第一章 迷子の人型兵器、お嬢様との出会い(4)
私の心配をよそに、ミーングノーブへはすんなり通されました。日が完全に落ち切るまでに辿り着けたのは幸いではあったのですが、都市としての警戒心が少々欠けていやしないかと多分に心配になります。
都市を囲む外壁がないという訳でもなく、立派な石造りの城壁と表現してもよさそうな壁でミーングノーブは囲まれており、その内側に整理された田園風景が広がっていました。その為外壁が囲んでいる範囲は極めて広く、その外壁の内側には、四方に砦も築かれ、空から見ると八角形の巨大な要塞のようですらありました。当然門には門番もいて、都市の内外を往来する人々を見張っている様子が伺えたのですが。
「外でこの方に助けて頂いたので、お招きしたのですが、通っていただいて良いかしら?」
メリッサが門番の方にそう声を掛けるただけで、これといったチェックをされることもなく、まるで顔パスのように門を通されました。拍子抜けも良いところです。門の目の前で飛行形態から人型携帯に変形したのですが、そのことについても詰問されることはありませんでした。
「都市の防衛は、あんな状態で大丈夫なのですか?」
疑問が抑えられず、私もメリッサに問い掛けて見たのですが、
「こう見えても、わたくし、皆さんには信用していただけているのよ?」
やんわりと笑うだけでした。ひょっとすると、良いところのお嬢様ということなのでしょうか。
その推測の答えは、すぐに判明しました。メリッサが、
「ここが、わたくしの、家です」
と案内してくださった場所は、ミーングノーブの中央街に面したお屋敷だったからです。正直、戦闘に関与しない一般常識に関しては、話題として知っている程度であり、詳細を判断するのは困難なのですが、どうやら中世貴族の屋敷というよりも、商家の邸宅に類似しているようです。白塗りの壁と青い屋根が鮮やかなお屋敷でした。
「お嬢様、お帰りなさいませ。もう少しお帰りが遅ければ、人を集めて捜索に踏み切るところでしたよ」
屋敷に入るなり、メリッサが大人の方に怒られています。こればかりは大人の方の言うことが正論です。私は特に話には言葉を挟まず、それが終わるのを待って、様子を眺めていました。
メリッサを呼び止めたのは、やや体つきがふくよかなご婦人でした。容姿も似ておらず、黒髪に黒い瞳の女性ですから、家族というよりも、おそらくお屋敷でお勤めになっている方なのでしょう。
「ごめんなさい、ユーラおば様。少し遠出をしすぎちゃったの。本当に反省してるわ」
やはり本気で自分が悪いと思っているように、メリッサはすぐに謝っていました。お屋敷の方々にも信用されているのでしょうか。ご婦人も、
「理解いただいているのであれば良いのです。あまり心配させないでくださいませ」
と、すぐに納得したように頷いて離れて行きました。くどくどと怒られないのは、喜ばしいことです。
お屋敷の玄関ホールの左右にある階段のうち、左手の階段をメリッサは上がり、私も彼女のあとに続きます。家屋の中を歩き回るというのは、勝手が分からないのと同時に新鮮です。本来であれば、そもそも玄関のドアを抜ける事さえ私にはできません。
先導してくださるメリッサは、表面上平静を装っていますが、足運びや、若干下を向いた顔が、あからさまに彼女がしょげてしまっていることを、私にも気付かせてくれます。怒られたこと自体というよりも、屋敷勤めの方を心配させてしまったことがお辛く感じられているように見えました。
「あまり気になさらない方が良いですよ。良い経験になったと思いましょう」
ありきたりな言葉ですが、何も言わないよりはずっといいと思えました。感情の機微というものを解釈することが苦手である機械でも、メンタルコンディションの低下が人の能動性を阻害することくらいは分かります。それは可哀想なことなのだということも。
「ありがとう」
メリッサはこちらを見ずに笑顔を浮かべたようでした。完全に心が晴れるということはないでしょう。それでも少しは憂鬱が紛れたのであれば良いのですが。
「でも、ごめんなさい。今日は、お家の人には、グリデラファーンに出かけたいって、ちょっと、言い出せそうにないわ」
