呪いの入り江(10)「師弟、親子」
魔人の消滅に伴い、呪いの入り江の一帯を占拠していた海獣たちは海に帰っていった。こうして一年ぶりに漁場の安全が回復されたのである。
魔人討伐を祝して遠方の港街から祝いの品々が送り届けられ、港はこれまでにないほど賑わい、豊かな物品を満載した荷車ががたごとと車輪を鳴らして行き交った。
戦いのために多くの犠牲があった。悲しみも深い。しかしそれ以上に喜びが人々の心を晴らした。
タゴン邸を中心として、街を挙げて宴が催された。海賊たちもこの日だけは街へ入ることが許され、身分や所属を問わず、互いの武勇を称え合った。
とりわけカミットはもてはやされ、街を歩けば人々から贈られる食べ物によって両手がいっぱいになった。宴の最中だというのに、街をうろちょろしていたのはネビウスとレッサを探していたからだった。カミットがどこを探しても、彼らは見当たらなかった。
街が宴で盛り上がっていた頃、城門の外でネビウスはレッサとジンと会っていた。彼らは別れの挨拶を交わしていた。
「ネビウス。また会いましょう」
レッサがそっけなく言い、彼女の隣で立っていたジンは無言でネビウスに対して小さく頭を下げた。
「ゆっくりしていけばいいのに」
ネビウスは残念がって言った。
「そういうわけにもいかないので」
「怪我だって治ってないじゃない」
「引き止めても無駄ですよ。私は行きます」
レッサとジンは二人とも戦いを経て、ボロボロの状態だった。しかし特にジュカ人であるレッサはヨーグの街に滞在したくなかったのだ。
彼女は言った。
「私はヨーグが嫌いですので。こんなところでは休養できません」
赤肌のヨーグ人であるジンが顔をぴくりと引きつらせたことに、ネビウスは気づいていたが、彼女はあくまでレッサの方だけを見て言った。
「ちやほやしてもらえると思うけどね」
「見返りを求めて戦っているのではないので」
「あらまァ。格好いいのねェ!」
「からかったって構いませんよ。ただの事実を言っただけです」
ネビウスはレッサにぴたりとくっついて、彼女の包帯を巻いた腕を撫でて言った。
「癒やしてあげたいけど、私も今はすっからかんだからね」
「分かっていますよ。あんな怪物を呼び出せば、取られるモノは相当でしょう」
ここまでレッサは一度もネビウスが呼び出した深淵の怪物、巨躯を持つクリオネについて説明を求めていなかった。
しびれを切らした様子でジンがネビウスに聞いた。
「あれはいったい何なのか。あの力は大化身に匹敵するのでは?」
「分からないわ。海の化身とどっちが強いかなんて気にしたって仕方ないわ」
ネビウスは気のない口調で言った。
「島の安全に関わる問題だ」
「あんた、レッサの弟子のしちゃあ、気が小さ過ぎるんじゃない? 師匠が何も言ってないのに、弟子がごちゃごちゃ言うのはどうなのかしらね」
ジンは苦々しい顔で唸り、それ以上は追求しなかった。
レッサは苦笑した。
「ネビウス。そんなに言わないでください。彼はまだ若い」
「レッサだって若いわ。二十九歳でしょ? 私、レッサの赤ちゃんがみたいわァ」
「そういう予定はありませんよ」
「そうなのォ?」
「全く不要な気遣いですね」
「私はレッサが心配だわ」
「母親のようなことを言わないでください。勝手にいなくなったくせに」
にわかに雰囲気がぴりついた。レッサはハッとして気まずそうに顔を逸らした。ジンはいかにも意外そうな様子であったが、こちらは察して黙った。
ネビウスは黙ったままレッサを抱きしめた。
「そりゃあ、私はレッサのお母さんではないのだし、師匠だったのだから、弟子が一人前になったら、だらだらと一緒にいても仕方ないじゃない。レッサは継承一門に入っちゃったけど、連中は私のことが嫌いなのだし」
「すみません。分かっているんです」
「レッサは私が見てきた子たちの中で飛び抜けて優秀よ。今更偉そうに言われたくないでしょうけど、あなたは可能性の塊なのよ」
レッサはネビウスを抱き返して聞いた。
「……自由に?」
「そう! 自由に! あなたはなんでもできるのよ!」
