渓谷の村(4)「神官」
ネビウスは渓谷の村などの周辺の村々に恩を売ることで、代わりに魔人討伐の戦力を提供させるつもりでいた。しかしカミットの行為が知れ渡ったことによって計画は頓挫した。一つの失敗くらいで手詰まりになるネビウスではなかったが、これから別の方法を模索するのは面倒に感じられて、ストーラの相談に乗ることにした。
上級神官であるストーラはネビウスと話すためだけに神殿を留守にできるほど暇ではなかった。彼はネビウスと彼女の二人の子を山々の祭壇と祠を巡るピクニックに招待した。彼はネビウスに魔除けの修繕をさせがてら話したのであった。
「噂によると、あなたは既に二体の魔人を討伐したようだ」
「私は見ていただけよ」
ネビウスは祠の掃除や祭壇に刻まれた文字の復元をしつつ話に応じた。どこに行っても彼女がやることは変わらなかった。
ストーラはミーナと一緒にうろちょろしているカミットをちらりと見た。
「魔人を殺したのはあの森の子であるとか」
「あの子は弱った魔人の急所を刺しただけ。子供に期待しない方が良いわ」
「信仰的に言えば、運命を握っているということなのでは?」
「情報通のアンタは私が信仰にどういう姿勢でいるか知らないの?」
「あなたとは良い仕事ができそうだ」
ストーラは胡散臭い笑みを浮かべた。神官の多くは家系全体が宗教者である場合がほとんどである。しかし彼は渓谷の村出身であるから、たった一人で入門し、その地位まで上り詰めた。そんな男の立身出世の方法はどうやらまともな神官のやり口ではなさそうだった。そういう気配を彼の表情や仕草が物語っていた。
ネビウスはストーラの態度を鬱陶しく感じてはいたが、同時に彼が使えそうだとも思い始めていた。はっきり言ってネビウスは神官とは人間関係が上手くいかない傾向にあったので、世俗的で権力闘争に強い上級神官が出向いてきたことは願ってもないことだった。ネビウスは気がかりだったことを尋ねた。
「ルルウは無事?」
「カエクス上級神官が配慮なさっている」
ネビウスは言葉通りには受け取らなかった。空の守り子が常に軟禁状態のような扱いを受けているのはカエクスの仕業だと理解した。
「あんたはそいつを取り除けないの?」
「とんでもない。彼は神殿に無くてはならない人物だ」
ストーラはにやにやと笑った。ネビウスは彼女自身がそういう性質があるにもかかわらず、企みの多そうな相手がへらへらと笑うのには苛ついてしまった。ネビウスは彼の前に立ち、彼の額をぱこんと叩いた。
周囲の神官たちは騒然とした。しかしストーラはにやついた笑顔を崩さず、少しも動じていなかった。
「賢者よ。暴力はよくないな」
「あんたが寝ぼけているから目を覚まさしてやったのよ」
「はて?」
ネビウスは左目に青い火を宿して凄んだ。
「私は古の民。アンタは私を利用するつもりでいるかもしれないけれど、私は神殿のいざこざに巻き込まれたくないの」
「分かりやすい前提条件だな」
「間違えないように」
「気をつけよう」
ここでカミットが急に話に割り込んだ。
「カエクスをやっつけよう!」
ネビウスはカミットを抱き寄せて諭した。
「彼は敵ではないのよ」
「そうなの?」
「ぎりぎりね」
ネビウスはカミットにミーナと一緒にいるように命じて、大人の話し合いに入ってこないようにさせた。ストーラは核心の突いた話をしない一方で、ネビウスとの話の中でカミットに言及した。
「彼は勘が良い」
「やめてちょうだい。悪い虫がつかないように育ててきたの」
ネビウスはぴしゃりと言った。これにもストーラはにやにやと笑うだけであった。この直後にストーラは急に言った。
「カエクスと戦う必要はない。守り子はおそらくあなたの影響を受けたことでカエクスの籠を自ら打ち破りつつあるのだ。あとは私が彼女の伸ばした手を取るだけでいいのだが」
