第9話 呪いの森(2)「守り子」
カミットはランプがチラチラと光る方向に向かって、都市の中を歩いていった。進むにつれて、立派な門構えをした邸宅が並ぶ高級住宅街となっていった。ミーナは不安そうにしていたが、カミットはどんどん進んだ。
やがてランプの光がある程度明確なほど現れるようになったので、カミットは近隣で最も大きな邸宅の庭に精霊の気配を確信し、塀によじ登って、中の様子を確認した。ミーナが下でもじもじしているので、カミットは蔦を下ろしてやって、彼女も上らせた。
邸宅の庭で、老人が子どもたちを集めて講義をしていた。老人は手のひらに大きな蚯蚓を纏わせていた。
カミットは肩を落として、ミーナに言った。
「あの大人の土の精霊が反応しただけだった」
「そうみたい。でも、みんなで集まって何をしているのかしら」
「知らない人の家に入るなって言われているけど」
このとき、都に来て以来おとなしくしていた森の呪いが暴発した。呪いは蔦や根を生み出して、邸宅の庭を駆けていき、老人と子どもたちに襲いかかった。
「だめだ!」とカミットは叫んだ。
寸でのところで、呪いは止まり、蔦と根の動きは止まった。
子どもたちは悲鳴を上げたが、これを消し去る勢いで、老人が叫んだ。
「恐れるな!」
あまりの大声にカミットは驚いて、塀から落ちそうになった。なんとか踏ん張っていると、老人が近づいてきた。この老人の迫力は凄まじく、森の呪いは気圧されて消えてしまった。
近くで見ると、その老人は子どものように小柄で、肌は青白かった。
しかし彼の精神と肉体は弱々しさとは対極にあるように思われた。老齢ながら筋肉は鍛え抜かれていて、立ち姿は歴戦の戦士のようであり、さらには彼が立つ大地の全てが彼の肉体と同一視される印象を与えた。
カミットは多くの巨獣を見知っているが、それらのどんな生き物よりも大きな存在を目の前の老人に感じた。
その老人は鋭く険しい目でカミットを睨んだ。
「ジュカ人とは珍しい。君は森の精霊に憑かれているな」
「森の呪いだよ。土の精霊を見てびっくりしたんだ」
「よい。それほど悪くはないぞ。事実、君は精霊を止めることに成功している」
「呪いだよ」
「ふむ。ここへ来たのは、私の弟子になろうと言うのかな?」
「違うよ。僕は土の精霊を捕まえてきて、職人組合に渡すんだ。ランプが間違った精霊を探し当てちゃって、ここに来ちゃった」
「嘆かわしいな。いまどきの若い連中はそればっかりだ」
「んん?」
「精霊の真髄に至ろうとする気持ちがなくて、一言目には、出世。二言目には金、金、金! 精霊を学ぶことは肩書のためか、そうでなければ金儲けの手段としか思っておらん!」
老人が怒りの演説を始めると、地鳴りが起こり始めた。カミットの直感は間違っていなかったのだ。この老人は土の呪いによって大地を支配していた。
カミットは慌てて塀から下りて、その場から逃げてしまった。
ネビウスの家に帰ってから、食卓でこの恐ろしい老人の話をすると、ネビウスは大笑いした。
「そいつは大地の守り子、ベイサリオンだよ。変な男だったでしょ」
「また知らないことを言うね」
カミットが拗ねると、ミーナが説明した。
「守り子は大精霊の呪いと和解した、すごい神官よ」
「和解って?」
「えっと」
ミーナが言葉に詰まると、ネビウスが言った。
「呪いに打ち勝ったってこと」
「じゃあ僕も森の呪いをやっつけて、守り子になろう!」
「そういうことなんだけど、全く違うのよ」
ネビウスはくすりと笑った。
翌日、そのベイサリオンが一人でネビウス宅を訪問してきた。
玄関先で出迎えたネビウスがベイサリオンを見て発した一言は、
「あれェ、お爺ちゃんになってる!?」だった。
※
ベイサリオンは居間のテーブルの椅子にどっかりと座り、ミーナから茶を受け取って、しかめ面でずずずと飲んだ。彼はゆっくりと喋った。
