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ネビウスクロニクル  作者: 石井
海の都編
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呪いの入り江(4)「冒険」

 東の港街(シラトビ)に来て以来、ネビウスは子どもたちの面倒を見る余裕がなく、カミットのことはシルクレイシアやタゴンに任せ、一方でミーナのことは海の都(ドンド)の神殿に預けたっきりでろくに状況を把握していなかった。


 戦闘が近くなってくると、ネビウスはミーナに神殿通いを止めさせて、ミーナはタゴン邸で庭先でぼーっとしていることが多くなった。


 ミーナはカミットと同時に十一歳になった。まだあどけない少女のようでいて、輝く金の髪や儚く切ない人形のような顔立ちはいっそう美しさの原型が磨かれているところであった。神殿から与えられた純白の長衣(ちょうい)は彼女の神秘的な雰囲気をさらに増していた。


「ミーナ!」


 ミーナはびくりとして、呼びかけた声の方を見た。縁側で立って、腕組みをしているカミットである。ミーナはカミットに駆け寄った。


「どうしたの?」


「冒険にいくよ!」


「どこにいくの?」


「秘密だよ!」


 ミーナはいつもカミットが言うことには大人しく従うので、カミットはミーナの返事を待たずにすぐに出発した。


 二人が出かけていったのは呪いの入り江だった。既に日が傾きつつあり、夕日が赤く輝く海岸線を二人は歩いていった。


 呪いの入り江は長大な柵に囲われていた。柵に沿った防衛戦では警備の兵がいつでも巡回しており、侵入は困難だった。ネビウスの寒さ除けの呪いがあれば海から泳いで入れたかもしれなかった、カミットは寒さを我慢すれば良いと考えたが、ミーナに風邪を引かせてはまずいのでこの案は諦めた。


 呪いの入り江に侵入するにはもっと簡単な方法があった。カミットがミーナを冒険に連れてきたのは、一人では心細いからではなかったのだ。ミーナはどこで習ってきたのか、姿隠しなどの便利な呪いをいくつか使えたのである。


 二人は一つの外套を着て、フードを深く被った。そしてミーナが小枝を振った。すると外套の表面の質感は周囲の砂や岩に同化した。こうして彼らは衛兵の監視の目を誤魔化した。そうして姿隠しをした状態で低くしゃがんで、砂浜をちまちまと進んだ。


 カミットはミーナの様子を見ながら、小刻みに休憩を挟んだ。ミーナと並んで岩に腰掛け、海を眺めながら、おやつのパンを分け合って食べた。


 兵隊に見つからないようにして柵までたどり着くと、カミットは森の呪いで素早く蔦をかけて、これをよじ登った。上まで登ると、ミーナのことも引き上げて、そうして呪いの入り江へと入ったのである。


 柵を超えてすぐのところではまだ森の呪いは使えたが、少しずつ進んでいくと、やがて森の呪いはカミットの呼びかけに応えなくなった。


 呪いの入り江に近づくに連れ海獣の群れが見られるようになった。人間に匹敵する体高をしたペンギン、頭部の皮膚が分厚く硬く発達した巨体のアザラシ、磯に住むオオトカゲなど、本来はこの近辺に生息していない危険な種があちこちで見られた。姿隠しをしていなければ、たちまち襲われていたであろうが、カミットとミーナは慎重に動物の群れを避けて、呪いの入り江に向かっていった。





 呪いの入り江の海が陸を抉り取って弧を描いたような地形の、陸側の最も深い部分に、魔人はいた。それは一見するとヒトと呼べない姿をしていた。それは蕾のように見えた。大きくて、赤い、不気味な気配をした、この世の物とは思われぬ姿で、魔人は静かに佇んでいた。


 カミットは魔人の目を探した。弱点を射れば、魔人は大幅に弱体化すると彼は知っていた。しかし魔人の蕾に似た姿は分厚い壁を形成しており、あらゆる弱点を覆い隠していた。


 待つのは苦手ではなかった。カミットは狩りのコツをネビウスを見て学んでいた。優れた狩人は獲物がすきを見せるときを待ち、一撃にて仕留める。


 そのときは間もなくやってきた。


 日が落ちきり、辺りが暗くなり、月が煌々と輝いたとき。


 蕾がゆっくりと開いた。


 中から現れた魔人はたしかにヒトの骨格をしていた。その肌はけばけばしい赤を基調として、表面に無数に走る筋が絶えず鈍く光っていた。花開くようにして広がった魔人の下半身はヒトデの手足のようであり、これらは無数の棘がびっしりと生えており、見る者全てを拒絶するようであった。


 カミットはその魔人を観察するほどに困ってしまった。入り江の魔人には目が無かったばかりか、耳も口も鼻も無かったのだ。上半身がヒトの形をしているだけで、弱点らしき部分が一切見当たらなかったのである。


