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ネビウスクロニクル  作者: 石井
海の都編
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海底都市(5)「水の稽古場」

 巨大な水槽施設が海の戦士の稽古場だった。街が運営する公に開かれている施設もあれば、有力家系によって運営される道場もあり、カミットが訪れたのは、アピスが所属する槍の流派が専用とする道場であった。


 訓練する戦士たちの様子は試合さながらの真剣さで、それはときに激しい指導を伴う。


 アピスの案内でカミットとシルクレイシアが稽古場に入っていくと、プールサイドである若手が先輩にぶん殴られているところであった。それを見たアピスが大慌てで走って行って、その指導していた先輩の方を注意した。アピスの指示が即座に行き渡ると、稽古をしていた戦士たちは釈然としない様子でありながらも、それぞれが普段とは違う紳士的なふるまいに変わり、後輩を指導するときには拳ではなく言葉を用いるようになった。


 アピスはシルクレイシアにさわやかな笑顔を向けて言った。


「今は改善の途中でね。稽古場の雰囲気は直に良くなるところだ。君好みの知的な感じにね」


「無理しなくて良いわよ。私には関係ないし」


「つれないなァ」


 このときカミットは、アピスが言い訳をしているのは男らしくない、と思ったものの、口には出さなかった。そうしない方が良いと判断したのは、おそらくこれを言うとシルクレイシアを困らせると思ったからだった。


 カミットはヨーグ人の魚の鱗を編んだ水着を着て、水中で息が続くように水息の呪いの苔を飲んだ。施設の水槽温度は冬であっても、泳ぐのに適した温度に調整されていたので、カミットは問題なく泳ぐことができた。ここまでは順調だったが、アピスから槍を持たされて、これを持ちながら泳ぐのは不便であった。槍の稽古などろくに受けていないので取り回し方が分かっていないうえに、水中では思うように動かせなかった。


 こうして勝手も分からぬうちに、今度はヨーグ人の子供たちが次々水槽に飛び込んできて、カミットも巻き込んでの乱戦試合を始めた。ルールは公式試合と同様で、先端の刃が麻痺性の軟体で出来た槍を用いて、最後の一人になるまで戦うというものであった。


 道場の子どもたちはカミットには加減をするように指示をされていたが、とは言えカミットを無視するわけにもいかなかった。カミットはのろのろと泳いで他の子を追いかけて、槍で突こうとしたが、そういうときには素早く槍を躱され、反撃の一撃をちょこんと突かれて、カミットは痺れる痛みに体を反り返らせて、水中なので声は出せず「ぐぼえっ」と喉の奥から吐き出す音とぶくりとした気泡を吐き出した。


 こうして重大な事実が突き付けられたことには、水の中はヨーグ人の支配下にあるということだった。カミットがヨーグ人の子たちに槍を当てることは絶対にできなかった一方、ヨーグ人の子たちはカミットを何十回でも気絶させることが可能と思われた。