「先ず、言っておかねばならないのは、私も今や六十八歳だから、たしかにすっかり老人ではあるが、守り子としての責務は瑕疵なくこなしているのだし、あまり敬われない呼ばれ方をされることには慣れていないので、少々腹が立った」
「気の毒ね。あのあんたも歳には勝てないのね」
「君は話を聞かないな」
「あんたに言われたくないけどね」
ベイサリオンはカミットが残した呪いの痕跡を土の呪術で追って、ネビウスの家を突き止めたのである。ネビウスとベイサリオンは顔見知りだったのだ。
ベイサリオンは単刀直入に言った。
「都市に呪いを持ち込むのは構わないが、責任を持って導くべきだぞ。言うまでもないが、精霊探しを勝手にやらせるなど以ての外」
「私には私のやり方があるわ。あんたこそ、偉そうに言っているけれど、観測所を捨てて、どういうつもり? 責任とやらが聞いて呆れるわ!」
「実は月追いが活発になっていて、島全体で戦士や呪術師の人手が足りていないのだ。戦士たちは求められる土地を目指して、荒れ地の都を離れてしまった」
「すぐに境界線を建て直しなさい。そうしないと、山から獣が降りてくるよ。地下の虫たちもね!」
「重要なことから優先して取り組んでいる。休む間もなく、できることを全てな」
「私に口出しされるのは不満みたいね」
「こういう話は厄介だ。たしかなのは、誰もが誇りを持って、仕事に取り組んでいるということだけだ」
「こっちは十年引きこもっていたのだもの。注文をつけるのはほどほどにしておくわ」
「お互い尊重し合おう。今日取りまとめねばならないのは、カミットの処遇だ」
「ミーナもね」
「良かろう」
「あら、あんた、面倒みたさそうな顔をしているじゃない?」
「頼まれるなら」
「やりたいっていうなら、私も断らないよ?」
「相変わらず、責任逃れをする女だ」
二人は睨み合った。茶を飲んでいてはどうにもならないので、ベイサリオンが持参した酒で乾杯して、二人は今後のことを腹を割って話し合った。
※
ベイサリオンの門下生にカミットとミーナが加わったのだが、その一方でネビウスはカミットに命じていた。
「職人組合の仕事を月に一回はやるんだよ」
ベイサリオンの講義でカミットが覚えたのはもっぱら精霊の分布についてだった。とりわけ熱く語られた呪術師としての心構えについては、カミットは聞き流すばかりで自分の行動を変えようとは思わなかった。
カミットはベイサリオンの講義がない日には、ミーナと二人で都の外の荒れ地に出向き、地中に潜む土の精霊探しに勤しんだ。凹凸の激しい荒れ地で、スコップとツルハシで土の精霊を掘り当てるのである。カミットは躍起になるも、気づけば収穫がないまま、目標の一ヶ月が過ぎつつあった。
日も傾いてきて、カミットが焦っていると、ミーナが声を上げた。
「カミット! あれ!」
宙に浮かんで光る、半透明の体を持つトンボが目に入った。
「風の精霊よ」
カミットは大慌てでランプを翳し、風の精霊をランプで吸い込んで捕まえた。
「やったね!」
ミーナが強張った笑顔で言った。
カミットはランプをじっと見つめて、これを開け放ち、風の精霊を逃してしまった。
ミーナはショックを受けていた。
「どうして?」
「精霊は人の命令を聞いたあとだとどこかに消えて無くなってしまうから、ミーナの命令で呼び出された精霊じゃだめだ。だからベイサリオンのところから盗んできてもダメなんだ」
「そうだったの、……ごめんなさい」
ミーナは目を伏せて、小さな声でいった。
カミットも少し傷ついていた。たぶん必死になりすぎて、哀れに見えたのだろうと思われて、辛かった。
一方、ネビウスはカミットが期待に応えなかったことについて、「最初のうちは、そういうこともあるわ」と言っただけだった。