 ミーナの姿隠しはかなりの精度であらゆる動物の探知を逃れてきた。だというのに、そのとき、顔無き入り江の魔人はカミットたちの方を向いたのであった。


「大変だ!」


 カミットはミーナの手を引いて走った。


 しかし魔人のヒトデの腕がぐんと伸ばされて、カミットたちを捕まえようとした。カミットは渾身の力でミーナを突き飛ばした。そして自分は無数の棘が生えた怖ろしい腕に絡め取られて、ぶんと空高く放り投げられてしまった。


 そのまま空から地面に激突すると思われたとき、カミットが体を打ちつける直前に綿の花が吹き出して彼を守った。カミットは何が起きたかを一瞬で理解した。森の呪いが反応したのだ。


 このときカミットは一瞬だけネビウスの教えが頭を過ぎったが、魔人の腕が逃げるミーナに迫っているのを見て、すぐに決断した。


 カミットは湧き上がる怒りを解放して、巨樹を生み出して、魔人と戦わせた。


 魔人のヒトデの腕は呪いの巨樹に絡みついて締め上げようとした。逆に巨樹は幹を肥大化して、魔人の拘束を無理やり解いた。


 呪いの存在どうしで戦っている間に、カミットは転んで倒れていたミーナを助け起こした。ミーナは過呼吸を起こしており、彼女が苦しむ様子を見て、カミットはこのような事態を引き起こした責任を感じた。このときはもうどうやって逃げるかしか彼の頭にはなかった。


 ところが、ものの数秒の間であったというのに、カミットが振り向くと、巨樹が入り江の魔人に対して上を取って、ぼっかんぼっかんと殴り放題にしていた。


「あれ!?」


 カミットは意外な事態に嬉しい驚きの声をあげた。彼はこのところ森の呪いに失望しつつあったので、魔人を足止めしてくれればそれで良いと思っていたというのに、このまま放っておいたら魔人を倒してくれそうであったのは望外の成果であった。


「やった! ミーナ! 見てよ! 僕がまた魔人を倒すんだ!」


 ミーナはカミットに抱きついて、少し落ち着いてきた様子でこくこくと頷いた。


 カミットが興奮して拳を振り上げ、呪いの巨樹を応援する一方、ミーナはハッとして周りを警戒した。彼女はカミットの背中を叩いて言った。


「魔人が来るわ!」


「んん? なに?」


 カミットは要領を得ず、ミーナを睨んだ。せっかく調子が良いというのに、訳のわからないことを言われて集中を切らしたくはなかった。


 ミーナに引っ張られて、鬱陶しいと思いながら振り向いたとき、夜闇の中を歩いてくる人影が見えた。


 それはたしかに魔人であった。森の魔人、入り江の魔人と比較するといたって普通の体高をしており、手足も二本ずつというヒト型に近い姿であった。しかしその体は黄金色をしており、その顔には口しかなかったのだ。純白に輝くボロ布を纏った姿はいっそ神々しくすらあったが、それが良い物でないことはカミットには本能的に分かった。


月追い(ルナシーカー)!?」


「あれは塔の魔人よ」


 カミットは目まぐるしく変わる事態に思考が遅れた。


 その一瞬の出来事であった。


 塔の魔人は光り輝く弓をその手に現すと、矢でミーナを射た。一筋の閃光のようにしてその矢はミーナの心臓を貫き、その衝撃でミーナは倒れた。


 カミットは頭が真っ白になった。そうして立ち尽くしている間にも、塔の魔人は光の矢を呪いの巨樹にも何発も打ち込んだ。やがて森の呪いは元気を失い、やがて呪いの巨樹は枯れてしまった。


 カミットは倒れたミーナを抱き起こして「ミーナ! ミーナ!」と名を呼んだ。ミーナは目を見開いたままで固まっていた。


 塔の魔人は絶望するカミットにゆっくりと歩み寄り、輝く剣を現し、これでカミットとミーナを一気に切り裂こうとした。


 そのときフクロウの鳴き声が辺りに響いた。


 直後、空から月光を背に降り立つ影。そして青い剣が煌めいた。


 塔の魔人はそれまでの緩慢な動きを一転させて、素早く身を翻して空からの攻撃を避けた。


 新たなる介入者、青い剣を持ち、黒い外套を着て、赤髪を輝かせるその人は、カミットとミーナの母であるネビウスであった。


 ネビウスは塔の魔人と入り江の魔人をそれぞれ見てから、へらへらと笑った。


「ややこしいところに来ちゃったみたいね」


 ネビウスは剣の切っ先をちらちらと動かして警戒しながら、塔の魔人に言った。


「喧嘩するのは止めにしないかしら? お互い損だわ」


 塔の魔人は言葉を発さず、代わりに剣の一太刀で答えた。


 ネビウスは剛剣の一撃を剣で鮮やかにいなした。青い剣が光の剣を受け止めたとき、火花のような光が散った。そのまま二手、三手と剣の打ち合いが続いた。


 ネビウスはあくまで攻撃を受け流すことに専念していたが、背後で入り江の魔人が動き出すと、うんざりした様子で言った。


「そしたら、気が済むまでやるしかないわね」

お読みいただきありがとうございます。

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