第四章 迷子の人型兵器、夢魔と対決する(4)
結局、インキュバスは意識を取り戻すことはなく、デューンに引き渡されることになりました。これでエリーナも安心して眠れるようになることでしょう。メリッサの危機は回避されたのです。
「さて、もうちょっと話がある。実は、魔界のこいつの城に、半分囚われかけた精神体が見つかった。お嬢さんのものじゃないから安心していい。いや、安心はできんか。明日にはおそらくグリデラファーンで騒ぎになるだろう」
デューンの言い方に、言いたいことがある程度分かって来たような気がします。
「我等魔族にとっても、この件は大問題になる。早急に、保護した精神体を返還し、すぐに謝罪しなければならぬ。明日の朝一番で、ローディル商会には仕事依頼を行うから、レスティーヴァにその仕事を受けてもらいたい。仕事内容は、グリデラファーンまでの護衛と、こいつが逃げ出さないように送り届けることだ。もしレムラーラ王国にこいつの引き渡しを要求された場合、飲まねばならぬ」
私の予想が当たっていれば、その通りになるでしょう。否定する気も起きませんでした。
「一応聞いておきたいのですが、その精神体の持ち主は、判明しているのですね。どなたでしょう」
「ああ、分かっている。……レムラーラ王国の女王、セフィスのものだ。持ち前の精神力で、インキュバスの悪夢には囚われぬよう、なんとか耐えていたようだ。幸い悪夢内での蛮行の被害には至っていない……が、だからいいという問題でもない。何より、半分精神体が身体から抜けかけている以上、明日の朝になっても、眠ったまま、目覚めぬだろう」
デューンが言う話には、納得しかありませんでした。間違いなく明日の朝には大騒動になるでしょう。何より、身体に返してあげられるのであれば、早急に戻してあげなければ、可哀想というものです。
「承知しました。ただ、お仕事を受ける場合、メリッサにも同行をお願いしたいのですが良いでしょうか」
デューンと、エリーナに、私が問いかけると。エリーナは少々躊躇われたあとで、
「わたくしも同行して良ければ」
確かに、インキュバスが万が一精神だけ逃亡した場合のことを考えると、メリッサとエリーナには一緒にいていただいた方が良いかもしれません。インキュバスのすぐそばにいること自体もリスクではありますが、それ以上に、私の能力が及ばない場所に置いて行くのは心配です。
「我もそれで構わぬ」
デューンも頷かれたため、話は決まりました。移動は商会で馬車を所持していることでしょう。インキュバスは私が吊るして歩けば良いですし、私自身も馬車の中で座ることはできないので、車外で護衛も兼ねて歩行していけば問題ありません。
「それと、話しておきたいのだが」
さらにデューンは話を続けました。まだ気にかかることがあるようです。
「インキュバスに女王を直接狙う度胸と頭脳があるとは思えぬ。裏で誰かが手を引いているかもしれぬ」
何の為に。分かり切っている気がしないでもありません。
「フェース・イクスとリ・イクスの表面的平穏を崩したい者でもいるということですか?」
「いないとも限らぬ。魔族の一部には、平穏とは退屈、あるいは、屈辱と同義と捉える者もいる」
「はあ」
迷惑な話です。大袈裟な事件に発展しなければ良いのですが。平穏を守る為に戦うっことは、私自身は、やぶさかではないのですし、おそらく、たいていの戦力は私単機でも押し返せるとは思いますが、そんな防衛状況を開始しなくて良いのが望ましいのは言うまでもありません。
「背後に来そうなものに心当たりは?」
先手を打って未然に防ぐのも一つの方法です。私はデューンに尋ねました。
「分からぬ。心当たりがないのではなくて、やりそうな心当たりが多すぎて分からぬ」
何とも嫌な理由っがあったものではないですか。魔族というものは、もともとどうにも迷惑な方々のようです。
「泳がせるしかないということですか」
と、言わざるを得ませんでした。
「そうなる」
それはデューンも同意見のようです。
「だが、まあ、覚えていてくれるだけでいい。フェース・イクスに問題がこれ以上波及せぬよう努めるのは、こちらの務めだ。万が一の場合には、また力を借りたいが……そのようなことが、ないようにせねばな」
