呪いの入り江(8)「英雄の槍」
短い時間で作戦の共有が行われ、ナタブ傭兵たちは入り江の魔人から距離を取った。彼らは標的を変更し、ヨーグの戦士たちに加勢して、上陸してくる海獣を追い返すのに徹した。
カミットはレッサと密着してお互いの体を蔦で巻いて固定した。カミットはレッサに背後から介助を受けた状態で、大きな一枚葉のボードに乗った。
準備ができると、レッサがシルクレイシアに向かって手を振った。
シルクレイシアは浅瀬に立っていた。彼女が長杖を海面に突き立ると、水の呪いによって、大きな波が起こり、これらが魚群のようにしてうねりをあげ、入り江の魔人の周りを取り囲んだ。水は重さに逆らって、自在に流れを生んだ。
カミットはレッサと一緒にこの水流に乗った。水の呪いが生み出す水流は二人を空中へと誘った。そうして高所から光の矢を打ち込んだのである。弓を引くときはレッサがカミットの手を重ね合わせて、力を貸し与えた。狙いもレッサが誘導することでより正確となった。
光の矢の威力は絶大だった。これまで数百人の戦士がいくら槍を投じてもほとんど効果がなかったというのに、入り江の魔人は着実に弱りつつあった。強い再生力を持つヒトデの腕は一本二本と機能停止していった。
カミットは叫んだ。
「もっと近づこうよ! 手をやるんだ!」
「ダメよ。もっと弱らせないと」
レッサはカミットの意見を退けたが、一方で上陸してくる敵の増援を警戒していた。どこかのタイミングでは勝負に出ないと、敗北の運命を避けられないのだ。
さらに光の矢を何発か打ち込んだ後、入り江の魔人の十数本あったヒトデの腕が残り五本となったとき、もはや防衛戦も突破されつつあったのを察し、レッサは言った。
「いくわよ」
「うん!」
水流は二人を魔人の胴体、巨大なヒトデの下半身の上にある等身大の人と変わらぬその上半身へと急接近した。
そして光の矢を打ち込んだ。しかし当たらなかった。
入り江の魔人は既に槍の刺さっている右手で矢を防いだのである。入り江の魔人の右手は完全に破壊され、光の矢の衝撃で刺さっていた槍は吹き飛んでいった。
その一瞬の間のこと、入り江の魔人はカミットたちを向いて体を揺らしていた。まるで笑っているかのように。
次の瞬間、機能停止していたヒトデの大腕が再活性して、その表面から無数の棘が撃ち放たれたのである。全方位からの攻撃がカミットとレッサに迫った。シルクレイシアの水流が彼らを守ろうとするも間に合わなかった。
ほとんど爆発であった。数千、数万の棘が一点に向って集中したのである。互いにぶつかり合って飛び散った棘は周囲に怖ろしい雨となって降り注いだ。
戦士たちは自分たちも棘の被害を受けながら、唯一の希望が潰えたと思って絶句していた。
少し遅れて、空から大きな骨の塊が落ちてきた。その周囲を著しく損傷しており、地面に墜落すると、自然と自壊した。その中からカミットとレッサが無事で出てきた。
「ワッハッハ! 見よ、闇の力は愉快ぞ!」
叫んだのはドミニであった。目や鼻から血を吹き出しながら、高揚感で痛みを忘れている様子だった。彼は死者の骸を操る術で、シルクレイシアの水流の中に骨の塊を流し込み、これらでカミットたちを保護したのであった。
「すごいよ! ドミニ! ありがとう!」
カミットは叫んだ。窮地を逃れたことで彼はこれまでにない興奮を覚えていた。
「レッサ! もう一回やろう」
ところがレッサは座ったまま動かなかった。
「どうしたの?」
「良くない打ち方をしたのよ。私はここまで」
「なんで!? あとちょっとだよ!」
棘の直撃は免れたものの、骨の塊に包まれた状態で落下したときの衝撃は避けられなかったのだ。カミットが元気なのはレッサが庇ったからであった。
レッサは戦いから離脱するしかなかったが、笑みを浮かべて言った。
「残念だけど、魔人殺しの栄誉は彼に譲るわ。正当なるヨーグの英雄に」
ヨーグの英雄の槍は砂浜に刺さっていた。その槍は激しい戦いを経て、光の矢の直撃を受けてなお、折れることがなかった。それが今、かつての持ち主によって引き抜かれようとしていた。
「俺はもう歳だ。こいつを一回手放したのだ」
東の港街の頭領、タゴンが戦場に着いたのである。彼は入り江の魔人がヒトデの腕を蠢かせて再生しつつあるのを見やりつつ、カミットに聞いた。
「俺たちは勝たねばならぬ。お前はまだやれるか?」
「やれるよ」
カミットはタゴンを見て、発想を変えた。矢を撃つのは無理なら、刺せばいいのだ。彼は光の矢を手に持った。
「よし。俺に掴まれ。振り落とされるなよ」
近海のヨーグ人で最も大きな体、その青い鱗に覆われた肌は長年の戦いによって傷ついてきたが、その下の筋力は衰えていなかった。普段は畳んでいる手足の鰭を広げると、何かを言うまでもなく、シルクレイシアの水流が彼を飲み込んだ。カミットはタゴンに抱えられて、水の中を泳いだ。
タゴンはヨーグで最も力強い男であると同時に、それは泳げば最速であるということでもあった。カミットは激流を泳いでいた。入り江の魔人のヒトデの大腕が襲い来るのを巧みに避けて、その本体へと一瞬で迫った。
入り江の魔人はその上半身の腹部から太い棘を一瞬で生やしてタゴンを串刺しにしようとしたが、タゴンはこの棘を槍で打ち砕いた。
この直前にタゴンはカミットを上空へと投げ飛ばしていた。
宙に放られたカミットは時が止まったような感覚になった。入り江の魔人はカミットを見失ってタゴンの方しか見ていなかった。海から襲い来る海獣と戦う戦士たち、ドミニに助け起こされているレッサ、そして海に立つシルクレイシア。彼らがカミットを見ていた。
この一撃で決めるのだとカミットは無我夢中で光の矢を両手に握った。そして落下の勢いのまま、その矢を入り江の魔人の左手に突き刺した。
光の矢を手に受けた瞬間、入り江の魔人はこれまでに見せたことのない様子でもがき苦しみ、その巨体のいたるとから黒い血を吹き出した。ついに入り江の魔人は滅びようとしていた。
カミットはタゴンに回収されて、入り江の魔人から退避した。
タゴンは短く褒めた。
「良い槍だった」
「やったね!」
カミットは満面の笑みで答えた。
ところが、それまで二人を乗せていたシルクレイシアの水流が急にコントロールを失い、彼らは浜に落下した。
タゴンはカミットを守りつつ受け身を取って浜に立った。彼は周囲の異変を察して叫んだ。
「戦士たちよ! 退避せよ。魔人の血を浴びるな!」
そして彼の視線は、海の浅瀬の方にいるシルクレイシアに注がれた。魔人の血が海へと広がると、それに触れてしまった者たちは次々気を失っていった。シルクレイシアも魔人の血に触れてしまい、膝をついて動けなくなっていた。
「おお。シルクレイシア!」
タゴンは嘆きの声をあげた。ここで彼が海に入っていけば、諸共魔人の血にやられてしまう。それは最悪の事態であった。
カミットはタゴンに駆け寄った。
「タゴン! シルクレイシアを助けないと!」
「そんなことは分かっている!」
しかし打つ手はなかった。そうしている間にも、黒々とした魔人の血が海へといっそう広がっていくのであった。
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