呪いの霊峰(8)「戦の気配が呼ぶ者」
傭兵たちはよく連携し、峰の魔人を押さえ込んだ。峰の魔人が暴風を放つためには大きく息を吸い込む必要があり、戦士たちは絶え間ない攻撃によりこれを封じ込めた。そしてついには峰の魔人の大きくて長い鼻を槍や剣で突いたり斬ったりしたのだが、これは恐ろしく頑丈で破壊はおろか傷を付けることすらできなかった。
このとき遠方の空から不気味な羽音をさせて集まってくるものたちがいた。翼甲獣の群れである。本来ならば温厚な空の獣は峰の魔人に感化され、人を襲うように仕向けられていた。彼らは魔人の窮地を助けに来たのだ。
翼甲獣は突撃に適した発達した硬い頭部と牛馬の五倍とも言われる重厚な肉体を持っていた。その突進の破壊力は言うまでもない。およそ三十頭もの翼甲獣がいっせいに突っ込んできたとき、ブート人の戦士たちがこれを防ごうとして呆気なく弾き飛ばされた。翼甲獣は空から隕石のように振ってきて、少しも勢いを落とすことなく霊峰の頂に降り注いだ。石畳は爆散し、塵が舞い上がった。ナタブの戦士たちはすさまじい量と重さを有する突撃によって百人近くが重傷を負い、ある者は不運にも山頂の急斜面から落とされて雲の下へと消えていった。
カミットも翼甲獣の突撃を受けた一団の中にいた。カミットは寸前に森の呪いが生み出した低木に抱えられてその場を離脱したので、直撃は免れたが衝撃によって吹っ飛び、地面に転がっていた。力を振り絞って立ち上がると、彼の眼前には百人もの戦士たちが倒れていた。
峰の魔人を押し込んでいた傭兵たちはこの緊急事態により、包囲の手が緩んだ。その隙に峰の魔人は鼻から大気を吸い込み、最初の一撃よりもさらに多くを吸い込んで、一気に吐き出した。暴風は戦士たちを吹き飛ばし、これでナタブの傭兵たちは三百人もいた内の半数以上が死傷重軽傷を負った。
カミットはこの惨状に愕然としていた。彼は峰の魔人と戦うつもりで色々考えてはきていたが、翼甲獣が介入してくることは予想していなかった。峰の魔人はブート人相手には単独で圧倒的優位であったからか、これまで翼甲獣を呼び出したことがなかった。翼甲獣の襲来は事前には想定されていなかったのである。それでもカミットは考えの足りなさを呪った。入江の魔人は海獣を唆していたし、森の魔人も凶暴な獣を遠方から呼び寄せていた疑いがあるのだから、峰の魔人が同様の力を持っていても何らの不思議は無かった。
死人、怪我人が溢れかえっていた。カミットは彼自身も怪我をしていたが、この状況をどうにかせねばならぬと責任を感じていた。今回の討伐隊で峰の魔人に致命傷を与えることが期待されていたナタブ傭兵が壊滅し、比較的余力のあるブート人の装備は短剣ときては、弱点である硬い鼻を砕くことはできないように思われた。
翼甲獣たちが動き出し、彼らの間を峰の魔人がゆったりと歩いてきた。その先には仲間に助け起こされているカリドゥスがいた。カミットは直感的にカリドゥスを失うのはまずいと思って駆け出した。彼は峰の魔人の前に立ち塞がった。
カミットの十倍ほどもある背丈をした峰の魔人はつぶらな瞳でカミットを見た。そして巨大な鼻を肥大化させ、振り下ろすことでカミットを叩き潰すかに思われた。ところが魔人は動きを止めていた。翼甲獣もざわつき始め、しきりに空に向かって吠え始めた。
にわかに風雨が襲いかかり、黒々とした雷雲が猛烈な勢いで辺りに立ち込めた。翼甲獣は魔人の支配を忘れたかのように怯えるばかりとなり、群れで身を寄せ合って脅威に備えだした。
