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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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狼の森(6)「呪いを支配する者」

 狼の森(ルプスシルヴァ)の最深部では岩や地面を苔が覆っており、それらの上に植物が繁茂していた。その近辺は苔の呪い子の直接の縄張りであり、近づく村人はいない。ただしネビウスはこのときも例外であった。彼女は黒いマントを着て、その地を平然と歩いていた。


 カミットもこの危険な探検に付いてきていた。狼の遠吠えが不気味に聞こえるなか、カミットはネビウスが一緒であるという安心感から気持ちが強くなっていた。ミーナを留守番させておけば、もはやこの親子にはオオカミにやられる心配などなかった。


 旅立って以来、カミットとネビウスは二人きりになる時間が減っていた。カミットにとってネビウスは何でも話せる相手であったのだが、今回の出来事で彼が気になり始めたことは、どうも聞きづらくて困っていた。カミットが悩んでいるのを察していたのか、ネビウスは森を歩いている途中で急に言った。


「あなたを産んだお母さんは死んでいるわ。それがどこの誰かを私は知らない。もしも知っていたら育てちゃいけないことになっているの」


「……そっか」


「世の中じゃあ、お母さんが死んだって親族の誰かが引き取るものだけど。……坊やは一人ぼっちだったのね。それで私が育てることにした」


「ネビウスはどうして僕を子どもにしたの?」


「理由なんて無いわ。なんとなくそうしようと思ったのよ」


「あの女の人の子どもはどうしてみんなに育ててもらえなかったの?」


「呪い子は怖ろしいものなのよ」


「でもネビウスは僕が怖くないでしょ? 村の人たちはどうして怖がるんだろう」


「同情したって仕方ないのよ。あまり考えてもね」


 ネビウスは振り返り、カミットの背後を見た。苔むした木の幹、そこに何かが張り付いて擬態しており、それがカミットに手を伸ばしていた。ネビウスは青い瞳を煌めかせて、火を起こすことはなく、強烈に脅かした。すると木に張り付いてたその生き物、全身が緑で覆われた何かが悲鳴をあげて地面に転げ落ちた。


 カミットは飛び退いて、ネビウスの隣まで駆けた。槍を構えて警戒し、緑色の生き物をよく観察した。それは体を苔に覆われたヨーグ人の子どもであった。やせ細っており、目は見開かれてぎらぎらとして、とても人の子とは思われなかった。それは歯をむき出してネビウスたちを威嚇した。カミットが槍で突こうとすると、ネビウスが手で制止した。その間に苔まみれのヨーグの子どもは木に登って逃げてしまった。カミットは槍を下ろし、ネビウスに尋ねた。


「あれは何なの?」


「たぶん例の子どもよ。オオカミに育てられたのか、それとも呪いかしら」


 カミットは名案を思いついた。


「お母さんのところに返してあげようよ!」


「そうできたら良かったのよ。でもそれは難しいわ」





 呪いは怖ろしいものであった。ひどいときには死者をもたらし、村を滅ぼし、近隣の動物たちを怪物へ変貌させることもある。その土地の大いなる呪いの担い手、狼の森(ルプスシルヴァ)の苔の呪い子などはそれ自体は怖ろしい怪物であるが、安定して呪いをその身に宿し、地域の呪いの流行を封じ込める支配者としての側面を持つ。したがって他の生き物にとっては多大な恩恵をもたらしているとも言える。


 呪いを封じ込めるというのは食べてしまうということである。呪いは呪いに惹きつけられ、より強い方が弱い方を食べて消滅させてしまうのだ。辺境の人里において呪い子が生まれてしまったときには、残酷なことではあるが、土地のより強くて安定した呪い子に人身御供として差し出すのだ。さまなくば人里で処理できない呪い子がいつか危険な化身となって災いを振りまくことになる。


 十一年前、あるジュカ人の女とヨーグ人の男の間にできた子どもは苔の呪い子であった。厳しいお産を経て生まれた子どもの体に苔がまとわりついているのが明らかになると、父親になったばかりのヨーグ人の男は責任を持って、赤子をオオカミに差し出した。このとき不幸なことにその男は自らもオオカミに食べられてしまった。このとき誰も赤子がオオカミに食べられるのを確認できておらず、しかし食べられてしまったに違いないと村人は判断した。


 しかし母親の女はその子どもを諦めていなかった。彼女は夜な夜な森を彷徨い、幸せな他の親子を呪い、そして自分の子と再会できるようにと祈った。そして彼女は見たのであった。オオカミの群れの後方を這う、苔に覆われたヨーグ人らしき子どもを。





 数十匹のオオカミが一匹たりとも吠えたりせず、ネビウスを遠巻きに監視して、彼らは群れの長がネビウスにどう対処するのかを見守っていた。森の奥深くに佇む緑色の怪物、苔の呪い子である老オオカミはネビウスの来訪に気づくと顔を上げた。彼女は苔を触手状にしてネビウスに伸ばした。ネビウスの方も手を差し出して、その苔がまとわりつくのをそのままにさせた。ネビウスは目を瞑り、しばらく黙した。苔がネビウスの手から離れていこうとすると、ネビウスは自ら手を伸ばして苔を摘み直した。


「あんたの森でしょ。どうなっても知らんじゃないでしょ。私達じゃないんだから」


 ネビウスは言葉を発して、苔の呪い子に訴えたが、結局苔の触手はするするとネビウスの指の隙間を通り抜けて主の元へ引っ込んでしまった。カミットは我慢できなくなってネビウスに聞いた。


「なんて言われたの?」


「呪いの始末なんて苦労するだけだからほったらかしたみたいなの。困ったわ」


「そっか! だからあのヨーグ人はオオカミに食べられていないんだ!」


「そうだけど、きちんと殺しておいてくれたら心配事も少なかったはずよ」


 このとき数匹のオオカミが駆け込んできて、苔の呪い子にしきりに吠えた。苔の呪い子は大きなあくびをして立ち上がった。彼女が向いたのは湖の方角。村の方で何かが起きているのであった。

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