渓谷の村(5)「手作り船」
空の都から食糧支援を受け取るにあたり、村々は事前に特産品を都に納めねばならなかった。ところが渓谷の村では最後の一隻であった浮船をカミットが破壊してしまった。村の長であるムームルは都の上級神官であるストーラを自宅に招いて頼んだ。
「船を貸してもらいたい」
ストーラはすぐには答えず、居間の椅子にゆったりとかけて、村長夫人から酒を受け取って口に運んだ。この場にはネビウスも同席していて、部屋の隅にはカミットとミーナもいた。カミットは自分がしでかしたことの影響を知り、口を尖らせて拗ねていた。ストーラはネビウスたちを見やりながら、思わせぶりに言った。
「神殿は渓谷の村を注視している。先日の賊騒ぎについても、その多くはこの村の者ではないかと疑っている。まったく、この私がいなければどうなっていたことか」
実際には渓谷の村を庇ったりはしていないのだが、ストーラは呼吸するように嘘を付くのが癖になっていた。彼はネビウスの青い瞳が睨みつけているのに気づくとわざとらしく咳払いをした。
「神殿の浮船は私の所有物ではないのでね」
ストーラは老齢の夫人がもてなしの料理を運んでこようとしているのを見て、自ら厨房の方へ出向いて受け取った。彼はテーブルにこんがりと焼かれた骨付きの羊肉を置いて、ネビウスに聞いた。
「羊肉は好きかね?」
「もちろん」
ネビウスは先程から摘んでいた漬物を咀嚼しながら言った。ストーラはナイフを器用に操って肉を切り分けてネビウスに差し出した。ネビウスはまだ熱い肉を素手で摘み上げてそのまま口に放り込んだ。ストーラは持参していた葡萄酒を取り出した。ネビウスは肉と酒と合わせて楽しむと上機嫌になった。
「この天空の地で森の民の美酒。汚い手で注がれても美味しいから困るのよ」
「誤解するな。これは私の私物だ。葡萄酒は置いておくほど価値がでる。多少値が張っても囲い込んでおく価値があるのだよ。去年と今年の物は手に入っていないがね」
「あんたは商人にでもなった方がいいわ」
「ヨーグ人に生まれていればそのような道もあったかもしれぬ」
特異な生存圏と船を操るという点で共通しているブート人とヨーグ人であったが、一般的にブート人は貧しく、ヨーグ人は豊かであった。空と海では土地資源において圧倒的に前者が劣っていた。それでいて空には危険な怪物も多い。
ネビウスは意味のない冗談で尋ねた。
「泳ぎの練習をしてみたら?」
「水は空気と違って重くて困る」
ストーラは自分の言ったことに対して、わざとらしく声を上げて笑った。彼はムームルに言った。
「船を要求するなら対価が必要だ」
「既に物資は底を尽いている」
「ある物を何でも出せば良い」
ムームルが黙りこくると、カミットがストーラの前にやってきて腕組みをして言った。
「お前は嫌なやつだ」
ストーラは思わず笑っていた。
「やれやれ。神殿ではこんなに面と向かって非難されることはそうそう無いのに、ネビウスの支配圏はとんでもないな」
「僕はね。困っている人たちを助けるために魔人と戦った。僕はただそうしたかったんだ」
「君が船を壊したからこの村は困っていることを忘れないように」
「大丈夫だよ。船は僕が作る。ネビウス、良いでしょ?」
ネビウスは肉を咀嚼しながら「好きになさい」と言った。
※
カミットは空を漂う浮遊草の葉を動物の浮袋に代替させようと考えた。浮遊草は風の呪いによって制御できないが、カミットの森の呪いならば可能だった。しかし渓谷の村は協力したがらなかった。感情的な問題もあったが、そんなことよりも財政難に喘ぐ村では子供の荒唐無稽なアイデアのために貴重な材木を使えなかったのだ。冬も近かったので、今後木材は燃料としての需要があった。
ここでバルチッタが急に表舞台に出てきた。彼は神殿を怖れてしばらく隠れていたが、好機と見るやストーラに交渉を仕掛けようとした。しかしバルチッタは職人組合によって国際指名手配されているので、ストーラは表立ってバルチッタと握手するわけにいかなかった。そこで彼はいつものやり方で、下位の神官の肩を抱いて囁いた。
「君、木材を手配できる当てはないか。私は船を用意せねばならぬ」
「賊と手を結ぶのですか?」
「おい、おい。そんなことはできないよ」
「そうですよね」
「とにかく木材が必要だ。君、調達してくれ」
「いえ、あの……、しかし、どうやって」
「任せたぞ」
数日後にはどこからやってきたのか分からない木材が村の作業場に届けられた。カミットは大人の裏やり取りがあったことなど知らずに大喜びした。彼は森の呪いで巨樹を働かせて、一日で船の外観を完成させた。職人組合の船などとは程遠い稚拙な出来栄えではあったが、浮遊には成功し、天候のよい日に短距離で多くの荷物を運ぶという目的ならば達成できそうであった。
ところがまだ問題はあった。村人はカミットが突貫工事で作った浮船に奉納品を乗せたくないと言い出したのだ。渓谷の村の人々はカミットとストーラが大嫌いだったので、まったく信用していなかった。都への奉納計画を段取り無く前倒しで進めた結果、村の発着場にはカミットの作った不格好な浮船がぽつんと寂しく佇んだのであった。
カミットの苛々は限界だった。彼は村人がとんでもない愚か者に思えて仕方なかった。救いようがない人間がこの世には存在するのだと彼は思った。急激にやる気が無くなると、彼は日がなミーナと一緒にぼんやりして山を眺めた。そうしてカミットが暇を潰しているところにバルチッタが近づいた。
「小僧。諦めるのが早いぞ。せっかく作った船を遊ばせておくつもりか」
「うるさいな。あっちに行けよ。僕がお前と話すとネビウスが嫌がるんだ」
「聞け。こんなことで音を上げるな。魔人を全部殺すつもりなら、お前はいずれ牢獄の都にも行くんだろ? クズとバカしかいない地獄に辟易するぞ。ここはまだマシだ。ブート人は愚かではあるが邪悪ではないからな」
カミットがミーナの手を取って、歩いていってしまおうとすると、バルチッタは叫んだ。
「瞳を閉ざすな。闇の道は答えを知っているぞ!」
カミットは気になって振り返った。
「答えって?」
バルチッタはカミットに顔を近づけて言った。
「馬鹿者どもの言う事など聞くな。賢き者は結果を見せつけてやればいいだけだ」
カミットはバルチッタの口元を睨んで、眉間にしわを止せた。
「歯を磨いた方が良いよ。虫歯が酷いから、歯がぼろぼろだ。息も臭い」
「な! くそっ! このガキ!」
バルチッタは顔を赤くして口を手で隠した。
カミットはバルチッタに言った。
「奉納品はそっちでやっといて」
「俺が?」
「そうだよ。お前が言ったんだから自分でやって。明日の朝には出発するからね」
翌早朝のまだ陽が登る前、カミットは船に乗せられた積み荷を見て、にんまりと笑った。
カミットを筆頭にバルチッタが手配した村の裏切り者たちと共に、奉納品を満載した船が村を発った。
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