槍岩の海(5)「癒やしの火」
謁見を終え、海賊の王は贅沢な調度品を備えた私室で椅子にかけて、酒を口にした。彼は緊張から開放されると、まったくの無表情になった。
海賊の王は名をドミニといった。彼は牢獄の都の出身であった。彼はシルクレイシアと話している最中はずっと気がそぞろで、彼の本当の意識はネビウスに注がれていた。
燃えるような赤髪と褐色の肌。十数年ぶりであっても、全く変わらぬ若さ。
ドミニは名を聞かずとも、ネビウスだとひと目で分かった。むしろ名は聞かない方が良いと彼は考えた。
海賊の王は力によって支配する。王よりも強大な存在が現れることほど不都合なことはないのだ。しかし勝てない相手に挑むのは馬鹿げている。
謁見においては配下の前で堂々たる姿を見せることができた。ヨーグの呪術師の娘がいろいろ言ってきのは受け流し、そのあとはネビウスたちの武勇をてきとうに讃えて、彼女たちに寝室を用意してやり、翌日には帰ってくれる算段であった。
私室で一人でいたドミニの肩に手が置かれた。
「ドミニ、ずいぶん偉くなったのねェ?」
ドミニは「ひっ!」と悲鳴を上げた。振り返れば、ネビウスの凶悪な笑顔があった。
「この部屋にどうやって入った!?」
「毒貝の呪いの取手なら壊しちゃったわ。ごめんなさいね」
「おぉ、無茶苦茶なことをする!」
ネビウスはテーブルの上に腰をかけて、置かれていた酒瓶を手に取った。
「これは頂いて良いのかしら?」
ドミニは観念して、ため息をついて頷いた。
二人は盃をぶつけ合って乾杯した。
「よく俺を覚えていたな」
「二十年前くらいに、牢獄の都でバルチッタとつるんでいたでしょう?」
「アイツめ! 俺を売ったか」
「彼の帳簿を取り上げて、アンタの名前があったのよ」
ドミニは深く息を吐いた。彼はネビウスを探るような目で見た。
「中立のネビウスが職人組合や神殿に与するわけではあるまいな?」
「もちろんよ。私はあんたが何をしていようが止めはしないわ」
「よし、よし。それを聞いて安心したぞ」
ドミニが喜ぶのを横目に、ネビウスはごくごくと酒を飲み干し、すぐにまた盃に注いだ。
「ただやっぱり事が事だから伝えておかなきゃならないことがあるわ」
「聞いてやろう」
「アンタは自分が生きていられる間だけどうにかなればって言ったけれど、それは悠長過ぎるわ。島の精霊たちに異変が起きているのだから、近いうちにこの島の呪いの巡りそのものが大きな変化を迎えるのよ。そのときアンタの力の源である闇の呪術がこれまでどおりに使える保証は無いのよ」
「しかし魔人討伐に参加したとして、思うような成果を得られなければ、それこそ俺に得はない。それにな。俺はいつか惨めに野垂れ死ぬとしても、元々の生まれからして、そんなものだろうと受け入れる心構えでいる」
「私に嘘は止しなさいよ。魂の蝕みが酷いわ。アンタは死ぬのを怖がっている。ろくでなし連中が潔く死ぬのは見たこと無いのよ。どいつもこいつも生き汚いんだから」
ドミニは表情を硬くした。
「俺は大丈夫だ! 死など恐れていない!」
「診てあげるから、ちょっと横になりなさい」
ドミニはぐぐぐと唸ったが、のそのそと動いてベッドで仰向けになった。
ネビウスは彼の胸に手を当てた。手のひらから暖かな火が吹き出した。ドミニは一瞬怯えたが、その火が彼を燃やしてしまうものではないと分かると、穏やかな表情になって目を瞑った。
魂が呪いに蝕まれると、呪術師は化身になってしまう。蝕みの進行を和らげる治療が行える医師は職人組合か神殿の所属であった。したがってドミニのような掟破りの呪術師は普通ならば蝕みの治療を受ける機会がなかった。
しかしネビウスは公的組織の掟に縛られていない。彼女は最高の治療技術を惜しみなく、相手が誰であろうと提供することで知られていた。