それは仕方がないでしょう。先程怒られたばかりで、遠出したいと告げるのは、相当の厚かましさか開き直りがいるのではないでしょうか。
階段を上がり、玄関ホールに面した廊下を進み、そこから続く三階への階段をさらに上がります。建物は四階建てで、メリッサの部屋を含む、ご家族のプライベートルームは、三階に集約されているようでした。メリッサの部屋は、三階の一番奥の部屋でした。
「どうぞ入って」
招かれましたので、
「ありがとうございます」
礼を言ってお邪魔することに致します。人間の部屋に入るというのは当然はじめての経験になりますので、たいへん刺激的で新鮮な経験です。私が休む場所と言ったら、金属とタイルとその他雑多な機械や部品でいっぱいのメンテナンスデッキだけですから、人間のお部屋の煌びやかさに、思わず感嘆の声が漏れました。そう考えると、あの無骨な空間のなんと味気ないことか。まあ、とはいえ、あの空間をカーテンやらペインティングやらで飾り立ててほしいのかと問われても、そのお金はパイロットやメカニックの心身のコンディション保持に使えと申し上げますが。
白い木製の家具で統一された部屋には、一通り、人が生活する部屋として機能する最低限の者は揃っているように見えました。机、椅子、ベッド、キャビネット、書架。窓にはレースのカーテンが取りつけられ、あまり装飾品の類はありません。機能的ですが、家具そのものに装飾が施されていて、簡素なイメージはありませんでした。
「素敵なお部屋ですね」
その部屋を評して、どう述べて良いものやら、私にはそう言った語彙はありません。使い古された言葉を借りることにし、自分の感想としておきました。それでもやや、声には高揚感が出た気がします。私とて、機体制御用のボイスコンピューター内にある疑似パーソナリティーとはいえ、人格のようなものはあります。
「ありがとう」
私が入ると、メリッサも部屋に入り、扉を閉めました。扉は暗い茶色をしています。
「はあ」
崩れるようにベッドの上に腰掛け、メリッサが大きな息をひとつ。そのまま上半身をベッドの上に投げ出して仰向けに寝転がりました。
「わたくし、ちょっと疲れちゃった」
そうでしょう。グリデラファーンまでの距離を正確に把握できていなかったあたり、推測がつきます。もともとは相当箱入りに育てられた子なのだと思います。
「自分の足で歩き、危険な目に合ってみて、いかがでしたか?」
こんなことを聞くのは良くないことなのかもしれません。けれど、私は彼女にはそれを吐き出す時間が必要なのだと感じました。
「良い意味でも、悪い意味でも、貴重な経験だった筈です」
「そうね。でも、悪い意味の方ばかりが、思い出せる気がするの」
両手で顔を覆い、それからその手をずらし、メリッサは、私に視線を向けました。私には腰掛けるという姿勢はとれませんから、私は部屋の中で絨毯の上に立ったままです。
「たった一つ、いいことがあったのは、あなたに助けられたこと。それなのに、ちゃんとお礼が言えてなかったわ。いけないことね。本当にありがとう」
お礼の言葉は飾らないシンプルなものでしたが、気持ちは感じられました。私にも気取った返しができるような高度なパーソナリティーはありません。答えも自然、シンプルなものになりました。
「どういたしまして」
しかし、メリッサが遠出した理由を考えると、このまま諦めさせて良いものか、少々気に掛かります。確かメリッサのお母上の体調が宜しくないとのことでしたが。
「宜しければ、お家の方には、私からお話しましょうか」
差し出がましいとは思いましたが、そのように提案してみます。どの程度のコンディションの低下なのかは存じ上げませんが、多少の具合の悪さでも、放置すれば重篤な病に繋がらないとも限りません。手は早いうちに打っておくべきです。
「差し支えなければ、私がお薬を調達に出る体で、ただ、勝手がわからない為、お嬢さんをお借りしたいという話で申し出て見ますが」
私の提案に、メリッサは、首を縦には振りませんでした。
「それは駄目」
それは自分が卑怯者になってしまう、そう言いたげな、目をされていました。