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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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呪いの霊峰(7)「峰の魔人」

 霊峰れいほうは直線距離ならば都からかなり近く、浮舟を使えば一時間もかからないのだが、歩いて行くとなると話が変わってくる。谷を降りたり登ったり、一歩踏み外せば滑落しかねない危険な細い道を渡ったり、そうして数日がかりでようやく到達できる。その道を三百人もいるナタブの傭兵たちが進むのは困難な事業となった。


 カミットは装備品に加えて二週間分の食料という、体重に対して大きな比率を占める重さの荷を背負っていた。このような状態で山道を歩いたので、十一歳の男の子の肩と足は悲鳴を上げた。カミットは疲れや痛みを我慢できないわけではなかったが、崩落事故などにより死人怪我人が出るのを目の当たりにしたり、近づいたと思えば予定外の迂回を強いられたりするのを繰り返していると疲労も相まって気持ちが落ち込んでしまった。ブート人傭兵が身軽に空を飛んでいくのを見て彼は文句を言った。


「僕も羽があったら良かったんだ」


「老いたら邪魔になるぞ」


 このように答えたのは籠に乗って運ばれているストーラだった。彼は五十一歳であり、老化と運動不足により今は自分の羽で飛べなくなっていた。都市のブート人によく見られる傾向で中年期以降では飛行能力を失う場合がある。腕回りの翼の形状や豊かな羽毛はそのままでも、それを駆使する筋力が低下するからだ。しかもストーラは山を自力で歩く体力も無かった。そのため彼は牢獄の都(ラクリメンシス)出身の使用人が運ぶ籠に乗って移動していた。カミットはストーラを心配して言った。


「ストーラは戦えるの?」


「私は風の呪いが得意だ。君の森の呪いを援護しよう」


「シルクレイシアくらい強いなら良いんだけど」


「それは期待しすぎだな。ただの呪術師を守り子と比べてくれるな」


「期待はしていないよ」


「おや、おや。共に魔人に立ち向かう戦友に向かってそんなことを言うものではないぞ」


「ネビウスが言ってた。きっとストーラは本当には戦わない。一緒に来るだけで、魔人討伐の名誉を盗む気なんだって。そうなの?」


神官ドルイド嫌いが言う事を真に受けてはならない。偏見と思い込みは人の目を曇らすものだ」


「へェ。そうなの?」


「そうとも」


 実際にはカミットはストーラに対して好印象こそ抱いていなかったが、ネビウスのように彼を嫌ってもいなかった。ストーラの話しぶりは説得力があるように思えたし、それが思いがけない視点をもたらすことがカミットには面白かったのだ。カミットはストーラとお喋りをすることで疲れを紛らわしたのであった。


 予定から半日遅れて、魔人の討伐軍は霊峰の麓に到着した。ここで臨時の駐屯地を設営し、戦士たちは疲れを癒やした。魔人との戦いはこの二日後と決められた。





 霊峰の頂上付近ではその周りを徒歩でも登れるように石を敷き詰めた階段がぐるりぐるりと何周もしていた。弓獣カノープスが縄張りとする天上領域が近いため、ここではブート人であっても空を飛ぶことはせず徒歩で登った。七百人にもなる戦士の集団が列を為して雲に覆われた霊峰を登ったのであった。


 雲を抜けて頂上に至ると、霊峰のいただきには紐舟ひもふねの発着場があった。空の化身(アデケレ)の巣がある本神殿の浮島うきしまに行くためには紐舟ひもふねという縄で吊るされて移動する特別な舟を用いる必要があり、この発着場を魔人が占拠しているのが空の都(パラテラ)にとって最大の問題であった。


 その元凶たる峰の魔人は平らで広く作られた発着場の真ん中で胡座あぐらをかいていた。白い羽毛に覆われた恰幅の良い体をしていて、豆粒のように小さな目と口と、巨大で長い鼻を持つ大男であった。峰の魔人は戦士が続々やってきても少しも動かず、あくまで彼の方から攻撃することはなかった。討伐隊は魔人を囲むようにして展開し、しっかりと戦う準備を整えた。