ドミニはネビウスの火に包まれ、うとうととして意識を混濁させた。
「俺は奪うぞ。まだまだ奪う。足りぬ、足りぬ……」
※
ドミニはネビウスの治療を受けると上機嫌になって、閉じ込めておくつもりでいたネビウス、シルクレイシア、カミットを酒宴に招待した。
満開の星空の下、槍で貫かれて丸焼きにされたイルカが会場の中央に運ばれてくると、カミットは興奮して駆け寄った。
また海賊たちは海獣の皮を張った太鼓を鳴らして宴席を盛り上げるのが慣わしで、カミットはこれらにも混ざって、陽気に太鼓を鳴らした。
「楽しそうね。子どもは羨ましいわ」
シルクレイシアは荒くれ者達に混ざってはしゃぐカミットを遠目に苦々しい様子で見ていた。
彼女とネビウスは主賓席でもてなしを受けていた。
「仕方ないわ。本来、そういう子だから」
ネビウスは肉を噛みちぎりながら言った。
「本来って?」
「その子の持って生まれた気性よ」
ここにドミニがやってきた。彼は女達を侍らせていたが、シルクレイシアが嫌そうな顔をするとすぐに察して、女達を「ちょっと遊んでこい」と言って離れさせた。彼はネビウスの隣に腰を落として、酒を飲み始めた。
「俺のもてなしを楽しんでいるか?」
「ええ、とっても」
ネビウスは笑顔で答えたが、シルクレイシアはつんとして何も返さなかった。
ドミニはシルクレイシアに言った。
「俺は良い考えが閃いた」
「あらそう。聞かせてちょうだい」
シルクレイシアは片眉を釣り上げて、気のない返事をした。
「子飼いの戦士を出すつもりはないが、俺は戦士を補充することができる」
「どういうことよ」
「牢獄の都から戦士を買うのだ。安くて大量だぞ」
「罪人の子孫ね。掟の腕輪で魂を縛られた者たち」
「そうだ。水言葉しか話せぬやつらだから、陸の土地を欲しいとかは言い出さぬ」
「ダメよ。人道に反するわ」
「眠たいことを言うな。神殿や職人組合は普段から男たちに死地へ向かわせて戦わせているではないか。残酷だというなら、自分たちが出向くべきだ。可哀想だと言うなら、まだ賊として働く前の海賊の無垢なる子たちに陸の土地を分け与えるべきだ」
ドミニの指摘はシルクレイシアには不意打ちだった。彼女はドミニを睨んだが上手く言い返すことはできなかった。
「ふん。お前のような若い娘を説教してもつまらぬ。ネビウスよ。どうだ。東の港街のタゴンに話を通す気はないか」
「私に言われてもね。急にどうしたのよ」
「気分が良くなったら、商売の考えが広がったのだ。鼻につく振る舞いの小娘を相手にしていたときは、こいつが困っているのが愉快と思っていて、俺の考えに偏りがあったと気がついた」
「全部言うのね」
「友には全部言うぞ」
「友? 私が?」
「そうだ。ネビウスはバルチッタの師である。であれば俺とも浅からぬ仲ではないか」
ネビウスはシルクレイシアに誤魔化すようにして笑いかけた。
「大昔に破門にしたの。今は全然関係ないのよ」
「あとで詳しく聞くわ」
ドミニはしくじったと気づき、ネビウスに向かって「考えておけよ」と言って、席を立った。
残されたネビウスはシルクレイシアにもたれかかった。
「バルチッタは昔から馬鹿な男でね」
「闇の呪術を教えたの?」
「私は何も教えやしないのよ」
「どうして秘密に?」
「立場が悪くなると思って」
「現に今、あなたの立場は悪くなっているのだけれど」
「秘密にしてちょうだいな」
「ダメよ。父様には言うわ」
「困ったわァ」
ネビウスは悪びれもせずにへらへらと笑っていた。
シルクレイシアは深くため息をついた。
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