浮船の道(6)「綿の葉の羽」
安全な航路があったなら、誰もが最初から使っている。終わりの島の空に絶対に安全なルートはないのだ。ルルウは遠からず危険を冒す決断をしなくてはならず、直接的に言われることは無くとも、船乗りたちの視線や態度による圧力を感じていた。
晴天の空に輝く微かな光はすぐにまた発見された。しかし同時に複数の浮島が見られ、前回と同じく進むか引くかの会議が開かれることになった。ところが今回はネビウスが姿を魅せず、ルルウは会議を遅らせて、ネビウスを探した。
船上デッキに上がると、綿の葉の羽を装着したカミットとミーナが飛び立つところであった。カミットはミーナを背中から抱きかかえるようにして互いを蔦で巻きつけて固定していた。今回は二人で一緒に飛ぶつもりのようだった。
「またやってる。ミーナまで巻き込んで」
ルルウは呆れて呟き、直後に青ざめた。
「命綱! 忘れてる!」
叫ぶも届かず、カミットは空の彼方へと一瞬で飛んでいった。ルルウが愕然として立ち尽くしていると、「会議中じゃないの?」とネビウスが声をかけた。ネビウスはガラス面のゴーグルを付けて、防寒着を着込み、何のつもりかカミットが使っていたような綿の葉の羽を肩から吊り下げていた。ルルウは心臓がばくばくと鳴ってとても冷静ではいられず怒鳴ってしまった。
「すぐに救助を出して!」
「大丈夫よ。ミーナは風の呪いが使えるから」
「何を言っているの!? あなた、あの子たちの親でしょ!」
「そうだ! あんたも一緒に行く?」
「話を聞きなさいってば! 何をするつもりなの!?」
「ここらの浮島を少し調べるわ。あんたも来なさいよ。ぐずぐず落ち込んでるだけじゃ何も動かないのよ。優れた指導者は危険を怖れないものよ!」
ルルウが決断できずにいると、ネビウスがさっと近づいて、ルルウの背後から装具の紐を回して互いの体を結び始めた。
「なにしてんの! 私は行かない!」
「ほら。暴れないのよ。あんたみたいなのは尻を叩かないと動き出さないんだから、大人しくしなさい。ねえ! あんたたち、手伝って!」
ネビウスが命令すると、船乗りたちが集まってきて、装着具の固定を手伝い始めた。
「ダメ、やめて! 船長の命令! 命令だってばァ!」
ルルウが抗議の悲鳴をあげるも、ネビウスはルルウを連れて空へと飛び立った。
自力で飛べない今のルルウにとって空ほど怖ろしいものはなかった。ルルウが恐怖で意識を失いそうになっていると、ネビウスが肩を叩いた。
「大丈夫よ。上手く飛べているわ」
「もうダメ。信じられない。自分の翼以外で飛ぶなんて。こんな頼りない風に吹かれるだけの羽なんて」
「臆病ねェ。風向きを重んじる船乗りを見習ったらいいわ。どこでもそうだけど、神官連中は表に出てないもんだから色々間違えるのよ」
「神殿の悪口を言わないで」
「こんな私達しかいない場所で何を取り繕うの?」
どこもかしこも青い空だった。眼下には島の大地が広がる。
「私は取り繕ってなんかいない」
ルルウはぽろりぽろりと本音を零した。
「神殿では精霊の加護をどれほど受けているかが一番大事でしょ。だから私は本当は守り子には相応しくない。リリイの対だから、守り子になった。ただそれだけの存在」
ネビウスは下方を指差した。城壁に囲まれた荒れ地の都があった。一年前にあった大地の祝祭により一帯の土地は大打撃を受けていたが、着実に復興が進んでいた。荒れ地は終わりの島の最も優れた守り子と言われるベイサリオンが治める地である。ネビウスは流暢に語った。
「ベイサリオンは滅多なことがなければ呪術を使わないの。あの男は働き者で知恵が回る。すごい頑固で古臭そうなくせして、慣例に囚われない発想をする。決めたらやり抜くし、迷わない。これって全部、精霊の加護とは関係がないことよ。おかげで荒れ地での仕事は簡単だったわ」