 カミットはナタブ傭兵を仕切るカリドゥスに言った。


「鼻だね!」


「予想どおりだったな。よくやったぞ」


 カリドゥスはカミットをてきとうに褒めると、体格の良いブート人傭兵と最後の連絡をし合った。実はカミットがあれほど走り回っても何も意味をなさなかったのに、実力者どうしでは冷静な話し合いがされており、ブート人傭兵はカリドゥスらと共同で作戦を立ててきていたのだった。ブート人傭兵の独断専行が懸念されていたがそのようなこともなく、戦いは万全の状態で始まったのだ。


 ラッパが吹かれ、太鼓が打ち鳴らされた。戦端を切ったのはブート人だった。飛翔した戦士たちは波状に広がり、全方向から魔人に飛びかかった。これらの攻撃は二段三段に分かれており、初撃の失敗は想定されたものであった。空の戦士たちは両手に持った短剣で魔人の鼻を潰し、首をかき切ろうと挑戦した。


 峰の魔人は座ったままで、鼻から大きく息を吸い込み、胸部を十倍ほどに膨れさせた。そして数十人のブート人戦士に飛びつかれそうになる直前で、圧縮した空気が鼻孔の閉じられた鼻に送り込まれると長い鼻の全体が歪に膨らみ、そこから強烈な息を吹き出して暴風を起こした。近づいた者たちは尽くが吹き飛ばされ、後方で構えていたナタブの戦士たちも突如嵐の中に放り込まれたようになってその場にしゃがみ込んで耐えるので精一杯となった。ブート人ならば吹き飛ばされてもどうにか体勢を立て直して復帰できるが、ナタブが霊峰の頂から飛ばされたらば無事では済まない。


 たったの一撃ではあったが、魔人の攻撃力は戦士たちの士気を大いに削った。ナタブもブートも最初は威勢が良かったが、峰の魔人の初撃を見るや、再度の突撃を躊躇った。峰の魔人は悠々として座ったまま追撃をすることはなかった。


 このとき天空に影があった。魔人が暴風を起こし状況が混乱したのに紛れて、カミットは後方からの風の呪いの支援を受けて綿の葉の羽により舞い上がったのである。彼は身振りでストーラに合図を送りながら慎重に位置を調整し、油断している魔人の上から槍を手に飛びかかった。槍は魔人の鼻にちくりと刺さった。魔人は悲鳴を上げて、それまでゆったりとした様子が一変して暴れだし、カミットを殴り飛ばした。カミットは魔人の怪力で吹き飛ばされるも、直前に綿のクッションを作って身を守っていた。


 カリドゥスや彼の仲間のナタブ傭兵たちは「また先を越されたぞ」と冗談を言い合った。その次には彼らは覚悟を決めた精悍な顔つきになり、盾と槍を構えて、魔人に突撃していった。


 ナタブの傭兵がカミットを助け起こし褒め称えた。ところがカミットはがっかりしていた。この一撃で魔人を仕留めるつもりでいたというのに、彼の槍は魔人の鼻を貫かず、表面に微かに刺さっただけだったのだ。もっと稽古に取り組んで、ヨーグの大英雄タゴンのように鋭い槍の技を習得していればと悔やまれたが、今やどうしようもなかった。


 より重大な問題にカミットは気づいていた。かなりの高さからの子どもとは言えその全体重をかけた槍が峰の魔人の鼻を貫かなかったのである。槍が全く別物ではあったものの、やり方は入江の魔人を倒したときとほとんど同じであった。カミットはカリドゥスにすぐにも伝えねばならないと思った。


 峰の魔人の鼻は伸縮自在であるらしいが、それにも関わらずかなり分厚く、そしてとてつもなく硬かったのだ。大きくて目立つその弱点は単純に弱点と見なすわけにいかなかったのである。

お読みいただきありがとうございます。

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