呪いの霊峰(3)「稽古、分析」
ネビウスは物事の責任回避に固執する一方で、十年間隔で新しい弟子を排出してきて、その弟子が社会的に重要な人物になることは頓着しなかった。現役の守り子を弟子にしたことはその最たる例となりつつあった。
神殿では相変わらずカエクスとストーラが討伐指揮の主導権を巡ってブート人の慣用句にあるところの雲中でやり合っていた。そんな二人もネビウスを神殿に近づけまいということでは意見が一致していた。御前会議の事件では共に酷く面子を潰されており、下級神官や市民の笑い草になってしまっていたからだ。ストーラはともかく、カエクスは冗談であっても笑われたりバカにされたりするのが耐えられなかった。
ところがネビウスは何事もなかったかのように神殿を訪れて、ルルウの呪いの練習を指導したいと言い出した。当然カエクスは難色を示した。
「怒れる賢者よ。今日は機嫌が良いようだ」
「私の前にある顔を見ないで済んだらもっと良かったわ」
「守り子との面会は認められない。あなたは神殿の権威を大いに穢した」
「知ったこっちゃないわ。偉い立場なら分かっているでしょ? リリイが戻らないなら、ルルウが本命になる。だけど今のままじゃどうしたって務まらないわ。私はこう見えて、弟子を育てるのは得意なの」
カエクスはネビウスの説得により妥協した。下級神官にやり取りを見張らせること、神殿の権威を貶めたり、守り子を唆したりしないこと、神殿の意向によっていつでも面会を禁止できることを約束した上で渋々許可したのだ。カエクスとて守り子であるルルウが精霊の加護を十分に持っていないことには危機感を募らせていたのである。
海の守り子から酷評されたように、ルルウは精霊の加護があまりに平凡であり、守り子でなければ下級神官になれたかも怪しい様子であった。ネビウスはミーナも連れてきて、ルルウと一緒に指導したのだが、風の呪いに至ってはミーナの方が手慣れた様子で旋風を起こした。
精霊は名付けられているものやそうでないものも含めて多種に渡る。信仰的には空において最も大切なのは風の精霊であり、それ以下に雷の精霊、舟の精霊、矢の精霊などと細分化して続いていく。
ルルウは風の精霊よりは雷の精霊の方が上手く扱えた。ネビウスは練習のために手頃な大きさの磁石を用意した。ルルウは指導に従い手のひらの上で微小な雷を起こして、磁石を浮かせた。操る力が反発して、磁石は弾けるように飛んでいってしまった。面白くはあったが、これをやったところで何になるのかと考えると虚しくも思われた。
ネビウスは磁石を大量に持ってきており、次々とルルウに渡した。一通り練習を終えると、部屋中に磁石が転がっていた。ネビウスは手提げランプに収めていた雷の精霊を放つと「片付けちゃって」と命じた。散乱していた磁石がふわりふわりと浮き上がり、籠の中に向かって動き出して勝手に収納した。ネビウスはルルウに言った。
「さあ、もう一回やりましょ」
練習は朝から始まり、今は昼になりつつあった。ルルウが困惑している横で、ミーナは黙って両手の間に磁石をふわふわと漂わせる練習を続けていた。ミーナはほんの数時間でルルウよりもよっぽど器用に磁石を操るようになっていた。ミーナはルルウに教えた。
「できるまでやるのよ」
「できなかったらどうするの?」
「終わらないの」
ルルウはぞっとしていた。このままでは永遠に終わらないような気がしてきたのだ。ルルウは苦手が相まって呪いの練習を避けてきた。実際、がんばってどうにかなるものとは世間でも思われておらず、指導に当っていたカエクスなどもルルウに呪いの練習を勧めなかった。ルルウはネビウスの弟子になれば呪いや精霊とは別の方面の道が開けるとばかり期待しており、避けてきた道のど真ん中に引き戻されるとは思いもよらなかったのであった。
精霊が関与した物質はしばしば呪いの痕跡が残って、二重で呪いを掛けようとすると思いがけない作用を起こすことがある。ネビウスは練習によって付いた呪いの痕跡を消すために磁石を一つ一つ布で丁寧に拭いて、ランプの光に翳した。そうやって浄化を済ませた磁石をルルウに差し出した。