 カミットは一試合目が終わったタイミングで水槽から上がった。水息の苔を吐き出して枯らし、深呼吸をすると、やはり空気は良いものだと実感したのであった。


 シルクレイシアはカミットを追いかけてきて尋ねた。


「どうしたのよ?」


「槍試合の感じはもう分かったから大丈夫だよ」


「ネビウスから言われているのよ。あなたに泳ぎを教えなさいって」


「僕は泳げるよ?」


「どこがよ。もうちょっとがんばりなさいよ」


「……いやだ」


「はあ!? こっちが優しく言ってあげてたらに乗って! わがまま言ってんじゃないわよ!」


「向いてないからやらない」


「そりゃああなたはヨーグ人じゃないから当たり前だけど、そんな一瞬で諦める男がいるものかしら!?」


 カミットとシルクレイシアが言い合っていると、アピスが水槽から上がってきた。


「どうしたんだ?」


「あら。アピス。……気にしないで。こっちの話よ」


 シルクレイシアがごまかそうとしたところ、カミットが胸を張り、腕組みをして宣言した。


「槍試合にはもう満足。僕はもうやらないよ。どうもありがとね」


 アピスは虚を突かれた様子で、ぽりぽりと頭をかいて、シルクレイシアに尋ねた。


「えっと、こういうときは、どうしたら良いのかな?」


「殴るのは禁止よ」


「そうなんだよな。君は難しいことを要求するよな。神話のお姫様みたいだ」


 どんなに説得されようともカミットはこのあとも考えを変えず、シルクレイシアがアピスに詫びて、この日は帰ることになった。


 帰宅したカミットはネビウスに先ず報告したことがあった。水の中では槍が軽く感じられたのだ。これについてネビウスは海に浮かぶ舟のたとえ話をして、浮力なる概念について説明したのであった。


 翌日、シルクレイシアは仕事帰りにアピスの試合を観戦した。彼女は気乗りしていなかったのだが、前日の彼の親切に対する礼としてではないが、別れ際にアピスから試合を見に来るように懇願されていたからだった。


 弟子であるカミットもシルクレイシアにくっついて来ていた。彼はアピスの試合をしっかりと観察した。


 アピスの格は他の選手と全く違った。彼が闘技場に入場するや、観客は熱狂して声援を浴びせた。そしていざ試合が始まれば、一対一の試合では泳ぎの速さや勢いある急角度の方向転換であっという間に相手の背後を取る芸当を見せて圧倒した、


 さらには同日のうちに乱戦試合にも参加すると、状況を判断する洞察力の鋭さは群を抜いており、荒れ狂う戦場でただの一撃も食らうことがなく、それでいて隙あらば敵を突き刺し、最初は十六人いた戦士の中で当然の如く最後まで泳いでいるのは彼なのであった。


 カミットはシルクレイシアに説明した。


「ヨーグは手足にヒレがあるよね」


「そうね」


 前日のことがあったので、シルクレイシアはカミットに少し苛立っていた。


「僕にはあれがないから、速い方向転換ができないんだよ。真っすぐの速さはそんなに大事じゃないんだ。とにかく後ろを取られちゃうと、簡単に槍で突かれて、絶対に勝てない。だから僕は水中の槍試合はこれ以上やりたくないと思った」


「……分かったわよ。あなた、今朝から静かにしていると思ってたけど、それずっと考えてたの?」


「うん。でも昨日、ネビウスに相談して、一緒に考えたんだ。どうして僕がヨーグよりも泳ぎが下手なのか。どうにかできることならやっぱり頑張った方が良いんだけど、無理そうならやめようと思った」


「へえ」


「僕は昨日考えていたときはもうちょっとがんばってみようかと思ったんだけど、アピスの泳ぎを見たらまた考えが変わった。ネビウスが使っていたみたいなヒレの補助具をつけてやってみる案があったんだけど、ヨーグはヒレを開いたり閉じたりできるから、これを使いこなしているからあんなすごい泳ぎ方ができる。きっと僕にはできない」


 カミットはまだもっと説明しようと思っていたのだが、シルクレイシアが断固とした様子で話し始めた。


「ねえ、カミット。あなたにはまだ早いかもしれないけれど大事なことを教えてあげるわ」


「うん?」


「理屈っぽいのはやめた方が良いわ」


 カミットには思いもよらない助言だった。彼は首を傾げた。


「なんで?」


「私、あなたには気持ちの良い男になってほしいのよ。私もいろいろ言いはするけど、あなたは思っていることを率直に言っているいつもの感じの方が合っているわ」


「……あれェ? そうなの?」


 カミットにはさっぱり理解できない師匠の言葉であった。説明して納得してもらう、こんな素晴らしい物事の解決方法が他にあろうかと思っていたのに、どうやらその限りではないようだった。


 球状の水槽闘技場では数千人の観客から歓声を浴びて、勝者であるアピスがアクロバティックな演技水泳をしていた。

お読みいただきありがとうございます。

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