ネビウスは合点が言って、大笑いした。
「あんたみたいなクズの臭いがする大人じゃあ、ルルウが信頼しないのね」
神官たちから笑い声が漏れた。彼らはすぐに失態に気づき、叱責を怖れて縮こまった。ところがストーラは彼らを振り向き、喜劇俳優のように首を竦めてみせただけで一切咎めなかった。
※
ネビウスはストーラを散々にこき下ろしたが、五十一歳の経験豊富な上級神官は空の神殿では一目置かれていた。彼は若い頃からブート人社会においては財が神殿に集まることを見抜いていて、村の長になる既定路線をあっさり捨てて、信仰教義の暗記を問う試験を突破して神殿入りした。彼は自分の利益のために着々と行動してきた。すると他の神官たちも彼の側にいると恩恵を受けられると気付いて集まるようになった。今やストーラ派は神殿において第二位の勢力となった。
神殿という組織においては精霊の強い加護を持っているか、あるいは神殿の権威強化に貢献することによって地位が向上する。取り立ててくれる者に賄賂を渡したり、有力な村の出身者に神官位を配ったりするのは大事だが、慈善事業のために金を費していては出世は遠のく。
ストーラが実は裏で故郷の村を助けていたなどという美談が加われば彼も広く尊敬を集めただろうが、そのようなことは一切してこなかった。彼は貧しい渓谷の村を最初から見捨てていて、滅多なことがなければ出身地について口にすることもなかった。神殿のよくない部分を煮詰めて固めたような男であったし、彼のような在り方が空の神殿の腐敗をこれまで推進してきた。
ところがストーラの観察眼は今も昔も冴えていた。魔人襲来と大化身の不調に始まり、翼獣の凶暴化、空輸の機能停止や家畜の流行病、これだけの問題を抱えていれば神殿にすら財が集まらなくなる。彼はこのことを深刻に捉えていた。もしもこの一連の問題をいくつかでも片付けられなければ、神殿の権威すらも失墜するのだ。
こんな当たり前のことが、神官たちの間では全く理解されていなかった。一族がみんなして神官であって、それ以外の世界を知らない者たちが神殿組織を構成しているので、数百年も続いてきた神殿が揺らぐことなど想像もしないのである。彼らは祈りと信仰心によって守り子と大化身が力を取り戻し、危機を取り除いてくれると考えていた。
教義暗記と金とコネで成り上がったストーラは違う考えを持っていた。彼はつい先日、上級神官が参列する守り子の御前会議にて草稿案を提出していた。
「民間の呪術師を公認して、その代わりに魔人討伐への参戦を約束させましょう。ブート人ならば知っているはずだ。風を取り戻さねば、空での勝利はないのだから」
教義に関わる大改革になり得ることだったが、ストーラはきちんと手を打っておいた。第一位の派閥を持つカエクス上級神官は守り子を囲っており、他の上級神官の干渉を寄せ付けなかったのだが、守り子のルルウは誘拐事件以降はカエクスに歯向かおうとしていた。
ストーラは弟子に命じて、密書をルルウが図書館で好んで読む書簡の中に忍ばせた。そうして迎えた御前会議で、ストーラはルルウと視線が合ったので、書簡が彼女に届いたことを確信した。ルルウがネビウスに洗脳されたなら、その方向で風を送ってやれば良いと考えていたストーラをルルウは警戒心の籠もった目で睨んでいた。そのまま彼女は何も言わなかった。ストーラが出した案は守り子の援護を得られぬまま宙に浮いてしまったのだ。
私室に戻ったストーラは「愚図のガキめ!」と思わず叫んだが、深呼吸をして気持ちを切り替えた。彼は弟子から得た情報を元にネビウスに会うべく渓谷の村に向かったという次第である。
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