「はい、どうぞ。もう一回やるのよ」
ネビウスは親切で優しい先生などではなかった。最初に練習方法は伝えるが、あとは本人の努力に任せつつ厳しい合格基準でもって物量重視の練習を強いるという極めて伝統的な師匠であった。
ルルウは練習が辛くなってくると「休憩したい」と呟いた。ネビウスは「息抜きは大切よね」と微笑んで言って、五分で終わる砂時計を机の上においた。砂が落ちてしまえば、すぐに練習は再開した。
日が暮れて「またあしたね」と言ってネビウスは帰っていった。ルルウはそのあとすぐにベッドに倒れ込み、ネビウスの弟子になったことを後悔したのであった。
※
神殿はぐずぐずと揉めていて、魔人討伐の具体的な日程や計画を決められなかった。一応はカエクスとストーラによって秋の間に討伐を決行することが約束されたとかされないとか、曖昧な情報が傭兵たちの間で流れていて、これをカミットも聞き知っていた。
普段のカミットは自主的な稽古をしばしば怠っていたが、目的さえあれば朝から晩まで取り組めた。季節は既に秋に差し掛かろうとしていたので、準備できる期間は最長で三ヶ月となる。もしかしたらそれほどの余裕もないかもしれないと思えば、いっそう日々の稽古で切迫感が生まれるのであった。
カミットは森の呪いで弓矢の的を作るのと同じ発想をして、呪いの低木に槍の試合相手をさせた。森の呪い相手の稽古は本番さながらの緊張感を伴った。呪いの低木は独立した思考によってカミットが予想しない攻撃を仕掛けた。ときどきは急に体当たりをしてきたり、太い根でカミットの足を払ってきたりと多彩な技を仕掛けてくるので、カミットは稽古によって体中に青あざを作ることになった。
呪いの低木は鋭い枝で危険な突きを急所に向かって放ち、カミットをひやりとさせたことがあった。カミットは生まれてこの方ずっと付き合ってきた相棒を激怒して非難した。
「危ないよ!」
呪いの低木は悪びれることなくさらに不意の突きをカミットの眼前で止めてみせて、その姿勢を改めるつもりがないことを示した。カミットは来る戦いの厳しさを森の呪いが理解しているのだと察して、文句はやめて稽古を続けた。
今回の戦いはこれまでで最も困難になると予想されていた。カミットが調べた限りではブート人傭兵は数も質もタゴン麾下のヨーグの戦士に大きく見劣りしていて、統率する指揮官も欠いていた。空の神殿ががっちりと凝り固まって保守的である一方、一般のブート人は個人主義と利己主義が支配的で、傭兵においては連携して戦ったり陣形を組んだりという集団戦がさっぱりできない人々だったのだ。
カミットは顔見知りになった傭兵に計画的な作戦行動を提案したが「そういうのはワタリ族のような連中がとる軟弱なやり方だな。モーキン族である我々には必要ない」と一蹴されてしまった。
同じブート人でも部族はいくつかに分かれ、空の都の有力者層の多くは比較的大きな体と卓越した飛行能力を持つモーキン族であった。ワタリ族は例年秋から冬にかけて終わりの島を訪れる人々だが、この一年ほどの間は姿を見せていなかった。
渓谷の村の荒くれ者たちもそうだったが、土地に定着しているブート人の基本的考えによると、強き個人は尊く、弱き個人は卑しいのであった。こんな人々が信仰に従うのは一見不自然かもしれない。しかし神殿の最高権威者である守り子は空にて最強の存在である空の化身の力を行使できる。人々は守り子を頂点として発生する権力の階層構造を尊重するのであり、ブート人社会では信仰においてさえ、個人と力の論理は一貫していた。
カミットは公共の稽古場にしばしば顔を出した。彼は自分一人で魔人を倒せるとは思っていなかった。これまでの経験から考えて、総力を結集しなければ魔人を討伐できないと確信していた。個々人で武芸を磨いているか、一対一の決闘しかやりたがらないブート人の傭兵たちを観察して、カミットは危機感を募らせた。この者どもをどうにかまとめて、よく考えて準備した作戦の下に戦わせねばならないと彼は考え始めた。
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