「ベイサリオンがすごい加護を受けているからでしょ。だからみんなが協力するの」
ネビウスは海を指差した。東の港町はまだかなり遠いが、海は広大でどこからでも見えた。晴れた日に波は凪いで、海は穏やかに佇んでいる。海は若き俊英である海の守り子、シルクレイシアがその安全を一手に担う。ネビウスは笑みを浮かべて語った。
「シルクレイシアは精霊の加護はかなりのものよ。間違いなく彼女が次代を担うことになるわ」
「リリイを見てから決めてよ」
ルルウが抗議すると、ネビウスはくすりと笑って続けた。
「彼女は優しくて賢いし、勇敢で行動力も素晴らしいんだけど、偉そうにして陰湿なやつらのことが大嫌い。だから都の神殿とはいっつも喧嘩している。彼女のせいとは言わないけれど、入り江の魔人討伐では都と神殿の協力がぞっとするほど無かったわ」
「まだ若いから言うことを聞いてもらえないんだ。そういうの嫌だね」
「でも彼女は結果を出したわ。海の安全は守られた。下手でもいいけど、とにかく結果ね」
ネビウスの言葉はルルウには重かった。守り子として大化身から認められた者たちは誰もが人並み外れた精霊の加護を持つ。神官の第一評価基準は精霊の加護の強さであるのは伝統的に変わらない。彼らの価値観では優れた人だから優れた加護を得るのだ。逆もまた然りとされる。結果を出せと言われても、そうできない定めに生まれたのだとルルウは思っていた。ネビウスの伝えたいことは理解できていたが、ルルウは声音を暗くした。
「そんなの分かっている」
「リリイが動けないなら、ルルウがやればいいの。とにかくやるの、先ずはそこから」
「さっきから師匠みたいなこと言わないでよ。人はそれぞれ持って生まれた才能があるの。立つべき場所で分を弁えて生きていくの」
「なってあげても良いのよ?」
「ネビウスが私の師匠に?」
「ルルウが望むなら」
「私なんかを弟子にして、ネビウスに何か得があるの?」
「無いわ!」
暗く落ち込んでいたルルウの心に光が差し込みつつあった。ルルウは期待を込めてネビウスに尋ねた。
「ネビウスの弟子になったら、私はちゃんとした守り子になれる?」
「私の弟子は継承一門の剣師からこそドロのお尋ね者まで幅広いから、なんとも言えないわ」
「うーん。じゃあ、ちょっと考えておく」
「今、決めなさい! あの浮島に着くまでに!」
ルルウが人生を左右するだろう選択を前にして頭を混乱させている間にも、風は彼らを浮島へと運んでいった。いよいよ到着してしまいそうになり、ネビウスが神経を尖らせて綿の葉の羽を制御しているときに、ルルウは決心を固めた。
「あの、さっきの話だけど」
ネビウスはやや怒り気味で声を張り上げた。
「今、忙しいの! 見て分かるでしょ!」
ルルウは怯んだが、しかしこのままだと弟子の話が無くなってしまうと思った。今言わねばならなかった。ルルウは叫んだ。
「弟子になる!」
近づくにつれて、浮島の巨大さが実感された。ちょっとした山のような規模をした島が外観は繁茂する植物によって覆われていて、内部がどのようであるかは分からず、安全に着陸できる場所は限られていた。ネビウスは少しの間、様子を伺っていたが、既に到着していたカミットとミーナが島の外縁の崖に綿羽を引っかからせて危うい様子でいるのを見るや、急降下していった。崖から落ちそうな際どい場所ではあったが、ネビウスが華麗に着地し綿の葉の羽を切り離した。ルルウはつかの間の空の旅から解放されてその場でへたり込んだ。ネビウスは優しい笑みを浮かべてルルウに言った。
「ルルウを弟子にするわ」
ルルウが何かを言おうとするも待たず、ネビウスは崖の方へと走っていってしまった。ルルウはまだ足が震えていたが、カミットとミーナを助けなければと思い、なんとか踏ん張って立ち上がった。
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