「今の私は不自由に見えますか?」
「ほんのちょっぴりね」
しばらく抱き合ってから、二人は離れた。
レッサは言った。
「私は私の決めた道を行くだけです。あなたの言う通りになんてしません」
「あらまァ」
「また会いましょう」
こうして継承一門の二人の戦士は東の港街から人知れず去っていったのであった。
別れのあと、ネビウスが街の通りを歩いていると、向かいからカミットが走ってきて抱きついた。
「レッサたちがいないんだよ」
「彼らはもう旅立ったわ」
「なんで!? ご馳走があるのに!?」
ネビウスは吹き出して笑い、カミットと手を繋いで歩き出した。
「ぼく、レッサにいろいろ教わろうと思っていたんだ」
「良い考えね」
「また会えるかな」
「会えるわ。きっと」
二人で並んで歩いていると、今度はきょろきょろと辺りを見回して不安そうにしているミーナの姿があった。ミーナはネビウスを見つけると、ほっとした様子で柔らかい笑顔をみせた。
ネビウスを真ん中にして、親子三人で手を繋いだ。
「ミーナもがんばったわね」
「うん」
「塔の魔人は怖かったでしょう?」
「ちょっとだけ」
「ネビウス! ぼく、気づいたんだけど、ミーナが一緒だと、呪いが上手く使える気がするんだ」
無邪気なカミットに対して、ネビウスは少し考えてから言った。
「でも、ちょっと危なかったんじゃないかしら。ミーナは冒険が向いてないと思うのよ」
「そんなことないよ! ばっちりだったよ!」
ネビウスはぴたりと歩みを止めた。彼女はカミットの目を見て問い質した。
「本当にそう思う?」
カミットは気まずそうに目を逸らし、もごもごと言った。
「でも、ミーナはちゃんとできてたんだよ。ピクニックにちゃんと着いてきてくれたし」
ネビウスはなおも黙って、カミットを見つめた。
カミットは声を震わせて、泣きそうになりがら弁明した。
「ぼくは、そんなつもりじゃなかったんだ。塔の魔人がいるなんて知らなかったから。ちょっと調べに行って、入り江の魔人の弱点を調べるだけのつもりだったんだ。でも入り江の魔人はミーナの姿隠しが効かなかったから」
ネビウスは優しい声音で語りかけた。
「カミット。先のことは誰にも分からないわ。私達は見えない未来に向かって生きていくの。何もかも見通すことは、そりゃあ無理だわ」
ここまでは優しかったのだが、次の言葉は厳しい口調であった。
「起きたことに対して言い訳をする男はクソよ。女を守れない男はクズよ。男は結果よ。結果に責任を負うのよ」
「でも、僕はそんなつもりじゃ……」
カミットが涙と鼻水で顔をぐじゅぐじゅにして嗚咽を漏らしだすと、ミーナが見かねてカミットに抱きついた。
「お母さん。私、怖かったけど、冒険楽しかったよ!」
「あらまァ。そうなの?」
カミットはミーナに抱かれて、わんわんと泣いた。
「ごめん、ミーナ! 怖い思いさせて、ごめんね……!」
ネビウスはこれ以上は追求しなかった。
タゴン邸に着くと、カミットが鼻と目を真っ赤にしているのを見たシルクレイシアが驚いて、ネビウスに顔を寄せて小声で聞いた。
「ずいぶん厳しく怒ったのね? なにも宴の当日じゃなくて、明日とかにしてあげたら良かったのに」
「怒っちゃいないわ。必要なことを伝えただけよ。早くに伝えておかないと、私が忘れちゃうから」
「意外よ。ネビウスがそんなに叱るなんて」
「叱ってなんていないのよ」
「じゃあどうしたって言うのよ」
「同じことよ。優先度が高いことは伝えなくちゃいけないの」
シルクレイシアは納得しない様子で首を傾げた。
「ミーナのこと?」
「……気にしないでちょうだい」
「馬鹿親ねェ。私だって子どものころは冒険が過ぎて、何度も魚に食べられそうになったものよ。私は泳ぐの速かったから平気だったけど!」
「シルクレイシアみたいな娘だったら、私もほったらかしにできたのよ」
ネビウスは疲れ顔になってシルクレイシアにぐてんと寄りかかった。二人は宴の席で酒を飲み交わし、友人どうしの他愛のない話をしたのであった。




