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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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浮船の道(9)「東の海港」

 ネビウスが月追い(ルナシーカー)を撃退するのはこれで三回目だった。一対一ならば彼女が負ける気配は少しもなく、青い剣と大斧の戦いは前者が優勢のままに、夜明け前に月追い(ルナシーカー)が諦めて撤退した。一夜明けて、船のデッキはどこもかしこも激しく破損して荒れ果てていたし、大斧の攻撃で底が抜けた床もあった。それでも船は沈まなかった。海へと至るとそこからは徐々に高度を下げて、迂回して戻ってきて、船団は東の港町(シラトビ)の海港に停泊した。


 船乗りのブート人たちは活気溢れる港を見てため息をついた。終わりの島(エンドランド)のどこの都でも魔人の危機が人的経済的大打撃を与えているが、東の港町(シラトビ)では数ヶ月前に魔人を撃破し、かつての繁栄を取り戻そうとしていた。青い鱗の肌と手足のひれを持つヨーグ人たちは水の世界に適応し、海運と漁業において固有の地位を持つ。ヨーグ人は各地の港町を支配しており、経済の実力において終わりの島(エンドランド)のいくつかの人種の中で抜きん出ていた。


 一年以上ぶりに寄港した浮船の船団を東の港町(シラトビ)のヨーグ人の頭領であるタゴンが出迎えた。彼は中年を過ぎて引退した戦士ではあるが、今なおその槍の腕前はヨーグ人で最高と称される。その武勇は空にまで聞こえており、ただ姿を見せただけで、自由で荒っぽいブート人船乗りたちをも緊張させて大人しくさせてしまった。タゴンはネビウスに必要なことを確認すると、船から港に降り立とうとしていたルルウに労いの言葉をかけた。


「危険な旅をよくぞ切り抜けられた。空の守り子の加護に敬意を示そう」


 ルルウは都外の有力者と公式にやりとりをしたことがなかった。彼女は緊張して、背筋をぴんと伸ばして、はっきりとした口調で言った。


「空の守り子、片割れのルルウと申します。港への受け入れを感謝いたします」


「物資のやりとりについては担当の者どうしでやりとりをさせよう」


「そうですね。あの、その前にご相談があります」


「深刻な様子だ。屋敷で話しては?」


「今でないといけません。申し上げにくいのですが、私達はお金が無いのです!」


 タゴンは表情をぴくりともさせないで頬髭ほおひげを撫でて、どう対応すべきか考えているようだった。ルルウは彼の沈黙が恐ろしくてたまらなかった。


「あの! 都の危機が去った後には必ず返済しますので、どうか」


 ネビウスが見かねて言った。


「ルルウ。そういう大事な話はタゴンが言うように落ち着いた場所ですべきよ」


「でも、私たちは急いで戻らないと」


 タゴンは事情は概ね察していた様子で淡々と言った。


「作業は進めさせる。話し合いの経過次第では積荷を下ろすことも可能だ。何ら問題はない」


 公的な挨拶ではいかめしい顔をするタゴンであるが、船から降りてきた葉っぱ頭のカミットに対してはやや砕けた物言いで話しかけた。


「ずいぶんと早く戻ってきたな。魔人は倒せたのか?」


「まだだけど、すぐに倒すよ!」


 カミットが大口を叩いても、タゴンは否定したり嘲ったりしなかった。彼らは東の海を恐怖に陥れた入江の魔人を共に倒した戦友であったからだ。このやりとりを見ていたルルウはカミットが本当に魔人を倒してきたのだと理解した。





 東の港町(シラトビ)のタゴン邸の食事風景は数十人の親族が一同に会して大盛りあがりするのが毎日の光景であった。浮船の乗組員は百人以上になるので全員がというわけにはいかなかったが、船長以下役職責任者は屋敷に招かれ、海の幸を豊富に使った料理でもてなされた。


 ところがこのような場でもルルウの頭を占めていたのは、金欠という大問題であった。豪華な食事を提供されても、それに対する見返りを何も用意してきていないので、彼女は食が進まず、それどころか考え過ぎて顔色が悪くなっていた。


「ルルウ! 食べないの?」


 カミットがなにやら期待した顔で尋ねた。


 ネビウスはすぐに注意した。


「ルルウはゆっくり食べるのよ。坊やはおかわりが欲しいなら、ちゃんと頼んできなさい」


「分かった!」


 カミットは盆を持って、台所へ走っていった。


 ため息をつくルルウにネビウスは言った。


無料タダのご馳走よ。気にしないで食べなさい」


「世の中にそんなことがあるの?」


「あんたは真面目過ぎるの。タゴンに恥をかかすんじゃないわ。出された物は胃袋に入れるの。これがヨーグの礼儀よ」


「……お腹痛い」


「あらまァ。困ったわねェ」


 日は落ちて、夜になろうとしていた。使用人が明かりの火を灯し始めた頃、なおも宴席は賑わって、そこへやってきた人がいた。


「空の守り子が来てるんですって!」


 凛としてよく通る声、立ち姿はすらりとして全てのヨーグで最も美しいとされる、海の守り子はシルクレイシアの登場である。彼女は浮船が早朝に到着したという知らせを受け、日中の公務を終えて都から大急ぎで実家のある東の港町(シラトビ)まで帰ってきたのだ。


「また帰ってきたのか」と父親であるタゴンがぼやけば、

「なによ! 今回は本当に大事な用があるでしょ!」とシルクレイシアは言い返した。


 父のタゴンが漁師を中心としたヨーグの戦士階級を代表する男である一方、娘のシルクレイシアは神殿の頂点に立つ大神官ということで、タゴンの一門はヨーグ人社会において幅を利かせ過ぎている嫌いがあった。そのバランスを取るためにタゴンはシルクレイシアとの癒着を疑われる行動を極力しないように心がけているのだが、シルクレイシアはそんなことはお構いなしで単に家族と友達が好きだからという理由でしばしば都を抜け出して実家のある東の港町(シラトビ)に戻ってきてしまうのであった。


 シルクレイシアは庭先からそのままずんずんと上がり込んできて、ネビウスとルルウの前に立った。まず彼女はネビウスに短く言った。


「相変わらず暗躍しているのね」


 ネビウスは「ひどい言い草だわ」と言って苦笑した。


 シルクレイシアは花開くような笑顔をルルウに向けた。


「初めまして。私がシルクレイシアよ」


「私は、リリイじゃない方の、妹のルルウ」


「あら? リリイは来ていないの?」


「リリイは都を離れられないから」


 ルルウはぶつぶつ言っているうちにだんだんと落ち込んでいた。シルクレイシアには知る由もない事情であったので、彼女は嬉しそうにネビウスに言った。


「ねえ! ネビウス! すごいわ! 守り子が一つ屋根の下に二人もいるの!」


「はい、はい。あんたは元気過ぎるからルルウが圧倒されちゃって気の毒だわ。夕食は食べたの?」


「まだよ!」


 シルクレイシアはカミットが盆に乗せた食事を運んでくるのを見つけると、こちらにも話しかけた。


「あなた、戻ってくるのが早すぎるわ。感動のお別れが台無しよ」


「なんで! タゴンも同じこと言った!」


 シルクレイシアは笑顔になってカミットの頭をくしゃくしゃと撫でると、台所の方へ向かった。

お読みいただきありがとうございます。

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