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ネビウスクロニクル  作者: 石井
空の都編
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狼の森(5)「嫉妬、懇願」

 産後すぐはまだ危険だとしてネビウスは観察を続け、ミーナもネビウスに張り付いて赤ちゃんを熱心に見つめていた。対称的に、出産が終わると赤ちゃんに対するカミットの関心は急激に失われた。彼はすぐに飽きてしまって散歩に出かけた。


 村外れは家どうしが離れていて、草木の様子はどことなく元気がなく、寂しい雰囲気が漂っていた。カミットは遠くへ行かない方が良いと思って、赤ちゃんの生まれた家の前でうろちょろしていた。ふと恨めしい視線を感じ振り返ってみれば、木陰にジュカ人の女が立っていた。カミットは元気に挨拶をした。


「おはよう!」


 女はびくりとして驚き、おどおどとして、一旦立ち去ろうとして、しかしまた戻ってきて、カミットに怯えるような視線を向けて尋ねた。


「赤ちゃんはどうなったの?」


「ネビウスが上手に助けたよ」


「……残念だわ」


 カミットは聞き間違えかと思った。このとき家からトートが出てきたので、女は慌てて立ち去ってしまい、聞き返すことはできなかった。トートは走ってきて、カミットに険しい口調で尋ねた。


「何を言われた?」


「分からない」


 普段ならば思いついたことは何でも言うのだが、このときカミットは不確かなことを言わない方が良い気がしていた。赤子の生まれる家を見ていた女、おそらくは夜の内からずっと、お産の行方を気にしていたに違いなかった。その女が発した言葉、お産が上手くいったことを「残念だ」というのは不自然に思われた。女はカミットの言うことを聞き間違えて「お産が上手くいかなかった。」と思った疑いがあった。子どもが生まれることは誰もが祝福すべきことだからそうに違いないとカミットはシンプルに考えた。


 しかし、このあとのトートの説明は全く逆の事実を示した。


「あの女は妹と同じで、混血の子を孕んだのだが、お産が上手くいかなかったのだ」


「かわいそうだね」


「たしかに哀れな女だ。しかしな、そうであるから、他の混血の子が無事に生まれるのを妬んで、森の奥で他の妊婦を呪う儀式をやっているのだ」


「そっか」


 女が発した「残念だわ。」は聞き間違えではなかったのだ。カミットは憂鬱な気分になった。その女には同情すべきところもあるがゆえに、いっそう救いがないように思われた。とは言え、少し考えたら腹が立ってきた。


「自分がダメだったからって、他の人を呪うのはおかしいよ!」


「お前はよく分かっているな。そのとおりだ」


 トートは腕組みをして満足げに頷いた。


 一方、このことについてカミットから報告を受けたネビウスは違った反応をした。


「その女が呪術師なら困るけど、普通の女が人の不幸を願ったくらいで鞭でたれるのは気の毒よ。こういう田舎の村はやっぱり遅れているのね」


「ええ!? なんで!?」


 カミットにはネビウスの考えが理解不能だった。子どもが生まれるという最高にめでたい出来事を呪うなんて、重い罰を下されるのが当然だと彼は考えた。カミットがあれこれ理由を考えて、その女がいかに罪深いかを伝えようとしても、ネビウスの考えは変わらなかった。


「ベイサリオンだったら許すわ。その女が本当に不幸なのは、この村に彼女の苦しみを癒やしてくれる人が誰もいないことよ」





 森の呪いはジュカの血筋を引く子に稀に発現する。誕生の際に赤子を絞め殺そうとして発現するのは一過性であり、その後容態が落ち着いた後に残存するかどうかが、その子の命運を左右することになる。昨夜誕生した赤子は幸いにして森の呪いが残存しなかったので、これにてネビウスの仕事は全て完了となった。


 そうしてお産のあった家から出たネビウスの元に例のジュカ人の女が押しかけてきた。女は鬼気迫る様子でネビウスに縋り付いた。


「お願いよ。あなただけがあの子を救えるの」


 異変に気づいたトートや家の者たちは女をネビウスから引き剥がして取り押さえ、どこかへ連れていこうとした。ネビウスが呼び止めて、女に尋ねた。


「あの子ってのは?」


「私の子よ」


「あらまァ。あんた、現実と夢がごっちゃになっているのよ」


「違うわ! 苔の呪い子は私の子を食べなかった」


 苔の呪い子は狼の森(ルプスシルヴァ)の頂点に君臨する老オオカミの通り名であった。ネビウスはその具体的な名が出てきたことに驚き、少し考え込んだ。


 トートは女がもっといろいろ喋ろうとしたのを遮って言った。


「ネビウス。この女は気が触れてしまったんだ。子は呪いを持って生まれ、夫をオオカミに喰われた。現実を受け入れられず、心が呪いに蝕まれた」


 ネビウスはぽりぽりと頭をかいた。トートが呪いについて何も分かっていないことにも呆れつつ、母親の前ではあるが彼に平然と聞いた。


「この女の子どもは死んだのよね?」


「二つの村の掟に従い殺した」


「いいえ! あの子は生きている。苔の呪い子のところで、今も寂しさに震えて、怖い思いをして、生きているの」


 ネビウスは気がかりなことがあって、女に聞いた。


「あんたの子どもは、どっちよりの子だったの? ジュカ? ヨーグ?」


「……ヨーグよ」


「生まれたのは何年前かしら?」


「十一年前よ」


「ネビウス。そいつの言うことをまともに聞くな」


 トートは段々と不機嫌になっていたし、出産を祝うつもりで訪れた他の村人なども寄ってきてその女を取り囲んで罵声を浴びせ始めた。ネビウスはこの話を一旦切り上げ、カミットと二人だけになってこっそり聞いた。


「水辺で坊やを引きずり込もうとしたのはたしかにヨーグだったのね?」


 カミットは恐る恐る頷いたのであった。湖底の村(アンドコ)のヨーグ人が狼の縄張りで沢を泳ぐことはあり得ないことに対し、そこに潜む何者かの存在が明らかとなったのだ。このときネビウスの不安げな表情は魔人と対峙するときと同じか、それ以上の深刻さを映し出していた。

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