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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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浮船の道(8)「月夜の戦い」

 仙馬ボレマロゴの足跡は青白く輝く光の軌跡となって空に帯状に連なる領域を形成していた。その中に入り、青白い蒸気に包み込まれた者たちは尋常ならざる熱気に苛まれた。元々気性の荒い男たちは些細なことで言い合いを始め、たちまち殴り合いの喧嘩にまで発展した。船長であるルルウは船内を駆け回って彼らを宥め、湧き上がる怒りは仙馬ボレマロゴがもたらしており、怒りを抑え込むことは難しいとしてもその原因は自らの中にあるのではないことを説いた。


 困難は他にもあった。浮島を遠ざけてしまえばほとんど空の障害物は除去したに等しいが、空の道において決して取り除くことができない最後の不安要素は高空域のさらに上、天上を遊泳飛行する不気味な影である。怒りで我を忘れかけていた船乗りたちの目をも覚まさせるその脅威は直ちに現実となった。


 そのときネビウスは船上デッキへと出ており、真上を仰ぎ見て両手を大きく振っていた。


 天より降り注ぐのは閃光。


 三隻で飛行していた船団の間に凄まじい力を感じさせる光の柱と見えるものが一瞬だけ現れ、その下に広がる雲海に当たって弾け、異様な光の明滅を起こした。強すぎる力は雲のおかげで分散され、地表や海に散り散りになって降り注いだ。


 天上の支配者とされる弓獣カノープスは地表に降りてくることはないのでその実際の姿はブート人冒険家の不確かな証言などから推測するしかない幻の存在であった。確かなのは極大射程の矢息ブレスを天空から放つことであり、誤って高度を上げすぎた浮船が撃墜される例が多いほか、稀に地上の街が攻撃されて滅ぼされたこともあった。


 弓獣カノーブスの影を発見したら、船は直ちに高度を下げなくてはならない。仙馬ボレマロゴの気に当てられていた船乗りたちは血の気を引かせて持ち場に戻るのであった。そうして船の高度を下げれば仙馬ボレマロゴの足跡を逸脱し、翼獣プテリオキロスを警戒しなくてはならない。浮船の道を行くのにぼんやりと同じやり方を続ければ良いということは一つもなく、乗組員は常に働いていなくてはならなかった。


 仙馬ボレマロゴの気ままな足跡は蛇行を繰り返した。ようやく見えてきた東の港街(シラトビ)はなお遠く、やがて月の出る夜が訪れた。昼間よりもいっそう美しく見える足跡の道を浮船はゆったりと進んでいた。しかし平穏は束の間のことであった。翼を持つ大蛇の影が見えたとき、警報が打ち鳴らされた。ブート人の空の戦士たちは迎撃のために夜空へ飛び立っていった。ところが勇んで出ていった戦士たちだというのに、彼らは敵に接近すると途端に動きを鈍らせて、いとも簡単に最初の数名が打ち落とされてしまった。


 パニックになっていたルルウにネビウスが命じた。


「救助を最優先に。月追い(ルナシーカー)はこの船に来るはず。私が追い払うわ」


 ネビウスは弓を構え、火の矢を放った。流星のようになった矢は空の戦いに割って入って中断させた。三隻の浮船それぞれが出す撤退の火の明かりを見て、戦士たちは舞い戻った。それを追うようにして翼の大蛇もやってきた。


 大蛇に跨っていたのはボロ布の外套を纏った異形のヒト型、口だけの顔をした怪物、月追い(ルナシーカー)であった。それが船に降り立つと、たちまち腐敗臭を漂わす瘴気が立ち込めた。この瘴気が勇敢な戦士の心をも挫くのである。言葉を交わすことはなく、ネビウスは青い剣を抜き、月追い(ルナシーカー)は大斧を構え、戦いが始まった。





 ミーナを守るのはカミットの役割として定着しつつあった。月追い(ルナシーカー)の襲来により船が大混乱に陥る中、カミットはネビウスの寝室でミーナと一緒にいた。月追い(ルナシーカー)の瘴気は船内にまで漂ってきて、ミーナはひどく怯えた。カミットはミーナに寄り添い、彼女の震えが収まるように抱きしめた。カミットはネビウスを絶対的に信頼していたので、待ってさえいれば危機は去るものと思っていた。


 不意に強烈な違和感を感じ、カミットは顔を上げて部屋の扉を見た。瘴気の中に狼の森(ルプスシルヴァ)の苔の臭いが混ざったのだ。


「どうしたの」と不安そうに聞くミーナに、カミットは「大丈夫だよ」と答えた。カミットはナイフとランプを手にした。


 ガチャり、がちゃがちゃ、と音がした。鍵をした扉が外から開けられようとしていた。一瞬静まり返った後、今度は扉が激しく打ち付けられた。理性の感じられない凶暴な気配が入ってこようとしていた。


「ネビウス、ネビウス……」


 カミットはぶつぶつと呟いたが、ネビウスは月追い(ルナシーカー)の相手で手一杯であるから、カミットが自力でミーナを守らねばならなかった。浮船の上であるし、狭い室内では森の呪いで巨樹を生み出すわけにもいかない。槍を振り回すのは狭い船内では不便であった。カミットは使い慣れないナイフを持ち、襲い来る者を待った。


 しかし結局、扉を打ち破ってくることはなかった。扉を打ち付ける音も止み、カミットとミーナは安堵して座り込んだのだった。


 危機が去ったと思われた、そのすぐ後だった。


 部屋の船外に面したガラス窓を割って、緑色の怪物が飛び込んだ。カミットは奇襲に驚いて転倒した。ミーナは蹲って悲鳴をあげた。その怪物はカミットに飛びかかってきて噛みつこうとした。カミットはとっさに拳を振り抜いて打ち払った。ぎぎゃあ、と悲鳴を上げて、それは転がった。カミットはすぐにミーナを引寄せて、自分の背後に回らせた。


 その緑の怪物は、四足で這うようにして立った。それは鱗に覆われたヨーグ人の顔とジュカ人の葉髪をしていた。


狼の森(ルプスシルヴァ)の呪いの子! なんで!?」


 カミットが状況を理解できずとも、凶暴なる襲撃者は言葉を発することなく飛びかかってきた。掴み合い、もみ合い、転がり合い、髪を引っ張り合ったりして、カミットとその呪いの子は戦った。両手で組み合ったとき、呪いの子はカミットの肩に噛み付いた。カミットは痛みに顔を引きつらせた。


 野生で生きてきて、しかもヨーグの血を引く呪いの子はカミットよりも力が強かった。カミットはよく耐えて張り合ったが、ついには力負けして部屋の壁へと押し込められてしまった。そのとき、カミットは呪いの子の背後でミーナが動くのを見た。ミーナはカミットのナイフを両手で持ち、呪いの子の背中を刺した。呪いの子は悲鳴を上げて、床を転がりまわった。刃を防ごうとして、苔の呪いが発動したようにも思われたが、ナイフはそれらを引き裂いて、呪いの子の皮膚に達していた。カミットは敵が転がっているのを好機と見て、足で踏みつけようとしたが、これは苔の呪いが吹き出して阻んだ。


 血が床にぽたぽたと滴っていた。ひいひいと掠れた泣き声を漏らしながら、呪いの子は窓から逃げていった。

お読みいただきありがとうございます。

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