分かってはいるものの難しい、という顔をデューンはしました。魔族を統治するというのも、相当な苦労なのかもしれません。大人しくルールを守る魔族、というのも、確かに違和感を覚えます。
「今回と同じような別の被害が出ていなければ良いのですが」
もし今回の件に黒幕がいるなら、インキュバス以外にもフェース・イクスへちょっかいを掛けている魔族が他にもいたりしないでしょうか。
「それも調査中だよ。今回は、アンタがオーバーに罠を張ってくれたおかげでこっちでも気付けたんだけどさ」
はあ、とため息をつき、デューンの口調が突然砕けます。よっぽど困り果てているのでしょう。
「セフィス、ちゃんと女王として正式に抗議してくれるかなァ」
「どういうことでしょう」
私はその意図が理解できませんでした。それに、まるで友人のことでも話すような言葉選びだと感じました。
「アイツさァ。すぐ言うんだよ『あなたが悪い訳じゃない』って。周りの大臣にそれじゃだめだって言われてるのにさァ。こっちだってちゃんとやらかした連中に罰を与える建前として、正式な抗議ががいるんだって言っても納得してくれなくって、困るんだよなァ」
フェース・イクスの他の国であれば、そんなことにはならないから、そっちの方がまだ気が楽だ、とデューンは笑いました。
「ある意味、レムラーラが一番困るんだよ。ちょっかい出される先として。まァ、侵略行為と見なす、みたいな大事にされるのも困るんだけどさ、完全に何もなかったみたいなことにされるのはもっと困るんだよね」
「分からないでもありません。重罰を与えにくくなるのですよね。なかったことにはするから、二度と起こすな、くらいは要求してくれないと、お互い示しがつかないのでしょうね」
「そうなんだよ」
ふう、と、深いため息を。
「いい加減分かってほしいんだけど、アイツ、特に自分が被害被るのを一番我慢しちゃうから。他の人でなくて良かった、みたいにさ。そうじゃないだろ、アンタが一番マズいんだろってさ、どう言ったら分かるのかなァ」
「皆にそうなのでしょうか。統治者としては甘すぎるのは相当危険だといいますが」
私の問いかけに、デューンは首を捻りました。
「どうなんだろな。そこまでは知らないなァ。誰にでもそうだったら国が傾いてそうだけど」
聞いても、私には分からないことに気が付き、私は答えに窮しました。
「そういうものですか」
「そういうもんだよ」
デューンにもそれが理解できたらしく、それ以上は言いませんでした。
「さて、明日はよろしく。人間達寝かしてあげなきゃだろうから、俺は一度向こう帰るよ」
それから、そんな風に言って、デューンはインキュバスを乱暴に掴んで姿を消しました。周囲を見れば、皆トロンとした眠そうな眼をしています。中には、立ったまま船をこぎ始めている方もいました。
「もう大丈夫です」
私は、そんな皆さんに声を掛け、これ以上心配はいらないということを宣言しました。念の為疑似思考空間の罠は張りっぱなしにしておきますが、もう何者かが掛かることもないでしょう。
「皆さん、お疲れさまでした。どうかゆっくりお休みください」
その言葉に反応し、皆さん口々に、
「ありがとう。解決して本当に良かった」
そんな言葉を掛けてくださいながら、階段を登って行かれました。
「今日はゆっくりとお休みください」
エリーナにも、私は声を掛けます。誰よりも、眠らなければならない方ですから。
「そうします。それでは、おやすみなさい」
エリーナも一度膝を折って一礼されると、階段を上がって行かれました。少しでも眠れれば、多少は体調も戻るでしょうが、今日の明日ですぐに全快とはいかないでしょう。グリデラファーンまでの道のりでは、無理をさせないようにしなくてはいけません。
「私も部屋に戻りましょう」
朝起きて私がいなければ、メリッサがびっくりしてしまいます。私も彼女の部屋に戻る為、階段を登りはじめました。
「ああ、忘れてた」
そんな私に、また、声が掛かります。デューンが、一瞬だけ戻って来たのです。
「多分アンタ本人の意思じゃないんだろうけど。その服装、結構いいな」
そう告げると、また姿を消しました。
私には行動の意味が理解できませんでした。




