呪いの霊峰(9)「言霊、継承一門」
魔人討伐に失敗した戦士たちは空の都に戻ってきた。死者六十四人、怪我人三百九十一人という惨憺たる結果であった。ボロボロになった男たちが通りを歩いたとき、沿道に集まった人々は言葉を失っていた。
カミットも体中に擦り傷や切り傷を負っていた。彼は重い荷物を背負って、貧民街の裏路地をとぼとぼと歩いた。家の前でネビウスとミーナが待っていた。ミーナはカミットを見るなり駆け寄ってきて、抱きついてわんわんと泣いた。カミットもこれまで我慢していたのにつられて泣いてしまった。祝うべきことは何も無かったが、この日はネビウスが豪華な料理を作って、家族はカミットの生還を喜んだのだった。
翌朝にはカミットはすぐに槍の稽古を再開した。彼は峰の魔人の鼻を一撃で貫けなかったことを悔やんでいた。槍の達人であるタゴンであればあれほどの好機を逃すことはなかったと思った。カミットは森の呪いが生み出す低木を相手に無我夢中で槍を振った。そうしていると珍しい客人があった。
「精霊の声を聞きなさい」
ネビウスであった。彼女がわざわざ稽古場までやってくるのは異例だった。カミットは今更ネビウスに偉そうなことを言われたくなかった。彼はつんとして言った。
「ネビウスは槍を知らないでしょ」
「まあね。あんまり得意じゃないわ」
ネビウスは稽古用の木の槍を構えた。森の呪いの低木は身構えた。次の瞬間には、すっとネビウスの突きが森の呪いを貫き、低木を粉砕した。カミットは目を丸くした。
「なんで!?」
森の呪いは不意のことで悔しかったのか、すぐに低木を再生して、ネビウスに突撃させた。しかし同じことが繰り返されるだけで、ネビウスの槍は何度でも森の呪いを打ち砕いた。ネビウスは一段落すると槍を置いた。
「これは実はインチキよ。私は、坊やが連れている槍の精霊の力をちょっと借りたの」
「ん? ん~!? どういうこと!」
「最近はタゴンの槍もよく見たし、言霊が伝染ったの。もう少し経っていたら、こんな上手くはいかないわ」
カミットは思い出した。タゴンの槍は入江の魔人の鋭い棘を砕くほどに強力であった。なんとなくネビウスの言わんとしていることを理解したものの、彼は困ってしまった。
「タゴンの真似なんてできないよ」
ヨーグの大英雄であるタゴンは一族で最高の肉体と技を兼ね備えた男であった。まだ子どもでしかも非力なジュカ人であるカミットにはタゴンの槍は到底辿り着けそうにない武芸の域であった。しかしネビウスは屈託ない笑顔で言うのであった。
「坊やはタゴンとシルクレイシアの弟子でしょ。あんな人たちの言霊を放ったらかしたらもったいないわ」
カミットは槍を持ち直した。ネビウスが語る言霊というのはよく分からなかったが、ともあれネビウスができるというならカミットはできるはずなのだ。彼は全幅の信頼を置くネビウスの言葉を信じて、タゴンやシルクレイシアを想いながら稽古に励んだ。
※
神殿は討伐計画を主導していたので、敗戦の責任を巡って内紛に陥った。怪我一つしなかったストーラは何食わぬ顔で戻り、「戦力が不十分でしたよ」とカエクスに嫌味を言ったのであった。
それから数日後のことであった。赤き太陽が描かれた帆を掲げた浮船が空の都に寄港した。神殿や職人組合の有力者たちは空港で出迎えた。
灼熱の赤髪を靡かせ、ヤマネコの顔を持つ若者がタラップから港へ降り立った。彼は灰色の外套を着て、長剣を背負っていた。
続いて同じように猫の顔と豊かな体毛を持つ獣頭人身の者たちが船から降りてきて、総勢三十人にもなった。彼らはコーネ人であり、太陽の都を支配する人々である。その中でも灰色の外套の剣士となれば、彼ら全員が太陽の都の職人組合が誇る剣士集団「継承一門」の戦士たちであった。
