呪いの霊峰(6)「天文台」
空の都の天文台では学者たちが星々の動きを記録し、膨大な資料を元に暦や予言を製作する。暦は他の都市にも提供されて人々の生活の基礎となっていたり、また天文台が発表する様々な情報を呪術師たちが当てにしていたので、この学術機関は国際的にも無くてはならないものだった。
他の都市にも天文台はあるが、蓄積している資料の量や学者の質、より星が見えやすい立地の優位、ブート人が持つ優れた視力と計算力などによって、空の都の天文台は天文学においてほとんど独占的な地位を確立していた。その名声によりブート人以外の人種が多く留学に訪れるので、天文台は都で有数の規模を誇る国際色豊かな施設となっていた。
ネビウスはルルウの指導をしない日に天文台を訪れた。街で悪評が広まっているにもかかわらず、ネビウスは学者たちから熱烈な歓迎を受けた。天文台の所長などはネビウスが貧民街の路地裏に住んでいることに愕然とし、自宅の一室を無料で貸し出すと申し出たほどであったが、ネビウスはこの申し出を丁重に断った。彼女は学者という生き物と同じ屋根の下に暮せば、底なしの好奇心で質問攻めにされることを知っていたからである。
ネビウスは時折教鞭を執ることで講義報酬を得た。しかしお金を稼ぐためにここへ来たのではなかった。ネビウスは学者たちと親しくなると、彼らに命じて仙馬が空を駆けたときに残す痕跡をよく観測させ、これまでの記録についても注意すべき点を詳しく指導して資料を再分析させた。ネビウスは蓄積された情報を元に仙馬の行動の規則性を探ろうとしていたのだ。
ブート人の所長はネビウスの企みを理解しており、その危険な案に不安がった。
「仙馬が魔人と戦ってくれるのだろうか?」
「こっちがどうにかするんじゃないわ。勝手に喧嘩してくれれば都合が良いでしょ。魔人ごときに怯むやつでもなさそうだし。上手く行けば簡単に終わらせてくれるかもしれないわ」
「戦の気配でおびき寄せるだなんて、そんな都合よくいくとは思えないが」
「そのときは予定通りに自力で倒すだけでしょ」
天文台は仙馬が接近しそうないくつかの日程を候補日として神殿に提出した。ネビウスは具体的な提言をしていなかったが、ストーラは天文学から生物学まで幅広い知識を持っており、彼はネビウスの狙いを察した。ここでストーラの障害となったのはまたしてもカエクスであった。神殿は仙馬を特別に嫌悪しており、魔人討伐への利用に否定的だった。
しかしながら不気味に独自の活動を続けるネビウスは、二体もの魔人を討伐に導いた実績もあり、やはり強い影響力を持っていた。永遠に揉め続けるかと思われたカエクスとストーラは案を擦り合わせて、天文台の報告を根拠に秋の真ん中の月の最終週に魔人討伐を行うことをついに決定したのであった。
討伐隊は主力となるブートの傭兵が四百人、ナタブの傭兵が三百人、その他カミットなどの他人種の志願兵や傭兵が四十四人となった。結局ストーラが要望した神官や民間呪術師の徴兵はカエクスが断固として譲らなかったため実現しなかった。ストーラは宣言していた通り個人での参戦を表明したが、彼の派閥に対しては影響力の低下を懸念して参戦を促さなかった。
この時期、ストーラは天文台で学者たちと資料に囲まれて相談を受けていたネビウスの元を訪れた。
「ずいぶん楽しそうだな」
「あんたの顔を見るまではもっと楽しかったのよ」
ネビウスは御前会議の事件以降も神官嫌いの態度を改めていなかった。学者たちは世間の噂など気にしておらず、仕事に没頭していた。天文台の所長はストーラに「上級神官、次の予言はどうするので?」と気軽に話しかけた。
「擦り合わせが遅れている。予定外の議論が多くてね」
「早くにした方が良い。草稿が間に合わないかもしれなのでね」
「たとえば魔人討伐の予兆は出ていたりしないか?」
「いくら星の声を聞いても、先に我々が魔人を倒す算段をつけねばな」
「あんたたちね。そういうのは部外者の前で堂々と話すことじゃないのよ」
ネビウスは呆れて口を出した。
ストーラと所長はあははと笑った。所長はストーラに挨拶を済ませると自分の持ち場に戻った。ネビウスは手元の羊皮紙に目を落として、ペンを動かし始めた。ストーラはネビウスに話しかけた。
「守り子の成長は順調か?」
ネビウスは作業を続けながら会話に応じた。
「ダメよ。びっくりするくらい才能がない」
「古の民の指導を受ければ覚醒するかもと期待したが」
「そんなわけないでしょ」
「ではなぜ守り子を弟子にしたのか?」
「気に入ったからよ」
「どこを?」
「全部」
「はァ。なるほど」
ネビウスは吹き出して笑った。
「何にも分かっていないやつの言い方ね」
ストーラは首を竦めた。
「いや、まったく。実際、ネビウスほど分からないやつには会ったことがない」
「あんた、戦うんですって?」
「おや、知っていたか? そうだ。私は勇敢にも戦うことを決意した」
ネビウスは顔を上げて、ストーラを見た。
「勝利の呪いをかけてあげよっか?」
「おぉ、それはありがたい」
ストーラが期待で表情を綻ばせると、ネビウスはキキッといたずらっぽく笑った。
「嘘よ。帰んなさい。ルルウと私のことを探りに来たコソ泥神官にくれてやるものなんて一つもないわ」
「おい、おい。そんなからかいはあんまりだ」
ストーラは喜劇的に大げさに項垂れてみせた。ネビウスが暴言を吐いてきたり、意味不明なからかいを仕掛けてきても、彼は笑って応じるのであった。このあとネビウスはまともに会話をしたがらず、にやにやと笑いながらストーラに向かって手で払う仕草をした。こんな無礼な扱いを受けても、ストーラはにこやかに笑って「ではまた」と言ってその場を去ったのであった。
お付きの下級神官はさすがに見かねて、あとでストーラに訴えた。
「ネビウスとは関係を絶つべきですよ。賢者とは名ばかりで、無礼な乱暴者ではありませんか」
ストーラは次のように答えた。
「残念ながら賢者は神殿の上級神官なんぞよりもよっぽど強力だ。面子がどうのと言って、あの女を利用できないようでは無能が過ぎる。私は海の神殿の連中と同じ失敗をするつもりはない」
海の都では魔人討伐以降、守り子であるシルクレイシアが権力を急激に伸ばしていた。以前ならば若い守り子に対して優勢であった上級神官の意見が無視されて、守り子の意見が多数の下級神官の直接支持により決定されることが増えたのである。ストーラはこれと同じことが空の都でも起こるのではないかと懸念しており、ネビウスがルルウの背後で暗躍するのを強く警戒していたのであった。
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