渓谷の村(2)「医神の友」
一晩が経つと、カミットは冷静になった。彼は賊の村にいることが嫌でたまらなくなった。神殿に連れて行かれたルルウのことも心配だったので、羊の診断から帰ってきたネビウスをムームルの家の前で待ち構えていて訴えたのだった。
「ルルウと船のみんなを助けに行こうよ!」
ネビウスはぽりぽりと頭をかいた。彼女は困っていた。
「空の都にはしばらくいけなさそうよ。私達はお尋ね者になってしまったから」
「なんで? 僕たちは何も悪いことをしていないよ」
「なんでなのかしらねェ」
「僕は悪いやつらの村にいたくないよ!」
カミットが大声を出すと、家事仕事をしていたムームル家の者たちは疎ましそうに睨んだ。この村の者たちには主要産業である牧畜が上手くいっておらず、生活のために賊行為をするという事情があるのだが、これについてネビウスは擁護はおろか説明すらしなかった。彼女がカミットに語ったのは別のことであった。
「実は坊やには言っていなかったけど、私は職人組合の浮船を勝手に盗んで空の旅をしたの。それで連中は怒っているのよ」
盗んだのは船だけでなく守り子もであったが、ネビウスは話がややこしくならないようにあえて言及しなかった。カミットはすぐに反論した。
「僕たちは都に食べ物を運んだ。船を少しくらい借りたからって怒られたくないよ。僕たちは感謝されるべきなんだよ」
ネビウスはカミットの言い分を正しいと思っていたし、否定する気もなかったので微笑して聞いた。
「そしたら、私達で剣と槍を持って神官を殺しに行けば良いのかしら?」
「違うよ。僕はルルウと捕まったみんなを助けたいだけだよ。こっそり助けるんだ」
「そんな上手くいきやしないわ。彼らを見張っている神官や衛兵を斬って突いて殺さないと無理よ。前回、ルルウを連れてきた抜け道はきっと塞がれてしまっているわ」
カミットは腕組みをして唸った。
「そしたらみんなは串刺しにされちゃうよ?」
「大丈夫よ。刑の言い渡しは守り子の仕事だから、ルルウがどうにかできるのよ」
「本当に?」
「たぶんね」
ここに仕事上がりのバルチッタがやってきた。彼は道具を片付けつつ途中から話を聞いており、カミットに言った。
「ネビウスはお前の何十倍も生きている。婆婆呪術師の勘はよく当たる。ごちゃごちゃ言わずに言う事聞け」
「ネビウスはお婆さんじゃないよ」
「人間の皮だけ見てるようじゃやっぱりガキだな」
カミットとバルチッタが言い合いを始めると、ネビウスがバルチッタの頭頂部を叩いた。
「痛え! なにすんだ!」
「うちの坊やに間違ったことを吹き込むんじゃないよ」
「なんだよ! 婆婆が気に食わなかったか!?」
「どうでもいいわ。あんたみたいなクズがうちの坊やに近づかれちゃ迷惑ってだけよ」
「言ってやがれ! クソババア!」
バルチッタは散々に言い捨てて、家の中に入っていった。ネビウスはカミットに微笑みかけた。
「話を戻すけど、しばらくこの村で過ごすわ。坊やにも色々やってもらいたいから、ムームルに相談してみましょ」
カミットはまだ完全には納得していなかったが、腕組みをして「分かった」と言ったのだった。
※
羊たちの流行病さえもネビウスにとっては対処できない相手ではなかった。彼女はカミットにいくつかの種類の吸血植物を発生させて、病にかかった羊の血を採取し、吸血植物の形状異変や発育速度を順次記録した。次にその吸血植物を枯死させ、羊の血の成分が混ざった枯れ葉や茎とし、これらを砕いて粉末状にした。
ネビウスとバルチッタは一連の作業を共同して数十回も繰り返し、カミットが心身ともに疲れ果ててしまうまで続けた。血液の採取と分析のために十六日を費やし、ネビウスが借り受けた納屋には標本を溜めた壺が数百個も並んだ。簡単な作業であればミーナも手伝った。ネビウスはこうして作った薬の内の三つを採用し、羊たちに飲ませた。
効果が確認できたのは十日ほど経った後だった。病を発症する羊が劇的に減ったのである。羊飼いたちのみならず、村中の人々が歓喜した。村の長であるムームルは目を細めて「炎の賢者はやはり万能か」と呟いたのであった。
古来から終わりの島は流行り病にそれほど悩んでこなかった。というのは医神友人会という古の民が運営する強大な医者組織があるからだ。この会に籍を置くネビウスもそうであったが、この島の医者たちは流行り病に対抗する術を持っており、災いの発生を知るや直ちに対応して遅くとも半年以内には病を根絶させてきた。動物の流行り病だろうと同じ対応をするはずだったが、羊の流行り病が発生してから一年以上もの間、渓谷の村には医者が派遣されていなかった。
医神友人会は所在や実態が不明の謎多き組織であったので、連絡を取ることもできず、村は苦しい時期を耐えねばならなかった。だからこそネビウスの来訪をムームルや老人たちは喜び歓迎したのである。普段からあまり表立った活躍を好まないネビウスの態度は古の民によくあることなのだが、この特異な知識と技を持つ人々は病に対抗するという場合ではしばしば見違えるほど協力的、献身的になるのであった。
渓谷の村では若者たちが中心となってネビウスに感謝するための宴を開こうとしたが、ネビウスは慎重に説明して彼らを止めた。終わりの島においては、治療行為に対して掟に定められていない報酬を受け取ってはならないからだった。然るべき報酬は医神友人会から送付されるのだ。
ただし病の収束を祝いたいのは村人の誰もがそうであっただろうし、ネビウスは彼らの気持ちに水を差したくなかった。ネビウスは「あなたたちの村の平和を祝いなさいよ。私も気ままに楽しませてもらうわ」と提案したのであった。
宴は夜通し続いた。若者たちは光の舞を披露した。雷の精霊を宿した松明を足に掴んで夜空を飛び、闇の中を舞い踊ることによって光で様々な模様を描いた。カミットはミーナと肩を寄せ合いながら、この幻想的な舞を見ていた。ミーナはカミットが「きれいだね」と言っても「うん」としか言わなかった。しかし青い瞳には爛々と光が映っており、目の前の光景に感動しているようだった。ミーナの美しい横顔が光の夜にいっそう映えるようであった。
「ミーナはキラキラしたものが好きなんだね」
「そうなの?」
「僕のランプも好きでしょ?」
「うん。キラキラしてるから?」
「そうだよ」
「そうかも」
ミーナはカミットの肩に頭を傾け、手を繋いで指を絡めた。そしてカミットに聞いた。
「幸せ?」
「もちろん!」
カミットは即答した。
ミーナははにかんで「私も」と言った。
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