狼の森(4)「わた、赤子」
湖の魚は海に比べて小さく、銛で直接突こうとしても逃げられてしまうことがほとんどだった。カミットは効率の悪さに苛つき、漁師が釣り竿を用いているのを見つけると、魚を釣るというのは革命的なアイデアだと感じた。
これまでの経験からカミットは漁師の見習いとして入門しなくてはならないと思っていたが、湖畔の村と湖底の村は職人組合の管轄外であり、地元の漁師は快くカミットに釣りを教えた。
釣り糸を垂らして待っている時間は無為に過ぎていくように思われたが、体力の消耗もほとんどなかった。カミットは日に数匹の魚を釣り上げて、ネビウスに届けた。
料理はもっぱらネビウスが行ってきたが、彼女はあるときカミットの魚を受け取ると、急に思いついた様子で言った。
「坊や。自分で捌いてみる?」
「やる!」
カミットは即答した。料理には興味が無かったが、魚を捌くのはぜひともやってみたいことであった。
普段物事を教示しないネビウスであったが、彼女はそれを厳格な掟としているわけではなかった。生活の知恵ならばときどきは伝授することもあるのだ。ネビウスはカミットの普段遣いしているナイフを研いでやってから、調理教室を始めた。
先ず鱗を落とす。ネビウスは「乱暴にやると身が崩れるからね」などと助言しつつ、手早く魚の側面を包丁で削いで鱗を落とした。カミットは真似をして、愛用のナイフで挑戦したのだが、切れ味の違いのせいか、鱗がまばらに残った。彼としてはそれで問題ない仕事ぶりだと思っていたのだが、ネビウスはカミットがずたずたにした魚の側面に残っている鱗を包丁の切っ先で取り払って綺麗にした。
「そうしたら頭を落として、腹の方から切り込みを入れるのよ」
ネビウスはずどんと包丁を振り下ろして魚の頭を切った。続けて包丁が魚の腹に差し込まれた。血がじわりと流れた。ネビウスは手を差し込み、魚の内臓を取り出した。カミットはこれも真似をした。やはりナイフの切れ味には問題があって、ごりごりと破くようにして魚の腹を開くことになった。カミットはせっせと手を動かして、なんとか内蔵をとりだした。カミットは魚の腸をつまみ上げた。
「ぶよぶよしてる」
「そのぶよぶよのおかげで伸びたり縮んだりするのよ」
「心臓はどれ?」
「真ん中の赤いやつよ」
カミットは赤い塊を指でつんつんと触ってみた。表面は少し硬く、指で押し込んでみると不思議な弾力があった。
「両脇のは?」
「肝臓よ」
「肝臓って何をするの?」
「栄養を貯めたり、毒を分解するの」
カミットがあれもこれもと質問し始めると、ネビウスは苦笑した。
「ゆっくりやっていると身が悪くなっちゃうわ」
カミットは質問を止めて、急いで魚の中身を綺麗にした。このあとはネビウスの真似をして、身に切り込みを入れ、魚の身を切り分けて開いたのであった。ついでにネビウスが魚の身を鉄板で火にかけて焼くところまでしっかりと観察して、そうしてできあがった魚の焼き身はいつもよりも美味しく感じた。
※
夕飯を囲んでいたネビウスたちのところへ、湖底の村のヨーグ人であるトートが駆け込んできた。
「生まれるぞ! すぐに来てくれ!」
「あらまァ。意外と早かったのね」
ネビウスはのんびりした様子で食事を続けようとした。
「すぐに来てくれ!」
トートはもう一度言った。
ネビウスは元々気乗りしていないので唸りつつ、のそのそと立ち上がったのであった。ネビウスが支度をして家を出ようとすると、カミットとミーナも着いてこようとした。ネビウスは迷ったが、彼らだけで留守番させておくのは不安だったので着いてこさせることにした。
篝火があちこちに焚かれている夜の村の通りを、ネビウスたちは小走りで駆けた。
お産は湖に近い村外れの家で行われていた。妊婦はヨーグ人の女で、父親はジュカ人。ネビウスは彼らを見るなりため息をついた。彼女は見守っている親族一同に告げた。
「私は何らの保証もできない。妊婦も赤ちゃんも死んじゃっても、それは私のせいではないわ」
「何度も言わなくても分かっているよ」
トートは苛立ちを見せていたが、それでも彼はネビウスに対して下手に出るしかなかった。妊婦は彼の妹であったのだ。「お願いだ。ネビウス、妹と赤子を助けてくれ」彼は祈るように言った。
とは言え、ネビウスが来たからと言って、彼女がすぐにやることは無かった。ジュカ人との混血の子が生まれるにあたり、危険なのは出産直後なのだ。森の呪いは混血を歓迎しないので、生まれたばかりの赤ん坊とさらには母親まで巻き添えにして、蔦で絞め殺してしまうことが多々あるのだ。これを防ぐのがネビウスに期待される役割であった。
夜はさらに更けて、深夜遅くに差し掛かろうとしていた。カミットとミーナは部屋の隅で寄り添って寝てしまい、親族の者たちも何人かは別室で休んでいた。
ネビウスだけは妊婦の様子を観察し続けており、あるとき彼女はさっと動き出した。ついに母親の腹から赤子が生まれようとしていた。村の助産婦がなんとか赤子を取り上げたが、生まれたばかりの赤子にまとわりついていた不気味な蔦が蠢いて、赤子を締め上げようとした。
ネビウスは古の民の秘密の道具をいくつか用いて、器用に蔦をつまみ上げては鋏でちょきちょきと切っていった。横に置いた平皿に次々と蔦を捨てて、これらは捨てたそばからネビウスが青い火で焼いた。呪いの蔦はさらに母親の方にも伸びていこうとしたが、ネビウスが見逃さずに全て処置をした。
ネビウスは赤ん坊を抱きかかえて、その様子を確認してから告げた。
「母子ともに健康」
固唾を飲んで見守っていた親族がわっと盛り上がり、小さな家が喜びで溢れた。




