な会議に遅れるように仕向けた。結果、彼女は大きなプロジェクトから外され、泣きながら謝罪している姿を目撃した。
「ざまぁみろ」
正也の復讐は次第にエスカレートしていった。草野球の仲間たちが自分を無視していると思い込み、試合中に「不在」を使ってバットを隠したり、ボールをすり替えたりした。彼らは次々とミスを連発し、試合に惨敗した。
「俺を無視した罰だ」
だが、ある日、スイッチを使って誰にも知られず会社の金庫室に侵入したとき、装置が突然反応しなくなった。正也は慌ててスイッチを押し続けたが、「不在」にも「在」にも切り替わらない。
そのとき、エリスが現れた。
「正也さん、あなた、随分と悪いことにこのスイッチを使ったみたいね」
「返してくれ! これがなきゃ…」
エリスは冷たい視線を向けた。
「あなた、自分が望んだ力をどう使ったか、思い出してみなさい」
彼女がスイッチをひねると、正也の周囲にこれまでの行いが幻影として映し出された。復讐のために人を傷つけ、信頼を失い、孤立していく自分の姿がそこにあった。
「このスイッチは、あなたの心の投影。『不在』にしたかったのは、周囲ではなく、あなた自身だったのよ」
エリスはスイッチを握りつぶした。正也の存在感が完全に消え、彼自身も何もかもが見えなくなった。
数日後、正也は目を覚ました。スイッチは消え、エリスの姿もなかった。
「俺は何をしていたんだ…」
彼は部屋を片付け、久しぶりに草野球の練習場へ向かった。そこでは昔の仲間が笑い合いながら練習していた。正也は思い切って声をかけた。
「久しぶり。俺も参加していいか?」
仲間たちは一瞬驚いたが、すぐに笑顔で迎え入れた。正也はバットを握り、初めて心からスッキリとした気持ちになった。
「次は、正しい形で目立ってみせるさ」
彼は空を見上げた。そこにエリスの姿はなかったが、どこかで微笑んでいる気がした。