一団を従える若者は今も復旧作業が続いている空港の惨状を見て、深刻な様子で言った。
「都が魔人の襲撃を受けたか」
彼はカエクスと握手をして「剣師のコウゼンだ」と名乗った。彼は続けた。
「突然の訪問となり驚かせたことだろう。空の都が困っているのであれば、我々は魔人を討伐しようと思う!」
「それはありがたい申し出だ」
カエクスは慎重な口ぶりを崩さなかった。彼はいつもは争い合う仲であるストーラに視線で合図を送った。ストーラは進み出て、満開の笑顔で言った。
「遠いところを良くお越しになった。お疲れでございましょう。空港はこのような状況で休める場所もないので、是非都の神殿に来なされ」
「そうさせてもらおう!」
剣師のコウゼンは快活に笑って、ずんずんと歩き出した。彼の背後にはそれぞれが一流の剣士である継承一門の戦士たちが続いた。
※
天文台を訪れたストーラから相談を受けたネビウスはいつものように書物と睨めっこをしながら言った。
「ろくな理由じゃないでしょうね。タイミングが良すぎるわ。あんた達が負ける前に来るならまだしもね」
都市どうしの関係は商人などの行き来はあっても、内政不干渉が原則であった。他都市の支援を受け入れるということは、自分たちでは対処できないと公言するに等しかった。それゆえ支援を受ける相手が誰であるかは大問題であり、それが荒れ地の都のベイサリオンのように無私無欲で知られる守り子が相手であれば安心だが、太陽の都は決してそのような生易しい相手ではなかった。ストーラはネビウスの横の椅子にかけて、持ち込んだ酒で一杯やりつつ言った。
「剣師のコウゼンは私が見た限りでは裏表の無い快活な青年に見えた」
「そらそうよ。継承一門の連中は一人一人は良いやつらよ」
「含みのある言い方だな」
ネビウスがちらちらと酒を見るので、ストーラは彼女の分を注いで差し出した。ネビウスはストーラの酒の誘惑に抗えず盃を受け取って口に運んだ。
「でも変よね。どういうつもりなのかしら」
「ふむ。戦士を送り込むなら、我々が本当に完膚なきまでに敗北してからの方が合理的だ」
「あんたは本当にずる賢いわね」
「実はな。私はこの戦いに失敗したら、とっとと都を引き払って隠遁しようと考えていたのだ」
「あらまァ、すてきじゃない。早く引退したら良いのよ」
ネビウスの発言はもちろん皮肉であった。ストーラは皮肉や嫌味をむしろ面白がっている様子であった。彼は酒を呷り、にやにやと笑った。
「継承一門の戦士たち。おそらくかなりの精鋭を選び抜いたらしい、あの若者はどうやら只者では無さそうだ」
「私は見てないからなんとも言えないけど」
「ネビウスの一番弟子、剣師のレッサとも交流があるのではないか?」
「そらあるでしょうよ」
ネビウスは何やら化かされている気分がして腹を立てた。
「あんた。もう考えはまとめているんじゃないの? 何しに来たのよ」
「まだ交渉は始まっていないが、彼はネビウスとの面会を求めるだろう」
「阻止しなさい」
「受け入れるも、拒否するも、どちらにせよ政治だ。ネビウスはどうする?」
ネビウスはうんざりしてため息をついた。この先のことを考えると憂鬱だったが、それでも酒は美味かったので彼女は奇妙な気分になって笑ってしまった。ストーラ相手に腹を割って話すつもりは微塵も無かったが、酒が無ければ話し合いにはならなかった。彼女は空にした盃をどんとテーブルに置き、ストーラに酒を注がせた。
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