呪いの入り江(2)「師弟」
街の稽古場は大人の男たちの訓練で使われるようになった。街全体にひりついた雰囲気が漂い、子どもたちは家で家事を手伝うようになった。
カミットは野外市の宿場にちょくちょく顔を出して、傭兵たちと交流したり、そうでなければタゴン邸の裏庭で弓矢の稽古をした。荒れ地の都ではよくやっていた、森の呪いによってランダムに的を出現させて、撃ち抜く練習である。
このときカミットは愕然とした。矢の的中率が三割ほどまで落ちていたからだ。森の魔人を倒して以来、練習をほとんどしてこなかったことを彼は大いに悔やんだ。彼は焦ってしまい、練習時間を増やすも、的中率が七割に近かった数ヶ月前には戻らなかった。
あるとき裏庭にレッサがやってきた。カミットが練習を止めると、彼女は「続けなさい」と言った。
カミットは緊張しつつも、いつも通りの稽古をした。
一区切りついたところで、レッサが講評した。
「練習不足ね」
「呪いが禁止されていたから、このところ練習が出来なかったんだ」
カミットは口を尖らせて言い返した。
練習を再開しようとすると、レッサがカミットの真後ろに立った。カミットは初めて弓を持ったとき、ネビウスが介助してくれたことを思い出した。
レッサはカミットの構えを正しながら言った。
「射るということは、その矢を放つまでの行為よ。その基本は止まっている物を射ること」
「敵は止まってくれないよ?」
「止まったところを射るのよ」
レッサの指示により、カミットは停止させた的を射る練習に切り替えた。矢は的に当たった。
「そのままもう一度」
次の矢も的に当たった。
レッサは的に刺さった矢を示していった。矢はどちらも的の中央ではなく、それぞれが離れて命中していた。
「離れているわ。不合格」
「当たっているから良いんだよ?」
「達人はほんの小さな雨粒だって射抜くのよ」
「魔人はそんな小さくないよ」
カミットは急に気がついて、笑顔になって尋ねた。
「レッサは僕が言い返しても怒らないね!」
ところがレッサはこの発言には不快感を示して、冷淡に説教した。
「関係のないことを言わないのよ。それは相手の話を聞いていないということよ。不誠実で無礼な振る舞いだわ」
「なんで? 僕、話は聞いているよ?」
レッサはこれには答えず、講義を続けた。
「練習するなら、高みを目指しなさい」
「それは分かるけど。動いている的で練習したいよ」
「森の怪物よりも、海の怪物は皮膚が厚くて頑丈よ。その代わりに陸での動きは緩慢だわ。海の怪物を倒すつもりなら急所を射抜くことを意識しなさい」
「目だね!」
「そうよ」
「そっか! だからゆっくりとした練習が良いんだね!」
カミットは納得すると、このあとはひたすら止まった的を射る練習を続けた。
※
このところネビウスはやることが無くなった様子で、港をぶらぶらと散歩した後、岩礁に座って数時間も黄昏れているのがお決まりとなっていた。
レッサはネビウスと話すために港までやってきて、岩場でネビウスの隣に腰を落とした。
レッサはカミットに弓矢の稽古をつける一方で、ネビウスに対しては苦言を呈していた。
「子どもを戦いに巻き込むなんて」
「シルクレイシアに言ってよ」
「あなたが止めさせるつもりがないのですから無駄でしょう」
冬の海風は肌を刺すように冷たかった。波の打ち付ける音や潮の香りなど、物珍しく楽しめることもあるが、毎日見ていれば飽きるというもの。レッサはネビウスの行動が理解できなかった。
「ここで時間を潰していても仕方ないでしょう」
「そんな事ないわ。これよ」
ネビウスは小脇に抱えていた背丈ほどもある大きくて長い海笛を見せた。先端にはびろびろとして広がる膜が取り付けられており、海中において吹き鳴らすことで特別な音を発するのである。
「今回の戦いは陸地ですよ?」
「そうだけども、何が起こるか分からないでしょ」
「私も魔人討伐に関わることになるとは考えていませんでしたが、あなたの顔を見て何か見えざる力を感じていますよ」
「いやな言いがかりね!」
潮が満ちてくるとネビウスは笛の先端を海に浸して、顔を真赤にして息を吹き込んだ。海笛に取り付けられた膜は水に浸かることで、虹のような美しい色合いに変わった。
レッサはしばらく耳を澄ましていたが、ネビウスが延々と吹き続けているので耐えかねて言った。
「何も聞こえませんね」
「そりゃあレッサの耳にはね」
「海の者たちは耳を傾けますか」
「さあねェ」
ネビウスは笛を自ら引き上げて脇に置くと、急にごろんと横になって、レッサの膝に頭を置いた。
「甘えないでください」
「優しくしてちょうだいな」
レッサは呆れるようにため息を付きつつ、優しげな眼差しでネビウスを見つめ、ネビウスの頭を撫でた。
ネビウスは独り言のように言った。
「子どもは良いわ。成長を見ていると、無邪気に話しかけてくれると、一緒に過ごしていると、こっちまで幸せになる。でもうっかりすると、私はお母さんになってしまうのよ。私、やっぱり面倒は見るより見られる方が好きよ」
「私だってそうですよ」
「ふふふ」
「笑っていないでしっかりしてください」
黄昏時、水平線の向こうから赤々とした光が差した。師弟はこのあと大事なことはほとんど何も話さなかった。
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