峰の魔人もカミットや人間ごときに構っている状況ではなくなった様子で、辺りを覆う雷雲をしきりに警戒していた。
ぱちり、ぱから。ぱちり、ぱから。
微弱な雷の弾ける音と蹄の音が辺りに異様に響き始めた。
空に輝く足跡を残して駆け抜けるは仙馬。漆黒の体躯と黄金の鬣、そして額には光り輝く一本角を有する馬の怪物であった。
この怪物は空から王者の如く降り立つと、死屍累々の戦場を眺めながら、気ままに歩いた。仙馬は最後にカミットの前にやってきた。重々しく、厳格な響きの声がカミットの脳裏に響いた。
「これが希望か?」
「違う! こんなものは!」
カミットは即座に答えた。続けて言葉を発しようとしたとき、仙馬は一瞬にして空へと飛び上がり、雷雲を引き連れて去っていってしまった。
峰の魔人は最初にしていたように胡座をかいて、そのあとは動かなくなり、討伐軍に対して追撃もしなかった。翼甲獣は危機が去ったと知ると、大慌てで逃げ出していった。
戦いは唐突な幕切れを迎えた。討伐軍は半壊状態で戦闘を継続できる状況ではなく、仙馬の影響による戦闘終了を好都合とみて、カリドゥスの判断で撤退した。全滅という最悪の事態は免れたのである。
峰の魔人の第一回討伐は仙馬襲来という不幸中の幸運に恵まれたものの、結果ならば完全な失敗に終わったのであった。
※
仙馬の嵐は空の都にまで及んでおり、激しい雨風が襲いかかっていたのだが、仙馬が去ったのと同時に景色は晴れ渡り、空には虹までかかっていた。
「変ねェ」
ネビウスは天文台の屋上から霊峰の戦いを観察していた。古の民の秘密の筒を覗き込んで、摘みを回して縮尺を変えてはぶつぶつ言っていた。彼女の隣には弟子のルルウがいた。ルルウは気が気でない様子でネビウスに尋ねた。
「勝ったの?」
「いいえ。負けたわ。今、確定した」
「そんな。嘘でしょ。カミットは?」
「あの子は大丈夫よ。森の呪いが守ってるから」
ネビウスは筒を遠ざかっていく黒い雷雲の方へと徐々に向けた。
「あいつ、何なのかしら」
「仙馬のこと?」
「そう、そう。大化身に喧嘩売るほど気性が荒いなら、魔人を刺し殺してくれるかもと思っていたのだけれど」
「仙馬は魔人の味方なんじゃない?」
ルルウは深刻な面持ちで言った。ネビウスには思いがけない発想だったので、彼女は吹き出して笑った。ルルウはこれには珍しくも本気で怒って、目には涙を浮かべて声をあげた。
「そうじゃなかったら、どうして!」
「あらまァ。私、何かまずいこと言ったかしら?」
ルルウが涙を零すので、ネビウスは観察を止めてルルウに寄り添った。ネビウスはルルウに顔を寄せて囁くような小声で問うた。
「空の化身は仙馬に負けたのね?」
ルルウは表情を凍らせた。彼女にとって最も恐ろしい記憶が蘇ろうとしていた。
「私は言っちゃいけないの」
「やっぱりおかしいわね。あれってただの仙馬じゃないのかも」
ネビウスはにやりと笑った。
「だとしたら、やりようは他にもありそうだわ」
ルルウは涙を拭った。
「仙馬は魔人の味方じゃないの?」
「敵だとしたらわざわざ出張してきて、戦いを止めさせて終わりにしないでしょ。あのたいそうな角で全員串刺しにするか、霊峰に雷を落とすかくらいしそうだわ」
「……たしかにそうかも」
ネビウスはルルウの両肩にばしっと手をやって言った。
「あら!? こんなところに雷の呪術師でしかも守り子がいるわ!」
ルルウは首を傾げて「え?」と呆けた声を出したのであった。
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