第7話 廃墟の村(4)「夜の王、風の精霊」
月追いとの戦いから一夜が明けると、カミットがちまちまと修繕してきた村がどこもかしこも激しく壊れて、むしろここに来たときよりも酷い有様となっていた。
カミットは喪失感で悲しくなってしまった。我慢できず、悔し涙を流して、怒りを爆発させた。
行き場のない感情に森の呪いが応えた。カミットを中心として無数の木々が生え、蔦は巡り、草は茂り、花が開いた。ネビウスが叫んで静止しようにも、森の爆誕は止まらなかった。
ネビウスは激流のように生まれくる植物にプロメティアが巻き込まれないように守らねばならず、それだけで手一杯だった。
森の成長が一段落したとき、ネビウスはプロメティアを抱きかかえて花畑に埋もれていた。
木陰からカミットがすまなさそうに顔を出すと、ネビウスは駆け寄っていき、彼を抱きかかえて、喜び叫んだ。
「すごいわ、カミット。なんて良い、その怒り!」
一方で、森の周縁は拡大を続けた。半日もすれば、もう付近の荒れ地に過去の面影はなかった。百年も前からあったかのような森が突如として現れたのである。
森の誕生があったその晩、梟の不気味な鳴き声が響いた。
ネビウスは就寝中であったが、月追い襲来のときよりもよっぽど慌てふためいて飛び起きた。
彼女は「大変、大変!」と叫び、右往左往した。一度弓を持つも、「違う、意味ない」と言って放り投げて、あたふたしながら駆け出していった。
木の梢に黒い梟がちょこんと止まっていた。
ネビウスはへらへら笑って、両手のひらを合わせて、こねこねやりながら言った。
「久しぶりじゃない。十年ぶり? 何の用かしら」
「呪いが暴れたのを感じたので見に来たのだ」
梟は周囲に伝播する不思議な響きの声で喋った。ネビウスにとってはこの梟が言葉を話すのは当たり前のことであり、彼女はそのまま会話を続けた。
「私のせいじゃないのよ。カミットが勝手にね」
「言い訳をするな」
「言い訳って……、ねえ! あのおっかない娘っ子を寄越したのはアンタたちでしょ」
「プロメティアは無事のようだな」
「呪いの子を二人もなんて育てられないと思うのよ。娘っ子は持ち帰ってくれないかしら」
梟が翼をふぁさっと動かすと、暴風が巻き起こった。ネビウスは吹き飛んで蔦に絡まった。
「ちょっと! 乱暴ね!」
「私は一つの呪いに付きっきりというわけにはいかぬ。人手はいつだって足りていない。こんな簡単なことが分からぬのか。古き者の責任を果たせ」
「嫌みったらしい言い方! そんなだからモテないのよ!」
僅かな沈黙を経て、梟は蔦で身動きが取れないでいるネビウスに襲いかかって嘴や鉤爪で突き回した。ネビウスはたまらず悲鳴を上げた。
ここに寝起きのカミットがやってきた。カミットは大慌てで弓矢を作り、フクロウを射た。鋭い矢が梟の胸を突き刺すと、梟は地面にぼとりと落ちた。
「あ!」とネビウスは間抜けな声を出した。
「坊や、逃げなさい!」
死んだかと思われた梟であったが、むくりと起き上がると、胸を前後したり捻ったりして、矢を自力で抜いた。
梟はネビウスに「多少の犠牲はやむを得ぬ。呪いの子らに都市での振る舞いを早くに覚えさせるのだ」と言い残して、飛び去っていった。
カミットはネビウスに絡まっている蔦を取り去るのを手伝った。彼は首を傾げて聞いた。
「いったいどうしたの。ネビウスが鳥なんかに襲われるなんて」
「あれが鳥に見えた? 心臓を射られた鳥は普通おとなしく死ぬものよ」
「羽の隙間に入ったんじゃない?」
カミットは矢を拾ってきてネビウスに見せた。
「ほら。血がついていない。あれ、でもちょっと黒くなっているね」
「……その矢は別にして取っておきなさい。いざというときに使うのよ」
※
ネビウスたちは森の芽ぶきで吹き飛んでしまった廃墟の村を後にして、近郊の都を目指した。
シリウス・プロメティア、通称ミーナは何かしらの取り決めをするでもなく、ネビウスとカミットの旅についてきていた。
荒れ地の道なき道を行く三人であったが、ミーナは体力が無く、少し歩くとすぐに座り込んでしまった。カミットは度々《たびたび》休憩が挟まれることに苛ついたが、ミーナをいじめるとネビウスに悲しまれるので慎んだ。彼は暇になると、仕方なしに即席の的を用意して、弓の練習をして時間を潰した。
あるとき練習してから、ネビウスとミーナのところに戻ると、カミットは驚いた。ミーナが小枝を杖にして、枯れ葉を風で操って舞わせていたのだ。さらにそれをネビウスが手ほどきして、ああして、こうして、と杖を振りながら教えているのである。
「僕もやりたい!」とカミットは叫んだ。
ネビウスはカミットにも小枝を持たせて「やってごらん」と言った。カミットはミーナの真似をして、杖を振ってみたが何も起きなかった。呪いをかけられたかと思うと、ただ風が吹いただけで、カラカラと枯れ葉が転がっていくのは寂しさすら感じさせた。カミットはむっとして、ネビウスに食ってかかった。
「どうして風が起こらないの!?」
「坊やには森の呪いがあるじゃない」
「ミーナができるなら、僕だってできないと!」
「言っちゃうとね、実は坊やにはたぶんできないのよ。だって坊やは風の精霊の加護を受ける翼獣を殺しちゃったからね」
ネビウスは急に真実を突きつけた。カミットはショックを受けて、杖をぽろりと落とした。このときミーナはぎょっとしてカミットから一歩遠ざかり、ネビウスに寄った。
カミットは怒りで顔を赤くして叫んだ。
「わざとじゃなかった!」
「石を投げて、たまたま人に当たることもある。頭に当たれば、死んじゃうことだってあるのよ。わざとじゃなくてもね」
「わざとじゃないなら仕方ないよ」
「飛んできた石が私の頭に当たって私がおっ死んじゃうかもしれない。投げたやつは言うのよ、わざとじゃないから許してくれって。まさか坊や、私を殺したそいつを許すつもりはないでしょ? きちんとやり返して、罰してくれるでしょ?」
カミットは言い得ぬ怒りを感じて、また森の呪いを暴れさせそうになった。カミットは悔しさを押し留めて、言葉を絞り出した。
「ネビウスになにかされたら、僕はそいつをやっつけるよ」
「ありがとう、良い子ね」
ネビウスはカミットを抱きしめて、頬にキスをした。ネビウスは熱烈にカミットを褒めるときがあった。一つは慈善的な行為をしたとき、そしてもう一つはカミットが激しい怒りを見せたときであった。
その後も三人は休憩を挟みながら、ゆったりとしたペースで歩き続けた。やがて荒れ地の中に城壁に囲まれた都市が見えてきた。