15 価値◇
ポール・ウェリントンが王宮を訪ねてきたのは、突然のことだった。
マドレーヌの店の開店に合わせて「さぁ、出掛けるか」と重い腰を上げたところで、三度のノックの後に友人が姿を現した。ひどい雨に降られたのか、白いシャツはべっとりと肌にへばり付いている。カーペットの上に水滴が落ちるのを見て、フィルガルドはメイドにタオルと温かい飲み物を持って来るように頼んだ。
「お前から来るなんて、よほどの急用か?」
着席を勧めつつそう言うと、ポールが苦々しく顔を歪める。
「いくら誘っても君が来ないからだろう!フィルガルドの居ないパーティーなんて炭酸の抜けたビールと一緒だって、令嬢たちも最近じゃ集まらないんだ」
「それは残念だな。生憎僕は忙しい」
「噂によるとフィル……別れた婚約者を探しているらしいな、正気か?」
呆れたような物言いに、ペラペラと本を捲ってた手を止める。真っ直ぐに青い瞳を見つめると、男は怯んだように身を引いた。
「いや、だって有り得ないだろう?君たちがいったいお互いの何を知ってるって言うんだ。僕はいろんな男女を見てきたけど、君たちほど他人行儀な二人は居なかったぜ。だいたい、あんな無口な女の何が良いんだよ!」
「それを君に言ってどうなる?」
「………っ、」
大切にしていた美しい宝石に唾を吐かれたような気分だった。
たとえ、その宝石が他人の目にはただの石ころにしか見えなくても。素晴らしい価値が他の人には理解されなくても。自分だけがそれを分かっていれば良いと思っていた。
もっと言えば「分からなくて良い」と願っていた節もある。ララの魅力はフィルガルドだけが知っていれば良いし、丁寧に誰かに伝えるものではないと。
しかし、今ならば分かる。
そうした態度がララを苦しめる原因になったのだ。
「ポール……僕の靴の爪先に泥が付いていたらどうする?」
「なんだいきなり?心理テストか?」
「ただの質問だよ」
わけが分からない、と頭を振ってポールは大袈裟に溜め息を吐いた。
「友人として親切心から君に伝えるだろうよ。君が恥をかくのは見てられないからね」
「ありがとう。でも、違うんだ」
「はぁ?」
「ララだったら、身を屈めて自分のハンカチで汚れを拭う。僕に何かを言うことはなく、まるで会話の一部みたいに自然に」
言いながら記憶を辿る。
そんな場面は確かに何度かあった。
「気遣いが出来るって言いたいのか?メイドにやらせれば良いだろう。わざわざ手を動かすなんて、恩着せがましくて僕は嫌だね」
「そうじゃないんだ。ララはべつに感謝されたくてそうするわけではない。人を助けることを特別だと思っていないんだよ。彼女にとっては呼吸と同等なんだと思う。そしてたぶん……それは僕らにない感覚だ」
言いながらぎゅっと左手を握り込む。
婚約の破棄を申し出たララに、フィルガルドは「もう手遅れなのか」と尋ねた。しかし、元婚約者は顔を上げることもなければ、質問に答えることもなく部屋を去った。その行動が彼女の答えなのか、それとも。




